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九の末裔 ~寒椿~  作者: 日向あおい
22/24

        寒椿(4)

「アヤメさんは、ただのんびり生きてきたわけじゃない。ずっとずっとツバキちゃんを助けたかったんだよ!! でも、怖くてできなかったんだ」

 清次郎の手を取るのも忘れたように、ツバキが直久をじっと見つめている。

「一人ではできないから、だからっ!! アヤメさんはツバキちゃんと一緒にならできるって、一緒に説得しようってっ!!」

「嘘よっ!!」

 直久のことが見えていない清次郎は、ツバキが突然叫びだしたので、びくりと体を硬直させる。

 それでもかまわず直久は続ける。

「嘘じゃない!! だったら、なんでアヤメさんは戻ってきたと思う!?」

 ツバキの顔に小さな動揺が見えた。

「あのまま、アヤメさんが君の部屋にもどらなかったら、君はこうやって逃げることができなかったはずだ。でも、なんでアヤメさんはわざわざ君の部屋に行ったと思う!? そのまま朝まで放っておけば、ツバキちゃんが生け贄になるってわかっているのにっ!!」

 あの時、アヤメは戻る必要などなかった。ツバキを助ける気持ちがなければ、生け贄になるために部屋に戻ったツバキを追って、ツバキの部屋を訪れる必要などなかったのだ。

 再びツバキを部屋に閉じ込めさえすれば、予定通り儀式はツバキを生け贄として行われるのだから。

 それでも、アヤメは行った。

「君を、助けたかったんだ」

「…………うそよ……」

 ツバキの視線が、頼りなげに宙をさまよう。

「嘘なものか!! あの時、アヤメさんは君に何て言った!? もうここに居る必要などない、そう言っただろう!?」

「でもっ!!」

 ツバキは直久をしっかりと見据えた。その瞳にいっぱいの涙を浮かべて。

「生け贄は……アヤメがかわりにやるって……言っていたわ」

「そうでも言わなきゃ、君はあの部屋を出ようとしない、そう思ったんだろう? アヤメさんは、君を自分の部屋に匿うつもりだったんだよ」

「……アヤメが……私を……?」

 直久は息を短く吐いた。肩の力が抜ける。

「そうだよ。だって、君たちは双子だろう。君がアヤメさんを心配するのと同じように、アヤメさんだって君の事をずっと心配していたに決まっているじゃないか」

 よく似た姉妹なのだから。

 顔かたちだけじゃない。お互いを思いやる、優しいところまで。

「戻ろう、アヤメちゃんのところに」

 直久は柔らかく笑った。

「でも、私……アヤメにひどいことを……」

「分かってくれるよ……君の妹だろう?」

 いたずらっ子のように直久が微笑みかけると、ツバキはつられて口はしを少しだけほころばせた。そして、視線を清次郎に移し、柔らかに微笑む。

「清次郎さま。行けないわ……妹を助けなくては」

「え? ツバキ!?」

 一人わけが分かっていない清次郎は、きょとんとしたままツバキに手を引かれるように、屋敷の方へ二、三歩足を運んだ。

 その時だった。

「早く、あそこから出してあげ─────」

 ツバキの顔が瞬時に凍りつく。

「居たぞっーーっ!!」

 直久の目にも、それははっきりと捉えられた。純白の雪の絨毯をぐちゃぐちゃに汚しながら、銃を持ってツバキと清次郎を取り囲もうとする村人たちの姿が。



◇◆



 ツバキたちは、あっという間に村人に取り囲まれた。

「どこへ行く、アヤメ」

 最初にツバキに声をかけたのは、父親だった。しかし、その顔は、今までツバキに一度も見せたことの無いほど、恐ろしく怒りに歪んでいた。

「大切に大切に育ててやったというのに、こんな男とどこへ行こうというのだ」

「お、お父様?」

「さあ、帰るぞ。お前のような、しょうもない娘は、遊廓にでも売り飛ばしてやる。そうすれば少しは金の足しにもなろうよ」

 鬼のような形相の父に腕をつかまれ、ツバキは震え上がった。その父の手を清次郎が振り払う。

「あなたは、自分の娘をなんだと思っているんですか!!」

「黙れ小僧!! ぶっ殺してやるっ!!」

 怒り狂った父が、清次郎を突き飛ばした。清次郎は雪の上に投げ倒される。その清次郎に向かって、父が銃を構えるのが目に入った。

 全ての動きがツバキにはゆっくりに見えた。

 撃たれる!!

