王子と竜神と約束
久し振りに書きました
「好きです!僕と結婚してください!」
まだ十歳も過ぎていない、若く、幼い少年がそう言った。
「王子殿……結婚と言うのは大人のモノですぞ。まだ子供である、王子殿には早いのです」
そう言い返したのは、少年より少し歳上に見える少女だった。
「では、僕が大人になれば……成長すれば良いですか?」
王子はそう、潤んだ目で言った。
その姿を見た少女は、少し悩んだ後、何かを企む顔で返事をした。
「ならば、一つ約束をしましょう」
「約束、ですか?」
「えぇ、約束です」
少女は笑顔で口を開いた。
「王子殿が成人した時……その時でも、私の事が好きならば結婚しましょう」
「本当ですか!?」
それを聞いて、王子は満面の笑みを作った。
「約束ですよ!」
「えぇ、約束です」
王子はその話を聞いて、小躍りしながら出て行った。
その、すぐ後に少女は溜息を吐いた。
「……竜神様、よろしかったのですか?」
「うむ?」
少女は突如かけられた声に顔を向けた。そこには、王子が帰るまでの間、じっと待っていた侍女の姿があった。
その侍女の頬には、爬虫類の鱗の様な物が付いている。
「ですから、王子様との約束の件です。竜神様は本気で……」
「そんな訳なかろう。まだ坊主だぞ?」
砕けた喋り方で少女……竜神は返した。
彼女は竜神、と呼ばれる存在である。
この国に古く、永くから存在する守り神の様な存在であり、人間ではない。
その正体は竜であり、強力な力を持つ人外である。今は人間を模した姿をしているが、大空を羽で舞い、森を火炎で焼き払う事も出来る。
遥か昔に、この国を作り出した王祖と縁があり、それからは、この国を守り続けているのだ。
「私はこれから何年経っても姿は変わらん。ずっとこの未熟な少女のままだ。王子が成長して、大人になる頃には、かなりの歳の差が出来ているだろうな」
「そう、ですね」
「だからな?王子が成長すれば、女性の好みも変わるだろう。大人になれば、歳の変わらぬ嫁が嫌だと言う事にも気付くだろう。人間でもない竜になんて恋もしないだろう」
「……そう、ですかね」
竜神の自虐的な発言に、侍女は曖昧な笑顔を見せた。
「そう言うものだよ。人間は、人間にしか恋をせん」
そう言った竜神の頭に、遥か昔の記憶が蘇る。
例え、何百年経っても、その記憶が色褪せる事はなかった。
彼女と王祖が出会ったのは10歳程の時だっただろうか。
彼女と王祖は恋に落ちた……が、それも永くは続かなかった。
歳の離れていく恋人、価値観の違いに王祖は苦悩していた。
その姿を見兼ねた竜神は、恋人を辞め、また友人へと戻ったのだ。
その後、王祖は人間の嫁を貰い、国を作った。
竜神は、初恋の相手……そして、その祖先を守るため、その国に住まう事にしたのだった。
竜神は苦い過去を思い出し、首を振るった。
当時は若かった……と反省をする。
「まぁ、王子とて二十歳にでもなれば、私に対する恋も冷め、人間の嫁を貰うだろうさ」
そう、竜神は笑った。
そして、十二年後。
王子は成人となり、顔からも幼さが抜け落ちた。
「竜神殿、愛しています。私と婚姻を結んで頂けぬでしょうか?」
どうして、こうなったと竜神は頭を抱えた。
もう、王子は良い歳なのだ。小僧っぽさも抜け落ち、可愛さも無くなり、凛々しく、聡明な、逞しい青年となったのだ。
その成人した王子が、年端もいかぬ少女に向かって告白をしているのだ。
「ならん、ならんならん」
「しかし、約束が……」
「そんなモノ、破棄じゃ!私と結婚すると言う事が、如何に愚かな事か考え直すがいい!」
「……分かり、ました」
王子は悲しげな顔で部屋を出て行った。
その姿に、竜神の胸がチクリと痛んだが、これも王子の為だと、自分に言い聞かせていた。
「……竜神様」
