第75話:奪われる強欲
「ぐっ、クソが……!」
「マ、マモン君……!」
膝をつき、強欲の魔神マモンは自分をここまで追い詰めた相手を睨んだ。実力では圧倒的に上回っていたものの、戦闘の最中妙な道具や技を多数使われ、今では手足をまともに動かす事すらできない。
駆け寄ってきたロゼに離れるように声をかけるが、冷静に考えればあの男がそれを狙わない筈がない。ならば近くに居てくれた方が安全ではあるが、激しい戦闘に巻き込まれる可能性がある。正直なところ、これはマモンにとって最悪の状況だった。
「……何が目的だ、てめぇ」
「フフ、嫌でも知る事になりますよ。私が自ら貴方を狙った理由をね」
「気色悪い笑み浮かべてんじゃねえぞ!」
強欲の紋章を発動し、相手の力を奪おうとするが、何故か力を奪えない。困惑するマモンの前で、襲撃者────大天使長アズリエラは両腕を広げて楽しげに笑った。
「無駄ですよ、無駄。私は長い年月をかけ、強欲の紋章を無力化する道具を生み出しました。これさえあれば、貴方から私は能力や神力を奪われない」
「んだよそれ、ふざけんな!」
「欲を言えば、全ての紋章を無力化できるようにしたかったのですが……まあ、一つだけでも充分です。それに、私が最も欲しているのはその強欲の紋章ですからね」
駆け出し蹴りを放つが、展開された障壁に阻まれ弾き返される。そのまま何度も攻撃を加えるが、障壁はビクともしなかった。
「俺の紋章が欲しいだと?天使のてめえが、どうやって魔神の紋章を使うつもりだよ」
「私はあの神魔大戦時代から生きているのですよ?その間にどれだけのものを創り出してきたと思っているのですか」
光の鎖が四方八方からマモンを締め上げる。神力によって生み出されたそれは、傷ついたマモンの全身に凄まじい痛みを与え、纏っていた魔力が乱れていく。
「さあ、その紋章は今日から私のものです。抵抗しなければ、無駄な苦痛を味わう事なく終わりますよ」
「ぐっ、があああああああ!!」
障壁を消し、アズリエラが歩み寄ってくる。まさか大天使が現れるとは思っていなかった。今地上には女神であるアルテリアス、大天使長のルシフェルが居る。その状況で、一体何を考えてこんな事をしているというのか。
「俺から紋章を奪って……てめえは一体何をするつもりだ……!?」
「穢れなき世界をこの手で」
「ハッ、自分は綺麗な存在ってか?てめえからはプンプン臭ってるぜ、どうしようもない屑の臭いがよ!」
全身に力を込め、鎖を押し返して破壊する。それに驚いたのか、目を見開いたアズリエラの頬を歪めたマモンの拳。魔力を纏わせた本気の一撃は、アズリエラを砲弾のように吹き飛ばした。
「舐めてんじゃねえぞ、クソ野郎が……!」
木々をへし折りながら飛んでいったアズリエラにそう吐き捨て、マモンは不安そうに立っていたロゼに駆け寄った。恐らくまだ決着はついていない。今のうちに、ロゼを安全な場所へと避難させなければならない。
「あいつの目的は俺だ。ロゼはここから離れろ。そんで魔結晶を使ってジーク達に連絡するといい。すぐに迎えに来てくれる筈だ」
「そ、そんな、マモン君を置いてなんて……」
「大丈夫、負けやしねーよ。ほら、あいつが戻ってくる前に────」
不意に感じた複数の反応。迫っているのが先程動きを封じられた鎖だと気付いたマモンはロゼから離れて迎え撃とうとしたが、木々の隙間から飛び出してきた鎖はマモンではなくロゼを捕らえた。
「はははははっ!駄目ですよ、こうして人質にとられる可能性がある事を忘れては!」
「っ、てめえ!」
ロゼの体が浮き、アズリエラの前まで引っ張られる。聖技で頬の傷を癒したアズリエラは、身動きのとれないロゼの髪を掴んで持ち上げ、マモンに目を向けた。
「さあ、どうするべきだと思いますか?」
「くっ……!」
「マ、マモン君、私の事はいいから、早く逃げて……」
「貴女は黙っていなさい」
鎖の一つが剣に変わり、それを手に取りロゼの首元に押し当てる。負傷し、更に強欲の紋章が使えない今の状態では、ロゼを巻き込まずに救出できる可能性はほぼゼロに近い。
息を吐き、マモンは魔力を解いた。それを見たアズリエラは歪んだ笑みを浮かべ、それでいいと満足気に頷く。
