第五話 どっちでも?
直久たちは、まず一つ目の怪しい場所を目指し、一階へ来ていた。
勝手に部屋を物色するわけにも行かず、一応オーナーに声をかけたところ、八重が同行してくれることになった。
「まずどっちから行くんだ?」
「どっちにする?」
直久の質問をそのままゆずるに和久は丸投げする。
「どっちでも」
ゆずるの返事は、いつものように相変わらずそっけない。
「だって?」
ははは、と和久は再び直久に向き直った。
「……んで、どっちにするんだよ」
「そうだなぁ~。直ちゃんは、好きなものは先に食べるほうだったよね」
「まあね、おなか空いてるうちに、食べたほうがさらにウマイ気がするわなぁ~」
直久が何も考えずに答えると、弟はにやりとしか表現できないような含みのある笑みを浮かべた。
「んじゃ、三階から行こうか」
「は? 今のって、そう言う話をしてたわけ?」
ぽかんとした顔をしていると、和久はからからと笑い声を立てて、足を進めだした。そして、直久にだけ聞こえる声でささやいてきた。
「三階の方が、嫌な気配が強いから。いきなりばったりボス戦かもしれないから、そん時はよろしくね。選んだのは直ちゃんだし~」
「はい!?」
「冗談だよ。行くよ~」
「……冗談にきこえねぇー……」
図面を見ただけではやはり屋敷の広さは実感できていなかったらしい。
「廊下……長っ!」
三階まで階段を上りきってから、廊下に出た直後、直久は率直すぎる感想を述べた。
二階の廊下と長さは一緒だというのに、二階にはある花瓶や陶器の飾りが無いためか、一直線に伸びた廊下が妙に長く見える。
それに、オーナーが説明していたとおり、しばらく客足が遠のき使われていないのだろう、掃除が行き届いていないような気もする。廊下の隅に埃がたまっているし、壁もザラついていて、何だかカビ臭い。
すると、和久が廊下の壁に飾ってある絵を指差した。
「この絵は何ですか?」
言われて初めて気がついた直久も、廊下の壁に視線を這わせた。三階の廊下の壁には、数メートル置きに何枚もの絵が飾ってあった。それも、全て、同じぐらいの年頃の少女の絵だ。
「この絵は、生け贄になった少女たちの肖像画だって聞きました。生け贄にされる前、その少女が生きていたという証に、必ず肖像画を描かれることになっていたらしいです」
写真のように描かれている彼女たちは、今にも絵から出てきそうだった。その目が何かを語りかけてきそうで、早くその場を立ち去りたくなる。
「あれは?」
直久の不安など気にも止めずに、ゆずるが指差すのは廊下の端。
「あの絵だけ、なぜ離れたところにあるんだ?」
日もあたらないような隅っこにポツンと一枚の絵が飾られている。 四人はその絵のもとに歩み寄った。
白い肌、長い黒髪、黒い瞳、赤い唇。日本人形みたいな少女。
「この子は最後の生け贄の──ううん、そうなる予定だった女の子だって聞いたことがあります」
八重はじっと絵の中の少女を見つめながら話し出した。
「明治時代に入って、人身御供などやめようと言うのが、大半の村人の声になりました」
しかしこの少女の父親は、人身御供をやめれば村人から金を集める理由がなくなってしまうと、それらの意見に耳を貸そうとせず、断固決行の意を示した。
そうして、代々の生け贄の少女たちにそうしてきたように、この少女にも肖像画を描き残してやることにしたという。
「そのために招かれた絵描きは、まだ若い青年で、絵を描いている長い時間の間、二人は……あの……えっと」
急にもじもじとして、顔を赤らめた。なぜか、直久にちらりと視線を送ってきた。
「恋に落ちてしまった……そうですね?」
その八重の視線を追って直久に微笑みかけた和久は、内心、八重ちゃん相手が悪いよ、見る目はあると思うけど、と思いながらも、八重の言葉をつなぎ話を続けるように促した。
「は、はい。えっと……でも、絵が完成すると、少女は生け贄にならなければなりませんでした。それで、この絵が完成した翌晩、二人は逃げ出してしまったのだそうです」
「やるなぁ~。駆け落ちか!」
格好いいと言わんばかりの直久に、八重は苦笑した。
「でも、すぐ見つかってしまって、二人ともその場で射殺されてしまったそうです」
(しゃ、射殺……!?)