「なんじゃ」
「王子様が可愛そうですよ」
そう言うのは、十二年前から見た目が変わらない……いや、ほんの少しだけ老けた侍女の姿だった。
「いやしかし、普通は私に恋なんかせんだろう!私の風貌を見ろ、幼い子供だぞ!幼児趣味がある訳でもあるまい、ありえない事だ!」
「ですが、現に王子様は……」
「あれは……知らん!」
自身の主人の無責任な発言に、侍女は眉を顰めた。
「知らないとは何ですか!王子様だって貴方の事を想っているのですよ」
「しかし、絶対に結婚などせぬ方が、王子は幸せだろう!」
「それは王子様が決める事です!竜神様が決める事ではありません」
侍女はそう言い返した。
その姿に竜神は顔を歪めた。
彼女は頑固で、強い意志を持った意見は絶対に曲げない、と竜神は長い付き合いから知っていた。
「だがな、この国の為にも、王子の為にもだな……」
「さっきから、王子が、とか、国が、とか、自分の意見はどうなのですか?王子の事をどう思っているのです?」
「……ぐ」
そう竜神は言い返せずにいた。
竜神自身も王子の事は悪く思っていない自身に熱い好意を向ける姿に、少し身を任せたくもなる。
しかし、しかしだ。
「王子が私を好きでいられる時期なんて少しだけの時間だ。私は老いない……彼と同じ道は歩めない」
「そこまで言うのならば、王子様を呼び戻します。それで話をして、納得させてあげて下さい。約束を一方的に反故するなんて、竜神様らしくありません!」
そう言い切ると、侍女は王子の元へ、走り出してしまった。
「なっ、待て」
「待ちません!」
竜神が止めようとする頃にはドアを開け、部屋の外に出て行ってしまった。
竜神は考える。
彼を、王子をどうやって納得させるかを。
少し考えている内に、部屋がノックされ、王子が戻ってきた。その後ろには、侍女の姿があった。
「竜神様、話とは?婚姻を受理して頂けるのですか!」
そう王子が話す。
開口一番がこれとは……と呆れつつも、竜神は顔を王子へと向けた。
「……王子よ。私と結婚すると言う意味を分かっているのか?」
「はい、分かっているつもりです」
そう言う王子の顔には、先程の侍女と同じ、強い決心が見えた。
「私は、老いないぞ?」
「はい。いつまでも美しい妻がいるのならば、それは嬉しい事ですね」
「……私は、人間ではない。竜だぞ?」
「はい。とても強いと聞いています。ならば、何があっても先立たれる心配もありませんね」
「……私は……王子が死ぬ時ですら若いままだ。……王子と共に寿命を迎える事も出来ないぞ」
「それは良いですね。……私が死んだ後も、私と竜神様との子が、孫が、子孫が……道を間違えぬように諭す事が出来るではないですか」
「……私と結婚をすれば……他人から白い目で見られるかも知れんぞ」
「構いません。人を外聞でしか判断出来ぬ様な人に、好かれようとは思いません」
何度も、竜神は諭そうとする。
私と結婚する事が、如何に大変な事かと……そう言い聞かせていた。
「私は年端もいかぬ少女の姿だぞ」
「……構いません。私は外見だけではなく、心にも惚れているのです」
「心?」
「はい。他人を思いやる優しさ、強かであるのに謙虚で、自身より他人を思いやる事ができる。そんな心に惚れているのです」
王子が、何一つ迷う表情なく、言い返した。
その言葉に、竜神は自身の顔が赤くなるの感じた。
どんな強大な魔獣よりも強固な心臓が、煩く鼓動をしている。
「……本当に、私で良いのか?」
「いえ、竜神様でなければ、ダメなのです」
そう真摯に見つめる瞳に、竜神は覚えがあった。
その瞳は、遥か昔に向けられた事がある。
竜神は、高鳴る鼓動を無理やり抑え、冷静さを取り戻そうとする。
場に流されてはならない、いずれ彼も私の事を好きではなくなる。
