7.夜の闇は深く
夜風は冷たい。
けれどもそれ以上にサルキアの胸の内を吹き抜ける風は冷えている。
「陛下、少しよろしいでしょうか」
乗り気ではないけれど――先ほど言われた件についてオイラーに話してみるためここへ来た。
「どうした? こんな夜に」
一分も経たず、オイラーは扉を開けた。
彼女の灰色の瞳は夜の闇に映える。
「こんな時間まで仕事か?」
「お話がありまして」
「話? よく分からないが、とにかく中へ入ってくれ」
「ありがとうございます。……失礼します」
オイラーの自室は比較的シンプルなつくりになっている。
「今日はアンダーはいないのですね」
「出掛けている」
「そう……それはまた珍しい」
「いる時の方が良い話だったか?」
「……いえ」
オイラーはサルキアに椅子に座るよう促したがサルキアは遠慮するといったニュアンスで断った。
「陛下はいつになればご夫人に会いに行かれるのですか?」
サルキアは早速本題に入る。
「不満の声が出ています」
「本人たちからか?」
「いいえ。主に、国の未来を案じる者たちからです」
「私の人生は私が決める」
「……陛下、失礼ながら進言させていただきますと、そのような状態では皆が不安になるばかりです」
サルキアの珍しく厳しい発言にオイラーは表情を曇らせた。
「悪いが、無理なものは無理だ」
「どうして」
「まだ時間がかかる。が、いつかは必ず。そのつもりではいる」
良い姿勢で真っ直ぐ立ったサルキアは僅かに視線を下げて目を伏せ気味にすると「いつだってあれこれ言われるのは私です」と不満げな色を声に乗せた。
その表情には少しばかりの幼さが滲んでいる。
「貴方はずっとアンダーばかり」
「サルキア?」
「どうして貴方は好き放題あんな男ばかり構って、その尻拭いを私がせねばならないのですか」
この時サルキアはストレスで冷静さを欠いていた。
だから本来であれば絶対に言えないようなことまで言ってしまえるような状態だった。
「何を言い出すんだ、急に」
オイラーは困惑してどう対応すれば良いものか分からなくなっている。
「待て、アンはそういう対象じゃない」
「私とてそう思っているわけではありません。けれど、毎晩一緒に過ごしているではないですか。貴方が彼ばかり構っていることは事実です」
「それは、そうかもしれないが……」
「誰かに会うたび嫌みを言われる私の気持ちなんて貴方には分からないのでしょうけど、非常に不愉快なのです」
感情的になってしまわないよう懸命に耐えるサルキアだが、我慢はもうかなり限界にまで達している。今にも爆発してしまいそうだ。ダムの決壊まであとわずか、という時のような恐怖心を、彼女自身も抱えている。
「サルキア、疲れているなら休んだ方がいい」
「そういう話ではありません」
「君は真面目だからな、きっと色々一人で抱えて疲れ果てているのだろう。休暇を取るか? 自由行動は難しいかもしれないが少しくらいはのんびりでき――」
オイラーが言い終わるより早く。
「誰のせいでこんなことになっていると思っているのですか!!」
サルキアが叫んだ。
「貴方のせいですよね! 貴方がきちんとすべきことをしないから! 好きな相手とばかり一緒にいて、気楽な方向にばかり目をやって、それでこうやって状況を伝えれば他人事のようなことを言って……」
日頃は冷静なサルキアだがその彼女をもってしてももうこれ以上我慢することはできなかった。
「アンダーは子を生みません!!」
室内の空気が激しく乱れる。
「彼とどんなに仲良くとも国としては無意味なのです!」
「落ち着けサルキア」
「あのような男、捨てて! 我が国の明日のために生きてください! あんな無礼な男のせいで国の未来が失われるようでは困ります!」
刹那、オイラーの顔つきが変わった。
「君までアンを侮辱するのか」
それまでの戸惑いに満ちた表情は怒りの表情へと塗り替わる。
「ふざけるな」
オイラーはサルキアの手首を掴む。
「私を繁殖用動物のように言い、理不尽に責め、それでも満足せず今度はアンの悪口か」
睨まれたサルキアだが怯みはしなかった。
何なら睨み返すくらいの強さを彼女は持っていた。
手首を掴む男の手を振り払う。
「もう……結構です!」
サルキアは身体を反転させると駆け出した。扉も手で突いて開け、オイラーの部屋から出てゆく。その時になって、やり過ぎた、と焦るオイラーだったが完全に手遅れであった。なんせもう話し合うことはできないのだ。サルキアは走り去ってしまった。
「あ、サルキア様……! 実はわたくし、アイリーンさんを探してお――」
廊下を走っているサルキアを見かけたランは声をかけようとしたが、周囲など見えていなかったサルキアはランを無視して猛スピードで駆け抜けていってしまった。
「ああ……行ってしまわれました……」
ランはがっかりして自室へ戻る。
――お兄様の馬鹿!
らしくなく廊下を走りながらサルキアは溢れ出しそうな涙を呑み込む。
でも意味なんてなかった。
あっという間に溢れた涙は目からこぼれ落ちてしまう。
日頃なら、冷静であれば、廊下を走るなんて危険なことはしない。
でもその時のサルキアは少しでも遠くに行きたくて。
だから全力疾走していたのだ。
オイラーから少しでも離れる、そのことしか考えられないような状態となっていた。
だから気づかなかったのだ。
――怪しい影がすぐそこにまで迫っていたことなんて。
「え」
中庭へ続く道で、サルキアは闇から現れた謎の人物に取り押さえられる。
「ッ!!」
抵抗しようとしても無駄だった。
というのも相手の腕力がすさまじかったのだ。
……こうして、サルキアは何者かに連れ去られた。