 清次郎さまが撃たれる!!

 私に、外の世界を教えてくれた。外の世界に連れ出そうとしてくれた、大切な人が、殺されてしまうっ!!

「やめてえええええええっ!!」

 ツバキが清次郎と父の間に飛び出したのと、父が引き金を引いたのが、ほぼ同時。


 ────ズギューン……

  

 銃声だけが、雪の作る静寂の世界を引き裂いた。

 一瞬の間をおいて、ツバキの体が傾いた。

 ゆっくり、ゆっくり。

 仰向けに倒れていくツバキ。

 長い黒髪の一本一本が、粉雪と共に宙を舞う。

「ツバキ──っ!!」  

 名前を呼ばれている。

 大好きなあの人が、自分の名前を呼んでいる。

 返事をしなくては、と思った。思ったのに、どうして声が出ないのだろう。ツバキには、自分の体に力が入らないのが不思議でしょうがなかった。

「ツバキっ!! ツバキっ!!」

 清次郎の息を呑む音が耳元で聞こえたかと思うと、ふわりと自分の体が彼の腕に収まるのがわかった。そして、心配げに自分を覗き込む彼の顔が目の前に現れる。

(よかった、無事なのね。でも、泣かないで。私は、どこも痛くないわ。本当になんともない。大丈夫だから、そんな顔なさらないで)

 そう伝えたいのに、口が動かない。

 本当に自分は、どうしてしまったというのだろう。

「ツバキ……だと?」

 そこへ、驚きに満ちた父親の声が聞こえてきた。目の前にいる娘が、白い着物を着ていることに、ようやく気がついたのだ。

「お前、ツバキを連れ出したのか!?」

 父の声にあっという間に、満ちていく憎悪。 

 吐き捨てられた、言葉。


「─────おのれーーっ!!」


(やめて、お父様!! 清次郎さまを殺さないでっ!!)


 ────ズギュン ズギュン、ズギューン!!


 銃声が再び聞こえ、ツバキの大好きな人の瞳が大きく見開かれた。

 そう聞く間も無いくらいの、わずかの間をおいて、彼の体がぐらりと傾く。

 仰向けに倒れていく姿を、ツバキは必死で目で追った。


 そんな!

 嫌よ、嫌!!

 清次郎さま、死んでは嫌よ!!

 いやああああああああっ!! 

 

 ────ドサリ。


 完全に沈黙した清次郎のたてた重たい雪音だけが、ツバキに絶望を告げた……。



◆◇



 直久はただ呆然と男性が鬼の形相で清次郎に銃口を向けるのを見ていた。

 胸が真っ赤にそまるツバキと、彼女を抱きかかえ、男性を睨みつける清次郎。その回りには、幾重もの人垣の中の一人でしかない直久。

 いったい何がおきているのだろうか、と直久が思う前に、男性がその引き金を引いた。

 ためらうことなく。

 ひたすらに、清次郎を撃ち抜いた。

 何発も、何発も。

 まるで、全ての怒りをぶつけるように。

 雪に呑まれるように倒れ込んでいく清次郎とツバキ。だが、誰一人として、父を止めようとするものはいなかった。ただ、じっと、清次郎の息絶えるのを見つめているだけだった。

(────なっ!)

