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九の末裔 ~寒椿~  作者: 日向あおい
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第八話 寒椿か……

 屋敷を出て三十分はたっていないだろう。ずいぶんと森が深くなってきた。

 直久の頭上の太陽光は、幾重にもなる葉のわずかな隙間をすりぬけ、地面に到達するしかない。夜になれば闇が全てを溶かしこみ、際限のない漆黒の世界が広がるだろう。

 それに肌寒い。

 獣道の両サイドに積まれた雪も深く、腰の高さまである。

 しかし、最後に雪が降ったのが2日前だというのに、人がやっと一人通れるだけのスペースは道として確保してあった。

 ご苦労なことに、オーナーは毎日この道を通り、この先にある祠にお供え物を届けているという。信仰心の現れというべきか、それとも強迫観念からというべきか。

 その根底にあるのは畏れであり、恐れであろう。

 直久には、体格の良いオーナーの広い背中に背負っているものを思うと、ひどく哀れに思えた。

 彼のせいではない。

 娘のせいでもない。

 生まれた家を間違えたのだ──自分のように……。

「あの先です」   

 オーナーが前方を指さした。

 三人は無言でその指の先を追うと、二本の太い木が目に入った。その木と木を一本の縄がつないでいた。縄には、稲妻のような形をした白い紙が垂れ下がっている。神社でよく目にするものだ。だが、どちらも汚らしく黒ずみ、神聖なものというより、まがまがしさが先立つ。

 ゴールは目の前だというのに、森の薄暗さも手伝って、直久の足取りは重い。

 数分後、祠の目の前にたどり着いた直久は、足を止め、あたりを見渡した。そして、目の前に広がる光景に、思わず息を呑む。

「──!?」

 まず目に付くのは祠。

 直久の目の高さに、さきほど離れた所からも見えた、二本の木を繋ぐ白い縄がある。その縄の一メートルほど奥に、小さな小さな古い祠はひっそりとたたずんでいた。まるで祠がこちらを睨みつけるようだと直久は感じた。

 祠全体が古い石でできている。かつては何か装飾が施されていたようだが、原型を想像することもできないほど劣化していた。だが、それでも十分すぎる存在感に、直久は圧倒されていた。

 しかし、直久が驚いたのは祠の寂れきった様子でも、威圧的な様子でもない。

(綺麗に雪がないしっ)

 その祠を中心にして、半径二メートルほどの円を描くように、綺麗に地面が見えている。くり貫かれたように雪が無いのだ。

「こりゃ~雪かき大変だぁ~」

 オーナーはペンションだけじゃなくこの祠のオーナーでもあるのか、と一人で直久が納得していると、山吹オーナーは「違いますよ」と首を横に振った。

「ここだけ、なぜか雪が積もらないのです」

「えっ!?」

 声を発した直久だけでなく、和久とゆずるもオーナーを振り返った。

「毎年、たくさんの雪がふるのですが、ここだけは絶対に雪が積もりません。昔からずっとそうだったようです。私どもはこれも山神様の力だと、伝え聞いています」

 改めて、直久はその祠を見た。

 石で出来た祠は、浸食が進みなんともみすぼらしい。こんな祠に、周りの雪を溶かす力があるとは、到底思えなかった。

(けど、こうやって実際に不思議な現象を目にするとなぁ……信じたくもなるよな、山神さまとやらを)

