10.運命という扉は蹴り開けるものだ
来た道は戻れない。
人生とは時に一方通行だ。
「早くぅ~情報を教えてくだちゃいよぉ~」
「ですから、話すことは何もないと申し上げたはずです」
男はまだサルキアのゴールドの髪を弄っている。
それは彼女にとって非常に不快な行為であった。
まるで自身の魂までも穢されているかのよう。
「そういうのはいいからぁ~ささっと話してくだちゃいよぉ~。じゃ、ない、とぉ。おじさん、いたずらしちゃいまちゅう~」
「何も言われても、話せることなどありません」
「んははぁ、じゃあ、遠慮なくぅ~」
ふりふりな服を着た男は顔を急接近させると唇を突き出してサルキアの首もとをはむとくわえる。それだけでもサルキアはぞっとしたのだが。それでもまだ男は満足しない。一方の手で撫でるようにサルキアの後頭部に触れ、もう一方の手はねっとりとした指遣いで彼女の肩を抱き寄せるように触る。
距離感は異様に近い。
しかもただ近いだけではなく邪な意図まで感じられる。
サルキアからしてみれば、もはや寒気しかしない、というような行為。
「おひめちゃまは可愛いでちゅねぇ~」
それでもサルキアは動けない。
なんせ四肢を拘束されているのだ。
椅子と一体化した腕と脚では抵抗のしようがない。
……もっとも、もし仮に四肢の自由があったとしても腕力で負けて結局同じ結果だっただろうが。
「新王はお元気でちゅかぁ~?」
「そうですね」
男の熱を帯びた息が肌に直に触れる。
信じられないくらいの不快さの波に見舞われて、サルキアの心は徐々に死に始めた。
それは首を絞めるようなものだ。
正常に息はできても、正常に生きてはいられない。
「取り敢えず彼の弱みを教えてくだちゃいよぉ~」
「知りません」
「もちかちてぇ~……おひめちゃま、でちゅかぁ~?」
「いえ、それはないです」
「んほほぉ~? そうなんでちゅかぁ~? おじさん、おひめちゃまなら大事に大事にされているものと思ってたんでちゅけどぉ~、そうでもないんでちゅねぇ~」
ただ時が過ぎるのを待つだけ。
それが今彼女にできるすべてだった。
「どうせ大事にされていないのならぁ~、可愛らしいおひめちゃまぁ、おじさんのところにお嫁にきまちゅかぁ~?」
「お断りします」
「んふふぅ、照れちゃってぇ~。可愛いでちゅねぇ~。も~っとぉ素直になってぇ~、おじさんといちゃらぶ仲良くしてくだちゃいよぉ~」
早く、もう何でもいいから、頼むから少しでも早く過ぎ去って――。
サルキアは目を伏せた。
◆
夜、何やら聞き慣れない音がして、目を覚ます。
視界に変化はない。
ということは音がしたのは扉の向こう側だろうか。
……なんて考えていたら、突如、扉が乱暴に開かれた。
蹴り開けるような音だった。
部屋の外の灯り。
無機質な室内に僅かな明るさをもたらす。
暗闇に浮かぶ、一つの影。
どうやら人間のそれのようだ。
ただ黒いフード付きコートをまとっているようで、サルキアには、その人物が何者であるか即座に判断することはできなかった。
「何者ですか」
サルキアは警戒心を隠さない。
「よ」
だがその声ですぐに察した。
「……アンダー?」
すぐにでも助けてと言いたい。
でも言えない。
これまで彼には心ない言葉ばかりかけてきたし冷ややかな態度ばかり取ってきた自覚があるから。
「中はお嬢一人かよ」
影はサルキアの方へ真っ直ぐに近づいてくる。
「ま、いいや。ちょっと待ってろ。暴れんなよ」
あと数歩で身が触れる、というくらいの距離にまで来た時、ようやくフードの隙間から顔が見えた。
「どうして貴方が……?」
「そーいうのは後な」
サルキアの問いにアンダーは答えなかった。
アンダーは男性にしては大きくないその身を屈めてサルキアの両足を解放すると、続けて両腕も自由にする――とても器用、慣れた手つきである。
「よしできた」
彼がそう言った時、サルキアの四肢は完全に自由になっていた。
拘束されてずっと動かせなくされていたからか指先にはまだぴりぴりする感覚がある。心なしか引きつっているようで。動かしづらくなってはいる、が、それはあくまで一過性のもの。いずれは元通りになるだろう。
「貴方に助けられるとは何とも言えない気分ですが……」
「黙ってろ、かわいくねーな」
痛いところを突かれたサルキアは「そう、ですね」とこぼした。
「今さら可愛くなんて……」
「や、べつに、そーいう意味じゃねーし。そこまで真剣に受け取んな」
間もなくアンダーから「さっさと立てよ、もうこんなとこにゃ用なんざねーだろ」と声をかけられた。
それに応じて立ち上がろうとするサルキアだったが、その時になって気づいてしまう。自身が速やかに立ち上がれない状態であることに。怪我はしていないはずだ。それなのに動けない。なぜか手と足が震えている。
「お嬢?」
黒いフードの隙間から覗く紅の瞳が、まだ動けずにいる彼女を捉えた。
「どした」
アンダーはサルキアの前にしゃがみ顔を覗き込む。
「……立て、ません」
サルキアは悔しげな面持ちで俯く。




