どっからどうみても、オレはイケメン高校生でしょう? (3)
◇◆
アヤメはその扉の前に立っていた。一階にあるというのに、奥まった場所にあるせいか、それとも生け贄として死んでいく娘たちへの罪悪感からか、この扉の前に姿を見せるものは、ほとんどいない。
アヤメたち双子の両親だとて、自分の娘が生け贄となるというのに、年に数回ほどしかこの部屋の鍵を開けることはない。
この十六年間、ほとんど毎日のように、汚物を片付けたり、部屋を掃除したり、食事を運んだりと、ツバキの世話をしていたのは、口の聞けない村の老婆だった。
もちろん、今までアヤメがこの扉を開けて中に入ったことは、一度も無い。
そして、それは今日が最初で最後になるのだ。
「…………開けるわよ」
アヤメは背後をちらりと振り返った。アヤメの二歩後ろにいた直久が、彼女をじっとみつめたまま、深く頷いた。それを受けて、アヤメも頷き返す。
自分の手の震えを直久にばれないように必死で隠し、鍵穴に差し込んだ鍵をゆっくり回す。
──ガチャリ……。
不気味に静まり返った廊下に、鍵の回る音が、妙に大きく響いたように感じた。
「…………」
これから自分のしようとしていることがどんなに醜いことなのか、それは自覚していた。
でも、心はもう止められない。
もう、後戻りはできない。するつもりもない。
「行こう……一時になっちゃうよ」
なかなかドアノブに手が伸びないアヤメを、直久は促した。
「そうね。ぐずぐずしてはいられないわ」
意を決したように、アヤメは扉を押し開いた。
扉の向こうに見えたのは、地下へと続く階段だけ。
「地下室……だったの……?」
アヤメはごくりと喉を鳴らせた。
「……この下かな」
「会ったんじゃないの?」
「まあ、その、色々省略したみたいで……てか、君こそ、部屋に入ったことないの?」
「ないわ」
ぴしゃりと言い放ち、アヤメは階段を降り始めた。だが、階段は暗く、足元も見えない。
壁伝いに行こうと、手を伸ばせば、土壁の冷たさに、どきりとした。
「…………」
それでも、震える足を、なんとか前に進める。
コツン……コツン……。
アヤメの足音だけがこだまして聞こえてきた。結構、深い地下室だ。
(……こんなところに……本当にツバキはいるの……?)
暗闇。
寒気。
孤独。
不安。
絶望。
アヤメが過ごしてきた地上の日常は、ここにくらべれば楽園かもしれない。
「大丈夫……?」
なかなか思うように進まない足を、引きずるようにしているアヤメを、直久が心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫だったら!」
「…………」
きっと今、自分は真っ青な顔をしているに違いない。
怖い。
怖い、怖い、怖い! 怖い!!
ツバキに会うのが、怖いっ!!
アヤメは、涙腺が勝手にゆるみ、涙がこぼれそうになるのを必死に耐えた。
ガタガタと音を立て震えそうな歯を、必死にかみ締めた。
「あ……」
直久の声に、アヤメははっとなって、前方を見た。もう少し階段を下ったあたりだろうか。急に、前方がうっすらと明るくなった気がしたのだ。そして、その薄明かりの方から声がした。
「誰?」
アヤメは息を呑んだ。自分の声が聞こえたからだ。でも自分は声を発していない。
つまり、今の声は────。
(……ツバキっ!)