 重たい沈黙が、一行を取り囲んだ。

 ふと、ざわざわと風が木々を揺らす音が直久の耳に届いたかと思うと、蜘蛛の糸ほどの細い木漏れ日が、織糸のように幾重にも重なって、祠を照らしだした。

 幻想的というより、物悲しい。自分の胸に寂しい気持ちが入り込んでくるようで、直久は“寂しい”以外の言葉を見つけることが出来ないでいた。

 ここに、一人で取り残された生け贄の娘たちはどんな気持ちで、ここに立ち、この祠を見下ろしたのだろう。

 彼女たちを思うと胸がぎりぎりと痛んだ。

 沈黙を破ったのは、それまで静かに辺りを観察していたゆずるだった。

注連縄(しめなわ)紙垂(しで)……そして、それは封印符か」

 ゆずるは縄のすぐ下の地面を指差した。そこには二つにちぎられたのだろう、長方形の白い紙が落ちている。

 ゆずるの言葉を受け、無言で和久はその紙を拾い上げると、つなぎ合わせた。切片はぴたりと一致する。

 よく見ると、朱字で“封”と書かれているのが、かろうじて読めた。

「この祠は、神を崇めるというよりも……ここに閉じ込めているというわけですね」 

 オーナーを振り返り、返事をまつ和久。だが、オーナーは困った顔をした。そして、詳しいことは知らないのだと言う。

 本当に何も聞かされていないのだろう。直久の目には、彼が嘘をついているようには見えなかった。

「では、この祠について、知っていることを全て教えていただけますか?」

 和久の言葉には、柔らかく微笑みをたたえていても、有無を言わさぬところがある。

「わかりました」

 僅かに戸惑ったようにも見えたオーナーだったが、ついには深くうなずき、和久を見つめ返した。その表情には、覚悟がにじんでいる。

「かつて、生け贄は、ここまで村人に付き添われてやってきました。そして、ここの祠のすぐ向こうの崖から、神にその身を捧げます」

「……捧げるって」

 直久は恐る恐る聞いた。先ほど弟から鬼に身を“捧げる”ご先祖様の話を聞いたばかり。少々過敏になっても仕方の無いことだった。

「つまり、崖から飛び降りるのです」

「そ、そのあと食べられたりとかしないですよねっ!!」

「は?」

 オーナーは訝しげな顔で、直久を見た。

「あ、いや、なんでもないデス……」

 直久が引き下がったので、オーナーはとくに気に留めずに、改めて祠を見やった。

 そして、手を合わせ、持ってきたオニギリを一つを供え、かわりに、昨日お供えしたのだろう、硬くなってしまった古いおにぎりをしまい込む。

 直久はそんなオーナーにつられて、そっと手を合わせる。だが、和久とゆずるは違った。ゆずるは刺すような視線で祠を睨み、和久はしきりに周囲を気にするように視線を泳がしている。

「さあ、戻りましょう」

 気が済んだのか、すっきりとした顔のオーナーが三人を振り返った。

 直久は、異議なしと、コクコクと首を縦に振った。

 寒いし、薄暗いし、不気味だ。それに山の天気は変わりやすいと聞く。とっとと帰ろう。今すぐ帰ろう。帰って、あったかいコタツに入り、みかんが食べたい。

(ペンションにコタツがないのが残念すぎるっ!! なんで洋風なんだっ。冬はコタツとみかんだろうっ)

 勝手に鼻息を荒くしていると、隣にいた和久がぽつりとつぶやいた。

「椿……」

 今度は何だ。

 そう思ったのは直久だけではなく、オーナーもだったらしい。オーナーはぎくりと体を硬直させた。

 一般人や直久が言うのではなく、和久やゆずるが口にすると、たとえ植物の名前だったとしても、ひどく危険で、禍々しいもののような気がしてしまう。

 直久は、若干、怖気つきながらも周囲を見渡した。それで、初めて祠の周囲に真っ赤な花が咲き乱れていることに気がついた。

「寒椿か……」

 椿は普通その名の通りに、春に咲く花を付けるが、他の草木が枯れる真冬に鮮やかに咲くものもある。それを寒椿と呼ぶ。

 園芸にも華道にもまったく興味のない直久だとて、名前ぐらいは知っていた。

(寒椿────)

 なんと美しい花なのだろう。

 美しすぎて、吸い込まれそうだ。

(妖艶ってこういうののことを言うのかな……うん、オレ今すごい頭よさげじゃね?)

 直久が自己陶酔していると、ばっと和久が彼を振り返り、にっこりと笑った。そして、オーナーに向きなおる。


「帰りましょう」





「椿は、不吉な花だとされているんだ。彼岸花(ひがんばな)に匹敵するくらいね」

 帰り道、やはり和久は小声になった。

 兄が、椿がどうした、としつこく聞くのでオーナーに心配させないよう十分に配慮しながら、話をしなくてはならない。

「ふ、不吉?」

 思わず聞き返した兄に、和久はこくりとうなずく。

「彼岸花は知っているよね? 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言うけど」

「昔、墓地とかによく咲いてるヤツだろ?」

 期待通りの答えに、和久はにんまりと顔を緩ませ、首を縦に動かした。

 彼岸花。その名の通り、お彼岸の時期に咲く花だ。別の説には、毒を持つこの美しい花を食べた後は“彼岸(死)”しかない、ということからその名がついた、とされる。

死人花(しびとばな)、地獄花、幽霊花、なんていろんな別名を持ってるくらい、不吉だといわれている花なんだ」  

「毒があったのか……綺麗な華には毒がある……綺麗な女は猛毒を吐く……」

 急に、思いつめたような顔で兄がぶつぶつと言い出した。

「……どうしたの? 何の話?」

「我が家の姉君の話。暴君とも言う……」

「…………」

 ほぼ同時に双子の頭を、『己の道に立ちふさがるもの全てをなぎ倒して突き進む、天下無敵の女性』が高笑いしている様子がよぎり、畏ろしさ無言になる。いや、怖ろしさか。はたまた、身の危険とも言うだろう。

「そ、そんなことより、椿は?」

「そ、そうだね、えっと椿は……」

 椿は一見、可愛らしい印象すら受ける赤や白の花である。

 不吉なこと──死とは結びつかないように思われがちだ。

「人が死ぬ瞬間を表現するのに使われやすい植物、それが椿の花なんだ。椿の花って、咲ききると花の部分がそのままの形で落ちるでしょ。ポトリって。その様子がまるで、首が落ちるみたいだって言うんだよ」

