第77話:天魔族
転移後、遺跡のある禁区から出た大天使達は、天界の主要都市───聖都アルカンシエルへと向かった。元々静かな場所ではあったが、不気味な程静まり返った都市に降り立ち、少し先にある大聖堂に目を向ける。
「あ……」
懐かしい光景が広がっている。懐かしい空気が満ちている。ようやく故郷に戻ってくる事ができたのだと実感しながら、ルシフェルは目に浮かんだ涙を拭った。
「ガハハっ!変わらんだろう、天界は」
「はい、記憶と変わらないです」
「しかし妙ですね。天使達の気配が感じられません」
ロッテが周囲を見渡しながら言う。確かに、建物の中に居るとも思えない気配の無さ。嫌な予感がしながらも、大天使達は念の為神装を呼び出し神力を纏う。どのみち天界侵入はアズリエラに気付かれている筈なので、隠れる必要はない。
「警戒していた罠などは仕掛けられていなさそうだが……」
「とにかく行ってみましょ。最悪本人から聞き出せばいいわ」
頷き合い、大天使達が大聖堂の中へと足を踏み入れる。そして視界に飛び込んできたのは、まるで彼女達を待っていたかのように立っているアズリエラの姿だった。
「おや、よく来ましたね。歓迎しますよ」
「アズリエラさん……」
「地上での様子は見させていただきました。あれだけ嫌っていた魔神達と、随分楽しそうに戯れていましたね」
舌打ちし、クルトが槍をアズリエラに向ける。
「そんな事はどうでもいいんだよ。一人で何をするつもりなのかは知らないが、覚悟はできているんだろうな」
「覚悟、ですか」
暫く黙り込んだ後、アズリエラは小さく吹き出し、そして天井を見上げてゲラゲラと笑い始めた。まるで危機感など感じさせない、余裕の態度。大天使達はそれに苛立ちを隠せない。
「……王国で使った貴方の奇蹟、それを解除してください」
そんな中、ただ一人冷静な者がいた。奇蹟を発現させたルシフェルが、一歩前に出てそう言う。
「奇蹟の解除、ですか。フフ、確かに可能ですよ。貴女達を追い込む為に使用しましたが、正直あまり役には立ちませんでしたね。まさか全大天使が寝返るとは……」
「あんたみたいなのがルシフェルの代わりに大天使長をやっていたって考えると、吐き気がするね」
「実に不愉快。消えろ生ゴミ」
エアやコルレミスの言葉には反応せず、アズリエラが奇蹟を発現させた。そして指を鳴らし、黙って待っていたルシフェルに再び目を向ける。
「今ので私の言葉を信じていた者達は皆、正常に戻りましたよ。おめでとうございます、これで逃げ隠れする必要は無くなりました」
「お前のその余裕は何だ、アズリエラ」
「分かりませんか、エクレール。大天使達を前にして崩れない余裕……それが何を意味するのか」
不意に魔力を感じ、エクレールは神装【崩天棍】を振るう。直後、神装と魔法がぶつかり合い、衝撃波が大聖堂を揺らした。天雷の奇蹟に焼かれた堕天使は消し炭になったものの、複数の気配を感じてエクレールは舌打ちする。
「堕天使……!」
「まさか天使を堕天使へと変える技術まで得ているとはな。それが余裕の理由か」
「フフ、まさか。今のは失敗作ですよ。今日貴方達が相手にした堕天使全てもね」
「何……?」
