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1 表と裏

 嫌われ、憎まれ、死を願われている。それをとがめる気持ちはないが、咎めるのが役目だ。


 また一人、強い正義の心によって逆らった人が捕らえられ、王の前でひざまづかされていた。

 萌える若芽を思わせる明るい緑色の瞳には、憎悪、敵意、軽蔑、と負の感情ばかりが見て取れた。


 拷問なのか痛めつけられただけなのか、着物は着崩したとは言えない崩れっぷりで、はだけた隙間すきまから筋肉質の体がのぞいている。

 その男の隣に立つ武官の話を、父王が興味なさげに聞いている。

 父王の座る玉座の横に立っていた鈴乃すずのは、父の肘掛ひじかけに手をついて、甘えるように父を見た。


「ねえお父様、この男、わたくしがいただいてもよろしいかしら?」


 男の明るい緑の瞳が憎々しげに鈴乃を見た。わりと端正な顔立ちをしているから、そんな顔もなかなか様になる。

 父王は黒い瞳で鈴乃の赤紫色の瞳を見上げた。仕方のない子だ、と言わんばかりの愛しげな眼差し。


「なんだ。ついこの間もねだらなかったか? あれにはもう飽きたのか? それとも壊れてしまったのかな?」


「うふふ。そんなことあったかしら。昔のことは覚えていないわ。わたくしは今あれが欲しいの、お父様」


 蠱惑こわく的な笑みを浮かべて男を見る娘を、しかし満足げに見て「かまわんよ」と父王は言う。


「どうせ死ぬ身だ。お前の好きに遊ぶが良い」


「ありがとうお父様。大好きよ」


 明るい声でぎゅっと老いの見えてきた太い首に抱きつく。

 そのまま挑発するように捕らえられた男を流し見れば、嫌悪の視線とぶつかった。

 鈴乃は口端を上げたままふいっと視線をそらして、立ち上がる。


「わたくしの部屋へ連れてきなさい」


 武官に荒々しく引き立てられる男の前を先導して自室へ向かう。

 鈴乃のく靴は異国のものの作りである。

 ピンヒールという、かかとを細い一本の棒で支えて高く持ち上げる不安定な靴は、石の床をカツカツと音をたてて進む。この靴をあえて選ぶのは、最近流行だからとか脚を長く美しく見せるからではなく、鈴乃がこの音を好きだからだ。


 石床を踏みつけ、廊下に音を鳴り響かせ、他人の聴覚を一瞬だけでも支配する。

 なんと居丈高で偉そうな音だろうか。

 悪い姫によく似合う。音をよくしろと細かく注文して作ってさえいた。だから鈴乃のヒールは普通よりも大きな足音をたてる。


 歩きやすいようにひざから下の脚が出るよう仕立てた着物は、色っぽいと表面上はみな褒めるが、裏では破廉恥はれんちだの伝統美がないだのとさげすまれているのは知っている。知っているが変えるつもりもない。なんといっても歩きやすいのである。


 王族の古きよき着物は何枚も衣を羽織り、重ね色の美しさを競い、ぎっちり体を隠すものだ。そんなものは窮屈きゅうくつで苦しいばかりか、なんといっても歩きにくいのである。そして重い。


 本当は男物の着物のようにだらしなく着たいのだが、さすがに胸元がはだけすぎて断念した。昔の庶民の女性は恥じらい無く谷間をさらして着ていたらしいが、今の庶民はちゃんとお胸を隠しているのである。さすがの鈴乃も庶民にすらある羞恥心はあるのであった。


 それなら今の庶民のような格好をできればいいのだが、庶民を馬鹿にしなくてはいけない身の上なのだから憎たらしい。庶民のような格好を避け、重く美しいが機能美に欠ける着物を着ないためにあがいた結果としての改造着物であった。


 色っぽい、あだっぽい、夜着のようだと言われるのは望むところではないが、かまわない。まっとうな服を着ていようと悪女は悪女、どうせ嫌われているのであれば好きな格好をして生きたい。


 自室に入って靴を脱ぎ、絨毯じゅうたんかれた一角に置いてある椅子に腰掛ける。あわれな男を連行していた武官が、鈴乃の前に男をひざまづかせた。


 背にまわした両手に鉄枷てつかせをはめられている男は、畳の上に座りキッとこちらを睨みつけてくる。

 足首に新しい鉄枷をつけられ、そこに両手につけている鉄枷をくっつけて固定されると、男は座ったまま身動きがとれなくなった。


 武官から鍵を受け取って文机の上に置く。鈴乃は艶やかに美しい顔にふっと余裕のある笑みを浮かべて、武官を部屋から下がらせた。


「ずいぶん痛めつけられたものね」


 部屋に自分と、侍女である老婆と、わりと美形、と鈴乃が判じた男だけがいる状態になって言うと、男はやっと口を開いた。


「好色な女狐め」


 吐き捨てるように言う。


「民の惨状もおもんばからず、父王もいさめず、毎夜毎夜男を部屋に呼び寄せ遊ぶいけがわしい女が。その綺麗な顔を引き裂かれて汚泥おでいの底に捨てられる未来が俺には見えるぞ」


