見る目が変わるep4
「もうこんな時間か」
学校帰りであろう小学生の声が外から聞こえてきたため、時計を確認する。最近の小学生は集団下校を義務付けられているのか、話し声がよく聞こえる。街の住人も子どもたちに声をかけ、地域全体で子どもを守るという考えが確りとできている。僕の事務所の入っている建物には他にも色々な事務所や、個人経営の仕事をしている人がいる。その中には静かなところでしか仕事ができない人もいるため、その部屋だけは防音されているみたいだ。
椅子から立ち上がり体を伸ばす。長時間椅子に座っていたため体中の筋肉が固まっていたのか、バキバキと音が鳴り体に血が流れてくる感覚がある。先生からは『魔術師にとっては体も大切』と教えられ、昔は体を鍛えるのも教えの一つに入っていた。今の自分を見られたら怒られる想像ができる。
想像の中の先生は僕が学生だった頃のもの。それから結構だったが先生からは顔を見せに来いと連絡をもらう。しかし、先生のいる場所は僕が学校に通うために入っていた寮の近くであり、今住んでいるこの街からは遠いため毎回断っている。流石に毎回断るのも気が引けるため、落ち着いたら会いに行こうかな、と。
机の上の書類を見る。この事務所に舞い込んでくる依頼。失せ物探しや、届け物、旅の同行等様々なものがあるが今はこの街から出ていくことは厳しそうだ。
「空穂ちゃんの件、どうしようかな」
幽霊になった存在が動くと言うことは僕たちの常識ではそう珍しいことではない。悪霊関係、ゾンビ、映画の影響でキョンシーと呼ばれるようになった死体妖怪等、動く死者というものは結構ある。また死んだものを呼び寄せることも死霊術師や、霊を人間に入れる術を持った霊媒師などもいる。それでも、霊が自分が死んでいることを知らずに今までどおりの生活を送ろうとしているという話は聞いたことがない。空穂ちゃんがどう思っているかは分からないが、普通は他の人から見えていないと分かったときに自分は死んでいると思うだろう。偶然が重なったのか空穂ちゃんは未だに自分が死んでいると思っていない。死んでいるのに生きているという矛盾した存在になっているのだ。この世の理から矛盾した存在を放置するわけにもいかず、日々少しだけ頭を悩ませている。
「いきなり、君は死んでるよって言っても信じてもらえないかも知れないし。証拠っていうか事実はあるんだけど、それを知って空穂ちゃんがどう"成る"のか分からないし何ともなぁ」
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「そこだよ」
「えっ?壁しかないけど」
扉の外から足音と微かなが聞こえる。一人は空穂ちゃんだけどもう一人は誰だろうか。僕は、一応机の引き出しを開け道具の確認をする。なにかがあった時にすぐに対処できるように。今の空穂ちゃんが見えているのはこの世の理から外れた存在しかいない。僕が見えているのは常日頃から『ᛚ(ラグズ)』のルーンを持ち歩いている。このルーンの意味は感性や直感力というものがあり、それを使い感覚的に空穂ちゃんを認識している。空穂ちゃんが見えるこの世の理から外れたもの、先日の辻神などのものは基本的に個々で完結しているため馴れ合うことはしない。そのことから今の空穂ちゃんと共にいる者が想像できないのだ。想像できないもの、未知こそが魔術師の恐怖である。
「こんにちはー、空穂です。入りますねー」
「えっ、扉?」
ちらりと壁を見る。そこには、壁にかけられた額縁に一枚のタロットカード。逆さになっているその絵柄の効果によってこの事務所の入り口は普通の人に見えないようになっている。これは僕がやったことではなく、今は出張に行っているこの会社の社員に詳しいものがいて事務所を開けた時に魔術をかけてもらった。掛けられたタロットカードは『隠者』。大アルカナ9番目のカードにして逆位置の意味は秘密主義というものがある。その意味を拡大解釈し、魔術をかけることでこの事務所の扉を外から見えなくしている、らしい。僕も専門外なので詳しくは分からない。空穂ちゃんは何故か見つけられるらしいが幽霊なことと何か関係があるのだろうか。
ガチャッと扉のドアノブを回す音が鳴る。なるべく違和感なく、事務所に入ってくる空穂ちゃんを迎え入れる。
「いらっしゃい」
「今日は出勤?っていうか相談事があってきました」
入ってきたのは空穂ちゃんと、同じ制服を着た少し小柄な少女。堂々と事務所に入ってくる空穂ちゃんに対し、事務所の外で入っていいのか悩んでいる。
「ほら、入って入って」
「えっと、お邪魔します」
「事務所の主は僕なんだけどな」
僕がいうよりも先に空穂ちゃんが彼女を迎え入れる。小柄な子なのに、それに見合わないような少し大きめの眼帯をつけている。空穂ちゃんがつれてきたという時点で厄ダネ確定だが話を聞かないわけにはいかない。とりあえず2人にはソファに座ってもらう。