 むごい。

 むごすぎる。

 これが、現実におきたことだとういうのか。

 これが、人のすることなのか。

 あまりに凄惨な状況を目の当たりにした直久は、呆然と立ち尽くことしかできなかったのだ。

 そんな中、すでに息のない清次郎に全ての銃弾を撃ちつけてもなお、引き金を引き続ける男性の肩に村人の一人が、いたわる様に手を置いた。男性は、我に返ったようになり、苦々しい顔で村人を振り返る。そして、搾り出すような声で言った。

「……行くぞ」

「ぎ、儀式はどうするんですか?」

「生け贄? これで十分だろう? 谷から突き落とすのも、銃で殺すのも、娘が一人死ぬことにはかわらん。行くぞ」

 かける言葉が見つからないのか、村人たちは顔を見合わせると、無言で男性の後に続いてその場を立ち去る。残された直久は、ふらふらとおぼつかない足で、雪の上に横たえる二人のそばへと近づいていく。ツバキの前までくると、がくりと膝を折った。

「……ツバキちゃん……」

 呼びかけにツバキは答えない。

 目に一杯の涙を浮かべ、彼女の大きな瞳が一瞬だけ直久をとらえたような気がした。

 直久は震える手をツバキの口元に運ぶ。かすかに息があった。

「よかった……」

 直久は小さく息を吐いてから、少し視線をずらし、清次郎を見た。その瞳は、かっと見開かれ、整った彼の顔とはまるで別人な気がした。その額に、くっきりと被弾の跡がある。一発で即死したに違いない。

 僅かな間だけ、直久は目を伏せると、そっと清次郎の瞼を手で閉じてやった。


 ────……直……ちゃん……


 直久は再び耳を疑った。突如、ツバキの声が聞こえてきたのだ。

 でも、耳にではない。頭の中に直接響いてくるかんじだ。まるでテレパシーのように。

 思わず直久は、ツバキに視線を落とした。

「ツバキちゃん!?」


 ────直ちゃん……お願い


 再び声が聞こえたが、やはりツバキは唇を少しも動かしていない。しかし、直久はツバキの声だと確信していた。

「ツバキちゃん!? しっかりして!」

 ツバキの、紫色になってしまった唇が小さく動いた気がした。だが、声にならない。自分に伸ばされたツバキの手を直久は膝を着いて受け取った。優しく両手で包み込む。

 そのツバキの細い手から、彼女の気持ちが流れ込んでくるのが分かった。

 これでいいの。

 私はもう、これでいいの。

 暖かな、柔らかな、ツバキの心が直久に伝わってくる。

 私は満足よ。あの部屋の外にも出たわ。それに、愛した人と死ねるの。

 ずっと一緒にいられるの。

 もう十分だわ。

 だから────。

 ツバキは、痙攣しながら直久に握られていた自分の手をゆっくり開く。

「……鍵……あの部屋の?」

 ツバキは直久を見つめ続ける。再びツバキの唇が小さく動く。

 直久は必死でその唇の動きを読んだ。

 でも、読まなくても分かる。

 ツバキが願う、最後の心。

 命の最後に、思う大切な人。


 “アヤメをたすけて────”


 直久はあふれてくる涙をこらえることができずに、天を仰いだ。はらはらと舞う雪。零れ落ちる直久の心の雫。

 ぐっと歯を食いしばり、片手で涙をぬぐうと、直久はツバキをもう一度見やり、力強くうなずいた。

「オレが助けるから」

 鍵を強く握り締め、直久は駆けだした。必死で駆けた。

 


◇◆



 ツバキはその遠ざかる直久の背中をいつまでも見つめていたいと思った。

 でも、もう瞼も重たい。

  

 ねえ、アヤメ。

 私はアヤメになりたかったわ。

 私の妹。

 私の光。

 私ではない私。

 私とはまるで違う少女。

 ねえ、アヤメ。

 今度もまた私はあなたの姉妹でありたいわ。

 でも次はもっと色々な話をしましょう。

 もっと、一緒に笑って。

 もっと、一緒に泣いて。

 もっと、もっと─────……


 もう二度と動かないツバキの姿は、鮮血で真っ赤に染まり、まるで白銀の世界に浮かび上がる椿の花のようだった。 


 ────寒椿。

 それは、この白い雪の上に、妖しいほど美しい花。

 美しく咲いた次の瞬間、ポトリと地面に落ちるその花を、人々は首が落ちるようだと気味悪がるが、 本当にこの花は美しいのだ。

 白の上に浮き出るような鮮やかな朱。

 悲しくも、切なく、美しい。

 そして、懸命に生きていたことを讃えるように咲き誇る花────。



◇◆



 直久は、必死に駆けた。

 涙で前が見えない。

 体が怠く、重くなっていくのを感じた。

 思うように走れない。

 それでも、必死に、足を前に進ませた。

 

 ────…………っ!


