30.過去には戻れない
その後、鎮圧のための部隊が派遣されてきたこともあり、現国王を王座から引きずり下ろすための作戦は失敗に終わった。
作戦に参加していた者。
計画に関わった者。
などなど、複数名――否、十名以上が、身柄を拘束されることとなる。
そしてそこにはアイリーンやその父親であるワシーも含まれていた。
もちろん他にも、王城で働く者も入っていて。
ある意味どこにも絶対的な安心はないのだと、そう証明するような一件となった。
ただ、一般国民向けには『反逆者は陛下の正義の剣の下に屈服することとなった』と報道され、大したことはなかったというように伝えられたのであった。
偉大なる王に弱点はない。
――それが報道の姿勢だったのだ。
◆
日常が返ってくる。
なんてことのない穏やかな日々が。
けれども、その色合いは、以前とは少しばかり異なっている。
自室での生活に戻ったオイラーは窓際でぼんやりと手のひらを眺めている。
「まーたそれやってんのか」
「ああ、アンか」
唐突に部屋へやって来たアンダーの顔を見てオイラーは少し頬を緩めた。
「少し考え事をしていた」
「そーかよ」
「王城で人を殺める日があんな形で来るとは、と……」
「ったく、相変わらずだな」
アンダーは窓の方へ真っ直ぐに歩いてくる。
そしてオイラーの二つの手のひらを見下ろした。
「正義の剣、なんだろ?」
「いや、それは……そう報道されただけだ、私が言ったわけではない」
「そーかもな」
「正しくない選択をしたかもしれないと今は思っている。できるならもっと冷静に話し合うべきだった」
それを聞いたアンダーは大きな溜め息をついた。
「戻れねーんだよ」
彼にしては低い声が空気を揺らす。
「どう足掻いたって、過去には、な」
◆
「今日もよく晴れていますね、お姉さま」
「そうね、アイリーン」
――これは遠い過去の記憶だ。
いつも窓の外をぼんやりと眺めていた姉の姿を鮮明に覚えている。
わたしたちは特別な二人だった。
どんな時もくっついて一緒にいたから。
誰もが仲良し姉妹と呼んだ。
それがどういう意味だったかは別として、わたしたちがそれほどに互いを大切に想い合っていたことは確かだった。
……ずっと一緒にいられると思っていたのに。
この力が、二人を引き裂いた。
あれは事故だった。
そんなことをわたしが望むはずがない。
でもこの禍々しい力は確かに姉に作用したのだ。
――こんなはずじゃなかった。
いつだったか。
姉が寝ている部屋で二人きりになった時、思わずそんな風にこぼしてしまったことがある。
辛いのは姉なのに、気づけばわたしが泣いていた。
「分かってるわ。アイリーンのせいじゃないの。あなたは悪くないのよ」
姉はそう言って励ましてくれたけれど、その笑みの奥にどうしようもなく深い闇があることをわたしは知っていた。
「あなたのせいじゃない、そうでしょう」
この身から放たれた術は姉の身に生涯消えない傷を残した。
それでもその傷が物理的なものであれば、まだ救いはあっただろう。
良い医師に診てもらえば何とかなるかもしれない。
適切な治療を行えば症状も緩和されるかもしれない。
けれどもその希望すら与えられないのだ。
我が身に宿るこの力は、人を不幸にしかしない。
「ごめんなさい、お姉さま、わたし……ごめんなさい……」
「いいの、気にしないで。あれは事故だったのだから。きっとこれもまた運命なのでしょう」
「苦しめてごめんなさい……」
「泣かないで。アイリーン、大丈夫、大丈夫だから。ね?」
わたしのこの力が傷つけたのは姉だった。
けれども情けなく泣きじゃくるわたしを支えてくれたのもまた外の誰でもない姉だった。
「愛しているわ、アイリーン」
姉の、少し乾いた肌と柔らかく伸びた髪が好きだった。
あるまだ寒い朝、珍しく姉に呼ばれて彼女のもとへ行った。
「用事って何ですか」
いつも笑顔で迎えてくれた姉だけれど、その日だけは窓の方へ顔を向けたまま。
「……お姉さま?」
不思議に思っていたら。
「アイリーン、あなたにお願いがあるの」
彼女はそっと口を開いた。
とても弱々しい声。
それこそいつ消えてしまってもおかしくないような。
「愚かな姉の願いを聞いてくれるかしら」
「何か持ってきましょうか?」
「いいえ、必要なものならもうここに揃っているわ」
掛け布団から現れた彼女の手に握られていたのは果物ナイフ。
「そんなもの、どうして……」
「ふふ。驚いた? 果物を切りたい気分って言って貰ったのよ。で、そのまま持ったままにしておいたの」
姉は乾いた笑みをこぼすと、窓の方を向いたまま僅かに顎を持ち上げた。
「アイリーン、姉は先に逝きます」
窓に映る姉の顔を見ることはできなかった。
「あなたが、殺すの。今ここで。それがあなたの姉の最期の願いよ」
泣いていたのか。
憎しみを抱いていたのか。
それすらも分からないまま。
「これ以上共に苦しむ必要はないでしょう」
「で、でも」
「この耐えがたい苦しみに別れを告げ、あなたも悲劇に縛られず生きる。そうあるべきよ。……この身が生きている限り、どう足掻いてもこの絶望は永遠に続くものなのだから」
ナイフを手渡されて。
ただただ震える手で受け取ってそれを握っていたら。
その時ようやく姉はこちらへ顔を向けた。
「終わらせなさい、すべて」
弱りきったままの姿。
それでもどこか澄んだ瞳で、凛とした表情で。
「事が終わればその刃はこの手に握らせておけばいい」
「お姉さま……」
「できるわね、アイリーン」
わたしはその時まで知らなかった。
姉がそれほどまでに、自ら死を選ぶほどに、陰で苦しんでいたのだということを。
涙があふれて、どうしようもなくて。
けれどもわたしはナイフを握った。
――悪夢の幕を開けてしまったのはわたしだった、なのにその終焉だけを他者に委ねることは許されない。
覚悟を決めて、一度だけ頷いた。
「ありがとう」
姉はそう言っていた。
「こうして姉は先に逝くけれど、あなたは急いで追いかけてこなくていいわ」
最愛の人に刃を向ける絶望を。
「アイリーン、愛しているわ。ずっとよ。だから、どうかあなたは生きて……、――になって」
……姉はこの胸に遺して、逝った。
◆
「アイリーンさん」
聞き慣れた声がして、振り返るアイリーン。
あの一件以降牢に身を置かれている彼女の冷えきった双眸が捉えたのは、ランの姿だった。
「あの……ぇ、っと……貴女に会いたくて、来てしまいました」
ランはそっと笑みを浮かべる。
けれどもアイリーンはかつてのようには微笑まない。
柵越しの二人、どうしようもない温度差があった。