「誰がそんな不吉なことをーっ!」

「知らないよ。昔からそう言うの。――で、その椿の花が落ちるシーンがあったら、首を刎ねられて死んだんだなぁ、と想像させる演出に使われているわけ」

「ひぃぃぃぃぃぃ」

 息を吸い込むようにして、声を出さないように悲鳴を上げる兄は、本当に器用だと思う。そして、ほほえましい。ここまで素直な気持ちを表に出せるのが和久にはうらやましくもある。

「それより」

 後ろからゆずるが声をかけてきた。

 条件反射のようにゆずるを睨見返す直久の姿に少々目を丸めながら、和久もゆずるを振り返った。

「あの祠……」

 ゆずるがちらりとオーナーに視線を送った。その瞳に、かすかに思いやりの心が見え隠れしているようにもみえる。

「うん。ゆずるも何か感じたの?」

「いや。俺は今日は……」

 ゆずるは口惜しそうに舌打ちすると、すっと目を伏せた。

 今日は新月。

 まるで月の光のように満ち欠けするゆずるの霊力。

 夜空で身を潜める新月のように、ゆずるの強い霊力は、その一切が体の奥底で眠りにつく日だ。

 つまり今日一日だけは、ゆずるは霊力を持たない一般人(タダビト)となる。

「そうか。しょうがないよ、今日は。でも、ゆずるの想像通りだよ」

 あの祠にはもう……。

 和久の目がゆずるにそう語った時、一人、相変わらず、わけが分かっていない直久は「何だ何だ?」と二人の顔を交互に見比べている。

 和久は、いつものように、兄に向き直り懇切丁寧に説明し始めた。

「あの祠の主は、もうあそこにはいないんだ」

「いない? あの祠の主が?」

「あの山の神といってたね、オーナーは」

 そこでやっと兄は言葉を飲み込んだようで、目を丸々と見開いた。

「ど、どこいっちゃったんだよっ! だって、オーナー一生懸命毎日拝んでるんだろう? 留守なのに拝んでるわけ、雪かきまでして!?」

「うん……」

 だから、とてもオーナーには言えなかった。

 あなたが毎日娘のために祈っている神は、そこにはいない、とは。

「絶対に秘密にしておいた方がいいよな」

 直久は、小声で確認する。

「そうだね。たぶん、オーナーの最後の頼みの綱──心の支えになっていると思うんだ」

 和久は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、先頭を行くオーナーの背中を見つめた。  

「でもよ~、その神様はどこへ行ったんだ?」

「さぁな」 

 直久の当然の疑問に答えたのは、珍しくゆずるだった。ゆずるは小さくため息をついてから、面倒だな、と言った。

「生け贄を捧げられていた程だ。よほど力を持ったヤツだろう」

 たしかに、と和久は思った。

 今、完全に力を失っているゆずるには分からなかっただろうが、あの誰もいないはずの祠に和久は何者かの気配を感じていた。

 それはおそらく、祠の主である『神』の残像に違いない。その残像だけで、祠の周りの雪を溶かすほどのエネルギーを保つことができているのだから、本体の力の強さは計り知れない。

 できれば、かかわらずに済ませたい。

 こちらがちょっかいを出さなければ、向こうからわざわざかまってくることはないだろう。 

 ──よほど興味をそそられるものが、ない限りは……。

(ただ……)

 和久は顎に手をやり、難しい顔になった。

(あの祠が屋敷に影響を及ぼしているのは確実なんだよな……まいったなぁ……) 

 和久が押し黙ったので、直久も何となく黙っていなくてはならないと思ったようだ。すると会話がなくなるのがこの三人の特徴だ。 

 誰もが口を閉ざしたまま、山を降りきり、森を抜けると、ペンションという名の伏魔殿が三人の前に仁王立ちするかのように、その姿を現した。

「とにかく……もう一度────」

 和久が兄と従兄弟に向かい言葉を続けようとした時だった。

(────!?)

 背後に、射抜かれそうなほど強い霊気を感じたのだ。

 和久は、険しい表情で、ばっと体をひねり、屋敷の三階を見上げる。窓に映し出された人影を見とめ、睨みつけた。

 数秒の後、人影はすっと窓から消えた。

(……あそこの部屋は確か……息子さんの……)

 でも、なぜ。

 これほどの強い霊力をあの部屋から感じるなんて。あの部屋はいったい──。 

「どうした?」

 兄が和久の様子に、何だどうした、と従兄弟と顔を見合わせている。

「わからない……」

 ただ、今のではっきりしたことがある。

 さっきの視線に含まれていたのは、霊気。

 あの部屋には、何かがいる──この世のものでない何者かが──。

「もう一度──」

 和久は三階の舜の部屋を再び睨みつけながら言葉を続けた。



「あの二つの部屋を、調べる必要があるみたい」


 


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