堕天使は皆、魔王クラスと同等かそれ以上の力を得ていた。それをアズリエラは失敗作と言う。ならば彼の生み出した成功作とは、一体どのような存在なのか。
「貴方は一体、何を企んでいるの……?」
「私はね、ルシフェル。まだ誰も見た事のない〝楽園〟を、この手で創造したいのですよ」
手を広げ、アズリエラが語り出す。
「蟻のように群がる目障りな人間、存在そのものが穢らわしい魔族と魔物、自分達を希少な種族だと思い込んでいる哀れなエルフ……そして、この天界に生きる天使達。その全てが私の創る世界には不要な存在であり、女神に代わり真の神となるこの私が浄化しなければならないのです」
「お前も天使だろうが」
「いいえ、私は神となる。女神アルテリアスをも凌駕する、究極にして至高の存在に」
直後、アズリエラの体をメイリンの神装が締め上げた。それを合図に大天使達がアズリエラを取り囲み、それぞれ神装を構えて神力を纏う。
「アルテリアス様を凌駕、か。貴様程度があの御方をどう凌駕するつもりなのか見ものだな」
「ガハハっ!奇蹟の力で大天使長になったんだろ?実力で負ける気はしねぇなあ!」
大天使の中でもルシフェル、エクレール、ガルムは別格の強さを誇っている。彼女達に加え、天界で本来の力を発揮できている大天使達が複数人。ルシフェルはアズリエラの動きをかなり警戒しているが、他の大天使達は彼に負けるとは微塵も考えていない。
「……くっ」
堪らず、アズリエラが頬を緩める。
「くくっ、は、ははははははははっ!!」
「……何がおかしい」
「素晴らしい、自信に満ち溢れたその態度!ならば見せてあげましょう、新時代の神となる私の力を!!」
次の瞬間、メイリンの神装が弾け飛んだ。更に解き放たれた神力が大天使達を薙ぎ払い、吹き飛ばす。唯一踏ん張り耐えたルシフェルとエクレールは、信じられない光景を見て目を見開いた。
「馬鹿な、神力と魔力だと……!?」
「アルテリアス様とジークさん以外が、そんな事を……!」
大聖堂が崩壊する。浮き上がったアズリエラを包み込む、神力と魔力の混じり合ったモノクロの球体。そこから放たれる稲妻が壁や床を破壊し、消滅させていく。
「くっ、全員大聖堂から脱出して!!」
ルシフェルの声を聞き、次々と崩れゆく大聖堂から飛び出した大天使達。そして、彼らは見た。右の翼は黒に、左の翼は白に染まった───天使でも魔族でもない、未知の存在を。
「刮目せよ、旧時代の住人達よ!この私こそが創造主、新時代を率いる天魔族の王にして神だ!」
「て、天魔族……!」
凄まじい神力と魔力が天界を震わせる。完全に想定外。今のアズリエラは、自分達だけで対処できる存在ではない。ロッテが奇蹟を使い、地上に緊急事態を知らせようと動く。しかしそれに気付いたアズリエラは、目にも留まらぬ速さで彼女に接近し、そして無防備な腹に拳をめり込ませた。
「がッ……!?」
「駄目ですよ、コソコソとそんな事をしては」
「貴様!!」
エクレールが振るう神装を手の甲で止め、振り向きざまに蹴り飛ばす。更に追撃を阻止する為割り込んできたクラウンの盾を拳で貫き、そのまま神力を放ち彼の骨を砕いた。
(つ、強い……!)
