4.恋とか愛とか、そんなのはよく分からない。
――恋とか愛とか、そんなのはよく分からない。
「サルキア様! この記事読まれました?」
「うふふ、もう三十前ですものね! そろそろこういった話も出てきてもおかしくはないですわねっ」
廊下を歩いていたらおばさまメイド二人組に絡まれたサルキアはいきなりあれこれ言われたうえ一冊の本を押し付けられた。
「ぜひ読んでみてくださいな!」
「おすすめですわっ」
メイドはそそくさと去ってゆく。
その場に一人残されたサルキアは手もとの本の表紙に書かれた『貴女はどれが理想!? 憧れのプロポーズ百選』という文字を見下ろして溜め息をついた。
……プロポーズ、なんて。
遠く離れた世界の話のようでサルキアにはよく分からなかった。
新たな王が誕生し、多くのものが移り変わって、そして現在ようやく少し落ち着いてきたところだ。だがそれでもまだ課題は少なくない。日々忙しく動き回っていて、自分のことなんかに思考を巡らせている余裕はないのだ。未来を想像する暇もない。
――と、その時。
「ふぅん、お嬢も案外そーいうの興味あるんだな」
背後から急に男の声がして、サルキアは思わず「ひっ」と甲高い引きつったような声をこぼしてしまう。らしくなくびくっと身を震わせてしまい、その様子を目にした男に愉快そうに笑われる。
「かわいー声出すじゃん」
「……アンダー」
真後ろにぴたりと張りつくかのように立ってきたのはアンダーだった。
偉大な兄が連れてきたその怪しい男のことがサルキアはとても苦手だ。
「いきなり背後に立つのはやめてください」
「知らねーな」
「まったく……貴方はどうしてそんなにも無礼なのですか……」
渋い物を口にしてしまった時のような顔をするサルキア。
けれどもアンダーはけろりとしている。
そして唐突に。
「私についてきてほしい、共に生きてくれ」
そんな言葉を吐き出す。
意味が分からず困惑するサルキアの様子をちらりと見て片側の口角だけを小さく持ち上げたアンダーは「とか言ったんだぜ、アンタの兄ちゃん」と続けた。
「……は?」
「ウケるよな。プロポーズかよ、って」
「何の話ですか」
「てかアンタの兄ちゃん大丈夫かよ。オレ男。言う相手ぜってー間違ってんだろ」
サルキアは苛立ちを呑み込んで目を細める。
「他人の兄のことをそのように言う貴方の方がどうかしていると思います」
これ以上関わりたくない。
その思いの強さゆえに冷ややかな声を発する。
「それでは失礼します」
手にしていた本をアンダーに押し付けると、サルキアはその場から立ち去った。
――恋とか愛とか、そんなのはよく分からない。
いや、そもそも、そんなものは自分にはまったくもって関係のない話なのだ。
国王の子として生まれた。
そして先日腹違いではあるが兄が国王になった。
これからは兄を支えてゆく立場。
今の自身に恋だの愛だのそんなものは不要。
そんなことを考える暇があるなら少しでもこの国のために考え動くべきなのだ。
そんなことを思いながら一人廊下を歩くサルキアは、また一つ、小さな溜め息をついた。
◆
「なぁオイラー、こんな本貰った」
今日もまたオイラーの自室へさっくりと入り込んだアンダーは第一声そんなことを発した。
「本?」
「ほらこれ『貴女はどれが理想!? 憧れのプロポーズ百選』だってよ」
唐突に謎タイトルの本を見せつけられ戸惑うオイラーだったが、それでも目の前の友を雑に扱うことはしなかった。
「それは……女性が読むものか?」
「お嬢が持ってたんだよ」
「サルキアが?」
「ま、押し付けられただけだったみてーだけどな」
「そうか……」
二人が出会ったのは十年ほど前。
王子であったオイラーが軍に加入して間もない頃、偶然食堂で出会い言葉を交わしたのがすべての始まりだった。
名前の響きが僅かに似ている、なんていうくだらない理由で、二人はあっという間に友人になった。
王の子として生まれたオイラー。
親の顔すら知らないアンダー。
生まれも育ちも何もかもが真逆の二人だがだからこそ互いに新鮮さを感じるところもあったようで、今ではすっかり親友である。
「アン、君は誰かにプロポーズしたことはあるのか?」
国王のために用意されたその特別な部屋に踏み込むことが許されている者は少ない。
本来高い位の者しか立ち入ることのできない聖域。
出自さえ不明な男などが入り込むことはできない。
……だがそれはあくまで、部屋の主が許さなければ、の話である。
「アホか。あるわけねーだろそんなん」
「そうか……」
オイラーは誰よりもアンダーのことを信頼している。
それゆえもちろん入室許可を出しているし何ならいつでもどうぞ状態だ。
「ま、されたことはあるけどな?」
「何だって!?」
「アンタにだよ」
「わ、私に!? 記憶がない!!」
椅子から立ち上がり顔面に衝撃の色を濃く浮かべるオイラー。
「ここへ来る時『私についてきてほしい、共に生きてくれ』とか言ったろ?」
「あ、ああ。言った。だがそれがプロポーズなのか? なぜ? 何がどうなっているんだ」
混乱しおろおろなるオイラー。
「なんてな、冗談だって」
アンダーがそう言う瞬間まで、彼は面白いくらい振り回されていた。
「冗談、か……」
ほっとして胸を撫で下ろすオイラー。
「アンタほんと真面目だな」
「すまない」
「いやそこ謝るとこじゃねーから」
ようやく落ち着いたオイラーは再び椅子に腰を下ろす。
「そうか」
「そうだよ」
室内に少しばかり静けさが戻った。
「……だが、アン。ついてきてもらったことには本当に感謝している。君に軍から離れるという選択をさせてしまったことは申し訳なく思うが……」
またしても変な真面目さを発揮するオイラーに、アンダーは呆れたように笑う。
「いーよべつに。どこにいたって、オレはオレだし」