4.依頼を達成しよう
アグロフォレストリー、森林農業。
未だに色々呼び名があるが、複数種類の植物を混ぜて育てて管理の手間を減らしつつ、牧場と畑と森を混然一体まとめて管理しようという手法である。
そしてここは作業の管理をする場所の名前は冒険者ギルド。作業着はゲームの鎧兜にしか見えないプロテクター。
ちょっとファンタジーっぽい事が好きな社長が経営を成功させてしまった森林農場。ファンタジアフォレストである。
プロテクターの見た目はファンタジーのゲーム風だが、身を守れる強度をはじめ、温度調節機能やパワーアシストなどが充実した近未来装備である。
現在、小松菜の栽植依頼と金糸瓜の採取依頼を請けた青年が、架線を使ってE30エリアのロッジに到着した。
自走搬器の動力で木々の上をジップラインの様に飛び、ロッジの前に広がる木製のデッキに足が着いたら終点である。
この森林農場、ファンタジアフォレスト3はちょっとした山である。そのため、休憩や悪天候からの避難、救急時などに使えるように農場内各所に大きめの休憩施設、ロッジが設置されている。
かくいう青年も四年前の社会科見学時に雷に遭って、クラスのみんなと一緒にロッジに避難した。帰りに使うはずだった架線に雷が落ちてバリバリいうのを、おお~と言いながら見学したクチである。
最近ではこういった冒険的な体験から森林農場に参加する子も多い。
青年もそれからちょこちょこ遊びと体力づくりがてら参加して、受験で数年ブランクがあった後、今年はお小遣い稼ぎと体力づくりのために参加するようになったのである。
さて、ロッジではトイレや休憩所の他、ドリンクや軽食なども用意されている。
ロッジの休憩所はファンタジアフォレスト内で安全にプロテクターを外せる数少ない場所である。
たまに野外で大自然を感じたいためか、プロテクターどころか全身の着衣を解放してしまう人なども居る。が管理用カメラで見ている人も居るし、普通に人が通る場所である。
公共の場所なので猥褻物陳列罪とかでおまわりさんが呼ばれた上で出入り禁止となる。
ちなみに痴漢でなくても場内で理由なくプロテクターを外すと施設の定める危険行為として厳重注意である。
さて、休憩所を前にして青年は逡巡した。空腹でもないが満腹でもない。先ほどプロテクターを作る待ち時間の間に食事をとったが、ここでも昼食をとっておくべきか。
架線の到着場所は休憩所の前の板張りの広いデッキ。とりあえず中に入って考える事にする。
扉を開け、プロテクターの口部を開放すると、ベーコンの芳ばしい香りと森の香りが木の匂いに混じって漂ってきた。しかしその香りで即座に注文しようという気にならない辺り、まだお腹は空いていないようだ。
出口に向かおうとした時、建物の奥から声が響いた。
「助けて!!」
パステルカラーのチューブトップにジーンズ、髪を後ろでまとめたお姉さんが、慌てた様子で食堂に駆けてきた。説明されなくともプロテクターを脱いだところで何かトラブルに遭ったと想像できる。
すわ痴漢か強盗かと食堂に緊張が走り、声をかけるよりも先に何人かが席を立って身構える。
「蜂! 大きめの蜂がトイレに出た!!」
食堂内の人達が虚を突かれたように顔を見合わせた。
「……まぁ、蜂は危ないよな」
「スズメバチとか刺されたら死ぬし」
「トイレはプロテクター脱がないといけないもんね」
虫が大丈夫な人と職員が数人、女の人に案内されてトイレに向かう。
青年は一部始終を呆然と見守っていた。
女の人はプロテクターを装着できないまま知り合いに連れられて食堂まで戻ってきた。
「しばらく食堂に居るといいよ」
「蜂は危ないもんね」
「誰かプロテクターにくっつけてきちゃったのかなぁ?」
「私たちだとしたら全然気付かなかったよね」