一斉に動き出した大天使達の猛攻を、殆どその場から動かずに捌いていくアズリエラ。ルシフェルも神速の奇蹟を使い連撃を繰り出すが、その全てを弾き返されてしまう。
「無駄ですよ。いくら貴女でも、この私を止めることなどできません」
「神装【光炎柱】!!」
円状に地面に突き刺さった神装が神力で繋がり、生み出された光の柱がアズリエラを包み込む。デミウルゴスにもダメージを与えた一撃だが、弾け飛んだ柱の中から姿を現したアズリエラは、無傷。
「……堕天使化させる力は、その形態を完成させる過程で生まれたのか。だからさっき、堕天使を失敗作だと言ったんですね」
「その通りです。神力と魔力をその身に宿す新たな種族。そう、天魔族こそがこの世界にとって相応しい存在。その他全ての種族は滅びるべき……そうは思いませんか、ルシフェル」
「思うわけない。私が目指しているのは、全ての種族が平和に暮らせる世界だから」
「はぁ、相変わらずくだらない事を言うのですね。何年経っても馬鹿は馬鹿でしたか」
互いの姿が消える────その直後には両者の神装がぶつかり合い、衝撃波が聖都を駆け巡った。
「貴方はここで、私達が倒す……!」
「フフ、地上の仲間達抜きで勝てるとでも?」
「【黄金砲台】!!」
コルレミスが砲撃を放つが、アズリエラはそれをルシフェル目掛けて弾いた。咄嗟に身を捻って避けたルシフェルだったが、その隙をアズリエラは逃さない。彼女の足を掴み、振り回して建物に叩きつけ、更に足裏で蹴って壁ごと吹き飛ばす。
「【天雷魔討撃】!!」
「【閃光裂波】!!」
エクレールとクルトがそれぞれ奥義を繰り出す。だが、アズリエラは左右から迫る聖技を余裕の表情で受け止めると、神装を掴んで勢いよく引っ張り、目の前でエクレールとクルトを激突させた。
「こんの野郎があッ!!」
真後ろからガルムが腕を振るうが、一瞬で背後へと移動したアズリエラの魔法を浴び、クラウンの盾を上回る硬度を誇る神装が砕け散る。驚きに目を見開くガルム……そんな彼を見て口角を上げ、アズリエラは手刀で肉を切り裂いてみせた。
「いかがですか、大天使の皆さん。これこそが天魔族の力、女神をも凌駕する神の力。私の言葉に偽りは無いと分かってくれたでしょうか」
「くそっ、こんなのどうしろっていうんだ……!」
エアの放つ矢が雨のように降り注ぐが、障壁に阻まれ届かない。そんな中アズリエラは空高く飛び上がり、そして奇蹟を解放した。
「一つ目の奇蹟【神集】は天界中の神力をこの身に集める、まさに神に相応しい力!さあ、天魔の裁きを味わいなさい!」
集められた凄まじい量の神力を、アズリエラは真下に向かって解き放つ。それは巨大な球体となって迫り、着弾と同時に聖都の半分以上を消し飛ばした。
「おや、よく体が残っていたものですね。一応手加減したので、ギリギリ耐えたということでしょうか」
半壊した聖都でルシフェル以外の全員が意識を失い、倒れている。残った彼女も全身にかなりのダメージを負っており、断罪剣を支えになんとか立っている状態であった。
「貴女を天界から追放したのは、研究の邪魔になるからでした。勘のいい貴女のことです、私が何をするつもりなのか、すぐに気付いていたでしょうからね」
「っ……」
「そうなると次に邪魔なのはエクレールでしたが、彼女は私の奇蹟である程度行動を操作できました。本人は効いていないとでも思っているのでしょうが、彼女の性格なら、堕天した貴女を追わない筈がない」
地面に降り立ったアズリエラが、ゆっくりとルシフェルに向かって歩き始める。
「貴女の居ない天界は、本当に簡単にコントロールする事が可能でした。おかげで天魔族の研究は成功し、私は神となった」
「まだ、終わりじゃない……!」
「終わりですよ。私はまだ、半分程度も力を見せていません」
悲鳴をあげる体を無理矢理動かし、斬撃を放つ。しかしそれはアズリエラの前に出現した『盾』に防がれ、消し飛んだ。
「そ、それは、クラウンさんの……!?」
「私は強欲の魔神が持つ紋章を入手し、その力で〝他者の奇蹟、神装をコピー〟する能力を得たのです。効果や強度は本物に劣りますが、それでも大天使全員の奇蹟と神装を使える私に敗北など有り得ない」
