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九の末裔 ~寒椿~  作者: 日向あおい
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第九話 俺にかまうな(1)

「ちょっといいですか」

 直久は、屋敷のエントランスに足を踏み入れたちょうどその時、背後で和久がそう言うのを聞いた。振り返ると、和久がまっすぐな視線をオーナーに向けている。

(な、なんか切羽つまってない……?)

 和久の声色は柔らかだし、物腰も落ち着いている。だが、どことなく緊迫感を含んだ笑顔に、生まれたときから一緒にいる双子の兄は、ただならぬものを感じ取っていた。

「わかりました。どうぞこちらへ」

 オーナーの顔にも、緊張の色が浮かぶ。

 案内されるまま、応接間へと足を進めようとした時、双子をゆずるが引き止めた。

「悪い。あとは任せる」

 そう言って客室に戻ろうとするゆずるの顔は真っ青だ。

 ひどく具合が悪そうだなと、直久が思った瞬間、ぐらりとゆずるの体が揺れた。すかさず、和久が両手を差し出し、体を支えてやる。

「大丈夫?」

 優しく声をかけ、ゆずるを覗き込む和久の顔は、心配そのものだった。

 だが、ゆずるは乱暴にその手を振り払い、自力で客室に戻ろうとする。

「俺にかまうなっ」

「…………」

 和久はそれ以上強く言わず、ゆずるの背中を無言で見送った。そんな弟を見守りつつ、ゆずるを睨みつける直久。

 和久がこんなに心配してくれているというのに。

 人の厚意を一切合切受け取らない、むしろ、ゆずるのために良かれと思って接してくる相手をゴミでも見るかのように扱う態度も気に入らない。

「……無理して山を登ったから……ちょっと休めばまた良くなるよ」

 そう言って直久を振り返ったその顔は、困惑と寂しさが入り混じっているようにも見えた。

「さ、行こう。僕たちはやることをやろう」

 和久は顔を引き締め、応接間へと足を踏み入れる。直久も、今にも噴出しそうな憤りを何とか飲み込み、和久に倣った。

 二人がふかふかソファーに腰掛けるなり、和久はすぐさま本題に入る。

「単刀直入にお聞きします。息子さんのことを教えてください」

「……え?」

 オーナーはきょとんとした顔で、聞き返した。

(え?)

 予想外の反応に、驚いたのは直久だけではなかった。思わず弟の顔を見ると、弟も眉を寄せている。

「息子さん──瞬さんとおっしゃいましたか。三階にいらっしゃると聞きました。まだ一度もお会いしたことがないのでご紹介いただければと思ったのですが」

 もう一度、和久が事実を確かめるように問う。

 だが、オーナーは首をかしげ、わけがわからないというように鸚鵡返(おうむがえ)しする。

「息子? 私のですか?」

「……はい」

「……私には娘しかおりませんが……」

 心底、不思議そうな顔で、オーナーはそう言い切った。

「え!?」

 驚きの声を上げたのは、直久だった。

「だって、八重ちゃんがお兄さんがいるって言ってましたよ? 足が悪いから部屋に籠もってるって……」

「八重が?」

 とたんに、オーナーは眉をひそめ訝しそうに顔をゆがめた。

「なぜあの子はそんな嘘を……。すみません。どうやら、娘が混乱させてしまうようなことを言ったようですね」

「……え、でもっ! 八重ちゃんが嘘をついているようには──」

「直ちゃん」

 納得のいかない直久を、弟が制した。

 何で止めるんだよ、と憤りを感じながら弟を振り返る。すると、静かに首を横に振り自分を見つめる弟に、ぐっと言葉を飲み込まざるを得なかった。彼の眼光に圧倒されたのだ。

「……瞬という名に覚えは?」

「ありません」

 きっぱりとオーナーは返事をした。

 彼の態度から、嘘は微塵も感じない。でも、確かに八重の言葉にも嘘は感じなかった。

(いったいどうなってるんだ……)



 “瞬”とはいったい何なんなんだ。ヒトなのか、それとも──。





 応接間を後にするなり、弟は無言で階段を上り始めた。直久もそれに続く。

「どういうことだよ」

「……おそらくだけど」

 二人は一階の踊り場を大股でやり過ごす。

「三階にいるのは」

 二階につき、和久の足はさらに上階へと加速する。

「人ならぬ、強靭な霊力を持つ────」

 ついに、二人は駆け出していた。

 全速力で、三階の廊下を直進し、その部屋の一メートルほど手前へと辿りついた時には、ぜいぜいと息は上がってしまう。

「────あの祠の主だ」

(!)