「やっぱロッジの入り口にもエアブローぐらい設置してもらいたいよね」
程なく、トイレの方からちょっと大きな音がして静かになった。
「通してくださーい蜂がいまーす」
手の中でものすごい羽音がしている人を囲んで数人が戻ってきた。
出口近くに居た青年も慌てて横に避け、思わずプロテクターの口部が閉じているか確認する。何かのはずみで蜂に飛び込まれたらたまったものではない。
出ていく前に一団の一人が休憩所内に声をかけた。
「私らは多分警報フェロモン浴びちゃったんで、ついでに巣の場所探してきます。皆さんも気をつけて」
「気をつけて~」
「ありがとうございました!」
食堂に居た人たちに混じって最初に蜂から逃げてきた女性が一団にお礼を言う。
「多分もういないと思いますけど、念のためプロテクターの中もよく確認してくださいね」
そうして頼もしい蜂ハンターの一団は去って行った。
蜂に遭遇したら嫌なので青年は早々に依頼をこなすことにした。
E28の小松菜の植栽とE27の金糸瓜の採取依頼。ここE30から少し下ったエリアである。
エリアを移動する間、そこここでちょろちょろと水音がする。
そちらに目を向けると大きめのグラスのような容器に蓋を被せられており、下部から水が滴っている。
一見井戸でも汲み上げていると思うがそうではない。吸湿材で空気中の水分を集め、脱塩フィルターで濾過して流しているのである。
脱塩というと塩、塩化ナトリウムが真っ先に思い浮かぶ。
実際、このフィルターは基本的に海水を真水に変えるのに使われている。一方で他の無機塩類などにも適用でき、こうして純粋な水を取り出すことができる。
ここで使われているのは液体になる吸湿材である。液体になったそばから脱塩フィルターが吸湿材から水分を引きはがし、かなりの速度で濾過しているのである。
夏の日本で空気中の水分を利用すると人の背丈もない装置でちょろちょろとした小川ができるぐらいの高効率集水装置である。
多くの森林農場では集めた水は草木への給水の他、水路に注いで小型水力発電を動かしたり、涵養、つまり地面に水をしみこませて地下水を増やしたりする。
農場のあちこちに小川が流れているのはそういったわけである。
これらの仕組みにはペルーのアムナスと呼ばれる水路が世界中で大いに参考にされている。長大な特性を生かして豪雨が河川に流れ込む量を減らす他、積極的に涵養を行う事によって地下水を増やすことも行われている。技術革新後もなお伝統的農法の存在感を物語っている。
光の降り注ぐ林間にティーバッグみたいなものがたくさん風に揺れている。ただしティーバッグではない、どれもおよそ1.5リットルペットボトルから一抱え以上の大きさがある。小分けのお菓子の袋のように縦に連なっているものもある
一昔前なら異質さに目を見張られたであろう光景だが、近年人気の垂直農法の一つ、吊り下げ栽培である。
ごく軽量のプランターに土、苗が入っており、目の細かい防護網の中に固定されて吊るしてあるもので、プランターで育てられるような葉物を中心に様々な作物が作られている。袋の中でプランターのように育つものあり、支柱を建てられているものあり、盆栽の懸崖づくりのように垂れ下がっているものもあり、多様である。
ファンタジアフォレスト運営が開発した防護網の袋。作物を病害虫と動物の食害から守る事に定評があり、カビにくく、自然に還るとあって流行っている。
森林農法とはあまり呼ばれない。どちらかというと垂直農法の一種であり、ここでは自然界の複雑な生態系を考える前に、スケジュール管理の基本を体得するためのもの。森林農園の管理者の入門用として利用されている。
また、農場内の日照量や気温、湿度、降水量といった気象の記録調査に使われている。
袋型垂直農法は小規模なら園芸初心者にもおすすめの手法となっており、最近ではプランター栽培と同様に、ご家庭の窓辺に色どりを添えている。