その威力のある二文字に、息をつまらせたのは、直久だけではなかた。
(な、何も殺すことはないだろう……)
現代ならば、ありえない話だ。でもそれが平然と行われていた。彼女らが生きていたのは、そういう時代なのだ。
改めて直久はその肖像画を見上げた。
少女は白い椿の花が咲く庭で楽しそうに笑っている。その笑顔の先には、この絵を描く青年がいるのだろうか。
ふと、視線を下げると、その絵の下の方に記されている文字がある。『ツバキ』と読めた。
「ツバキって、この娘の名前かな?」
その部分を指しながら和久が八重に尋ねると、八重はあやふやに頷いた。そして、まるでもうこの話はしたくない、というようにうつむいてしまった。
そこで、やっとゆずるが口を開く。
「あの部屋は?」
ゆずるは今いる場所とは逆方向の廊下の端を指差した。扉がひっそりとたたずんでいる。心なしか、その扉を見るゆずると和久の顔が一段と険しい気がした。
(その奥の部屋が、例の怪しい部屋なんだな)
二人から何も聞いていないが、持ち前の直感で直久はそう悟った。
しかし、不思議なことに、直久自身もなんとなくその部屋には近づきたくないな、と思った。なぜかはわからない。なんとなくはなんとなくだ。
きっと、長い廊下の端から端を見ているせいか、向こう側の端が薄暗くしか見えていなくて、何だか気味が悪いからかな、と自分を納得させた。
しかし、なかなか返事が聞こえてこないので、八重の方に振り向くと、彼女は何やらずっと遠くを見るような目つきで、その扉をじっと見つめている。
この廊下が薄暗いせいかもしれないが、顔色が悪いように思えた。
「──実は、あの部屋に、私とは6つ違いの兄がいるんです。……瞬と言います」
「お兄さん?」
もう半日近くこの屋敷にいるが、姉妹とオーナー以外の気配をいっさい感じてなかったため、双子は同時に驚きの表情を見せた。さすがのゆずるも眉をわずかに動かし、動揺を見せた。
「兄は、生まれ持った奇病のため、自分の足で歩くことができません。立つことさえも。それで、ずっとあの部屋に籠もっているんです。人と会うのを極端に嫌がるもので、大変失礼ですけど、兄のことはそっとしておいてください。さあ、下の階に下りましょう」
必死な表情で頼まれては、どうすることもできない。仕方なく、誰もが口を重く閉じ、八重に従って階段を下りた。
もう一つの疑わしき場所は、一階だった。
「あれ?」
一階の廊下で、見取り図を広げながら和久が小さく声を上げた。すぐ隣にいた直久がそれに反応する。
「どうしたんだ?」
「うん。ちょっと変だなぁ、っと思って」
「ああ?」
どれどれ、と和久の持つ見取り図を覗き込んだ。
二人の足が止まったのに、先を歩いていたゆずるも気付き、少し戻り、同じように覗き込んできた。
「ここが今いる位置なんだけど……」
細く長い和久の指が、見取り図の上を滑る。それから、目の前の扉を指した。
「この見取り図には、この扉がないんだ。描かれていないみたい」
確かに、その扉は見取り図にはないものだった。図面では、そこは隣の部屋と一体化しているように描かれているが、不自然にドアが二つ並んでいて、内部で二部屋に仕切られていると、想像するに容易い。
(オレだってアヤシイのは丸わかりだ)
図面に無いものが、ここにはっきりある。
直久は、まるで謎かけのようなこのドアの存在に、強い興味を持った。隠そうとされると、知りたくなるものだ。
が、弟は直久とは違う次元で、このドアの存在が気になったようだ。
「ゆずる……」
何かを訴えるような目で、和久がゆずるを見ている。それを受けたゆずるは、どこか落ち着かない表情でぼそりと言葉を返した。
「嫌な感じがするな」
「うん、僕も。それで、さっきからドアの向こうを霊視しようとしているんだけど、真っ暗になっちゃって、ダメなんだ」
少し語尾が震えたような気がして、直久の弟を見つめる視線に、心配の色が加わる。
「もしかして……」
恐る恐る直久は口を開くと、弟がその言葉をつないだ。
「この部屋が一ヶ所目だね」
その時、一瞬、直久の全身の皮膚の毛がざわめいた気がした。
(な、なんだ。この感じ……さっきの嫌な感じに似てる……)
ゆずるの部屋で感じた、あの感覚に──。
それは、見えない敵に対する恐怖からなのか。それとも、別の何かを感じ取ったからなのか。
「何かご存じですか?」
八重に問いかける和久の声が聞こえてきて、直久は我に返った。
(やべぇ……オレ相当ビビってるな……)
ごくりと直久の喉がなり、飲み込んだ唾で、いつのまにかカラカラになっていた喉が少しだけ潤った。
「そこは……私も、たぶん両親も分からないです。この扉はずっと以前から開けられていないみたいで……」
と、八重がそのドアのノブに手をかける。 ノブはカチカチと小さい音を立てるものの、一向に回らない。
「何十年も前に鍵をなくしてしまったのだと聞いています。それ以来開かないのです。誰も扉を壊してまで開けようとは思わなかったようで、開かずの扉として放っておかれています」
(開かずの扉──)
直久だけではなく、一同の視線がドアに集中する。
「それに……」
八重は、唇を小刻みに震わせながら、かすかに聞こえる声で続けた。
「言い伝えでは……ここは──」
「生け贄にされた女の子たちが使っていた部屋────違いますか?」
和久が、口ごもる八重の代わりに、きっぱりとした口調で言い放った。
八重は明らかに強張った表情で、やっとのことで首を縦に動かしている、というように肯定してみせた。
(ここか……)
先ほどまでとはまた、数段も強まった恐怖をこめて、直久はその開くことの無いドアを見つめた。