「そのままじっとしていてください。少しでも動けばこのお方の首が落ちますからね」
「……さっさとしやがれ。何をビビってやがる」
「ええ、私は臆病です。なので────」
突然腹部に激痛が走る。視線を落とせば、魔力を纏った刃がマモンの腹部を貫いていた。振り返ると、堕天使が醜い笑顔でこちらを見ている。ロゼの悲鳴が聞こえるが、これはさすがに問題ないと言う事ができない。
「万が一近づいた瞬間に反撃されては困りますからね。念には念を。これで貴方はもう抵抗できません」
「がはッ……!」
剣が抜かれ、マモンが崩れ落ちる。そんな彼にロゼを連れたまま歩み寄り、アズリエラは怪しい光を放つ玉を取り出した。それをマモンに押し当てると、彼の体に浮かんでいた紋章がその玉の中へと移動した。
「ぐうああああああああッ!?」
「ようやく……ようやく手に入りましたよ!これで私の計画は、数百年ぶりに次の段階へと至る事ができる……!」
ロゼを解放し、アズリエラが翼を広げて神力を纏う。
「感謝しますよ、元強欲の魔神。お礼に想い人諸共浄化してさしあげましょう」
「っ、何を……」
アズリエラは、恐らく聖技を放つつもりなのだろう。ロゼを守らなければならないが、もう体が動かない。マモンは舌打ちし、アズリエラを睨む。
「ロゼ、早くここから離れろ……!」
「嫌だよ!いつも守ってもらってばかりだから……今度は私がマモン君を守ってみせる!」
そう言ってロゼはマモンに覆いかぶさった。その姿を見たアズリエラは、興奮気味に笑いながら聖技を放った───が。
「なっ……!」
その聖技はより強い神力によって消し飛ばされ、振るわれた断罪剣を障壁で受け止める。目の前には、凄まじい神力を纏ったルシフェルが立っていた。
「もう追いついてきましたか、ルシフェル!」
「これ以上貴方の好きにはさせません!」
ルシフェルが飛び退くと、入れ替わりで前に飛び出してきたジークが障壁を粉砕した。更に真横から迫るエステリーナの炎剣がアズリエラの横腹を叩き、そのまま勢いよく吹っ飛ばす。
「ガハハハハっ、観念するんだなぁ!」
「よくも我が好敵手を堕天させてくれたものだ。アズリエラ、貴様はこの手で肉塊に変えてやろう……!」
空中で体勢を建て直したアズリエラに、ガルムとエクレールが迫る。分が悪いと判断したのだろう。アズリエラは真上へと飛び上がり、集結した大天使や魔神達を見下ろし溜息を吐く。
「やれやれ、貴方達まで寝返りますか」
「貴様に協力した覚えなどない」
「そうですか。フフ、今回は退かせてもらいますよ。この人数を相手にする気はありませんからね」
空にいくつもの穴が出現し、そこから堕天使達が這い出てきた。それぞれが魔王クラスかそれ以上の魔力を纏っており、瞬く間にアズリエラを守る壁となっていく。
「また、近いうちに会う事になるでしょう。その時を楽しみにしていますよ」
神力反応が遠ざかる。どうやらアズリエラはこの場から離脱したらしい。追う為にはこの数の堕天使を突破しなければならないが、それをしているといくらルシフェルでも間に合わないだろう。
『ジーク、腹立たしいですが、今はこの堕天使達を倒してしまいましょう』
「ああ、そうだな」
それから堕天使の討伐には大した時間はかからなかったものの、やはり全ての堕天使を倒しきった時、アズリエラの反応は完全に消えてしまっていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「アズリエラが、強欲の紋章を……」
あと後、マモンを村に連れて行ったジーク達。この辺りでアズリエラは奇蹟を使ってはいないらしく、村人達はジーク達を敵だと思い込んではいなかった。そして、マモンからアズリエラが紋章を奪った事を聞いて衝撃を受ける。魔神が持つ紋章を、まさか大天使が狙っていたとは。
「へへ、あんな奴にやられちまうなんてよ……情けないったらありゃしねぇ」
「いや、奴は妙な道具を多数生み出し使用している。我々でも簡単に勝てる相手ではない」
「にしても、紋章なんざ奪って何をするつもりなのかねぇ」
