5.野生動物に気をつけよう
アグロフォレストリー、森林農業。
未だに色々呼び名があるが、複数種類の植物を混ぜて育てて管理の手間を減らしつつ、牧場と畑と森を混然一体まとめて管理しようという手法である。
企業農場『ファンタジアフォレスト』。
ちょっとゲーム風ファンタジーっぽい事が好きな社長が森林農場の経営を成功させてしまったため、非常にどっかで見たファンタジーのような仕組みになっている。
作業の管理をする場所の名前は冒険者ギルドで、作業着がプロテクターという名の鎧兜。プロテクターの見た目はファンタジーゲームの鎧風だが、強度もさることながら温度調節機能や電動パワーアシストなどが充実した快適近未来装備である。
イノシシに撥ねられ人形のように数メートル舞い、斜面をバウンドしながら転がり落ちていく人。
興奮状態のイノシシ。
さて、現代日本にも鳥獣保護法というものがある。
この法律によればむやみに野生動物を狩猟してはいけないと定められている。もちろん命がかかっている場合は別である。
基本的に猟期は日付が厳密に定められていて、イノシシは野生動物として保護されている。
しかし現在では大規模森林農法の発達に合わせ、制度や法律が少し変わった。
捕獲数や期間など、ある程度の事が企業の裁量に任されるようになった。野生動物による作物の食害などを防ぐためには迅速な判断が必要だからである。
そうした法制度の変更の一つとして、最近のプロテクターと装備の発達によって、猟銃や罠などの他に新しい法定猟法ができた。
「ウォータージェットカッターの使用許可ください!」
斜面の上から駆け下りてくる人物がギルドに連絡を取っている。
新しい法定猟法。電動パワーアシスト付きプロテクターを装着した状態で大型高周波刃、又は超高圧水刃を使用して真っ向から一撃で獲物を屠る。近接猟である。
ナイフなどを使った自由猟法と違うのはその出力。大型高周波刃と超高圧水刃、超音波カッターやウォーターカッターなどとも呼ばれ、最近ではどちらの携帯機械もそれなりに威力が出る。
そうした機具が無制限に使えると事故などの危険があるため、屋外に持ち出して狩猟に使う際は法定猟法になった。狩猟以外では伐採などに使われる。
ファンタジアフォレスト内で貸し出されるこれらの工具を高出力で使用する時は、遠隔での使用許可と監視を義務付けてあり、使用後は速やかに停止される。封印武器みたいな扱いである。
つまりこの状況でギルドにウォータージェットカッターの使用許可を求める人物は猟師さんである。
猟師はイノシシの前に立ち、まだ低出力状態のウォータージェットカッターを構えてギルドの返答を待っていた。イノシシの様子をうかがいながら、流れてくるギルドの連絡音声に耳を傾ける。
『確認しました。猪の規定捕獲数に余剰有り。現在、近接猟での捕獲許可を申請中』
森林農法が定着して以来、鳥獣保護法も色々な改正を重ねた。結果、国から敷地内のほとんどの野生動物を捕殺する判断を委ねられているファンタジアフォレスト運営だが、捕獲対象を定めるのに施設内で独自にいくつか基準を設けている。
イノシシが突進してくる。人間の都合を悠長に待ってくれないのである。
猟師がイノシシの突進をかわす。右太腿外側に牙が当たったが、あえて弾かれることで体の向きを変えてイノシシに正対し、次の突進に備える。
プロテクターが無ければ今の牙が掠めた事で大きめの血管を損傷して重傷。更には転んで追撃を受けていた事だろう。
プロテクターの強度と着ている人の身体能力と度胸、パワーアシストによる姿勢制御で何とかなっているだけで、普通の人がプロテクターを着て野生動物と戦おうとしても勝負にならない。
『対象画像を確認。捕獲対象に確定しました。現在限定解除のための手続きを行っています』
次にイノシシが突進してきた瞬間、ギルドの通信が入った。
『出力限定解除』
猟師はもう一度、牙に引っ掛けられない最小の動きで左に避け、すれ違いざまの一瞬、真横からイノシシに相対する。
そのまま頸椎にウォータージェットカッターを振り下ろした。
遠くから見ていた青年は猟師さんが避けそこなって弾き飛ばされたと思った。
猟師さんがイノシシの肩に弾かれて2,3回斜面を転がり、姿勢を戻した時には、イノシシの頭は胴体から離れ、少し遠くに転がっていた。イノシシの胴体が力なく斜面を半回転すると、既に立ち上がって歩み寄っていた猟師さんに手で止められた。
何が起こったか分からないが、それくらいギリギリの攻防だったのだ。猟師さんがしゃがんだように見えたのはイノシシの首を切断するためにとっさに腰を落としたのである。
見晴らしのいいE27エリア中から歓声と拍手が上がり、猟師さんは手を振ってそれに応えた。
本当に通りすがりの猟師さんだったため、持っていたのはジェットカッターだけ。
他に持っていたのは間伐材を運ぶ為のワイヤーだけで、袋すら持ってきていないのである。
