12.優しいですね
「アンダー! しっかりしてください!」
彼の咄嗟の行動によりノーダメージで済んだサルキアは思わず大きな声を発してしまう。
苦痛に顔を歪めている彼に「騒ぐなアホ……」と絞り出したような声で言われてハッとする、ここで騒いではいけないとその時になって気づいたけれど声は既に出してしまった後だった。
敵はまだ増えてはいない。
先ほど魔法を放った一名だけだ。
ちなみにその敵は頭に麻袋を被っていて顔は見えない状態。それゆえ、何者なのか、年齢性別や顔立ちなど、そういったものを脳に叩き込むことはできない。薄暗く視界が悪いから、といった理由などではなく。物理的に隠されているため把握できない、ということである。
「大丈夫なのですか? 傷が? 深いのですか?」
地面に膝をついたアンダーはまだ次の動きに移行できない。
だが見た感じ酷く傷を負っているようにも見えず、多量の血が流れ出ているでもないので、サルキアには何がどうなっているのか分からなかった。
「お嬢、アンタは先行け」
「どうしてですか」
「いーから行けっつってんだよ……めんどくせぇなぁ……」
顔色を悪くしたアンダーはサルキアを睨んだ、が。
「そんな。無理です。貴方をここに残して私だけ逃げることはできません」
サルキアはそれでもまだ状況を呑み込みきれていない。
ただ、サルキアも馬鹿ではない。だからアンダーの身に何かが起こっているのだということは何となく察せている。一緒には行けない、彼はそう言っているのだと。輪郭だけは読み取れているのだ。けれども、だからこそ、はいそうします、とは簡単には言えない。アンダーを一人ここに残していった時に何が起こるか、最悪の場合に思いを巡らせてしまうから。
そうしているうちに敵が再び魔方陣を展開させる。
やや紫がかった青の光が滲み出す。
片手を地面についた体勢のまま、アンダーは舌打ちして目を細める。
――もう一撃、受ける覚悟は決まっている。
そんな表情に見えた。
……でも、それでいいの?
……本当に彼をそんな目に遭わせていいの?
サルキアの脳内にそんな言葉が浮かぶ。
でも、できることなんて――。
「その場から動かないでくれ」
突如耳に飛び込んできたのは低めの女性の声。
次の瞬間。
一筋の光が空間を切り裂いた。
凄まじい衝撃が空気を揺らす。
「ジルゼッタさん……!?」
目の前に立っていたのは夕焼けのような髪が闇に映える凛々しい女性だった。
サルキアはその顔を数回だけだが見たことがある。
といっても何度も言葉を交わしたわけではないのだけれど。
「遅くなってしまってすまなかった」
麻袋を被った敵は大きく一歩後退し先ほどの攻撃は何とか回避したようだ。
だがジルゼッタにはまだ攻撃の意思がある。
その手に握られた太い柄の先についた大きな刃はまるで獲物を狙うかのようにぎらついている。
「ここは任せてほしい」
ジルゼッタは薙刀を太く大きくしたようなその武器を振り回す――そしてやがてその刃が敵が被る麻袋を裂いた。
中が見えるかと思われたが、それより先に敵は撤退。
結局あの麻袋を被った者が何者だったのかは分からないままだ。
「サルキア殿、お怪我は?」
「……ありません」
ジルゼッタはその身をくるりと反転させるとサルキアへ視線を向けた。
「ご無事で何より」
「ありがとうございます」
軍人の家系の娘であるジルゼッタだが、その凛とした立ち姿は英雄のようでありまた騎士のようでもある。
「ですが、アンダーが」
サルキアはそこまで言って言葉を詰まらせてしまった。
なぜって、アンダーがまだ胸もとを押さえて苦痛に顔を歪めていたからだ。
「アンダー、貴方の名は聞いたことがある」
口調こそ男性的で淡々としてはいるが声にはどこか温かみが感じられる、それがジルゼッタという人間だった。
「くそかっこわりぃ……」
「いや、貴方の行動は偉大だった。誇るべきだ。我が国のプリンセスをその身をもって護ったのだから」
ジルゼッタはなかなか立ち上がれないアンダーに手を貸す。
差し出された手を取ったことで一旦は立ち上がれたアンダーだったが、数秒ももたずまた膝を曲げてしまいそうになる――だが今度はサルキアがその身を支え倒れ込むのを防いだ。
「アンダー、出血はないようですが、どこがどう悪いのですか?」
「……分かんねー」
「胸が痛むのですか?」
「どーでもいーだろ」
「いいえ。どうでもよくはありません。大切なことです」
「めんどくせ」
「そうやってごまかさないでください。貴方は本当のことを話すべきです」
「真面目すぎんだろ……」
意思疎通はできている。
意識ははっきりとしている様子だ。
しかしながらその苦しみは波のように何度も押し寄せる。
少しばかり落ち着いていたかと思えば苦しみ始め、また同じことの繰り返し――そんな状態なので落ち着ける間はない。
彼は大量に冷や汗をかいていた。
「もしや、術か?」
ジルゼッタが言った時、アンダーは一瞬だけぴくりと身を震わせた。
「傷がないにもかかわらず苦痛が続くということであればそういった類の攻撃であった可能性もある」
しかし彼はすぐに動揺を隠してしまう。
「は。効かねーよそんなん」
敢えて挑発的な言葉を発して。
「それはさすがに嘘だろう、ボロボロじゃないか」
「うっざ」
ジルゼッタに軽く受け流される。
「そういったことを言う程度の元気は残っているようで安心した」
後はもう帰るだけ。
心強い味方がさらに増えたのだから何も恐れることはない。
三人は歩き出す。
サルキアはアンダーを支えた。
支えがあれば何とか歩ける――否、懸命に歩く――そんなアンダーを見つめるサルキアの瞳には穏やかな光が宿っている。
不快に思い敵視していた頃の目つきとは別人のようだ。
今はもう不愉快な存在だとは思っていない、だからこそ、迷いなく肩を貸すし腕を使って支えもする。
「やはりきつそうですね」
「黙ってろ」
「私のせいでこのような目に遭わせてしまい、申し訳ありません」
「……謝んな」
俯いて苦痛に耐えていたアンダーがゆっくりと面を持ち上げる。
目は開ききっていないが重くなった瞼の奥にある燃えるような色をした瞳には今も確かに鋭さが存在している。
顎を持ち上げれば、滝のように溢れた汗の粒がこぼれ落ちる。
薄暗い闇に光る粒はその時のサルキアには目の前にいる男の生命の煌めきのようにも思えた。
「優しいですね」
もうすぐ朝が来る。
「……そんなんじゃねーよ」




