第二話 節操無いな
「どうぞ」
差し出されたカップを受け取って、さっそく暖かいコーヒーを飲もうとした直久は、自分を執拗に伺う視線に気づき、顔を上げた。
ふわふわとした綿菓子のような印象の可愛らしい少女と目が合う。少女は、直久と視線が交わると、ぱっと目を逸らしてしまった。自分たちよりも幼いからだろうか、初々しいそんな姿も、直久を虜にする。
「双子は珍しいですか?」
柔らかな笑みを湛えながら、直久の隣から和久が問う。
「こら、八重。そんなにジロジロと見つめたら失礼でしょう」
お茶菓子を持った、別の少女が部屋へ入ってきた。こちらの少女も、息を呑むほどの美人だ。八重と呼ばれた少女と、どことなく似ている。彼女の姉だろう。
だが、妹とは、その纏う雰囲気が違う。妹の方は柔らかな暖かな雰囲気で、春の陽だまりのようなイメージだが、姉の方はどこか物悲しく、切れ長な瞳がクールな印象を持たせている。
「いいんですよ。慣れてますから。一卵性双生児なので、よく似ているでしょう?」
「ホントに見分けがつかないです」
八重は、兄弟へ交互に視線を送る。
「僕が弟の大伴和久です。こちらが、兄の直久。そして、従兄弟の九堂ゆずるです。……えっと」
「あ、ごめんなさい。私は、このペンションのオーナーの娘の、山吹よしのです。こちらは妹の八重」
すると、それまで口を閉ざし、興味なさそうにあさっての方を向いていたゆずるが、ぼそりとつぶやいた。
「桜か……」
「え?」
よしのが聞き返すが、ゆずるはそっぽを向いたまま、返事をしようとしない。姉妹たちは、困ったように顔を見合わせた。
(たく、愛想がなさ過ぎだろう! 今に始まったことじゃないけどさ)
直久は、ゆずるの冷たい態度に眉をひそめる。が、先にフォローに回ったのは和久のほうだった。
「気にしないでくださいね。仕事の前のゆずるは、いつもピリピリしているんです」
「そうですか……」
少し表情を和らげた少女たちだったが、どこかすっきりしない気がするのは直久だけだろうか。
何か一言、ゆずるに言ってやろうと口を開いた時だった。応接間のドアが開いて、男性が姿を見せた。
「すみません、お待たせしました」
このペンションのオーナーであり、依頼人の登場であった。
オーナーが娘たちに視線を送ると、姉妹は静かに応接間を後にした。これから、詳しい依頼の説明があるのだろう。
ならば……。
(オレも退散するか)
すくっとソファーから立ち上がって、直久も部屋を出て行こうとするので、和久がその背中に声をかけた。
「直ちゃん……?」
「オレが聞いたところで、意味ねぇし。雑用係は外で待機してます」
「雑用だなんて……」
「終わったら呼んでくれ~」
ひらひらと手を振って、直久は部屋を後にした。
実のところ、退屈なオッサンの話を聞くより、女の子とお近づきになるほうが、建設的だと判断したのだ。
野生のカンというか、男のカンを働かせて、難なくテラスにいる八重を発見した。植木の水をあげている姿は、見とれるほど可愛らしい。
「八重ちゃん」
「あ、えっと……」
双子のどちらか見分けがつかないのだろう。八重は困ったようにうつむいてしまった。
「直久。兄の方だよ」
「ごめんなさい。見分けがつかなくて」
「気にしないで、それが普通だから」
彼女のそばにある白い椅子に腰掛けると、直久はにっこりと微笑みかけた。直久が、これが一番の自分のキメ顔だと思い込んでいる顔だ。
「ありがとう。直久さんは、お父さんとお話しなくていいの?」
「ああ。いいんだよ。あっちはあの二人にまかせておけば」
「そう……」
突然、彼女の顔が曇り、今にも大粒の涙の雨が降りそうになる。
キメ顔で、彼女の心を落とそうと思っていたのに、まさか彼女のテンションが落ちるとは思っても見なかったので、直久は慌てて彼女の顔を覗き込んだ。
「ど、どうしたの?」
「…………」
「八重ちゃん?」
