どっからどうみても、オレはイケメン高校生でしょう? (2)
◆◇
「アヤメさん……」
窓の外をぼおっと眺めていたアヤメは、突然背後から声をかけられ、びくりと体を震わせた。ソファーに座ったまま首だけを動かすと、情けない顔の少年がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。
「……あなたはさっきの……」
「今、ツバキちゃんに会ってきたよ」
彼はアヤメに笑いかけた。どことなく、影のある笑顔だった。
「ツバキに……」
「うん」
アヤメはそっと彼から視線をはずす。なんとなく、彼の瞳がまっすぐ見られなかった。
(あの部屋へ行ったのね……)
窓の外に目をやりながら、アヤメは小さくため息をついた。
どうやってあの部屋の中へ入ったのかは分からない。でも、彼の表情から姉に会ったのは真実であろう。誰だって、あの部屋に閉じ込められた姉を見れば、今の彼のような顔をする。
誰もが自分を責めている気がした。
卑怯者と。
全てを知っているくせに、姉を見殺しにする自分を。
「それで……用がすんだんでしょう?」
「ううん。何をすべきなのかはわかったけど……オレ一人じゃ、どうしていいかわからないんだ」
彼は、ため息をつきながらアヤメのすぐそばまでくる。そしてクルリと体を反転させ、そのまま床に座り込んだ。
「彼女を助けたいんだ」
「…………そう」
やっぱり、とアヤメは思った。
だから言ったのだ。助けが必要なのは姉の方だと。
彼が何者なのかは知らない。今だってどうやってこの部屋に入ってきたのか、わからない。部屋の扉が開いた気配はなかったし、だいいち、鍵がしまっている。先ほどだって、彼はいつのまにかこのソファーの上に寝転がっていたのだ。不審人物というよりも、この世の人ではない気がした。きっと山の神が使わした使者なのかもしれない。
主である神にふさわしい生け贄を連れて行く。それが彼の使命なのではないだろうか。
ツバキか。それとも……自分か。
清き心をもつツバキは可哀相だから、アヤメを連れて行こう。
そんなふうに彼は思ったのではないだろうか。
(もう、どうでもいいわ……もう……どうでも……)
楽になりたい。
幸せになりたいとは言わない。
生け贄のツバキが逃げないかどうか、怯える日々を早く終わらせたい。
「ツバキを助けてあげて……」
アヤメの声がかすれた。でも、本心だった。
この生活から開放されるなら。
自分が生け贄としてツバキの代りに死ぬのもいいかもしれない……。
そう思ったら、自然に口元がほころんでいた。
「うん。助けるよ」
遠くで彼の返事が聞こえた。
「一緒に、彼女を助けよう、アヤメさん」
「ええ……そうね。助けましょう……」
そうつぶやいたアヤメには、窓の外の真っ青な空に浮かぶ雲が、ひどくまぶしく見えた。
────コンコン。
ふいに部屋の扉が鳴いた。
アヤメは、窓を見上げたまま返事をする。
「アヤメさん……私です」
どきりとアヤメの心臓が跳ねあった。一瞬にして、アヤメの体中の血が猛スピードで巡りだす。
「は、はい。今、開けます」
彼に物陰にかくれるように指示すると、パタパタとはしたなく着物の裾を揺らしながら、アヤメは扉に駆け寄る。ガチャリと軽い音を立て、その部屋の扉は開かれた。現れたのは、さわやかな笑みを浮かべた青年だった。
「お話があるのですが、今よろしいですか?」
「はい、どうぞ」
にこりと柔らかに微笑む彼に、アヤメは嬉しさを抑えきれない。彼は今、自分に微笑みかけている。ツバキではなく、自分に。
「今、お茶をご用意しますね」
「いえ、お構いなく。すぐに済みます」
扉から一歩部屋に踏み入れたものの、清次郎は部屋の奥には足を進めようとしなかった。
「そう言わずゆっくりなさってください。さあどうぞ」
「嫁入り前の娘さんの部屋に、こんな、しょうもない男が長居をして、変な噂がたったらこまります。ここで。それより──」
どうしても、用件だけを済ませて退散しようとする清次郎に、アヤメの胸がズキリと痛んだ。それでも、アヤメは微笑んだ。
(いいの。こうして会いにきてもらえるだけで。それだけで、胸が弾むのよ。あなたはそれを知らないでしょうけど)
「アヤメさんにお願いがあるんです」
「なんでしょう。私でお役に立てることだといいのですが」
「アヤメさんにしか出来ないことです」
真剣な清次郎の眼差しに、アヤメは嫌な予感がした。
「ツバキさんが、どうしても明日の儀式で、アヤメさんの着物が着たいとおっしゃっているのです」
「……私の着物を?」
「はい。アヤメさんのいつも着ている赤い着物を着て、山神様の元へ行きたいと」
ツバキは清次郎をじっと見つめた。
彼の瞳が、かすかに揺れ動くのが分かった。その瞬間、ツバキの全身が、ぞわぞわとざわめき立った。
(……清次郎さま……まさか……)
返事をしないアヤメに、畳み掛けるように清次郎は続けた。
「大好きな妹と、神の世界へ旅立った後もつながっていられるように、とツバキさんは言っていました。私には、この彼女の願いをかなえてあげることしかできないのです。お願いできますか?」
彼の必死な思いが、アヤメに流れ込んできて、首を絞め上げられているように苦しくなる。
あなたは、やはりツバキしか見ていない。
私ではなく、ツバキのことしか考えていない。
私の着物をツバキに着せて、どうしようと言うのですか?