「まず自己紹介しよう。僕はこの事務所の社長をしている……ま、大人の人を名前で呼ぶのって遠慮しちゃうから社長さんとか呼んでくれればいいよ。一応空穂ちゃんの雇い主ってことになってる。」
「私は来栖愛美といいます。空穂ちゃんとは同じクラスで、えっと、色々ありまして、今起こってる不思議なことについて相談したいと思い此処に来ました」
「社長、変なことしないでよー。なんかあったら私が守ってあげるからねー」
一番の不思議は空穂ちゃんを認識しているということだけど。彼女が空穂ちゃんのクラスメイトと言うことは、多分空穂ちゃんがもう死んでいることを知っている。それなのに空穂ちゃんはいつも通りと言うことは、また"偶然"知らない状況を手繰り寄せたのか。
「分かった、とりあえず話を聞こう。それと空穂ちゃん、この前あげたお守り持ってる?」
「あの石の入った巾着袋?持ってますよー。ほら」
制服のポケットからこの前渡した巾着袋が出てきた。やっぱり自分の知りたくないことを偶然手繰り寄せてしまったみたいだ。その確認だけ取り、僕は満足した。
「無くさないでね。それで来栖さん。僕も聞きたいことはいろいろあるんだけど、とりあえず君の相談事っていうのを聞いてもいいかな?これでも何でも屋として名が通っているんだ」
「人は来ませんけどね」
来るわけがないだろう。タロット魔術の効果でこの事務所の入り口は普通の人には見えていないのだから。そのため外に依頼箱を置いている。この依頼箱も特別製なので普通の人には使えない。逆に、僕が此処にいると知っているものはこの世の理から外れた力を持っている人が多い。そういう人にはこのタロット魔術も意味をなさず、依頼を受けてもらいに来る。来栖さんの相談を聞くため空穂ちゃんの方を向き『静かにして』とジェスチャーを送る。一連の流れを見てから来栖さんは話始めた。
「相談事、なんですけど」
そう言って来栖さんは左目に付いた眼帯に手をかける。そして徐ろに眼帯をずらし左目を見せた。そこには人間の者とは明らかに違う目。魔力とも違う、なにか特別な力を感じる。あまり長く見つめないほうがいいだろう。
「説明して」
「説明と言っても、今日の朝起きたらこうなってて」
来栖さんは朝起きたらいきなり変化していた、という。魔術や魔法の世界では遅効性のものも多くあるが、朝いきなり変化したというのが気になる。彼女は普通の世界のただの女子高生。呪いのような禍々しさも感じられない。いきなり変化が起こるわけがないのだ。本人はいきなりと思っているが、すべての物事には過程があり、それが積み重なり結果となる。過程をすっ飛ばして結果だけが存在すると言うことはありえない。家から目的地まで歩いた結果が到着であること、また気がついたら目的地にいたとしても、それには他者の行動や自分の無意識などの過程が存在している。
「昨日のことを教えてもらえるかな?昨日の朝起きてからの行動。そして自分の思ったことを素直に。言いたくないことは言いたくないとはっきり言ってほしい。隠されると何も分からないからね」
「はい。昨日は朝起きて、すぐに顔を洗いました。そういえば前の日に、母に左目が充血していると言われたのでそれが気になって朝起きてすぐに顔を洗ったはずです。そして鏡を見たらまだ充血が治まってませんでした。」
起きたらいきなりでは無く、確りと前兆が出ている。しかし、目の充血など普通にありえることなので気にしなかったのだろう。結果として謎の目になってしまったからこそ気付ける違和感であり、結果があったからこそ知れた過程であった。
「今、私の母は入院してるんですけどそれにお見舞いに行って一時間くらいたったあと家に帰りました。母の入院の世話のため、学校はお休みしていて今日から復学だったんです。家に帰ったら夜まで勉強して、お母さんが早く良くなるように祈ってから寝ました」
「祈ってから?何に?」
祈るとは神などに福をもたらして貰うように頼む行為である。その対象は人智の及ばない超常的存在。この少女の左目の変化と何か関係性があるかもしれない。
「月です。一ヶ月前の新月の日から昨日の新月の日まで毎日お母さんの回復を祈りました。偶然にも月が見えない日は一日もありませんでしたから」
一日、月を見て祈るということはあるかもしれない。ただ、一ヶ月の間毎日祈りするというのはただの女子高生にとっては普通のことではない。毎日祈るほどの思いを月に向けて居たのだ。
月は様々な神のモチーフとされている。日本神話におけるツクヨミやギリシア神話のアルテミスなど数多くいる。それに、一ヶ月の軌道周期と女性の月経などと絡めて月と女性には密接な関わりがあるとされている。恐らく彼女の祈りを聞き届けたであろう神が何かをした結果、彼女の目が変化したのだろう。月に関わる神の種類が多すぎて絞り切ることができない。
「そして朝起きたら私の目が鳥の目になってたんです」
「鳥の目?それ鳥の目なの?」
