7 手を取る
「ごめん。ちゃんと聞くよ。なんだい」
「我が国の王族にだけ伝えられてきた特別な存在がいてね、その特別な力に人々が群がって人心が狂ってしまわないよう人知れず隠れ住んでいるのだけれど、必要と王が認めた者には力を使わせてきたの。
その力は治癒の力。斬られて無くなった手足すら再生し、記憶喪失になった者の記憶を呼び覚ます奇跡のような治癒の力。私たちはその力を持つ人のことを聖人と呼んできたわ」
聞くうちにヴィンツェンの眉根のひそめられた険しい顔が鈴乃を見る。
「それは……隠すよりももっと広く治癒をさせた方がいいのではないのか」
鈴乃は首を横に振って長い黒髪をゆらした。
「それはできないの。力を使えるのは一日に一度だけ。力を使った聖人は疲れ切ってそのまま二十時間眠ることになるのよ。たとえすり傷の治療でも同じなの。だから最大で使ったとしても一月に二十八人しか治療できないし、毎日力を使わせて毎日眠ってばかりで過ごさせるなんて聖人の心はどうなるの。という話になるわ」
ヴィンツェンは得心したようにうなづいた。
「それで王だけが力を使わせる権利を持つようになったのか。聖人の人としての人生を守るために。そして、助けられなかった人からの恨みや、その苦悩から聖人を守るために」
「そうよ。けれどここ三代続けて我が国の王は最低だった。先の二人の王は死ぬことを恐れて聖人だけは守っていたけれど、父は違ったわ。死ぬことなど恐れない人だったから、家族のことも愛してはいなかったから、治療の術が失われることを恐れなかった。だから聖人を隠していた里を平気で襲ったの」
「襲った? 馬鹿な」
また表情が険しくなる。
感情豊かな人だなと、鈴乃は心のどこかで思う。
「聖人が父に意見してきたからよ。暗君だった先の二人の王も、聖人には逆らえずにいくらかの譲歩をしてきたようだから、聞いてくれると思ったのでしょうね。けれど父はそういう人ではなかった」
「それはいつの話だ。聖人は無事なのか」
鈴乃はふるふると首を横に振る。
「わたくしの生まれる前のことだから、詳しくは分からないのよ。でもそれらしい遺体は見つからなかったとあったわ。だからきっと生きていると、願っている」
厳しい顔をしたヴィンツェン王子を、鈴乃もまた真剣な眼差しで見つめた。
「あなたにこの話をしたのはね、ヴィー、あなたに聖人を保護してほしいからよ」
そこでいったん言葉を切った。
本当は聖人が存在するから、護ればいい。と言うだけのつもりだった。
けれど彼の求めに応じて鈴乃の事情を話した流れで、言いたいことを好きに言ってしまっていた。だから、この先も言ってしまおうと、鈴乃は青い瞳を見つめる。
「そして西棟の地下に捕らえられている彼らを、救ってあげて欲しいのよ」
そう言う鈴乃の声に感情はない。思いはない。ただ熱意はある。
「鈴乃姫……」
つぶやかれたヴィンツェンの声には、いくつもの感情がこもっていた。
「聖人が生きているとしても、探すのは並大抵のことではいかないでしょう。けれどわたくしは、彼らに光を取り戻してあげたいのよ。生きることを諦めなかった彼らに、救いをあげたいのよ。お願いよ。力を貸して」
「もちろんだ」
間髪いれずに返事が来て、ちょっと驚きつつ青い瞳を見る。
確かな意思をその目に見つけて、鈴乃はふっと笑んだ。
――よかった。
よかった。
あわれな彼らに希望が出来た。もう思い残すことはない。
鈴乃が予想するに、聖人はケルン大帝国に逃げていると思うのだ。
もし自分が聖人やそれを庇護する人であったなら、徳高きかの国に逃げるに決まっているから。
そのケルンの王子様ならきっと見つけてくれるだろう。聖人もきっと出てきてくれるだろう。力を貸してくれるだろう。ケルンの王子の名の下であれば。
「ありがとう」
感謝を込めて出した声の、聞いたことのないやわらかな声音に、鈴乃自身が驚いて口を手で隠した。
こんな声が出るのね、と思っていると、ヴィンツェンがまた鈴乃の頬に手を当てた。
「君は、本当に、優しい」
愛おしげにつぶやかれて、なんだが心がまごまごした。
口を手で隠したまま横を向く。
「こんなの、普通の人にとっては普通でしょう」
「その普通が普通ではない人間はとても多いのだよ、姫。君の知っている世界は汚すぎたようだが、そうでなくても汚い人間はいるんだ」
「そう……それは、残念ね」
「ああ。でも、君のように美しい心をした人もいる。君が存在することを、出会うことが出来たことを、僕は神に感謝したい」
「おおげさね」
ヴィンツェンは鈴乃の頬に当てていた手をはずして、すっと姿勢を正した。
「最初、君に惚れたときは自分の見る目のなさに絶望したが、今は」
やわらかに笑んで鈴乃を見る。
「見る目がありすぎるのだと、おそろしく自信がついたよ」
ヴィンツェンは鈴乃の両手を取って握り込むと、甘さを捨てた真面目な顔を向けてきた。
「姫、僕は仕事というものは意欲のある者に任せるのが一番良いと思っている」
それは確かによい方針であろうと思う。
「この件で一番意欲があるのは君だろう。だから、牢から出た後は私の臣下として、聖人捜索の責任者になってくれないかな」
敵を身内に引き入れるというのかこの王子は。
危機感のない言いように、逆に鈴乃が危機感を覚えた。
あっけにとられて言葉も出ない。
「王の目を盗んで、少なくともあの詩の数だけ人を助けてきた君の手腕は称賛に値するよ」
褒められるのは、素直にうれしい。が、鈴乃は悪名高く、死んでわびることで火黄国の民の溜飲が下がるような存在だ。
それを死なせずに使おうというのは……。
いや、もしや。
「待って、もしかして私を死んだことにして別人として部下にしようとしているの?」
「それがよければそうしよう」
「いやよ。私は私であることを誇っているし、責められたくないからって別人になりすまして生きるのは不愉快だわ。そういうつもりなら解放されたあとで自分で死ぬわ」
王子は動揺した風もなく、にこやかにうなづいた。
「では、君は鈴乃という名のまま部下にするだけだ。まかせておきなさい」
威圧すら感じる強い言葉に、鈴乃は静かに「そう」と言った。
「きっと君の手足になっていた者達がいるだろう。本人たちが了承するなら、その者達は君の配下につけてあげるから、君が聖人を見つけだしなさい」
逃れられない。
この流れは逆らえない。そう感じる。
人生が大きく変わろうとしている。その道に驚き戸惑いつつも、鈴乃はヴィンツェンを見る。
空よりも濃い青の瞳。
父とは違った意味で強い意志の宿る瞳。
彼の示す道に、乗ってみても良いかもしれない。
「君が彼らを助けるんだ。いいね」
すっと頭を下げた。
「…………はい」
この人になら服従するのも悪くはない。
それから『彼ら』の現状や今後について話をして、鈴乃は牢へ帰された。
「明日も会いに行きたいけど、それよりも君を解放することに力を尽くすことにするよ。すべて終わったら自分へのご褒美に会いに行くことにする。だからそれまでいい子で待っていてくれ」
牢番の部屋まで送り届けながら、ヴィンツェンにそんなことを言われた。