そうしたわけで、森で風にそよぐティーバッグっぽい何か、という異質な光景ができあがったのであった。
青年が受け取った小松菜の苗も、非常に目の細かい洗濯ネットに土が入っている、といった風な形をしている。
『栽植場所はこちらのロープです。吊り下げ、給水チューブを接続したらロープを巻き上げてください』
ARガイドがプランターを吊るす場所を指定してくる。
ロープに吊るして給水用のチューブを繋ぐだけなので栽植も何もないのだが、栽植依頼なのだ。
プランターはそこそこ頑丈にロープに固定されているのだが、たまに台風の後などに『吹き飛ばされたプランターの回収』という管理代行依頼が出る。
『あちらにハンドルを挿し、ロープを既定の位置まで巻き上げてください』
支柱にあるロープの張りを操作するハンドルは手動式であり取り外し式である。
手動なのは電動だと不具合が出た時に修理が大変だからである。
取り外されているハンドルは栽植用具一式の中に入っていて、すべて同じ規格である。全員合い鍵を持っている状態でなぜ取り外し式なのかといえば、野生動物が偶然ハンドルを回して作物を採る方法を学習すると困るからである。
ハンドルを回していると、ふと大きめの虫が青年の目の前を横切った。
『クロスズメバチが近くに居ます。毒針を持っていますので注意してください』
外部カメラでそれを認識したARガイドが音声で注意を促す。危険に気付かず水分補給などでプロテクターを開かないようにするためである。
ちなみに画像認識は完璧ではなく、ARガイドも危険を見逃すこともある。ロッジの女子トイレの一件も恐らくそれである。
少し遠くの方から数人が話す声が聞こえた。
「そこか~! ハチって上の方に巣を作るんじゃないんだ~」
「ジバチっていうぐらいだから地面に巣を作るよ。すがり追いってやった事ない?」
「ない」
「な~い」
「ギルドに巣の場所連絡したから帰ろっか」
E30のロッジで蜂に対応していた人たちだったようだ。どうやら近くに蜂の巣があるらしい。
蜂の警報フェロモンの効果か、ものすごい勢いで蜂の群れにたかられているが、幸いプロテクターは万全に機能している様だ。
しかし安全とはいえ虫嫌いの人は勘弁願いたい光景だろう。
そうでなくとも山奥なので、大きな虫がそこら中に居る。蛇もいるし水路も多いのでカエルも居る。
そういうのが苦手な人は大抵ギルドの受付や屋内での苗の育成、返却された備品の洗浄、整理。
そうした作業は裏方仕事とはいえ、大型装置の使用や重量物を移動させる作業などでやはりプロテクター必須である。
なお、一番需要があるのは収穫物の洗浄加工である。
季節により多様な収穫物と作業量の変動に対応する事もあって、人力の作業が多いのである。
青年は虫は平気である。しかし怒り狂う蜂の群れは本能的な危機感を煽る。なるべく早く作業を終わらせ、移動することにした。
『ハンドルを回収してください』
内心は蜂に慌てていたのか、青年はロープ操作のハンドルを回収するようにARガイドに注意された。
次の採取依頼をこなすべくE27エリアに向かう。それとほぼ同時に捕獲依頼欄が赤くポップアップした。
『現在Eの28エリアでクロスズメバチの巣の捕獲依頼が出ています』
連絡を受けたギルドがスズメバチの捕獲依頼を出したようだ。
噂の金糸瓜は、若木がひょろひょろと生える日当たりのいい斜面に生えていた。いや、吊り下がっているため生っていたのほうが近いかもしれない。例によってティーバッグの様なネットに入っている。
『開花日を確認しました。採取できます』
ガイドの指示に従ってティーバッグ状のプランターをロープから外し、受付でもらったカート型コンテナに入れる。