 心なしか、辺りの景色がぼやけていくように思える。涙のせいばかりではないようだ。

 扉が見えた。アヤメのいる部屋の、あの、生け贄にされる少女たちの部屋の扉が。

 だが、その時、襲いかかるように白い光が直久を包んだ。  


 ────直久ーーっ!!

 

 薄く開いた目に真っ先に飛び込んできたものは、青ざめたゆずるの顔だった。

「直ちゃんっ!! 僕のことわかるっ?」

 続いて和久の顔。

「……かっ……」

 弟の名前を呼ぼうとしたが、なぜかうまく声がでない。

「よかった、気が付いて」

 ここは……?

 キョロキョロと視線だけを動かし、状況確認につとめる。それで、自分に抱きついているゆずるの姿に気がつき、そっとゆずるの手をどけて、ゆっくり身体を起こした。

 戻ってきたのか。

 ツバキの記憶の世界から。それは、同時にツバキの悪霊もいなくなったということ。

 満足した、もう十分だと。ツバキがそう思ったから、悪霊は苦しみから解放されたのだろう。

 でも──。

 直久は唇を噛み締める。

「直ちゃん、大丈夫?」

 心配そうに覗き込んできた和久に、無理矢理に笑顔を返したものの、悔しくって仕方ない。

 結局、何もできなかった。アヤメを助けられなかったのだから。

 俯いた直久の手に、そっとゆずるが手を重ねる。ゆずるらしからぬ行動にびっくりして、反射的にゆずるを見上げる。

 ゆずるは直久の握り固められた拳を自分の手で包み、そっと胸の高さまで持ち上げる。

 直久はその拳の中に異物を感じて、ゆっくりと手を開いた。

「ああ……」

 その金属の正体がなんだかすぐに直久にはわかった。目頭が一気に熱くなり、あっという間に涙がこぼれそうになる。

 こんなに錆び付いていただろうか?

 いや、そんなことはどうだっていい。

「…………っ!」

 直久は再びそれ──鍵を握り締めると、駆けだした。

「直ちゃんっ!?」

 後から追いかけてくる和久の声も、今の直久には届かない。

 早く、早く。

 階段を駆け下りて、あの部屋に。

 一刻も早く、あの部屋に――彼女の元へ急がないと!

 直久は例の扉の前で一旦足を止めた。

 鍵を持つ手が震える。

 百五十年以上その役目を忘れて、錆付いた鍵穴は、なかなかその主を受け入れようとしない。直久の気持ちばかりが逸る。


 ──カチッ。


 ようやく鍵が開く音が、廊下に響いた。

 直久は一呼吸付いてから、扉をゆっくりと開いた。

「…………っ!」

 あれから、いったい、どれほどの月日が流れたのだろう?

 彼女は、ずっと、ずっと、直久を待ち続けていた。

 待っていたんだ。

「……ううっ」

 はらはらと、直久の頬を涙が伝っていく。

 扉の内側には、何度も何度も引っ掻いた痕があり、剥がれた爪が扉に刺さっていた。

 至る所にある黒ずんだシミは血だろうか。

 扉のすぐ側で、彼女は力尽きていた。

「……っ……アヤメさんっ……」

 直久はたまらず、ボロボロの赤布を纏った一体の人骨の側で、膝を折って泣き崩れた。

 苦しかったに違いない。

 寂しかったに違いない。

 それでも、ずっと待っていたんだ。

 直久が助けにくるのを、ずっと。

 力尽きても、こんな姿になっても……。

 自分だけを、待っていたんだ。


「こんなに待たせて、ごめん。……ごめん、アヤメさん」

 

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