「あ、やっぱりこの先だったんだね」
ツバキの声を聞いた直久は、急に元気を取り戻したように、足も軽やかになって階段を下りていった。そして、薄明かりの中に消えていく。
「やあ、ツバキちゃん。オレのこと覚えてる?」
「まあ、えっと、イケマンさんでしたからしら」
「おっしぃ~。イケマンてなんだよ。イケメン、イケメン!! ていうか、それ名前じゃないから。オレは直久!」
「あら、名前ではなかったのですか。申し訳ありません。直久さまですのね」
「“さま”はやめてよ~。なんかくすぐったいや。直ちゃんでいいよ、直ちゃんで」
ひとり真っ暗な階段に取り残されたアヤメは、放心したようにその二人の会話を聞いていた。
(……な、なんなの、この軽いかんじ……)
アヤメは急に、ひとり怖がって前に進めなかった自分が、馬鹿みたいに思えてきた。
ふう、と小さくため息をつくと、今度は軽やかに階段をくだり、アヤメも部屋の中に足を踏み入れた。
「ああ、アヤメちゃん、遅い遅い~! やっと来たよ」
直久の声に、ツバキがゆっくりとアヤメを振り返った。
アヤメの心臓が跳ね上がる。
「ツバキ……」
暗闇に目が慣れたせいか、部屋の中は意外と明るく感じた。ツバキが夜着をまとい、長い髪を下ろして、直久の前に立って、じっとアヤメを見つめている姿も、はっきり見える。
アヤメは自分が石になってしまったのではないかと思った。
足が動かない。それ以上部屋に入ることが出来ない。
そんなアヤメとは対照的に、ツバキはアヤメから視線を離さず、ゆっくりとアヤメに近づいてくる。
────コツ……コツ……。
木製の床が、乾いた音を立て、ツバキの後についてくる。
「…………」
目の前にたどりつくと、ツバキはピタリと足を止め、まじまじとアヤメを見つめた。
アヤメはごくりと唾を飲み込む。
怖かった。
全てを映し出す鏡を見ているようで。
今から自分がしようとしていることを、すべて見透かされてしまっているようで。
何か言葉を繰り出そうと、アヤメは口を開く。
「……っ」
が、声が出てこない。
と、そんなアヤメを観察するように見つめていたツバキが、ふいに笑顔になった。
「アヤメね」
「…………」
「いつも、アヤメは心配して声をかけてくれる。だから、好き。会いたいとずっと思っていたのよ」
満面の笑みを浮かべたまま、ツバキはがしっとアヤメの腕を掴んだ。そして、ぐいぐいと部屋の中へと引っ張りこむ。
「あっ」
慌てるアヤメにかまわず、ツバキはアヤメを部屋の中央にあるテーブルセットの椅子に座らせた。
「来てくれて嬉しいわ! お茶でも飲みましょう」
「ま、待って! 話があるのよ!」
「ええ、だからお茶を入れるわ。話をするときは、お茶を飲みながらだと清次郎さまに教えてもらったもの」
「清次郎さま……?」
「ええ。清次郎さまはいつも色々な話をしてくださるのよ。ほら、いつも来る、ばあやは口が利けないでしょう?」
ツバキは直久にも椅子に座るように促す。一時までには、さほど時間がないのを自覚している直久は困ったような視線をアヤメに向けてきた。だが、アヤメはその視線に気づいてやれるほどの状態ではなかった。
「清次郎さまは、いつも本当にいろんな話をしてくださるの。甘いお菓子も持ってきてくださるわ。それで、星の話や、花の話。ああ、今は冬だから寒いのでしょう? 冬には雪がふって。雪は冷たい。白い。アヤメは雪を見たことがある?」
「…………」
アヤメは言葉を返すことができなかった。
怖い。
この子は、どこまで知っているの?
(でも……ツバキ……あなたには清次郎さまは渡さない……)
アヤメは、静かに目を伏せた。
「……じゃあ、今からその雪を見に行きましょう」
「え?」
「あなたをここから外へ出してあげるわ」
アヤメは自分の組んだ指を見つめながら言った。それで、かすかに指が震えていることに、気がついた。
「オレらは君をこの部屋から外へ出すために来たんだよ」
直久がアヤメに口裏を合わせてくれた。
「でも……」
彼女がこの部屋から出ることは許されない。彼女の中では神よりも絶対的な存在である父の命令だ。けれど、外の世界は見てみたい。そんなツバキの葛藤が、手にとるようにアヤメには伝わってきた。
「雪を見に行きましょう?」
アヤメは笑う。必死に笑う。
その笑顔のアヤメと直久に安心したのか、やっと首を縦に動かした。
「そうと決まれば、急いで着替えなきゃ!」
直久は薄着のツバキに着替えを促した。
「オレ、部屋の外で待ってるから、早くね!!」
アヤメが振り返った時には、直久の姿はすでになかった。まるで、壁や天井をすり抜けたかのように、消えていた。
しかし、直久のことにかまっている余裕はない。アヤメは、ツバキの着替えを手伝うことに専念する。
「でも、まって!」
ツバキは自分の白い着物に手を通しながら、アヤメを止めた。
「やっぱりダメよ。儀式は明日ですもの。私が居なくて儀式ができなかったお父様が悲しむわ。私はここに残る。アヤメは直ちゃんと雪を見てきて、ね?」
「大丈夫よ。心配いらないわ」
「ううん。私は明日の儀式を成功させて、神さまのお嫁さんになるのよ。お父様はそれだけを楽しみに私を育ててくださったわ。私もお父様の喜ぶ顔が見たいの。だから、行けない」
楽しみに育てた?
娘が死ぬことを?
十六歳になった娘を殺すことを?