 和久の言葉に直久はぎょっとなったわけではなかった。

 触れただけで、全てを凍らせてしまうのではないかと思うほどの冷たい空気が、その部屋の扉から溢れ出ているのが“見えた”のだ。

 明らかにその空気は周りとは違う。灰色の煙のように、うねり、揺らめき、それでいて上昇するわけでもなく、下部に留まり続けている。明らかに不自然だった。

 もしかすると、これが霊気というものなのだろうか。

 直久は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。

 話に聞くだけだった異形の世界を目の当たりにし、明らかに自分の中の変化を実感する。

 昨日までの自分とは違う。

 何かが変わってしまった。

 今まで、何度も触れたかった世界だったというのに、自分の変化がどこか恐ろしい。

 このまま、自分はどうなっていくのだろうか。

 本当に喜ばしいことなのだろうか。

 一族のみんなの仲間になれた、それだけで済むのだろうか。

「もしかして、直ちゃん、あの霊気が見えてるの?」

 和久の声で、直久は我に返った。

「灰色っぽい煙みたいなヤツのことか」

「本当に見えているんだね」

 和久のことだ、直久の能力について疑っていたわけではないのだろうが、今まで何の能力も見せなかった直久に見慣れていたので、ものめずらしいというところだろう。

 本当に、なぜ急にこのような状態になったのか。本人も皆目検討もつかない。    

「とりあえず、そのことは後でゆっくり考えよう。お祖父様に聞いた方がいいかも」

「じじいに?」

 条件反射的に直久の顔が引きつった。

 双子の祖父は、ゆずるの祖父でもある。つまりは一族の頂点に立つ、九堂家当主のことである。

「何でそこで嫌そうな顔するかなぁ? お祖父様に一番可愛がられているのって、直ちゃんでしょ」

「ばばぁには、嫌われてるけどな」

「そんなこと──」

 和久は、最後まで言葉を紡ぐことができないようだった。無いとは言い切れない微妙な事実に、和久も思い当たったのだろう。

 それもそのはず。

 祖母は、なぜか直久を自分から遠ざけようとする。恐ろしいものを見るような目で。

 本人の被害妄想ではなく、意識過剰でもない、周知の事実なのだから。

 直久も、幼いころはそのことで、胸を痛めたことも少なくなかったが、もう慣れた。それに、今ではあまり本家に近づかないようにしているために、祖母と接触することもほとんど無い。

「――とにかく、その話は後にしよう。行くよ」

「よしっ!」

 和久を先頭に、一歩また一歩、扉へ近づこうとし、三歩目の足を踏み出そうとした、その時だった。

(───!!!)