「種類までは分かりませんが多分猛禽類の目だと思います」
言われてみれば鷹や隼とかと同じような目をしているように見える。鳥の目、月、神で結びつくものは僕の中では一つに絞られた。神話学については友達に教えてもらったり、授業で習った知識のほか自分でも役に立つだろうと携えた物がある。彼女が月に願ったものは母親の癒し。そして変化した目は左目。色々な経験をしてきたけど自分の意志ではなく、神の一部をその身に宿すというのはそれだけ願いが強かったのかもしれない。
「それ、わかったよ。多分ウアジャトの眼だね。今風に言うとSSRを声でウルトラレア」
「ウアジャトの眼?それってなんですか」
ウアジャトの眼はエジプトの神話に出てくる隼の頭を持った神『ホルスの左目』のことだ。、ホルス神の目というよりもウアジャトという女神の目をホルス神が持っていたというのが正しい。ウアジャトの眼は月の象徴であり新月から満月へ、そしてまた新月へと欠損した月が満月へと回復していく様から失ったものを回復させる力があるとされる。そしてウアジャトは守護の女神。悪霊や悪いものから守る。
多分、来栖さんが空穂ちゃんを認識することができたのは悪霊や悪いものから守るという性質が作用したものと考えられる。空穂ちゃんが悪霊と言うわけではなく、目の性質が守ると言うことは害を与えてくるものを認識すると言うことである。その認識すると言う力が空穂ちゃんの存在を認識したのだろう。
詳しく話しても分からないと思うので掻い摘んで説明する。月に癒しの願いをした結果、癒しの力が宿った目になったと。
「そうなんですか……。どうしたら治りますか?」
「僕は人間だよ。神様の力をどうにかするなんてことはできない。ただ、その目は外に出しておくには厄介なことになりすぎるだろうね」
多分だがその力をなくしてしまった時、来栖さんは空穂ちゃんのことが見えなくなってしまうだろう。今も空穂ちゃんは来栖さんの方を心配そうに見ている。一度与えられた希望が無くなるというのは存外ダメージが大きいものだ。人間として、何とか出来るなら手助けをしてあげたいと思う。
「その眼帯貸してもらえる?」
僕が来栖さんに伝えると彼女は素直に眼帯を差し出してくれた。その眼帯を受け取り『少し待っててね』といい机から道具を取り出す。使うのはただのペンに見える道具。ペンには間違いないが魔法の処理がされた特別なペン。インクを魔力で補充して魔力を直接書き込むことが出来るらしい。当然、僕が作ったものではなく、昔の友達から試作品として貰ったものだ。そのペン使い、受け取った眼帯へ『停止』の意味を持つ『I』を書き込む。眼帯に対しての破損などを防ぐ意味の停止と、それをつけるウアジャトの目の効果の停止。神の力を持つ目に効果があるかは分からないが、元は人間の目。おまじない程度に考えて経過観察をしてその都度対処していけばいいだろう。
「はい、これ付けて」
「なんか書いてましたけど何したんですか?」
細工をされたものを身につけるのに少し抵抗があるのか、来栖さんは訝しげに眼帯を見ながら僕に聞いてくる。
「これ以上、変にならないようにおまじないを掛けたって思ってくれればいいよ」
・
眼帯を取り付けた来栖さんは此方に礼を言った。僕は『確証があるわけじゃないし経過観察して教えてね』と彼女にいう。彼女がここに来るには空穂ちゃんと来なければならない。仲良くしてくれればいいと思う。死んでから始めての友達だろうし。
「社長に頼んでよかったですー」
「それよりも空穂ちゃんが人を連れてくるなんてびっくりしたよ」
本来ならば空穂ちゃんがこちらの世界の住人ではない現世の人と関わることはない。今回が只々特別だっただけだ。その特別を考えていなかった僕は当然驚いた。
空穂ちゃんが亡くなってからもう結構経つけどまだ彼女は知らない。最初に出会った頃、僕は仕事の帰りで『ᛚ(ラグズ)』のルーンを持っていた。それが幸いして、公園で一人でいる彼女を偶然見つけることが出来た。意気消沈している彼女に『ᛈ(ペルソー)』、偶然の意味を持つ文字の刻まれた石を渡した。猫又の件の前日に無くしたと言われたので次の日にまた渡したがその偶然が彼女が真実にたどり着くことを先延ばしにしているみたいだ。もしかしたら、空穂ちゃんは自分は生きていると考えているというわけではなく、死んだかもしれないという仮定を事実にしたくないのかもしれない。僕の刻むルーンは対象個人や個体に対して力を働かせるものである。
「私もびっくりしました。もう亡くなっている空穂ちゃんにも驚きましたけど社長さんが解決してくれるなんて」
そのルーンの偶然は空穂ちゃん偶然本人に働くもの。今回の空穂ちゃんは能動的に動いていた。当然ながら空穂ちゃんから見て来栖さんは、"空穂ちゃん個人ではない"。つまり、空穂ちゃんが知りたくなく、そして一番解決したかったことへの答えを自分以外から聞かされるのは必然であった。