そう思い出そうとする。王祖を、彼の祖先を。
「しかし、ダメだ。いずれ、私の事を好きではなくなる。私を妻として見れなくなる」
自分にも言い聞かせる様に、竜神は語る。
「考えても見ろ。この先、十年、二十年……五十年後、王子は私を愛せるか?子より歳も離れた妻を……愛せるのか?」
「愛せます」
即答、だった。
何の迷う素ぶりも見せない。
それは、王子が竜神と婚姻したい為に吐いた何の根拠もない発言……ではない。
王子が考えて、一生愛せると、そう判断した故の言葉だ。
「だが」
「約束です」
「……約束?」
十二年前に言った自身の言葉が返ってくる。
「私は老いても、死ぬ間際であっても…………死んだとしても、竜神様を愛します。約束しましょう」
「そんな、事など……出来る、筈は」
竜神と王子の視線があった。
先に竜神が目を離そうとした。
「……私は、貴方との約束をずっと忘れなかった男です。約束は絶対に守ります。守って見せます」
にこりと笑顔で笑った。
それから、数年後。
国の守護神である竜神と、王子が結婚した。
結婚した当初は、国内の貴族に「殿下はロリコンなのか」「竜の血の欲しさか」と密かに囁かれていた。
ならばと、下克上を狙う貴族達は美しい少女達を送り込み、王子を誘惑した。
だが、王子がどんなに美しい少女にも浮気をせぬ事から、王子は竜神を真に愛しているのだと、貴族達は思い知る事になった。
策謀に嵌めようとした愚か者達を、王子は決して許す事は無かった。
そして、数年後、王子は正式に王となった。竜神も今代だけは女王となり、守り神としてではなく、王族となり、職務に追われる事となった。
茶会、夜会、国交、慣れぬ事ながらも、懸命に仕事を果たした。
そしてまた、程なくして初の息子が生まれた。
息子は竜の血を引いては居たが、人間と同じ様に成長をしていた。
ほんの少しだけ、力が強く、病になりにくかったが。
それを知った女王はホッと胸を撫で下ろした。息子は、人の理の中で生きていけると、確信したのだ。
幾つもの時は流れ、幾つもの思い出が積み重なり、やがて王は王でなくなり、老いた老人となった。
連れ添う少女の姿は変わらず、時が二人を引き離して行った。
そして老人の死期も間近に迫り、命は風前のともし火となった。
「……我が妻よ」
「どうした、夫よ」
女王と言う肩書きも捨て、また竜神へと戻った少女は、自身の夫に聞き返した。
「先に逝く私を、貴女は恨むだろうか」
「お主と結婚する前から覚悟はしていたさ」
「そうか」
そう聞くと、老人は目を閉じた。
「だが、悲しい事に変わりはない」
「そうか」
老人の頬が緩んだ。
「私からも一つ聞きたい」
「……うむ」
「私の事を愛しているか?」
切実な目で、少女は、縋る様に見つめる。
この瞬間、命が途切れる寸前、聞きたい事、そして言いたい事が沢山あったのだ。
「あぁ、愛しているよ。約束など、必要がなかったくらいにな……」
「……そう、か。私も、愛しているよ」
竜神がそう言うと、老人は少し驚いた様な顔をした。
「……最後にそれを聞けて、私は心置きなく逝ける」
「先に待って居てくれ。……いずれ、私も向かう」
「ゆっくり、気楽に……なるべく、遅く……な」
その日、王だった老人は死んだ。
「好きです!僕と結婚してください!」
まだ十歳も過ぎていない、若く、幼い少年がそう言った。
それを聞いた少女は慈しむ様な目で、その少年に言葉をかけた。
「すまないな。少年よ。私には心に決めた夫が居たんだ。彼以外を愛する事は出来ないんだ」
少女はそう、細く笑った。
幾千もの時を越えて、遥か永き時間を過ぎても、その記憶が色褪せる事はなかった。
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