1.幕開ける新時代
十年ほど城を離れ軍所属として生活していたオイラーは生まれ育った場所へ戻ると間もなく国王の座に就くこととなった。
いつかは訪れると決まっていたその日。
けれどもそれは皆の想像よりもずっと早くやって来た。
かくして、オイラー・エイヴェルンという男は、三十四歳という若さで一国の王となったのだった。
「陛下、失礼いたします」
「サルキアか。急にどうした? そんな風に改まった呼び方などしなくとも」
「いえ。貴方は特別な存在となられたのですから。これまでとは違います」
これまでサルキアにとってオイラーは尊敬する兄であった。けれども今はもうそうではない。オイラーは王となり、その他とは一線を画す存在となったのだ。だからサルキアとしても気軽に兄を呼ぶように彼を呼ぶことはできないのである。
……いや、厳密には、サルキアがそうすべきであると判断したのだ。
オイラー自身が特別扱いを望んだわけではない。
「ま、オレはこれまでどーり普通に呼ぶけどな」
「アンダー、貴方は黙っていてください」
国王である彼の部屋にある椅子の上であぐらをかいているアンダーが口を挟んできた途端、サルキアは不快そうな表情を浮かべた。
「それで? 話は何だ」
「本日、ご夫人となられるお二人がいらっしゃいます」
サルキアの言葉に、オイラーは目を細め視線を脇へ逸らす。
「……ああ、その件か」
気が進まないような様子。
「到着後、挨拶に来られるかと思われますので」
「分かった」
一礼し退室するサルキア。
「乗り気じゃねーんだな」
サルキアが去るや否や、アンダーが口を開いた。
「苦手なんだ、女性と関わるのは」
「ふーん」
アンダーは椅子の上で組んでいた足を片方だけ伸ばしてぶらりと垂らす。
「けど、王にゃ世継ぎが要るんだろ? 頑張れよ」
「簡単に言うな」
「ま、どーにかなるって」
「どうしてそんなにも他人事のような言い方をするんだ……」
オイラーは溜め息をついて額に右手の甲を当てる。
「……今から憂鬱だ」
◆
その日もよく晴れた日だった。
「行こうティラナ」
徒歩で王城近くまでやって来たのはオイラーの第一夫人となることで話が決まっている女性である。
夕焼けのような色をした長い髪を後頭部の高い位置で一つに結んだ彼女の名はジルゼッタ。
代々軍の要職に就いてきた家の出であり、そんな彼女もまた少し前までは兵士として国のために働いていた。
「んもぉ~、ジルさまったらぁ、歩くの早すぎですわぁ~」
「早すぎたか? それはすまなかった」
「んんん~」
「何だそれは」
「いやぁ、ジルさま今日もあまりにも輝いててぇ~、眩しくて見えへんのですわぁ~」
ジルゼッタが呆れたように笑えば、彼女に同行している五十代くらいの女性もふふふと笑う。
「ジルさま、ティラナはどこまでもついていきますからねぇ~」
「ありがとう助かるよ」
すらりと伸びた背筋に凛とした強さと美しさを感じさせるジルゼッタは大きめの鞄を抱えたままでも疲れを見せることなく歩いていた。
◆
同じ日、ジルゼッタが城へ到着したのよりかは少し後の時間帯、馬車のような乗り物が一台王城の近くに停止した。
そしてそこから降りてきたのは、見るからに大人しそうな女性。
爽やかなラムネ色の長い髪を一本の三つ編みにしている彼女は可憐な雰囲気を漂わせている。
くすんだ薄めのブルーを基調としたドレスは艶やかで、良質な素材を使って作られたものであるということは誰の目にも明らかである。
また、左足のやや外側、足首より少し上の辺りには『癒』の文字――この世界の人間の一部が持つ『癒の濃印』が刻まれている。
「ラン様、ですね」
そんな彼女を迎えにやって来ていたのはショートボブの女性。
「……あ、は、はい」
ラン――ラムネ色の髪の彼女は、控えめに発し、一度だけ小さく頷いた。
「お待ちしておりました。お部屋まで案内いたします」
「ぇ、と……貴女は?」
「アイリーンと申します。ラン様の身の回りのお世話を担当させていただく予定となっております」
ショートボブの女性アイリーンが柔らかく微笑むと、ランは少しばかり嬉しそうな顔つきになる。
「アイリーンさん、ですね。ど、どうか……よろしくお願いいたします。その、わたくしは、こんなで……あまり、会話が得意ではないのですけれど……怒っているわけではありません。ただ少し、上手く話せないだけで……も、申し訳ありません」
ランはまだ緊張している様子だがそれでも懸命に言葉を紡ぐ。
「問題ありませんよ、最初は緊張するものですよね」
そんな彼女はアイリーンからかけられた思いやりのある言葉に感動したようで。
「アイリーンさん……! あ、あ、ありがとうございますっ……!」
胸の前で両手を組んで瞳を煌めかせた。
ランの瞳の煌めき、それは、ラムネの泡がぱちぱちと弾ける様を描いているかのようであった。