直久は、どさくさにまぎれて、八重の細い肩に手を伸ばそうとした時だった。逆に八重の方が、直久の胸に飛び込み、泣きじゃくり始めたではないか。
「ええええ!? ちょ、え? えええ!? 八重ちゃん!? あの、その、落ち着いて! オレまだ何もしてない!!」
おたおたとしながら、どうすることも出来ずに、直久はしばらく立ち尽くした。時折、彼女の背中を、ぽん、ぽん、と叩きながら。
「ごめんなさい。洋服汚しちゃったね」
「いいのいいの」
すっかり目を腫らした八重は、照れ隠しのような、泣き笑いを見せた。
「それより、どうしたの? オレでよければ話を聞くよ」
八重は、少し考えてから、再び口を開いた。
「お姉ちゃんが……」
「えっと……よしのちゃん?」
八重はコクンと頷く。
「お姉ちゃんが、このところずっと変なの」
「変?」
直久は、応接間で会ったよしののことを思い返してみた。自分と年は変わらないように見えたが、実にしっかりとしていて、大人びた印象だった。どこも、おかしいところなど思い当たらない。
どういう意味だろう、と、八重の返事を目で促す。
「初めて、変だと思ったのは、お姉ちゃんの十六歳の誕生日だったの。三人で夕ご飯を食べていて、台所に飲み物を取りに行ったお姉ちゃんが、戻ってこないから様子を見に行ったのね。そしたら──」
恐ろしいものでも見たような表情で、八重ちゃんは言葉を切った。その時のことを思い出して、声を詰まらせたのかもしれない。
「そしたら?」
大丈夫だよ、と直久は八重の肩に手を置いた。
「そしたら、お姉ちゃんは……固まって動かなくなっていたの」
彼女の話によると、よしのは飲み物を取ろうと、冷蔵庫に手をかけ、ちょっとかがんだ姿勢のまま動かなくなっていたそうだ。いくら呼んでも、揺すっても反応がなく、それはまるで──。
「──人形になっちゃったみたいだった……」
魂の抜けた、イレモノ。
(なんてこった……)
直久の背筋を、ぞくりと冷たいものが走っていった。
(いや、でもまて。さっきは普通に動いていたじゃないか)
「しばらくして、もとにもどったんだね?」
直久の問いかけに、八重は首を縦に振る。
「私がお父さんを呼びに行っている間に、もとにもどったの。でも、その日から、度々お姉ちゃんはおかしくなって……動かなくなる時間も回数も、増えていってる気がするの」
「そうか……それで、オレたちが呼ばれたんだね」
(きっと二人も、オッサンから詳しい話を聞いてるんだろうな……これは結構厄介かもしれないぞ)
うっかり直久の口からため息がこぼれる。
八重はそれを過敏に聞き取り、不安げに直久を見上げた。
「お姉ちゃんは……治るよね? 治してくれるよね?」
こんなとき、直久は自分の無力さを痛感する。
役に立たない。
いらない。
何で生まれてきたんだ。
自分自身にそう言われている気がする。
「大丈夫。オレの従兄弟と弟がきっとよしのちゃんを治すから」
苦笑いにならずに、自然に笑えたかな、と少し思ったその時。人の気配がして、和久とゆずるがテラスに姿を現した。
どうやら仕事の話が終わったらしい。笑顔でこちらに近づいてくる。
「山吹さんが今日泊まる部屋に案内してくれるって……って、なにその手……」
和久の刺すような視線が、八重の肩に乗せられた直久の手に注がれている。
「うわっ、いやっ、これは!! ねっ!!」
「…………」
タイミングよく、八重ちゃんが頬を染めたので、ますます和久の目が細くなった。
「節操ないな。行くぞ、カズ」
ゆずるのはき捨てた容赦ない一言よりも、軽蔑するような視線を向けたままゆずるの後を追った和久の姿に、直久は戦意すら削がれ、がっくりと肩を落とした。
「……あの」
「大丈夫、こういう扱いには慣れてるから。
「はあ……」
「さて、オレも一緒にいってくるね」
「はい……お姉ちゃんを、よろしくお願いします」
力なく笑い、直久はテラスを後にした。