そのため土を掘れる道具を持ってる人が放血用の穴を協力して掘ることになった。現代の衛生感覚では際どいが、他に方法が無いのである。
猟師さんが集まって来た周囲に声をかける。
「保冷装置持ってきてないんで、さっさとギルドまで運んじゃいます。えーと、頭どうしよう」
猟師さんがイノシシの後ろ脚を持って担ぎ上げると、ちょっと気まずい空気が流れた。生首である。でも畑の真ん中に置いていくわけにもいかない。捕獲数の証明に必要なのだ。しかしイノシシは大きく、猟師さんが両足を持たないと引き摺ってしまいそうなのである。
「あ、僕、頭持ちます。安全の確認のため一度ギルドに戻るように言われたので」
集まっていた人の中から声がかかった。最初に撥ねとばされて転がり落ちていった人である。ピンピンしているが、念のため検査を受けるようにギルドから言われたのだ。
本人の怪我の確認はもちろん、強い衝撃を受けた事でプロテクターの保護機能が破損している可能性がある。材料だけでなく構造で強度を出し、自ら潰れることで衝撃を吸収している部分もあるため、そこが潰れていると安全を確保できない事があるのだ。バイクのヘルメットと同じである。
「首は最終的にギルドに届けばいいので、ゆっくり安全に来てくださいね」
「うわ、猟師さんめっちゃ速い」
イノシシを担いでパワーアシストで飛ぶように駆けていく猟師さんと、首を持って慌ててついていく人を見送る。
「ここで内臓の処理とかしないんですね」
誰ともなく青年が呟くと、近くに居た人が答えた。
「食肉として流通させるなら衛生面の問題でね、できるだけ野外じゃなくて専用の処理施設で内臓の処理しないといけないらしいんだよ。大変だよな」
大変である。
「じゃあ猪に追いかけられたら逃げてふもとまで連れていけば処理しやすいのかな?」
「過剰に運動させたり暴れてぶつけた後だと内出血とかで売り物にならないとか聞いたことある」
大変である。
「そういえば架線の下歩いてたら、ゲロっぽい物が降ってきたことあるな。あれはもしかしてああして持ち帰ってた時の胃の内容物だったのか」
災難であるがそういう時のためのプロテクターである。
蜂にイノシシにと気疲れした青年も早々にギルドに戻ることにした。
一人でカートを押しながら山道を下っていると、ふと向こうの茂みに気をとられる。
「ガイドさん、あれウサギじゃないですか?」
遠くの木の間を移動する生き物を見つけ、青年はARガイドに話しかけた。
「脱走したならギルドに届け出をした方がいいと思うんですけど、どうですか?」
ファンタジアフォレスト内で野生動物と家畜が混在していることは少ない。基本的に家畜の居るエリアと野生動物が通行するエリアを分けているのである。
たまに家畜の群れを移動させてエリアを変え、生物相の偏りを避けるようにしているらしい。エリアの変更はかなり変則的なため、捕獲依頼や家畜の管理代行依頼を請けていない人は、野生エリアか家畜エリアかを把握していることは少ない。
飼いウサギが迷い出たか、それとも先ほどのイノシシが侵入したかは青年には判別がつかなかった。
『あれはノウサギ。野生動物です』
ARガイドの見立てではウサギは野生動物だった。ここは野生動物のエリアだったようである。
「へー、日本の山にも野生のウサギって居るんだ」
言われてみれば青年の記憶にも唱歌で歌われていた記憶がある。
『ノウサギと飼育されているウサギはほぼ別の生き物です』
「え!?」
『現在ファンタジアフォレスト3でウサギの飼育個体は存在しません。
一般家庭で飼育されているウサギはヨーロッパの南からアフリカの北にかけて生息しているアナウサギを家畜化したものです。
ノウサギと違い、アナウサギは穴を掘るので捕食されにくく、掘った穴に足をとられてウシなどの大動物の骨折の原因になります。現在日本ではアナウサギは重点対策外来種に指定されています。
もしウサギに気付いたら念のため、先ほどのようにガイドに確認していただけると助かります』
似ている動物でもうっかり野生環境に放たれてしまうと生態系の破壊につながる様である。
E25ラインのロッジが見えてきた。しかしカートで通れる道は急な坂を避けて曲がりくねっており、たどり着くまでが少し長い、デッキにさっきの猟師さん達が居るのが見えた。
「よかった~。下まで行かないとダメかと思ったから」
話し声が聞こえてくる。そばには他に人が二人いる。一人はイノシシの生首を運んだであろう人だ。もう一人が大きめのコンテナを見ながら言葉を返している。
「見た感じ汚染されてないし、全然大丈夫だと思う」
どうやら緊急捕獲依頼と聞いて、仲間の猟師さんがふもとで手配された冷却装置をE25ロッジまで運んで来ていたようである。
「ロッジに冷却装置配備してくんないかな~、緊急依頼結構多いし」
「しかし野生動物を入れるとなると衛生管理がな……こうして手近な架線駅に冷却装置を合流させる管理依頼を新設するのが一番な気がする」
