はげ頭
私は週二回、老人ホームの送迎の仕事をしている。
比較的体が動かせるお元気な老人達の送迎をしているのだが、乗降の際には気を配らねばならない。
躓かないか、足は上がっているか、バランスを崩してはいないか、きちんと腰を背もたれまで押し込めているか……。お年寄り達の中にはプライドの高い人もいるので、介助過剰にならないよう気を使いながらお手伝いをしている。
私が運転しているのは軽自動車なので、少し乗り降りする際にコツが必要だ。
小さなおばあちゃんならばいいのだが、少々上背のあるおじいちゃんだと、体を丸めて乗り込まないと車のドア部分上部、ルーフの下部に頭をぶつけて怪我をする可能性がある。
そこで、乗り込む際に、一言断ってから、頭頂部を抑えさせてもらっているのだが。
なんというか…その、手触りが、とても…好きだったりする。
若者にはない、ボリュームのない頭髪。細くて貧弱な髪の毛。地肌に触れる感じ。
実に人それぞれの、個性豊かな触り心地が、ひそかな楽しみになっていたりする。
山下さんの頭は、ちょっとむちむちしている。
原田さんの頭は、ちょっとざらざらしている。
楠瀬さんの頭は、ちょっとあたたかい。
飯島さんの頭は、ちょっとふわふわしている。
越賀さんの頭は、ちょっとちくちくしている。
亀田さんの頭は、ちょっとぴたぴたしている。
わざわざ当てにかかったりはしないものの、目隠しをして触ってもおそらく百発百中であろうと予測できるほどに、私は指先での認知に自信がある。
思い起こせば、私はじいちゃんのハゲ頭が大好きだった。
小さい頃、頭に毛がないのがすごくうらやましくて、自分もハゲにすると言って駄々をこねた日を思い出す。じいちゃんはいつだって、自慢の頭を私にぺたぺたと触らせてくれた。その度にじいちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でて、お互いにニッコリ笑いあったものだ。
でも、私が小学三年生の夏、じいちゃんはいきなり倒れて…そのまま帰らぬ人となってしまった。
倒れる前の日、私はいつものように、じいちゃんのハゲ頭をぺんぺんしたのだけど、なんと言うか…少し、変な感じがしたのを覚えている。
いつもなら吸い付くような感じなのに…少し、ぱさついているような、ざらついているような、はっきりとした違いはわからないけれど、明らかに前日までとは違う手触りに、思わず手を引っ込めた。
じいちゃんはいつも通りに私の頭をなで、ニッコリ笑っていたけれど。
あれからもう四十年経ったのかと、時間の流れの速さにおどろきつつ…今、思うのは。
私があの時感じた違和感は、なんだったんだろうなということだ。
いわゆる…死臭のようなものを敏感に感じ取っていたのだろうか。
生命力が枯渇して…みずみずしさが欠乏したせいかもしれない。
もしかして、私だけが持つ感覚?
いや、でも…触ればきっと、みんな気付くくらいの変化だったと思う。
……もしかしたら、この仕事をしていたら、なぞが解けるかも、知れない。
そんなことを考え始めていたある日、私は違和感を感じた。
越賀さんの頭が、ちょっとへにょへにょしていたのだ。
……言うべきか、言わざるべきか。
悩んだ私は、何も言わずに…いつも通りに送迎をした。
次の週、越賀さんのお宅から電話が入り、次の日から、歴史を感じさせる純日本家屋の門の前に停まることはなくなった。
久しぶりに思い出した感覚にビビり始めていたある日、私はまたしても違和感を感じた。
飯島さんの頭が、ちょっともこもこしていたのだ。
……言うべきか、言わざるべきか。
「飯島さん、調子はどう?」
「いつもどおりだわ!」
悩んだ私は、本人に声をかけて…いつも通りに送迎をした。
次の日、飯島さんのお宅から電話が入り、次の日から、駐車スペースが広いマンション駐車場に停まることはなくなった。
やはり自分の感覚は正しかったのだと気付いてからしばらく経ったある日、私はまたしても違和感を感じた。
楠瀬さんの頭が、ちょっと冷たかったのだ。
……言うべきか、言わざるべきか。
「あの、楠瀬さん、ちょっと体調悪そうじゃないですか?」
「あら、そう?気をつけてみておきますね!」
悩んだ私は、常駐の看護師さんに声をかけ…いつも通りに送迎をした。
その日の夕方、デイサービスに救急車が来ることになり、次の日から大きなワンちゃんのいるおうちの前に停まることはなくなった。
人には言わないほうが良いかもしれないと考え始めたある日、私は違和感を感じた。
原田さんの頭が、ちょっとごつごつしていたのだ。
……言うべきか、言わざるべきか。
悩んだ私は、何も言わずに…いつも通りに送迎をした。
次のお迎えの朝、原田さんのお宅に行くとどたばたしており、次の日から、コンビニ横の小さな家のドアを開けることはなくなった。
おかしな能力を持ったものだと困り始めたある日、私は違和感を感じた。
亀田さんの頭が、ちょっとぴちぴちしていたのだ。
……言うべきか、言わざるべきか。
悩んだ私は、何も言わずに…いつも通りに送迎をした。
二日後、亀田さんのお宅から電話が入り、次の日から閑静な住宅街のお屋敷の駐車場に車を停めることはなくなった。
もはや、何も考えたくなくなってしまっていたある日、私は違和感を感じた。
山下さんの頭が、ちょっとむにゅむにゅしていたのだ。
……言うべきか、言わざるべきか。
悩んだ私は、山下さんに事実を伝えた後…いつもより少し遅れて、送迎をした。
四日後、急な体調不良でお休みをもらっていた私の代わりに老人ホームのスタッフが迎えに行ったら、山下さんはすでにこの世から旅立たれていたそうだ。
私は身寄りのない山下さんの葬儀を済ませ、頼まれていた遺産の処分を行った。
しばらく働く必要がなくなった私は、仕事をやめて、自分の頭を丸めた。
しっとりとしていて、それでいて温かい、毛のない地肌の…感触。
…いつまで、たたき続けることができるかは、わからないけれど。
……たたけるうちは、たたき続けて行こうと……思う。
そして、今日も、私は。
自慢のハゲ頭をぴちぴちと叩きながら……タワマンの一室から、働く人々を見下ろしている。