異世界 <トーマ&婆さんの挿絵あり>
「くっそ、あのアマめ」
いや、あの女の文句よりもまずは現状の確認をしよう。ここは森の中だ。はい終わり。
くっそ、町や村の近くって言っただろあのアマ!
魔物とやらがいるって言ってたし、街道なり人をまず見つけないと。貧乏ゆえのサバイバル知識はあるつもりだったけど、森の中でどうすれば良いのかなんて知識は学校ですら教わってない。
<転移>前と同じ初夏なのか少し蒸し暑い。スーツの上着を脱いで肩にかけ、ネクタイも取って鞄に突っ込む。
食料と飲み物は養護施設の近くの百円ショップで半額のシールが貼られていた菓子パン二個と、二本で百円だった五百ミリリットルのペットボトルの、聞いた事も無いようなメーカーのスポーツドリンク二本のみ。これで軽減税率もあって税込み二百十六円。パリで椅子とテーブルがある店でランチなんか食べようとしたら、二千円以上は余裕でかかるぞとか言ってた同級生が居たけど、日本って食べ物が異様に安く買えるんだよな。牛丼だってあと百円ちょっと足せば座って食べられるし。この世界も物価が安ければ良いんだけど。
あと持ち込んだ荷物の中にあるスマホには、オフラインでも使える無料版の百科事典アプリが入ってる。コンビニの無料WiFiでちまちま落とした俺の財産だ。太陽光充電可能なモバイルバッテリーも鞄に入っているが、どちらも安物だし、壊れる前に使えそうな部分だけでも書き写さないと。
百科事典に森の歩き方なんか書いてあるかな? まあバッテリーが勿体ないからシャットダウンしておこう。
スラックスのポケットをまさぐるとハンカチと金属片の感触が。取り出してみると金貨やらの硬貨が入っていた。
<誰か……助けて……>
ん? 今声が聞こえなかったか? 硬貨をポケットに戻し、声のしたあたりを注視する。
「誰かいるのかー?」
<助けてください、腰が……>
人の声だ。あっちか?
「どこだー?」
<ここです……草の中に……>
ガサガサと音がする方に行ってみると、人が倒れている。
「大丈夫か!」
「はい……腰が痛い事以外は」
「少しでも動けるか? 俺が背負ってやる」
俺は近くにしゃがみ込み、上半身を起こすと背中に背負う。白髪の女性で、身長が百七十五センチの俺と比較すると、百六十センチ弱くらいで歳は六十歳くらいか? 随分痩せてて軽い。
「いたたたた」
背負った時の姿勢が悪かったのか、婆さんが痛がったので体を少しゆすって姿勢を変えてみる。
「おっと、すまん。これで大丈夫か?」
「ええ、すみません。この体勢なら大丈夫です」
「そっか、どっちへ行けばいい? 俺はこの辺りに詳しくないんだ」
「あちらに向かってください。すぐに街道に出るはずです」
「わかった。しかし婆さん、なんで一人でこんなところにいるんだ? 魔物って奴も出るんだろ?」
「この森には薬草を取りに来たのです。あとこの森にはめったに魔物は出ませんから、それほど危険でもないのです」
「薬草か、必要なものは手に入れたのか?」
「……いえ、まだ」
「じゃあ戻ろう。手伝うよ」
「いえ、そんな悪いですよ」
「いや、わざわざ森に入るほど必要なものなんだろ? いいよ、暇だし手伝うよ」
「……ありがとうございます。では戻って貰っていいですか?」
「ああ、任せろ」
来た道を再び戻る。婆さんを助けた場所より更に奥に行くと、婆さんが声を出す。
「このあたりによく自生してるんです」
「形は?」
「あれです」
婆さんは近くの茂みを指さす。
「あれ? これヨモギか?」
「よもぎ? そうですヨモギです」
「これをどれくらい集めればいいんだ?」
「三株くらい欲しいんですが……」
「わかった。婆さんはちょっとこの石に座っててくれ」
婆さんを大きめの石に座らせると、俺はヨモギを集める。意外と多く自生してたこともあったし、三株じゃ多分遠慮して必要分のギリギリなんだろうな、とちょっと多めに集めてたら二十株はすぐに集まった。ま、これでしばらくは取りに来る必要も無くなるんじゃないか?
「こんなものかな? とりあえずこの辺りのは全部取ったけど良かったのかな?」
「取りつくしても割とすぐに生えてくるので大丈夫です」
「じゃあ戻ろうか」
婆さんを背負って再び森の中をしばらく歩いていくと、街道に出る。
「街道を左に行ってください」
「はいよ。ところで俺は斗真と言うんだが、婆さん名前は?」
「自己紹介がまだでした。私はイザベラと申します。町で孤児院をやっております」
「なるほど、分かった。オマケってこのことかよ。あのアマ」
「はい?」
「いや、こっちの話だ。それより<転移>ってわかるか?」
「ほう、珍しいですね。トーマさんは<転移者>なのですね。たしかに黒髪ですしね。言われてみれば服装も少しこちらと違いますね」
「おっ、通じるのか。さっき<転移>して来たばかりでな、仕事どころか生活基盤が無いんだよ」
「ええ、ええ、構いませんよ。狭いですが、お仕事を見つけるまで好きなだけ居てください」
「すまない、助かるよ」
「ただ、子供だらけで少々騒がしいですけれど」
「その辺は慣れてるから大丈夫」
「以前はそういう職に?」
「いや、養護施設、孤児院育ちなんだよ」
「まあ。ご苦労されたんですね」
「うーん、苦労とは思っていなかったけどね。それが当たり前だったから」
ちょっとしんみりしちゃったな。実際大変だとは思ってなかったけど、不公平感は持ってたんだよな。
「そういえば、金を持ってるんだけど」
とポケットからジャラリとあのアマから渡された硬貨を全て取り出して見せてみる。
「金貨と銀貨と銅貨それぞれ十枚くらいですか。金貨一枚あれば一人暮らしならば節約して一年は暮らせますよ」
「おっ、意外にも高額だった」
「最下級の兵士が国から貰う給金で銀貨十五枚程度ですからね。銅貨は千枚で銀貨一枚です。銅貨には穴が開いてるでしょう? 百枚単位で紐を通して使うのが一般的ですね。小さな買い物をする時はそのまま紐から必要枚数を引き抜いて使えますし」
「あー時代劇で見たことあるな」
「金貨と銀貨はレートによって変わるのですが、今は大体銀貨百枚で金貨一枚です」
「こちらの常識が全く無いので色々教えて貰えて助かるよ」
「いえ、私も命の恩人のお役に立てて良かったです」
「大袈裟だよ。街道からもそんなに離れてなかったし」
「いえいえ、戻るのが遅くなっても子供達が心配しますし、戻れなくなったらそれこそ子供たちが……」
「そっか、じゃあ子供たちが心配する前に帰ろう」
俺は婆さんを背負って孤児院に向かう事にした。
子供ね……。
あのアマ……。