 ぴたりと、直久の足が止まった。声を発したわけでもないのに、気配を察したのか、和久ががばりと直久を振り返った。

「どうしたの?」

「……動けねぇー」

「え?」

 直久は顔を引きつらせ、切々に現在の状況を訴えた。

 両足共に、石化したのではないかと錯覚するくらい、硬直している。

 動かないのだ。自分の意思では、首から下を動かすことができない。

 だが、弟は分かってくれていない。ふう、とため息をついて、兄をたしなめるような言い方をした。

「何、遊んでるの? こんな時に」

「遊んでない、遊んでない。マジ動けないって」

「ホントに動けないの?」

「うんうん。蜘蛛の巣に引っかかった蝶々って感じ。もしくは、ゴキブリほいほいに捕まったゴキブリ」

「……たぶん、直ちゃんなら後者だね。ちょっと待ってて」

 和久はきりりと顔を引き締め、両手を胸の前で合わせると、数秒、目を閉じた。そして、ぱちりと目を開けたかと思うと、直久の回りを見渡す。

 再びため息を吐きながら、手を元に戻した頃には、和久の顔に新たな緊張が生じているようだった。

「結界が張ってあるよ」

「結界?」

「それも捕獲用の……」

「なんだそれ?」

「簡単に言うと、罠みたいなもの。悪霊とか妖怪専用の罠だから普通、人間は掛からないはずなんだけど」

「なんで俺、掛かってんだよ!」

「……なんでだろう?」

 こんな時に、弟は暢気に腕を組んで、考え込み始めたので、直久はたまらない。

「なんでもいいから、早く助けてくれよ……」

 情けない声を出す直久。だが、弟は申し訳なさそうに頭を振るだけだった。

「結界を張った本人にしか解けないんだよ。あとは掛かった者が結界を張った者の力を上まる力で破るか、第三者が圧倒的な力で破るか……。さっき直ちゃんが蜘蛛の巣に掛かったゴキブリみたいって言ったけど」

「ゴキブリじゃなくって、蝶」

「それにしても、ゴキブリって蜘蛛の巣に掛かるんだろうか?」

「……って、聞いてねぇーな、おい」

「それについての議論は置いといて、つまりね、第三者が結界を破るには、例えば、人間が蜘蛛の巣を破るくらいの力の差が必要なんだ。蜘蛛と人間くらいの差だよ。絶好調のゆずるなら何とかなるかも知れないけど、今、絶不調だし、僕には無理。この結界を張った人かなりの力の持ち主だと思うよ」

「じゃあ、どうすんだよ!」

 直久は大声を張り上げた、その時だった。

  

 ───ギィィィィィィ……


 金属をこすり合わせたような音が、三階全体の空気を切り裂いた。

 ほぼ同時に、和久が弾かれたように振り返って、身構えた。直久も目を見張る。

(あれ……? 扉が開いてる……?)

 よく見れば、問題の部屋の扉が、わずかに開いているではないか。

 廊下には自分たちしかいない。その自分たちでなければ、この扉を開けたのは……誰だ!?

(中に誰かいるのか!?)

 食い入るように直久はその扉を見た。

 明らかに霊気は、その開かれた扉の僅かな隙間から、次々とあふれ出し、廊下を満たしてく。まるで灰色のガスに気化していくドライアイスを見ているようだ。自分の膝下は、霊気で完全に視野から消えた。

「誰か来る……足音が近づいてくる」

 かすれた声で、和久が言った。

「足音?」

 直久は耳を研ぎ澄ました。だが、何も聞こえない。

 ただ、徐々に自分を取り巻く空気が、冷えていくのを肌で感じる。口から出る息も白い。まるで、三階全体が大きな冷凍庫になってしまったように。

 直久が、緊張からか、口の渇きを感じはじめた時、再びあの金属音が廊下を駆け抜けていった。


 ギィィィィィィィィィィィーーーー。


「!」

 バンッと激しい音をたて、完全に開け放たれた扉。同時に、体が吹き飛ぶのではないかと思われる衝撃波が、二人を襲う。首から下が硬直している直久は、難なくその冷たい霊気の衝撃波をやりすごしたが、和久はすさまじい風圧に、足を二、三歩後退させられてしまう。

 先ほどまでとは、桁外れの霊気だった。

 今の直久なら、それが分かる。そのすごさが。

 鳥肌が立った。だが、不思議と恐怖はない。

 こんなにも、脅威的な霊気を放つ相手を前にしているというのに、胸が高鳴っている。

 自分の中で、確実に何かが目覚めようとしている気がした。


「何やつじゃ」


 それは、若い青年のような、澄んだ声だった。

 直久も和久も開け放たれた扉の先にいる人影を見据えた。

 初めて見るその青年だった。長くサラサラと揺れる亜麻色の髪を持つ、背の高い青年は、切れ長のグレーの目で、いまだ動けずにいる直久を見上げて、ふっと笑ったのだった……。

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