 恐れさせようとでもいうのか、ただ憎悪をたたきつけてきただけなのか、そんなことを言う男に鈴乃はくっと笑って返した。


「急に多弁になって。か弱い女の前でしかいきがれないのかしら? 情けない」


「あの暗君の前で言った俺の言葉を、もう忘れたとでもいうのか!」


 鈴乃は棚に置いてあった裁縫箱の中から、断ちバサミを取って立ち上がる。


「覚えているわよ。税を減らせ、刑罰を減らせ、悪人を裁け、飢えた者に施しをしろ、事情を考慮しろ、略奪をやめろ、民が可哀想だ。そんなところだったかしら。言うだけ無駄なのによく吠えたものよね」


 言いながら鈴乃は男に近寄る。

 ぺちりと断ちバサミの茶色い刃で男の頬を軽く叩いた。


「そう言うあなたも立派な着物を着ているわねえ?」


「登城のためだ。いつも着ているわけじゃない」


「そう? もったいない。よく似合っているのに」


 と評したにも関わらず服をハサミで切り裂いた。帯も切ると、赤い裏地の立派な着物が、ぼろきれになって落ちていく。ハサミを文机に置いて、ふんどし姿になった男のまわりをぐるりとまわる。


 背中に刀で斬られたらしい真新しい傷があった。

 なまなましく赤い肉を見せるそれに眉をひそめつつ正面にもどってくると、男の目にかすかな動揺が浮かんでいるのが見て取れた。


「なにをするつもりだ」


「私は好色な女狐なんでしょう?」


 くいっと男のあごをつかんで持ち上げようとしたが、力で反抗されて持ち上げられず、男の前にかがんで正面に向き合う。


「口付けてあげようと思ったのに」


 ちょっと不満げな顔をして言ってみる。


「噛み切るぞ」


「やだ。少し触れるだけよ。噛むってどうやるの? なにを考えたのかしら?」


 小首をかしげると、わりと美形な男の顔がちょっぴり赤くなって視線をそらされた。短い黒髪がさらりとゆれる。

 好色な、と罵倒ばとうする心構えはあっても、それに巻き込まれるのはまだ抵抗があるらしい。清廉せいれんな男なのだろう。


「かーわいい」


 ふふ、と笑ったとき、話しているうちに別室へ行っていた侍女の老婆が荷物を持って戻ってきた。

 その中から塗り薬と貼り薬と包帯を取って男の背後にまわる。

 そして情け容赦なく前置きもなく、塗り薬をべたっと刀傷につけた。


「っつ」


「痛い? しみる?」


 心配するような内容だが声は明るい。


「……何をしているんだ」


「なにかしらね」


「毒でもつけているのか」


「……なんて答えるのが一番面白いかしら?」


「は?」


「毒よって言ったらあとあと面倒だし、薬よって言ったらそのまますぎて面白くないし、なにかしらね、はさっき言っちゃったから芸がないし」


「なにを言っているんだ」


「あ、傷口から入る媚薬びやくを塗っているって言う手もあるわね」


「……ちっ」


「ふふっ。言葉遊びはこの辺で終わりにしましょう。これは薬よ。大人しくしなさい」


「……は?」


 いぶかしげな声にはもう何も返事をせずに、もくもくと薬を塗って、その上から貼り薬をべだっと貼る。冷たさに驚いたのか男の体がびくりとするのが少し面白く、背中をつつっと指でなぞった。


「うわっやめろ!」


 びくりとはねた背中とうわずった声が面白い。

 鈴乃はくすくすと笑って、薬が落ちないように男の体に包帯を巻いていく。背中から巻いているから、胸の方を巻くときには少し男を抱くような形になり、太い首筋に鈴乃の頬が近づき、男の熱をじわりと感じた。


「……本当に何をしている? 何の毒だ」


「もし毒を塗っているなら、素直に答えることはないのではないかしら?」


 むぅ、と男が沈黙する。それをいいことに、ぐるぐると包帯を巻いて、終わりを縛って止めた。


「応急処置だから、あとで医者にでも見せなさい」


 正面にまわって男を見下ろすと、憎悪をどうぶつければいいのか分からなくて困惑しきった顔があった。


「いいわその顔。いじめがいがあるわね」


 その言葉でやはり鈴乃は悪だと断じたのか、目に炎がもどってきた。


「なーんてね」


 くすりと笑って文机の上に置いた鍵を持ってくる。男の鉄枷をすべて解くと、侍女の老婆が男に質素な薄茶色の着物を着せはじめた。

 暴れようかどうしようか迷っている目のまま、彼もとりあえず着物は欲しいのか大人しく立ち上がって着付けられていく。

 ふりまわされすぎて大人しくなった新緑の瞳が鈴乃を見ていた。


「どういうつもりだ」


「逃がすつもりだけれど?」


「……馬鹿な」


「逃げ切ってから信じればいいわ」


 目には動揺ばかりが現れている。

 老婆は緑色の風呂敷に包んだ荷物も持ってきて、男に手渡した。


末枝まつえ四等勲爵家よんとうくんしゃくけ令息れいそく時平ときひら


 ふざけた色を消した堅い声で呼ぶと、新緑の瞳に真剣なものが宿った。


「逃げ切ったときこれを恩義に思ってくれるなら、決して私のことを善人と触れまわらないこと。父は悪人を愛しているの。私が善人と思ったら見向きもしなくなるわ。こうして隠れて誰かを助けることもできなくなるし、王位を継いであなたが糾弾したようなことを改善することもできなくなるわ。父は私ではない本物の悪人に王位をゆずるでしょうからね。あの人にとって血のつながりなど薄いのよ」


