師匠が残したもの。
あれからこの二週間で二度ほど舞は浩二のもとに訪れていた。
当然、ナオも一緒に。
その内1回は浩二自身も彼女の治療を受けていた。
回復魔法。
本来は特定の家系に代々伝わる能力の様なものらしく、全く違う家系から回復魔法を使える者が出るのは極めて稀なようだ。
少なくともここ千年は現れた事が無いらしい。
当然勇者の中でも特別視され、少しではあるが発言権らしきものもあるお陰で、王女様等と話す機会も貰えたとか。
舞本人曰く
「別にそんなに大袈裟な事を出来るわけじゃないのに…目立ち過ぎて…居心地悪いよ…。」
だそうな。
彼女が、たまたま回復魔法が使えて、たまたま猫好きで、たまたま回復魔法が稀少だったからこそ今のナオがあるのだから、軽く神様に感謝してもいい確率だ。
なんて話したら
「お陰で私もナオちゃんに出会えました!」
なんて眩しい笑顔で言われてしまった。
全く…この子には頭が上がらない。
回復魔法での治療の件でもえらく揉めたそうだ。
こちらの世界の人達は回復魔法の希少価値も相まって揃って反対。
勇者達はと言うと…どちらでも良い…ってか、あんまり興味も無さそうだったそうな。
結局、王女様の
「勇者様方の訓練に支障も出ますし、最低限の治療ならば良いのではないですか?新堂様の回復魔法の修練にもなりますし。」
という鶴の一声で異世界側も渋々納得したそうだ。
そして、当の舞はと言うと
「人を癒すのに人種も身分も関係ありません。
私は私の治したい人を癒します。」
とまぁ、なんともイケメンな発言を。
王女様はその意見を尊重した感じだ。
舞が言うには、
「あの時、絶対王女様私にウインクしました!」
だそうな。
この王女様…本当に一度お目通りしたいものである。
□■□■
そんなこんなで立禅を始めて約1時間。
約なのは時計がないから。
一緒に転移したスマホはとうにバッテリー切れです。
「ふぅ…さて、次は三体式かな。」
三体式。
浩二が師匠と心の中でそう呼ぶ90過ぎの老人に教わった、老人曰く「拳法の真似事」である。
その実は、太極拳、八卦掌と並ぶ中国拳法の中でも有名な「形意拳」その型の一つである。
両足を軽く開き爪先を少しだけ広げて立ち、軽く身体を前へ倒す。
この時、腰を曲げるのでは無く股関節から曲げるのだ。
中国拳法では腰とは股関節の事を言うらしい。
そして、身体を倒したまま膝を曲げると自然と体が起き上がる。
身体を地面と垂直になるまで起こした後は右足を半歩前に出す。
左手を腰に、右腕を軽く前に出し掌を前に向ける。
重心は前足3後ろ足7。
この形を維持。
左右を入れ替えて更に維持。
はっきり言ってキツい。
慣れるまでは数分でもキツい。
特に後ろ足の負担が半端ない。
今にも伸び上がり飛び出してしまいそうな…そんな感覚が常に後ろ足に宿る。
「大分慣れたとはいえ…最初はキツかったなぁ。」
そう呟きながらスッと腰を下ろすようにスムーズに三体式へと姿勢を変える。
大分慣れた等と言いながら、今では左右共に一時間は行っている。
師匠に言われた通りに立禅と共に毎日欠かさず。
老人は浩二に三年間、三体式のみをひたすら続けさせた。
それは、この三体式という型が、形意拳において絶対に外せないものだから。
全ての型の基本となるものだからと。
やがて浩二が転移する一年前、三体式を三年続けた彼に老人が教えた新たな型それは、「崩拳」
一般的に形意拳と言えば有名なのが動物の動きを模した「十二形拳」
虎拳や蛇拳なんかが知られている。
しかし、老人が選んだのは更に基本の「五行拳」
全ての形意拳の基本と言われるもの。
その五つの型のうちの一つ「崩拳」
本来は型の一つ「劈拳」を最初に学ぶらしいのだが、何故か老人は最初に「崩拳」を教え始めた。
見た目は半歩踏み込んでの中段突き。
しかし、それは大きな間違い。
達人の放つ崩拳は、放てば必殺。
「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」と言われる程。
拳を通して身体の内側に衝撃を透す又は留まらせ、相手はその場に崩れ落ちる様に倒れるという。
派手に吹き飛ばすのは未熟との事。
その見た目は地味だが、カウンターを利用したその単純な動作で放たれる一撃は至極強力。
なぜ老人が崩拳を選んだのかは今ではもう知る術はない。
しかし、浩二は続けた。
勤勉に教わった通りにその型を反復し続けた。
いつか来るべき時に備えて。
そして、浩二がここに閉じ込められて一週間、今から一週間前に事態は動き出した。
いつもの様に日課を終えた浩二の所へ二名の兵士がやって来ると
「出ろ!」
とだけ言い放ち、牢の扉を開いた途端浩二を引きずり出した。
相も変わらずの杜撰な扱い。
何を言っても聞き入れて貰えないのは分かっているが、やはり腹が立つ。
足に嵌められた鎖がジャラジャラと音を立てながら普通の歩行を邪魔する。
そんな事はお構い無しに引き摺るように連行されながら詰所前を通りかかった時、ふと声が掛かる。
「オイ…」
たった一言。
底冷えするような低い声。
振り返ればそこには、見たこともないような冷たい視線を向けるスミスが佇んでいた。
声は二人の兵士にも聞こえたようで、ビクッと身体を跳ねさせると慌てて敬礼する。
「おっ…お疲れ様です!スミス兵隊長っ!」
「お疲れ様ですっ!」
兵隊長?
確かにスミスは二人の兵士にそう呼ばれていた。
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