40.帰りは別行動
「じゃ、そいつ殺せって言われたら殺すんだな?」
アンダーは立てた小指でランを示して問う。
口もとに薄く笑みを浮かべている。
目の前の人間を試すような表情だ。
「な、何を……。そのような命令を受ける可能性はありません」
「そーか?」
「くだらない問いを」
「ぜってーねーとは言えねーと思うけどなぁ」
アイリーンは静けさの中に理解できないというような感情をそっと宿していた。
「もしそいつが邪魔な存在になったら、アンタの偉大なお父様は容赦なく消せと殺せと言うんじゃねーか?」
ランは戸惑ったような表情でアンダーとアイリーンを交互に見ている。
「……そのようなことはあり得ません」
「いや起こり得るね」
「ありません」
「絶対に起こらねーことなんてこの世にねーだろ」
何度も同じようなやり取りを繰り返して。
「いい加減にしてください」
やがてアイリーンが先に耐えられなくなる。
「そのような命令が出ることはありませんし、もしそうだとしても、この方に危害を加えることはありません」
彼女ははっきりとそう言った。
「けど、お父様には逆らえねーんだろ?」
「……それとこれとは話が別です」
「いや一緒だね。対象が誰だろーがおんなじことだろ。それともあれはただの言い訳だったってことか?」
アンダーは遠慮しない。
相手を敢えて刺激するようなことを言い放つ。
それによって苛立ったアイリーンは。
「元侍女として! ラン様に危害を加えるような真似はいたしません!」
ついに声を大きくした。
それを待っていた――と言わんばかりに、にやりと笑うアンダー。
「そー言ってやれ、偉大なお父様が相手でも」
ハッとするアイリーン。
すぐに冷静さを取り戻し苦いものを口にしたような顔になる。
「嫌なことは嫌、無理なもんは無理、はっきり言え」
ちなみにオイラーはというと、あれからずっと俯いてじっとしている。ただ、寝ているわけではない。意識は保っているし話もきちんと聞いている。言葉を発していないだけで話に参加していないわけではないのだ。
「いーなりで護れるもんなんて何もねーんだよ」
一人掛けソファから立ち上がったアンダーは「んじゃ、そろそろ帰るわ」なんて勝手なことを言い出す。その時になってオイラーはようやく顔を持ち上げた。彼は唐突なことに少々戸惑っている様子だったが、数秒の間の後に「ではこのあたりでお開きとしよう」と落ち着いた声で発した。
歩き出す直前、アンダーは、まだ座った体勢のままのアイリーンへ視線を落とした。
「さっき言ったこと、忘れんなよ」
その視線は冷たさをはらんだもので。
「主人に手ぇ出すやつはクソだ」
刃のようであり、棘のようでもあった。
そうして話し合いは終了した。
オイラーとアンダーは共に部屋を出る。
しかしこの時アンダーは一緒に帰ろうとは考えていなかったようで。
「わりーけど先帰っててくれ」
退室するや否や彼はそう言った。
「なぜ?」
疑問符だらけの顔になるオイラー。
「この後ちょっと用事」
「よ、用事? ……そのようなことは聞いていないが」
「可愛いランちゃんと帰っとけ」
「なっ……いや、それは、アン、さすがにそれは意味が分からない」
オイラーの顔に滲む疑問符の色はより一層濃くなってゆく。
「アンに用事があるなら私はそれが終わるまで待っておく」
「いらね」
「なぜだ!?」
「待たれてるとか思いながら用事したくねーし」
「そ、そうか……」
はっきり言われたオイラーは少ししょんぼりしてしまっていた。
「では先に帰ろう……」
すっかり小さくなってしまったオイラーは建物から出るべく歩き出す。
そしてアンダーはというと逆方向へと足を進めた。
◆
「アイリーンさん、本日はお疲れ様でした」
「申し訳ありません。結局上手く話をすることができませんでした。怒らせてしまっただけでした」
牢に戻されたアイリーンと柵越しに話すのはラン。
「きっと伝わるものはあったはずです」
ランは柔らかな表情を崩さない。
「それと、危害を加えるような真似はしない、そう言ってくださってありがとうございました。……とても嬉しかったです」
「いえ、それは当然のことです」
「わたくしも……アイリーンさんと敵にはなりたくありません。どうか、いつまでも……わたくしの良き話し相手でいてくださいね」
減刑するという言葉は得られなかった。
けれども一度会って話したことは無意味ではなかったはずだ。
ランはそう信じている。
「それと、ネックレスつけてくださってありがとうございます」
「いえ……せっかくいただきましたので」
「気に入っていただけたようでとても嬉しいです……!」
それからも少し話をして、ある程度満足したところで、ランはアイリーンの前から去った。
そうして建物を出たところで、一人立っているオイラーを目撃する。
「ラン、さん」
彼に声をかけられて、ランは思わずびくりと身を震わせた。
向こうから声をかけてくるなんてかなり珍しいことだ。
「ぁ……ぇ、えと……」
「共に帰りたい」
「え……」
「アンから、君と帰るよう言われたのだ」
そうして二人は何となく一緒に王城まで帰ることとなった。
だがそれは本来いたって普通の光景であるはずなのだ。
二人は夫婦なのだから。
妻と夫が共に移動しているというだけのことだ。