ルシフェルの顔から血の気が引く。これは、ジークや魔神達でも太刀打ちできないかもしれない。全ての奇蹟と神装を使用できる能力に、神力と魔力の同時使用による戦闘能力の大幅な上昇。これは、以前相手にしたデミウルゴスよりも遥かに強大で絶望的な敵である。
「それでも……ッ!」
やらなければならない。断罪剣を構え、奇蹟を最大限に解放し、迫り来る災厄を正面から睨む。
「諦めの悪い娘ですね。無駄な抵抗は、苦痛を生むだけだというのに────」
「【閃界】ッ!!」
一瞬で懐に潜り込んだルシフェルが、凄まじい速度で腕を振った。瞬きをする間に放たれた、数百の斬撃。それはコピーされたクラウンの神装を紙のように切り刻み、災厄の身を覆うガルムの神装を破壊し、そしてアズリエラの全身を深く抉る。
だが、それだけだった。
「なっ!?」
集められた神力が、アズリエラの体を癒していく。とてつもない再生速度。一瞬でバラバラになったアズリエラの体は、同じく一瞬で元通りとなる。
そこでルシフェルの全身を襲う、立っていられない程の激痛。限界を超えた速度での超高速攻撃により、筋肉が悲鳴をあげているのだ。
「う、ぐうぅっ……!」
「神とは、万物の頂点に君臨する絶対の存在。何も私は適当な事を言っているわけではないのですよ。こうして体感してどう思いましたか?女神の魔力と神力を持つジーク・セレナーデは、この私よりも強いと言えますか?」
倒れ込んだルシフェルの頭を踏み、アズリエラが口角を上げる。
「最強の大天使もこの程度ですか。これならまだ、傲慢の魔神の方が相手になったかもしれませんね」
「っ……」
「見なさい、この惨状を。守るべき聖都は崩壊し、大切な仲間達は戦闘不能。貴女では何も守れないということです」
そこでルシフェルは思い出した。今、この聖都に自分達以外の天使は居ない。まさか……そう嫌な予感がしてアズリエラを見れば、彼はまるで悪魔のように笑っていた。
「良かったですね、戦闘に巻き込まれる天使が居なくて。彼らは皆、新世界の住民として生まれ変わりましたよ」
絶望的な光景が、ルシフェルの目に飛び込んでくる。空を埋め尽くすのは、白と黒の翼を持った異形の存在。天使だった頃の面影は微塵も残っておらず、ルシフェルの体が怒りのあまり熱を帯びる。
「貴方はッ……!」
「これこそが、天地を統べる天魔の軍勢!この私が新たな神魔大戦によって、美しき楽園を創造してみせましょう!」
降りてきた天魔達が、重傷の大天使達に武具を向ける。アズリエラが一言指示を出せば、彼らは容赦なく大天使達を殺してみせるだろう。
自分が堕天することになった原因、仲間達を騙し苦しめた元凶。そして更に守るべき天界の住民達を別の生物へと変貌させ、多くの命が失われた神魔大戦を再び引き起こそうとしている。
許せない、許してはならない。怒りが、膨れ上がっていく。無意識に殺意が、心の中で芽生えてしまう。
そんなルシフェルの変化を感じ取ったアズリエラは、彼女にトドメの爆弾を投下した。
「そういえば、聖剣ゼウスは元気でしたか?アレを使用できる天使も後々邪魔になりそうだったので、奇蹟で適当に嘘を広めて追い込んでみたんですよ。結果使用者は命を絶ち、ゼウスは魔界へと姿を消したわけですが……まあ、嘘を信じて私を疑わない者達が悪いですよね」
「は……………?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。傲慢の魔神と化したゼウスは、相棒であり親友を奪った天界への復讐を計画していた。それすらも、この男が原因だというのか。
「あ、貴方は……っ!」
じわりと、闇が溢れ出す。
(っ、まずいな。この馬鹿が、私じゃなくてお前が怒ってどうする……!)
彼女の内側で、ゼウスはルシフェルの怒りが限界に達したのを感じ取る。これはもう、止められない。眠っていた紋章が叩き起され、彼女の翼を黒く染め上げていく。
「くくっ、ふははははっ……出ましたね、それが傲慢の魔神としての姿ですか!」
「アズリエラああああああッ!!!」
漆黒の闇をその身に纏った最凶の魔神は、魔剣と化した神装を思い切り振り抜いた。直後、刃から放たれた黒の斬撃がアズリエラを両断し、視線の先にある建物すらも紙のように切り裂いていく。
もう、あれは仲間でも守るべきものでもない。この世に存在してはならないあの生物は、この手で殺さなくてはならない。