「……」
アヤメは駄々っ子のようなツバキをまっすぐ見つめた。
いつの間にか清次郎との約束の時間は過ぎてしまっていた。このままでは、心配になった清次郎が様子を見に、ここへ現れるのは時間の問題だろう。それでは、何もかもおしまいだ。
清次郎が、ツバキだけを連れて逃げ、置き去りにされた自分がツバキの代りに生け贄にされてしまうのは、子供でも考え付くこと。
だから、何がなんでも、ツバキを外へ出さねば。
その後のことは、それから考えればいい!
アヤメの瞳に、一瞬、強い光が灯った。
(……清次郎さまと一緒に逃げるのは、ツバキ──あなたじゃないのよ!)
「わかったわ! 私が残る」
「え?」
「私がここに残るわ。あなたが戻ってくるまでの間、ここで待っているわ。もし、あなたが間に合わなくても、儀式は行われる。それなら安心でしょう?」
「……でも、儀式は私がずっと楽しみにしていたのよ?」
ツバキは心のそこからがっかりしたような顔をした。まるで、大好きなおもちゃを取り上げられた子供のように、しょんぼりと肩を落としている。
「それなら、戻ってくればいいわ、明日の儀式までに。でしょ?」
「……そうね。それならいいわ」
実に嬉しそうな顔をしているツバキを見て、アヤメは小さく息を吐いた。
(とにかく、なんとか外へでてくれそうね。あとは直久さんに任せよう)
直久との計画では、ツバキを山奥の小屋に住む、ばあやのところへ預けることになっている。ばあやにはもう話をつけてあった。
小さな頃から自分の孫のように育てきたばあやは、二つ返事でこの話にのってくれた。きっと、ばあやが大切に育ててくれるはずだ、今までもそうだったのだから。
「さあ、こっちよ!」
ツバキに白い着物を着せ終わると、階段を上がり、部屋の扉の前へと急いだ。扉をあけると、直久が待っていた。
「私はあとから行くから、先にばあやのところへ!」
直久にだけ聞こえるように、言うとアヤメはツバキを部屋の扉の外へと押し出した。
「さあ、ツバキ。行くのよ」
「…………」
不思議そうな顔をして、ツバキはアヤメを振り返った。
「……楽しんで。あなたの人生を」
そう言ったアヤメは、自然に微笑んでいた。
なぜだろう。
穏やかな自分がいいる。
全てが、これで終わるのだ。
これで、自分たち姉妹は全てから開放される。
馬鹿げた生け贄からも。
この家からも。
ツバキは山奥でひっそりと隠れて暮らさなくてはならないけれど、ここにいて死を待つよりはずっといいだろう。
自分も、生け贄の“万が一のため”として生きてきた人生から、開放される時がきたのだ。もう、十分だと思う。十分すぎた。
これからは、姉妹ともに、新しい人生を歩んで行こう。
そしてまたどこかで会えたら、その時は、一緒に笑い合おう。
「行こうっ、ツバキちゃん!」
直久に腕を引っ張られるようにして、ツバキが廊下を走り抜けていく。
白い着物を着たもう一人の自分の姿を、アヤメはじっと見つめていた。ツバキもずっと視線をはずさない。
(さようなら、ツバキ。幸せに。どうか幸せに……)
ついに、玄関からその二人の姿が消えたのを見届けると、アヤメも行動にうつった。
「清次郎さま……」
急いでアヤメは裏庭の方へ走り出す。
清次郎との待ち合わせ場所は、裏庭を抜け、裏門を出たところだった。
赤い着物の裾がはだけても、気にせずに全力で走った。
彼が待っている。
彼は自分を待っているのだ。
そう、私は今、この時から──ツバキなのだ!
「ツバキ!?」
裏庭を抜けたところで、アヤメは誰かに手を掴まれた。ぎくりとなってアヤメは身を縮ませる。だが、その人の顔を見て、これ以上の無い幸せをかみ締めるような笑顔になった。
「清次郎さま!」
アヤメは迷わず、清次郎の胸に飛び込んだ。清次郎もそれをしっかりと受け止める。
(ああ……暖かい)
夢にまで見た、清次郎の腕の中は、なんと心地がいいのだろう。
見た目によらずたくましい腕が、ぎゅっと自分を包み込んでいる。
こんな幸せを手に入れるためならば、一生自分はツバキとして生きていこう。
「よかった、ツバキ。遅いから、迎えにいこうと思ってたんだ」
「まあ、心配性ですのね」
アヤメはふふふと笑った。それにつられたように、清次郎も微笑んだ。彼も、ずっと緊張していたのかもしれない。
「さあ、行こう」
差し出された清次郎の手にアヤメはそっと手を添えた。本当に本当に、嬉しそうに。
「ええ。行きましょう」
二人は駆けだした。輝かしい未来と自由の待つ、外の世界へ――。