大雑把すぎる収穫方法だが、これらの作物は素人が入れ代わり立ち代わり世話している状況。出来不出来はかなりばらつきがあり、規格外品も多い。
ならば何に使うかと言うと、ギルドに併設されている工場で保存のきく加工食品にする。
加工食品にすらできなければ動物の飼料やバイオマス素材や燃料にする。
法改正の他、加工の省力化や安全な廃棄物・廃水処理技術の確立があって成立した事業である。
一方で、一般に出回っている作物の需要を喚起するためか、知名度の低いと思われる商品は作業の合間にARガイドがアピールしてくる。
『金糸瓜は砂糖醤油など甘い味付けも合うそうですよ』
それはつまり水分を飛ばして砂糖を和えたらジェネリックかぼちゃモンブランができるのではないだろうか。期待に反して甘いきゅうりのような食感になるかもしれないが青年にとってはちみつキュウリはセーフである。試してみる価値はある。
元祖のレシピが栗とあってさつまいもやかぼちゃのモンブランは数が少ない。機会があったら一度試してみようと青年は頭の片隅に記憶した。ファンタジアフォレストではこのように、情報提供によってご家庭での消費を促しているのである。
「結構かさばる……」
採取用カートがあっさりいっぱいになってしまった。
ギルドに戻るにはどのルートを通るのがいいかとARガイドに相談する。
『現在地はE27エリアです。E25ラインまでの道は下り坂ですが、E26エリアに猪出没の報告があります』
ファンタジアフォレストでは家畜動物の脱走防止はしてあるものの、野生動物の往来を完全に塞いでしまうと生態系に影響があるため、家畜を特定エリアに隔離することで野生動物が行き来できる経路を作るシステムになっている。ファンタジアフォレスト内に野生動物が居るのは珍しいことではない。
とはいえ、遭遇してカートを狙われたりしたら面倒事必至である。青年は上り坂を上ってE30ラインまで引き返すことにした。
さて、ここE27エリアはまだ細枝のような若木が多く、非常に見晴らしがいい。日の光に恵まれている事から強い日差しの必要な作物も多く植えられている。
スイカなど今まさに収穫期といったものも多く、結構な人手が出ている。
鎧姿の人々が鈴生りの巨大ぼんぼりの様な袋を回収しているのは見慣れないとなかなか不思議な光景だ。若干ファンタジックに見えなくもない。
「あ、猪だ」
噂をすれば。青年の近くでスイカを回収していた人の言葉通り、斜面の下の方にイノシシが姿を見せた。
たまに鼻先で土を突きながら上ってくる。巨大ティーバッグが鈴生りの異様な丘で、人の姿を見ても森に逃げ込まない辺り、かなり図太い。
青年は近づかないように足早に斜面をのぼった。
だいぶ歩いたところで背後が騒がしくなる。
「うわー!」
青年が振り返ってみた時には誰かが猪に追われていた。
不用意に刺激してしまったのかイノシシの虫の居所が悪かったのかは不明だが、とにかく人が追いかけられている。パワーアシストも速いがイノシシも速い。
「横だ! 横に跳べ!」
周囲の声を受けて、追われる人は斜面上側に跳んで伏せた。
しかしイノシシもさるもの、数メートル行き過ぎた所で急に方向を変え、伏せた人が立ち上がる前に突進して、立ち上がろうとしていた所を撥ねた。
人形のように数メートル舞い、斜面をバウンドしながら転がり落ちていく追われていた人。イノシシは完全に興奮状態で、次は誰を撥ねとばそうかと構えている様に見える。
青年の周囲の人にも動揺が走る。
「やばくない?」
「狂犬病とかじゃないだろうな……」
それを見ていた青年の背後、斜面の上の方から人が駆け下りてきた。
イノシシの様子をギルドと通信しているようで、それらしい単語が聞こえる。
「ウォータージェットカッターの使用許可ください!」
横を抜ける時、青年にはそんな声が聞こえた。