ツバキを“アヤメ”だと、周囲に思い込ませて、どうしようと言うのですか?
そして、それを私に言うのですね。
ツバキを連れて逃げる手伝いをしてくれないか、と。
ツバキの代りにお前が死んでくれ──と。
「わかりました」
アヤメはにこりと微笑んだ。
「今晩、私が彼女のところへ手渡しに行きます」
「え? あ……いや、私が頼まれたので……」
「いえ。私もツバキの生きた証として、彼女の白い着物がほしいわ。だから、私が持っていきます。だ大丈夫、こっそり行きますわ。お父様に知れたら大変ですものね」
有無を言わせぬアヤメに、困ったような顔をした清次郎。だが、アヤメの満面の笑みに安心したのか、それともつられただけだったのか。彼もしだいに笑顔になっていく。
「だって……ツバキを助けてくれるのでしょう?」
「……えっ!?」
どうしてそれを!?
完全に凍りついた清次郎の顔に、はっきり書かれている気がした。
なんてわかりやすい人なのだろう。もう少し、嘘の上手い、ヒドイ男だったらどんなに良かっただろう。
アヤメは、倒れそうなほどの激痛を胸に感じながらも、必死にそれを笑顔で隠す。
「私の着物を着たツバキを連れて、逃げてくださるのでしょう? 私も手伝います」
「……アヤメさん……」
「ツバキは私のたった一人の姉です。生きていてほしいと思って当たり前でしょう? もう二度と会うことができなくとも、どこかで幸せに暮らしていてさえくれば、それで十分ですわ」
清次郎はアヤメをじっと見つめている。真意を伺おうとしているのだろうか。
でも、そんな彼の視線など、今のアヤメには怖くない。この醜い心が彼にあばけるわけが無いのだから。
ついに、清次郎は観念したように、ふわりと笑った。
「わかりました。ではお願いします」
「ええ。私が今夜1時に私のこの赤い着物を、ツバキに着せます。そして、屋敷の外へと連れ出します。清次郎さまは、裏門のところで待っていて」
「わかりました」
そして、アヤメは今まで生きた中で、最高の笑顔を彼に向けた。それを見て、安心しきったように、彼は部屋を出ていく。その清次郎の背中を見送りながら、アヤメは自分の心はどんどんと黒い闇に侵されていくのを感じていた。
「……清次郎さま!」
振り向いた清次郎の笑顔が、まぶしくてアヤメは思わず目を伏せる。
「ツバキを……お願いします」
「はい。幸せにしてみせます。ご安心ください」
「…………ありがとう」
アヤメは深々とお辞儀した。もう隠しきれる自信がなかったから。
自分ではなく、ツバキのために生きようとしている彼に対する憎悪を。
何も知らずに彼をひとりじめできる、ツバキに対する妬みを。
そんな二人を自分一人の幸せのために利用しようとしている、醜い自分を。
──カチャ……。
静かに閉じられた扉。
顔を上げたアヤメの目には、決意がにじんでいた。
もう誰にも止められない。動き出してしまった運命を。
これしかもう方法はないのだから……。
「ねえ、そこのあなた、まだいる?」
背後を見ずにアヤメは話しかけた。
「直久。オレは直久」
返事があった方向を、勢いよくアヤメは振り返った。そして、はっきりとした口調で言い放つ。
「直久さん。助けましょう、ツバキを」
そのアヤメの顔には吹っ切れたような、すっきりした笑顔があった。
あなたがツバキがいいというのなら。
どうしても、ツバキがいいというのなら。
望みどうり逃がしてあげるわ────あなたと“ツバキ”を。