ガルムが顎を撫でながら言う。本来天使が紋章を使う事はできない。例外を言うならルシフェルと魔剣ゼウスだろうか。大天使の力を取り戻したルシフェルだが、ゼウスがルシフェルの身体を使うと今度は堕天使としての力を呼び起こす。今の彼女は、大天使であり堕天使でもある、不安定な存在になっているのだろう。
「強欲の紋章限定らしいけど、紋章を引き剥がす道具まで造った奴なんでしょ?なら天使が紋章を使えるようにする道具があってもおかしくないわ」
『うーん、厄介ですねー』
アスモデウスの言う通り、アズリエラが紋章を扱えるようにする道具を開発していてもおかしくはない。どうしたものかと皆が頭を悩ませていると、ベッドに横たわっていたマモンが突然体を起こしたので、ロゼが慌ててマモンの体を支えた。
「だ、駄目だよ無理しちゃ……!」
「大丈夫だって。俺のせいで迷惑かけてんのに、呑気に寝転んでるわけにはいかねーよ」
「そんな、マモンのせいじゃないだろ」
今のマモンは魔神としての力を失ってしまっている。そんな状態で大怪我による激痛に耐えられるとは思えないが、彼は顔色を悪くしながらも笑ってみせた。
「恐らくアズリエラは天界に帰還しています。このまま放置すれば、奪われた紋章を使い新たな力を手に入れるかもしれません」
「ならば我々も天界に戻り、奴を叩くべきでは」
「ほぼ間違いなく、アズリエラは結界を操作し天使達が天界へと戻れなくする筈です。自ら降りた私を除く、他の全大天使を地上に向かわせたのは、帰還不可能の状況をつくりだす為でもあったのでしょう」
ロッテに言われてエクレールとガルムは気付く。天界は結界の効果でその姿が見えなくなっているが、天使達は皆空を漂う天界の場所を正確に把握する事ができる。だが、今はその位置がまるで分からない。これでは帰還する事は難しいだろう。
『確かに結界が操作されていますねー。力が落ちているとはいえ、女神であるこの私が天界を見失う程の結界操作を行えるとは……』
「ジーク、どうする?」
エステリーナに言われ、ジークは少し考える。大天使達ですら天界の場所は把握できず、王国民達はアズリエラの奇蹟によりジーク達を敵だと思い込まされている。このまま移動し続けていても、天界に戻ったアズリエラをどうにかしなければ問題は解決しない。
と、そこでふと思い出した。傲慢の魔神ゼウスと教会で対峙した時に初めて知った、王国地下にある石版の正体。そう、あれは天界と地上を繋ぐ門となる。起動する事ができれば、天界へと移動する事ができるかもしれなかった。
それを伝えると、そういえばと何かを思い出したようにガルムが腕を組む。
「クラウンのやつから、転移門って装置の整備をした事があるって話を聞いたっけな。ただまあ、状況的に会いづらいとは思うが……」
「……クラウンさん達は今どこに?」
「それがだな、今じゃあの三人組も、お前さんと同じでお尋ね者になってるぜ」
「お、お尋ね者?彼らが?」
「詳しい事情は分からないが、アズリエラに詰め寄ったというのは聞いたよ。ルシフェル、君を討伐する為彼らは一度地上に降りたのだろう?その時に心境の変化でもあったのではないかな」
困ったようにルシフェルがジークに目を向ける。それに気付いたジークは、苦笑しながらその時の事を彼女に伝えた。
「ゼウスが……」
「俺が来たからといって、大天使を見逃したのは少し驚いたよ。きっと大天使達は、その前にルシフェルの事情をゼウスから聞いていたんだと思う」
『それで疑問を抱いた彼らはアズリエラに直接話を聞きに行き、そこで衝突した可能性が高いですねー』
「ちょっと、それならそいつらがどこに行ったのか分からないじゃない。どうするのよ」
追われている最中なのだとしたら、接触するのは難しいだろう。次から次へと問題が浮上し、ジークは疲れたように息を吐いた。
「ま、焦ってもいい事はないと思うぜ。チビ達はこっちに向かってるんだろ?ここであいつらを待ってる間にゆっくり考えればいいさ」
「ゆっくりできるかは分からないけど……そうだな、焦っても仕方ないか」
レヴィとシルフィならば、魔力を探りながらすぐに追いついてくるだろう。ジーク達は、冷静に考えをまとめる為にもこの村で少しの間体を休める事にした。