「あー……衛生面かぁ」
「簡易冷却装置だから早目に運んだ方がいいのは間違いないぞ」
仲間の人も冷却装置のカートを押して架線に向かう。
「はぁ~、緊急依頼とはいえ元の依頼キャンセルする手続きめんどい~、何で一回ギルドに戻らないとダメなの?」
「不測の事態は事故の元だぞ。無理しないためにも一度帰るのは理に適ってると思う。特に今回はプロテクター損傷してるかもしれないし」
一連のやりとりを大変だなと眺めつつ、少し後にロッジにたどり着いた青年は、収穫物のカートと自分をそれぞれ搬器にくっつけて架線を下って行った。
ギルド裏手の倉庫に併設された窓口に収穫物を渡しに行く。
『依頼達成です。お疲れ様でした』
借りた道具と依頼品をカートごと窓口に手渡すと依頼完了である。
植物にかかっていたティーバッグ、もとい防護網は再利用されるものもあるが大体は焼却である。
自然分解される材料でできているものの、悠長に分解を待っていたらゴミ山になってしまう。
更にはそのまま再利用し続けるとなると虫やカビや線虫など作物に悪影響を与える危険が高くなる。現在は燃やしてガス化し、ケミカルリサイクルが主流である。
速やかにガス化できる焼却技術と、ガスから低エネルギーで有機物が作れるようになった技術革新あっての運用だ。
というわけで退場時、ギルドに入る前に椅子に座って休んでいると蒸気のエアブローが全身に降りかかる。
これはプロテクターの洗浄のためのもので、虫や病原体を持ち出さないためである。あと気付かず牛糞とか踏んでたりするのでそれも落とせるように意識すると数分かかる。
ギルド窓口に入場証を返すと、代わりに依頼達成料をもらって完了である。
が、その前にやる事がある。
「社内割りでシャワー室を利用したいのですが。ドリンク付きで」
ゆったりした個室のシャワー室で、洗濯物は全自動の洗濯機に放り込む。
そしてここでは一番手間のかかりそうなプロテクター内の自動洗浄が可能である。
専用の簡単な接続器で注水し、プロテクター内を丸洗いできる。その間に人間もシャワーを浴びるのだ。
水流の後、乾燥した空気がプロテクター内を巡る。
一般的なシャワーなどでプロテクター内を洗うのと比べ、手間がかからないのだ。
ちなみにご家庭で洗う時は人一人分の容積の水をプロテクター内に満たして漬け置き洗いである。重いし危ないし、乾燥はもっと大変で複雑な形状のためか布団乾燥機を使っても大抵どこかカビる。
この施設を使うためだけに農場に仕事に来る人も居る。
プロテクターの洗浄が終わる頃には服の洗濯も終わっており、人間とプロテクターの丸洗い完了である
ちなみにこの施設、シャワーだけである。
風呂の一つもないのかという文句が出た事があるが、そういう場合はプロテクターの頭部だけ外して中に湯を満たすという裏ワザがある。
これを応用して介護現場などの寝たまま入浴装置なども開発された。由緒正しき裏ワザ壺湯型入浴法である。
夏の日はまだまだ長い午後遅く。
青年はやはり社内割引で丼を食べて帰る事にした。
食堂には食事をするなり休憩するなり、人が散らばっている。
「結局イノシシが当たった人って大丈夫だったの?」
「うん、かすり傷もプロテクターの破損も無かったらしいよ」
「強」
どっかで聞いた話題である。どうもグループを組んでいる冒険者で、今日起こった緊急事態に関してやり取りしているらしい。
聞き流しながら青年は鹿肉を頬張る。
タレで焼かれたジューシーな赤身肉に米がいい塩梅で絡む。
付け合わせの、ほのかにメロンのような香りのする漬物を一切れ口に入れて米。再び肉。
採れたて野菜がふんだんに使われた味噌汁は出汁に調和して、頬が痛くなるほどおいしい。
企業農場ではほとんどの作物は採取後すぐに冷凍、またはフリーズドライ食品などに加工される。
一方でごく一部の香り成分のような栄養素は冷凍などの加工で減少すると言われている。
そのため企業農場の食堂の目玉の一つが、新鮮な食材による料理の提供であったりする。
「違う違う、クロスズメバチは飼うの」
「飼うの!?」青年の心の声と異口同音の叫びが聞こえた。青年も他の冒険者と同時に集団を二度見する。
「飼ってハチノコ採るんだよ」
この企業農場が加工施設も併設しているのは、作物の使用用途を限定して地場産業と競合しないようにするためと言われている。
また、施設内の大型のフリーズドライ装置などをコイン精米機の多機能版のような感覚で周辺農家に利用してもらうこともある。
素材持ち込み、加工依頼というやつである。
出来る範囲で地場産業との協調を大切にしている。
そしてクロスズメバチは一部地域で食用にされてきた蜂である。このスズメバチも地域振興の一環の可能性がある。
近くハチノコがメニューに並ぶかもしれない。
夕方が近くなり、ほんのり赤みを増した山を見ながら、青年は味噌汁を飲んで一息をつくのであった。