プロローグ
先日、エイヴェルン国王が崩御した。
国王は病魔に侵されていた。
そしてついにその生を終えたのだ。
エイヴェルンに訪れる新たなる時代、それを祝福するかのように、今日という日の空は澄んで晴れわたっている――そう、今日は近く国王の座に就くであろう王子オイラー・エイヴェルンが都へ帰る日である。
オイラーの帰還を迎えるべく王城の外へ出ている女性が一人。
柔らかなサーモンピンクのスーツに身を包む二十代後半の女性は、肩甲骨あたりまで伸びたゴールドの髪を飾り付けることなく真っ直ぐに下ろしている。灰色の瞳には知性が感じられ、また、女性でありながらも男性に媚びるような要素は一切感じられない。冷静さを絵に描いたような顔立ち、そして表情。そこには静かながらも確かに存在する信念が宿っているかのようであった。
「サルキア様、そろそろでしょうか」
「はい、間もなく時間です」
傍に控える男性が確認すれば、女性は淡々と言葉を返す。
サルキアと呼ばれた聡明そうな彼女は、サルキア・エイヴェルンという名を持つ――そう、オイラーの腹違いの妹である。
「ついにこの日が来ましたね」
「はい。しかし私はすることは変わりません。国のため、そして、陛下のために……ただ働くだけです」
やがて馬車に似た乗り物が遠くから見えてきて、それはサルキアらの目の前まで来るとぴたりと停止した。
係の者の手で右側の扉が開かれると、一人の男性が姿を現す。
すらりとした背の高い男性。
決して派手とは言えない茶色を基調とした衣服に身を包んでいるが、それでも、その凛々しい顔立ちもあってよく目立っている。
「おかえりなさいませ」
「出迎えご苦労」
その男性こそがオイラー、その人である。
彼は段を降りてから思い出したかのように身体の向きを反転させる。それからその長い片腕を乗り物内の方向へと差し出した。それこそ、愛する人にでも手を差し出すかのように。
だがその後聞こえてきたのは「いらねえって」という短い言葉――それも女性の声ではなかった。
やがて姿を現した男はオイラーとは対照的に背の低い男であった。
「お兄様、そちらの方は?」
漆黒の髪と紅の瞳が印象的なその男をサルキアは知らない。
「ああ、彼はな、私の側近となってくれることとなった男だ」
オイラーは少しばかり嬉しそうな顔をするけれど。
「側近と言えば堅苦しいが親友みたいなものだ」
サルキアは難しい顔をせずにはいられなかった。
一応それなりに良さそうな服は着ている。
白に近い色の詰襟のシャツに黒いベスト、首もとには金色の飾り、そして足もとはワインレッドのローファー。
貧乏くささは意外にもない。
が、その一方で、左側は短く整え右側は伸ばしてほどほどに乱した状態でセットしているという左右非対称なヘアスタイルや二本の小型ナイフを左足にベルトで固定しているところなどは、どことなく不穏な空気を漂わせている。
「あの、さぁ……」
そんな彼が快晴の空の下発したのは。
「何でオレ睨まれてんの?」
サルキアに対する不満であった。
突然紅の瞳でじっと見られたサルキアは動揺しながらも平常心を保っているような表情を崩さない。
「すまないアン、彼女は警戒心が強くまた非常に真面目なんだ」
「ふーん」
「ちなみに私の妹だ」
「あ、そう」
男の視線はサルキアからオイラーへと移る。
「サルキア、紹介が遅くなったが、彼はアンダーという。少々気が強いというか何と言うか……そういうところもあるが、本当はとても良い人なんだ。だからどうか仲良くしてやってほしい」
オイラーから紹介されてもサルキアの表情に変化はない。
だがそんなサルキアにアンダーは敢えて近づいていく。
「オイラーの妹、にしちゃ、面白みなさそーな女だな」
アンダーは容赦なく無礼な言葉をぶちかまし。
「けど、ま、よろしくな。……いきなり睨んでくる、お上品なお嬢さん?」
さらにわざと顔を近づけて挨拶と嫌みを並べて放った。
サルキアの後方に控えていた男性は眉間にしわを寄せ「無礼者!」と攻撃的に発するが、この状況においても冷静さを失ってはいないサルキアは「やめてください」と男性を制止。男性は「しかしっ……」と再び言葉を発しかけたが、サルキアはそれを遮り淡々と「すべきことは、彼の存在が我が国にとってプラスとなるのか否かを見極めることだけです」と返す。
「ふーん、案外冷静じゃん? お嬢さん?」
「貴方がここにいるに相応しい人間であるのかどうか、今後見極めさせていただきますので」
真面目な顔で言うサルキアに対しアンダーはふっと馬鹿にしたような笑みを浮かべ、それから小さく「お好きにどうぞ」とこぼした。
「それ以上余計なことを言うな。行くぞ、アン」
オイラーが歩き出せば。
「じゃな」
アンダーはその背中を追うように歩き出す。
右手を一瞬だけ軽く挙げたのが別れの挨拶だった。
わざわざ迎えに来たというのに、オイラーはアンダーだけを連れて城の方へと歩いていってしまう。
「何ですかあの生意気な男は!」
「落ち着いて、騒いでも何も変わりません」
「ですが! 王族であられるサルキア様に対しあのような態度を取るとは万死に値します!」
サルキアは勝手に歩いていってしまった二人の背へと目をやる。
「私も、無礼な男とは思います」
風が吹いて、結ばれることなく下ろされたゴールドの髪がなびく。
「彼に対し良い印象を抱いてはいません。ただ――」
「ただ?」
「お兄様が何を思いなぜ彼をここへ連れてきたのか、その点には関心があります」
別れ、そして、出会い。
そうして始まってゆく。
エイヴェルンの新しい時代が――。