109.乙女心は繊細かつ複雑なものだから
「リッちゃん、今日はとても良い天気ね」
快晴の日。
季節柄暑くはないが直射日光を浴びると肌がほのかに熱される。
「天気、良い、晴れ、快晴」
ランと隣り合って中庭近くの道を歩くリッタはご機嫌で、表情こそ薄いものの、先日どこかから拾ってきた手のひらに収まるサイズの石を一つ大切そうに握っている。
「その石どうしたの?」
「これ、綺麗、つるつるしてて、触ると、心地よい」
「川で拾ってきたとか?」
「城、近くの、池」
「そうだったの。気に入った石が見つかって良かったね!」
「お気に入り、好き、ラン、と、同じ」
ほんのり頬を赤らめるリッタ。
そんな風にして二人は歩いていたのだが、ふと、ランが足を止めた。
爽快を色に変換したような色の双眸が捉えたのは――柱の陰で世界から隠れるように座り込んでいるサルキアの姿だった。
長い睫毛が悲しみに染まっている。
頬には透明な涙の痕。
「サルキア様……?」
ランは声をかけた。
するとサルキアは面を持ち上げる。
だが声をかけてきた人物がランであると気づくと気まずそうにまた少し視線を下げてしまう。
「このようなところで一体何をなさっているのです?」
「……ランさん、すみません、私……今、あまり話ができる状態でなくて」
ランはできることなら力になりたかったが、こういう時に踏み込み過ぎるのも良くないと思ったので、控えめな大きさの声で「失礼しました」と軽く謝った後に一礼してそのまま立ち去ることを選んだ。
リッタが不思議なものを見るような目をして「いいの?」と尋ねると、ランは「いいの、今は」と答えた。
もちろんそこに悪意はない。
ただありのままの答えを述べただけだ。
とはいえサルキアを心配する心が消えることはない。
また後日話をしてみよう、ランはそんな風に思っていた。
◆
その日サルキアは朝一番に王であるオイラーへ会いに行った。
まだ先のことではあるがアンダーと行く予定にしている『光る噴水祭り』の日の外出許可を貰おうとしたのだ。
オイラーは当然快く許可を出した。
なんせ大切なアンダーが幸せな経験を積む良い機会なのだ。彼を誰よりも大切に想っているオイラーがそれを邪魔するようなことをするはずがない。たとえ妹がその相手だとしても、だ。
――そこまでは順調だった。
問題が発生したのは、その帰り道。
無事外出許可を貰え、やや浮かれ気味になりながら自室へ戻ろうと歩いていたサルキアだったが、部屋に帰るまでの間に群れているメイド数名に遭遇する。
メイドたちは近頃サルキアとアンダーが仲良くなっていることに気づいていたようで、そのことについて話しかけてきた。
あるメイドは「あんな身分の低い男と親しくするなんてどうかと思います」と意見を述べた。
その隣にいるメイドは「サルキア様はサルキア様に相応しい身分のお方とお付き合いなさるべきですわ」などと余計なお世話なことを言う。
また別のメイドは「貴女はエイヴェルンのプリンセスなのですから……」と慎ましくも注意するようなことを言い放つ。
あれこれ言われてしまったサルキアだがさすがにすぐに怒り出すような愚かなことはしなかった。
だが彼女が受け流し続けているとメイドたちの攻撃はヒートアップしていって、しまいにアンダーを理不尽に批判するような発言を多数吐かれることとなってしまう。
――そしてサルキアは爆発した。
メイド相手に本気になるつもりはなかった。
王家のために日々働いてくれている労働者と表立って喧嘩する必要性など皆無だから。
しかし、アンダーを、大切な人を、侮辱されれば我慢しきれなかった。
『どうしてそんなことを言うのですか! 彼のこと、貴女たちは何も知らないでしょう!』
自分でも予想しなかったくらい腹が立って、大人げなく怒り鋭く言葉を放ってしまって、それでサルキアはその場から逃げ出してしまった。
――そして今に至っている。
メイドたちとの会話をきちんと整頓して終わらせられなかったこと。
ランにもそっけない態度を取ってしまったこと。
後悔ばかりが積み重なってしまう。
今さらやってしまったなと思ってももう遅い。
何もかも手遅れで。
過ぎ去った時をやり直すことは不可能だ。
けれども、だから仕方ないか、とあっさり諦めてしまうことも難しくて。
……そんな時。
「何してんだこんなとこで」
車椅子に乗ったアンダーが通りかかって。
「お嬢? どした?」
不思議なものを目にしたような表情で尋ねる。
「……泣いてんのか?」
アンダーは乗っているそれを器用に操り少しずつサルキアへ接近する。
近づける距離には限界がある。
車輪がかさばっているからだ。
「いえ、深い意味はありませんので……放っておいてください」
「ほっとけねーよ」
即座に言葉を返したアンダー。
「あんなぁ、そーやって独り寂しく落ち込んでても何も解決しねーんだよ」
彼は続ける。
「独りで抱えんな」
その大きくはない声は、真っ直ぐに宙を飛び、サルキアの瞳と心に突き刺さる。
「アンタはもっと人に頼れ」
「……ですが」
「いーから! 何かあったんなら、取り敢えず話せ!」
アンダーはいつの間にかサルキアのすぐ傍にまで来ていた。
「な?」
その片手が落ち込んだ彼女の頭をぽんと叩く。
「共有すりゃちょっとは楽んなんだろ」
「アンダー……」
サルキアはゆっくりと顔を持ち上げて、車椅子に座った状態ゆえに高い位置にあるアンダーの面へと目をやった。
「――はぁ、そーいうやつかよ」
サルキアがここへ至るまでの経緯を説明すると、アンダーは一つ溜め息をついた。
「やっぱなぁ。そのうち言われると思ってたけどよ……ったく、めんどくせぇな」
彼は出自を悪く言われることには慣れている。それゆえその程度のことで傷つきはしない。だがサルキアは違う。彼女は真っ直ぐな人間だ、けれどだからこそ大事なものを否定されれば容易く傷つく。
「けどよ、お嬢、こーなることくらい分かってたろ」
「……覚悟はしていました。ですが、あんな、あのような言い方……実際に聞くと、酷いと思います」
「そんだけ印象わりーんだよ、貧民層出身の人間は」
するとサルキアは突然顔を勢いよく持ち上げる。
「そんなこと! 思い込みによる差別でしかありません!」
サルキアは怒りをはらんだ目をしていた。
だがそれはアンダーへの怒りではない、人々の誤った意識に対する怒りである。
「アンダーは悪くないじゃないですか!」
「まぁ何して生きてても元の階級だけであれこれ言うやつは言うから、あんま気にすんな」
アンダーはさらりと言ってのけるが。
「……そんなのおかしいわ」
サルキアは納得できない顔をしていた。
「アンダーはそこらのお金持ちよりずっと国に貢献してきたはずなのに……」
「落ち着けって、お嬢。あんま気にすんなて。てかマジでスルーしとけ」
悔しさに涙ぐむサルキアの姿を至近距離で目にすることとなったアンダーは心なしか罪悪感を覚えているような顔つきになる。