 時平は呆然と鈴乃を見ている。


「家族に会うのはよいけれど、お友達にはできれば会わないでいただきたいわ。あなたは死んだ。そういうことにして欲しいの」


 明るい緑色の瞳がさまよう。彼はしばし思案してから鈴乃を見下ろす。


「……これまで、何人助けた?」


「さぁ、数え切れないわ。その皆がお願いを聞いてくれたの。あなたがそれを無駄にしないでくださるかしら?」


「これが……夢でも罠でもないなら、約束しよう」


「いいわ。それならこのまま逃がしてあげる。約束してくれなかったら、記憶が少し飛ぶ薬を飲ませるところだったけれど」


 ふふと笑う鈴乃を、時平は不可解そうに見る。それは鈴乃の善なる気質を疑うものではなく、疑わないからこそ分からない、という目だった。


「……王をなぜ殺さない?」


「それがわたくしの最大の罪よ」


 鈴乃の赤紫色の眼差しは静かで、凪いだ海のようだった。荒れ狂う側面を隠した海のように、これが本来の姿なのかと錯覚さっかくさせる。


「民の惨状を知っていても、私は自分の父を殺せない。どうしても、殺せない。……ごめんなさい」


「このままでは、あんたが王位につく前に反乱が起きてあんたも殺されかねないぞ」


「かまわないわ。罪だもの。罰が下されたと思うだけよ」


「本当は善人なのに?」


「偽善よ。本当の善人は、父を殺せるわ」


 時平は苦い顔をする。


「実の父親を殺せないのは、あんたが優しいからだ。罪ではあるかもしれないが……」


 鈴乃がふっと笑った。艶やかな赤い着物の腰に両手を当てて、下から挑むように体格のいい男を見上げる。


「その口ぶりでは、もう信じちゃったの? 逃げきれていないのに。まだ早いんじゃなくって?」


「それは……そうだが」


「ふふ。そうそう、逃げ切ったらわたくしあてに手紙を送ってくださらないかしら?」


「手紙?」


「あなたの名前は書いては駄目よ? 詩を一句、書いて送って欲しいの。そうね、あなた新緑の瞳をしているから、草木の萌える姿を詠った句がいいわ」


 それが時平を示す暗号になるのだと理解したのか、彼は首肯した。


「分かった。必ず、送る」


「では、お互いに生きていられたらまた会いましょう。私が玉座についたときには協力してね?」


「ああ。その日が早く訪れることを願うよ」


 鈴乃は木の壁に近寄ると、何かを探るように壁をなでた。


「言っておくけど、もし私を頼って事を起こそうとしても無駄よ。私は悪女という体面を守らなくてはいけないの。何であれ協力は期待しないように」


「承知した」


 探していた場所を見つけてぐっと押し込むと、かちりと音がする。

 その左側を押せば、人一人が通れる範囲の壁が奥に押されて、暗い空間につながった。

 後ろから時平がやってくるのを察して脇に避け、彼が中に顔を入れるのを見守る。

 暗くてよく見えないだろうが、そこは通路になっていた。


「最初の交差点は右へ、次が左、その先はずっとまっすぐよ。独り言なんかは言わないように。出口は出口であって入り口にはならないから、後で利用しようとしても無駄よ」


 老婆がろうそくの入ったガラスコップを持ってきて、コップを包む鉄の持ち手を彼に持たせた。

 それを持って通路に立つと、闇の景色がわずかに見えるようになる。


 時平は振り返って二人に目を向けてから、鈴乃の赤紫の瞳をじっと見つめた。

 そこには最初見たときのような負の感情は認められない。困惑と不信感と、そしてかすかに尊敬の念があるように見える。


「……あんたのことを誤解していたかもしれない。数々の罵倒、すまなかった」


「全く気にしていないわ。早く行きなさい」


 頭を下げてから歩き出した彼を見送って、壁を元に戻す。

 鈴乃にとってさげすみの目も憎しみの念も慣れたものだった。むしろ彼のように、心根の綺麗な人間からきらきらした目を向けられる方が気持ち悪くて身悶えする。


 父は悪人を好む。

 その気持ちが分からなくもない。

 あまりにも負の感情にさらされることに慣れすぎて、清らかなものに恐れおののくのだ。殺意さえこもる憎悪の眼差しには余裕で耐えられる代わりに、親愛の眼差しがむずがゆいのである。


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