8.晴れない暗雲
夜が明けて。
「おはようございます」
「ぇ……」
朝一番、誰かが扉をノックしたものだから、アイリーンが来たのだと思い扉を開けたランは硬直する。
――そこに立っていたのが、男性だったからだ。
髪の色はアイリーンとよく似ているのだが、その男性は綺麗な七三分けだった。やや茶に寄った漆黒よりかは僅かに明るい色のスーツをきっちりと着こなし、手にはスーツと同じ色の手袋をはめている。ネクタイと靴は秋の終わりを連想させるような渋みのある黄色。全体的に落ち着きのある色みでまとめたファッションの男性であった。
また、真面目そうな外見ながら目が死んでいるところも、彼の個性と言えるだろう。
「ワシーと申します」
「……ぇ、ぁ」
「ラン様が昨夜アイリーンを探していらしたという話が耳に入りましてね」
七三分けの男性ワシーの言葉に、ランは一度だけ小さく頷いた。
「アイリーンですが、数日休暇を取っております」
「ぇ……」
「ああ、お伝えし遅れてしまいましたが、アイリーンはわたしの娘なのです」
「そう……なの、ですか……」
「アイリーンが伝えているものと思っていたのですがどうやら違ったようですな。心配させてしまい申し訳ありませんでした」
ワシーが謝ればランは首を左右に振った。
「ではこれにて。わたしは失礼いたします」
ランは何か言いたそうだが、まだ口を開けそうにない。
それを察したワシーは「どうかされましたか?」と尋ねれば、ランは俯きながら「……ありがとう、ございました」と礼を述べた。人見知りな彼女の控えめなお礼の言葉にほんの少しだけ目もとを緩めたワシーは「いえいえ。仕事ですので。お気になさらず」と静かに返す。それに対してランは「……感謝、しております」と言いそっと頭を下げた。
◆
朝はいたって普通の朝だった。
少しばかり空気が冷たいだけのありふれた幕開け。
だが、午前の後半頃になって、サルキアの姿がどこにも見当たらないという騒ぎが発生。
聞き込み調査の結果、サルキアと思われる女性が何者かに運ばれているところが目撃されていたことが判明し、城内に動揺が広がる。
「――ということで、現在調査が進んでいる」
その件については当然オイラーのもとへも届いていた。
「アン、聞いてくれ。実は昨夜サルキアと喧嘩したんだ」
「ふーん」
オイラーは昨夜のことを反省している。
苛立つことを言われたからと噛み付くべきではなかった、と、今なら冷静に考えることができる。
けれどももう手遅れだ。
圧をかけたことも。
彼女を傷つけたことも。
今さら反省したところでなかったことにはならない。
「そのせいでこんなことになってしまった……だがこんなことは君にしか話せない」
「それ言えば?」
「言えるわけがないだろう」
「ま、そーだよな。アンタにとっちゃつごーわりーもんな」
アンダーはベッドの上に座ったままオイラーの話し相手になっている。
「……言えるわけねーか」
◆
翌日の夕方、サルキアを誘拐したのが国内で細々と活動し時折事件を起こす武装組織であるということが判明した。
オイラーはあれからずっと体調が悪い。
風邪を引いたとか倒れたとかではないのだが何となく頭が重く憂鬱な気分も晴れない。
けれども自分の行動のせいでそうなっているのだということを彼は知っている。
……サルキアが連れ去られたことによって気分が落ちているのだから。
オイラーとサルキアは幼い頃から一緒に遊ぶといったことはあまりなかった。
オイラーは運動が得意だがサルキアは勉強の方が得意。そんなこともあって遊びたい内容も違っていた。加えて、お互い色々教育を受ける必要があったため、一般的な子どものように無邪気に遊べる時間にも限りがあった。
だが、それでも、オイラーにとってサルキアは大切な妹。
それだけは確かなことだ。
「まーだ落ち込んでんのかよ」
自室で机に突っ伏したオイラーの顔を覗き込むように近づいたアンダーはわざとらしく一つ溜め息をつく。
「しっかりしろよな」
「……アンか」
むくりと頭部を起こすオイラー。
「実は、頼みたいことがあってな」
「何だよ急に」
彼は姿勢を正すと改まったように口を開く。
「サルキアを救出してきてほしい」
両者の視線が重なる。
「私が行こうかとも思ったのだが、皆に言ってみたところ、危険なうえ目立ちすぎると言われてしまい絶対に駄目だと言われてしまった……」
「まーな。アンタ国王だしな」
「となると、頼めるのはもう君しかいない。アン、君なら敵勢力の施設に忍び込んだりそういうのは得意だろう」
アンダーは伸ばした右側の髪を手で後ろへ流す。
「オレでいーのか?」
夕暮れを告げる鳥の声が一度二度響く。
「お嬢はオレのこと嫌いだろ」
「サルキアは賢い、緊急時にまで好き嫌いを持ち込んだりはしないだろう」
「そうは思えねーけどなぁ」
「多少感じの悪い態度を取る可能性はないとは言えないが……さすがに抵抗はしないはずだ」
数秒の間があって。
「しゃーねぇな。分かった、連れて帰ってくるわ」
アンダーは若き国王からの頼みを受け入れる言葉を発した。
「その代わり! 戻ってくるまでに元気になっとけ! いいな? まだうじうじしてたら知らねーからな!」