疑わしきは罰わせずep7
「それじゃ今日は解散で」
「分かった。明日は朝から出かけるのか?」
「どうしようか。ゲティの仕事のほうはどうなの?」
「臨時休業とでもしておくさ」
事務所にいる僕は依頼がなければ動くことは殆ど無いが、ゲティは一階で占いの店をやっている都合上休みにするかどうかは本人に委ねられる。
あまり焦っているようには見えないが、それなりにいろはのことが心配らしく、明日から動き出すことがすでに既定路線になっているようだった。
「それなら明日から動こうか。まずは調査で歩くことになるけどね」
「一発で目的が達成できるとは思っていないさ。とりあえず疑わしいところを潰していくという名目で熊野神社に向かうということでいいか?」
「僕は大丈夫。その力を受けられる周辺の土地に住んでいる可能性もあるし」
『その時は儂の出番と言うことだな』
机の上に広げた地図をゲティが片付けて机の隅に片付ける。その後、クルスさんが持っていたようにフーちゃんを抱きかかえるゲティであったが、来栖さんよりも体格が小さい分フーちゃんが大きく見えた。
「探す時はストラスをフーちゃんの中に召喚する」
『それは聞いている。どのような感覚なのか想像もできない分不安であるが大丈夫なのだろう?』
フーちゃんは体を前に向けたまま首だけを後ろへと向けた。生物としてのフクロウは首の骨が人間の2倍ほどもあり、首を270度回すことができるのだがぬいぐるみであるフーちゃんもそれができるらしい。
ゲティは頭だけで振り向いたフーちゃんに一瞬驚いていたが、何食わぬ顔で取り繕っている。
「あ、ああ。大丈夫だ。来栖たちとも約束をしたしな」
『約束は小さな契約だ。魔術師がそれを違えるとは思えん』
書面上や、魔術上での意味をなす契約とは違う人と人との繋がりで発生する契約。そこにペナルティや罰則は無いがその後の人間関係に影響を与える約束という小さな契約。どんな小さな契約でも魔術師という生物はそこに意味を見出す。特にゲティなどの召喚術師ならば契約の重さは尚更知っている。
悪魔との契約を違えたが最後、幸せな結末にはたどり着けない。
「僕は僕で色々と調べてみるよ。争いになっても良いようにいろはちゃんの使うバラキエルっていう悪魔についてとか」
「そうしてもらえると助かる。だが悪魔の力というのは必ずしも伝承のとおりではない。それこそ、いろはと戦った時にはバラキエルの伝承では聞いたことのない力も使っていた。知識を入れるのは大いに結構だが、それを鵜呑みにするのは気をつけておけ」
「分かってる。僕も魔術師だ。"そういうもの"として理解する程度に留めておくよ。固定観念で自分の行動が狭まってしまっては動くに動けなくなりそうだ」
「様々な場合を想定して必要以上に準備するのがお前だろ?」
「案外僕ってば臆病者なんだよ。備えあれば憂いなしだし石橋を叩いて渡る」
「まあいいさ。それもまたお前の魔術を構成しているんだからな」
魔術師は臆病な人が多い。幽霊などを怖がってしまう臆病とは違い、慎重なほどに臆病なのだ。少しのミスで大怪我や最悪の場合死に至る魔術の世界では常に最悪のパターンを複数個考えて行動することもある。
臆病な行動とは生きるためにとる選択肢の数を増やす行為なのだ。だからこそ運命を掴み取る僕の魔術は臆病だからこそ真価を発揮しているとも言えるだろう。
「それじゃゲティ。また明日ね」
「また明日」
ゲティはフーちゃんを抱きかかえたまま事務所から出ていこうとする。
「え、フーちゃん持ってくの?」
抱きかかえているとは言え、事務所で預かったものの為、この場に置いていくものだと思っていた僕はつい声をかけてしまった。
別にゲティが個人的に預かっていても構わなかったのに。
「ここに置いてあっても意味がないだろう?」
「そうだけど。ゲティが持っていくことに意味はあるの?」
「あー。アレだ。ストラスの召喚陣をチェックしたり色々しなければならないからな」
