前日
「敏君、懐中電灯は? 安全靴と手袋は持った?」
「お前がさっき買い物籠に突っ込んだろ」
二人は市内のホームセンターにやって来ていた。陽子は敏彦に必要物品を確かめるが、ややくどいと彼は思っている。しかし、毎度の事となると慣れたものだ。不満たらたらながらも、半分ほどは敏彦が段取りを行っていた。
「見ろよ、もう下の方に何が入ってるか分からないぞ。上半分に至っては飲み物ばかりだ。大体、これだけの荷物を把握出来るのか?」
「……多分」
「──おい」
益体もない話をしながら、会計を済ませ店を出る。店員の微笑ましいものを見るような視線が恥ずかしく、敏彦は目を背けた。当の陽子は廃墟に関する知識を披露──敏彦は話半分で聞き流している──し始める。
安全靴を履いてなければ釘や瓦礫で足を痛める事や、軍手は必須だのと喧しい。生返事をすれば膨れっ面で彼を睨み付けた。
(そう言えば、現場に出てるダチが言ってたな。安全靴履いてても釘を踏み抜いたとか……確か、鉄板が入ってるのは足の甲だけだったか?)
外現場で仕事をしている友人を思い浮かべる敏彦。以前呑みに行った時に、そんな話をした覚えがある。彼は陽子に教えてやろうと思い立つ。
だが、機嫌を損ねすぎるのも悪手だと思い、敏彦は話題を逸らしに掛かる。
「しかし、お前と来たら……。よくもまあ毎度毎度心霊スポットに行けるよな、恐がりの癖に」
「いいじゃない。それに、目に見えないものより、目に見えるものの方が信じられるわよ?」
「懲りないな、ほんと」
「敏君ってば、本当に冷たいんだから! そんなんじゃモテないよ!」
彼女はお前だろ、と思ったが口に出すのは止めておく。膨れっ面を眺めるのも悪くないが、例の件を手早く終わらせてしまいたかったのだ。陽子も女性だ、危険な事から手を引いて貰いたいが、好奇心の強い彼女は止まらない。
満足するまで大人しくしているしかないのだ。
──まるで聞く耳を持たないからな。まったく、こいつの危機管理能力はどうなってる……。
呆れるが、同時にこうも思った。
恐怖を覚えたとしても、必ずしも同じような体験を忌避することはないのだと。それには個人差がある。敏彦が聞いた中──恐らく、これは極論の類になるだろうが──では、実父に暴行された女性がそれを心の傷にする事もあれば、父親と仲良くなることもある。或いは、陽子の場合は知的探求心が強いだけなのかも知れないが……。
現実は小説よりも奇なり。その片鱗を感じ取る気分だった。
「本当にしょうがないな、陽は」
「急にどしたの、敏君?」
突然の言葉に目を丸くする陽子。思わず声に出ていたようで、敏彦は苦笑する。
「別に何も? まあ、なんだ。早く済ませて、またかき氷でも食べに行こうぜ」
「変な敏君」
くすりと笑う陽子にどぎまぎしながらも、敏彦は彼女を愛おしく思う。
──また明日もこうやって馬鹿やるんだろうな。
今回も、何事もありませんように。彼は密かにそう願った。