ゲティが少しだけ視線を反らして持っていくための言い訳を述べた。嘘をついていないことは間違いないのだが、今思いついた事を言っているのはバレバレだった。
明日になって召喚しようとした時に上手くできなければ、その調整の分だけ調査の日程は遅れてしまう。ゲティの言う通り調整をしてもらえれば物事はスムーズに進むだろう。
「来栖さんからフーちゃんを預かったのはゲティだしゲティが持っていたほうがいいかも」
「そうだよな。その通りだ。そういうわけでフーちゃんは私が見ておくからな」
捨て台詞のように僕に告げると、勢いそのままに事務所から出ていってしまった。出る時にフーちゃんを強く抱きしめていたし、ぬいぐるみが好きだから一緒にいたいのだろう。人の趣味嗜好をとやかく言うものではないし、人からの預かりものという面倒事を引き受けてくれたゲティには感謝をしておかなければ。
いつもより少しだけ早い足音が遠ざかるのを聞きながら物思いにふける。
「トントン拍子に進んでいくけど何も変わらない。会議は踊る、されど進まずってこういうことなのかな」
結局長々と話したが決まったことは明日、適当に選んだ目的地へと行くことだけだった。
相手が錬金術師と召喚術師という事でどう対策すればいいのかを考えなければならない。僕のルーン魔術が悪魔に対して多少なりとも効果があるのかも分からない。
僕はゲティに対してルーン魔術を使ったことがない。使う機会がなかったとも言える。それが悪魔に対して魔術が効果的か分からない不安となって襲ってくる。
そして錬金術師である相良さんは元々呪術師だ。どのような魔術を使ってくるか分からないが、悪魔とは対照的に呪術と僕の魔術は相性がいい。相良さんの呪術に関してはいつも通りの対策で良いはずだが錬金術が全く分からない。
なるようになる、と考えれば楽なのだが死んでしまっては元も子もない。
履行する魔術ではなく相良さん自体の動きを止めるような方向性にしたほうがいいかもしれない。
そして、この考え自体が泡沫の可能性もあるのだ。無駄足を踏み、無駄に時間を使うだけの可能性。その場合は迷惑を被るのは僕たちだけで相良さんたちは何も知らずに今まで通り行きていくだけ。
兎に角、明日になって調査をしてみないことには何一つ分からない。最低限かつ最大限の準備をして物事に取り組もう。
「今起こってることだけじゃなくて、過去に起こった鴨野家のふたりが居なくなったことについても調べたほうがいいよね」
いろはの両親である鴨野家のふたりが忽然と消えた事実。失踪ということで片付けられているが、ゲティはいろはが両親を殺した可能性を考えていた。海外で魔術師の家系として生まれたゲティにとってはその考えは普通なのかもしれない。
だが日本人として生まれ育った僕からしてみれば両親を殺すという禁忌を犯す理由が分からなかった。
いろはが召喚した悪魔を御しきれなかったから両親が死んでしまったのだろうか。それならばゲティを恨むよりも先に誰かに相談したりするだろう。事実を隠蔽し、ゲティに責任転換している事がどうにも気になるのだ。
「分からないことが重なり合って分かることも見えてこなくなりそうだ」
自分の椅子に座って天井を見上げる。
そこにはなにもないが、動きもなにもない眼前たる事実が広がっていた。外を見れば星空が変化していくものであり、そこに思いを馳せてしまう。何も考えたくない時には変化など何もない者を目に映すのが心に安寧をもたらす。
その時、外で大きなクラクションが鳴った。車が事故にでも合いそうだったのだろう。気になって窓から外を見下ろすと、丁度車が2体発進するところだった。ただ邪魔な車をどかしただけで事故などは起こっていなかった。
「駄目だ。今のクラクションで緊張の糸が切れちゃった。今日はここまでにして家に帰ろ」
自分が動かずとも世の中は知らないところで回っていく。
そこに自分が関わるかどうかは過去の自分がどう立ち回ったかによって決まるのだ。




