第68話:裏切り者
『初めまして、貴方も大天使候補に?』
彼女と初めて顔を合わせたのは、欠けた大天使の候補として呼ばれた会議室でのことだった。よく手入れされた白の髪に、見惚れてしまう程美しい容姿。突然声をかけられたので、激しく動揺したのは今でも覚えている。
『ルシフェルです。よろしくお願いします』
『……クルトだ、よろしく』
それからは同期として、共に行動することが多かった。奇蹟を発現させ、神装を授かり、誰かの為に行動する彼女を、相棒としていつも近くで見ていたのだ。
どれだけ経った頃だろう。クルトが、大天使長に選ばれる程成長したルシフェルに、いつしか特別な感情を抱いていると気付いたのは。しかし、そんな事を本人には言えない。ルシフェルは自分を大切な仲間として見てくれているが、彼女にとって自分がそれ以上の存在ではないと分かっていた。
『ち、違う!私は、天界を裏切ってなんかない!』
更に何年も経ち、彼女が裏切り者として認定された時は激しく動揺した。そんな筈はない、何かの間違いだと何度も言い続けた。しかし、次第にルシフェルの言う事が信じられなくなり、クルトは大天使達と共にルシフェルを天界から追放する。
もしもあの時、最後までルシフェルの味方であったなら。今彼女の隣には、自分が立っていたのかもしれない。
「っ……」
少女の姿を確認し、クルトは息を呑んだ。最後に見た時とまるで変わっていない、美しく可憐な姿。目を見開きこちらを見つめるルシフェルが、穴の中から出てきたのだ。
それに続き、凄まじい魔力を身に秘めた少女達が地上へと姿を現す。そして最後に顔を出した少年は、魔力と神力をその身に宿していた。
「変わってないね、彼女」
「……フン、どうだろうな」
声が震える。何年も会いたいと思っていた少女がすぐ近くに喜びと、何故傲慢の魔神へと堕ちたのだという怒り。その二つが合わさり、感情が爆発しそうになる。
「落ち着きなよクルト。君がそんな調子じゃ、連携は上手くいかなくなるからね」
「分かっている」
拳を握り、クルトはルシフェルを睨んだ。周りにいる少女達は、恐らく魔神。そしてあの男が、女神の力を宿した人間だろう。
堕ちたものだ、本当に。天界一の清らかな心を持っていたあの大天使が、穢らわしい魔神共と戯れているとは。
「クルト君!」
名を呼ばれ、肩が揺れる。
「どうして貴方達がここに!?」
「どうして、だと?」
膨大な神力を解き放ち、クルトはルシフェルを睨みつけた。
「裏切り者のお前を始末する為に決まっているだろう、傲慢の魔神ルシフェル!!」
「う、裏切ってなんか……」
「大天使長であるお前が、天界を裏切ったんだ!今もまた、そこの魔神共と結託して天界を滅ぼそうと考えているに違いない!」
神装である槍を呼び出し、それを手にクルトはルシフェルへと迫った。この一撃で殺すつもりはないが、これに対して彼女はどう動くのか。それを確かめようと放った突きだったが、前に出てきた少年に素手で槍を受け止められてしまう。
「おい、ルシフェルは仲間じゃないのか……!」
「俺の邪魔をするな、人間風情が」
「仲間が危ない目に遭ってるんだ、邪魔するに決まってるだろう!」
掴まれた槍が動かない。クルトは舌打ちし、槍を消して二人から離れた。そして目撃する。頬を赤く染め、自分を守るように立つ少年の背を見るルシフェルを。
ああ、なるほど。そうか、そうなのか。見たこともないその表情を、その男には向けるのか。
「ちょっとクルト、何してんのさ」
「………」
エアとクラウンが両隣に降り立つ。しかしクルトはそちらを見もしない。神力を漲らせながら、ジークとルシフェルを睨み続けている。
「……何なんだよ。俺達を裏切っておいて、地上で人間と仲良しごっこなんかしやがって」
「いい加減にしなさい。大天使長ルシフェルは天界を裏切っていません」
三人は目を見開いた。突然現れた、美しい銀の女神。実際に会ったことはなかったが、間違いない。彼女は女神アルテリアスだ。
「いくら女神である貴女が出てこようと、我々はその裏切り者を許しはしない」
「私の話が聞けないと?」
「分かりませんか?今や貴女も我ら天界の敵だということです」
そう言うと、クルトは再度神装を呼び出した。エアとクラウンも神装を手に取り神力を纏う。
「忌々しい魔神共と仲良く過ごす日々は、さぞ楽しいことでしょう。まさか女神が魔神共と手を組むとは誰も予想していませんでしたよ」
「……本気で言っているのですか」
「ええ、勿論。ですが今は貴女の相手をする時じゃない。ルシフェル、まずはお前だ」
槍の先端をルシフェルに向け、クルトが言う。それに対して魔神の少女達が戦闘態勢に入り、魔力を纏った。
「ま、待って、話を聞いて!」
「黙れ!時間を稼ぐつもりか知らんが、お前はここで始末する」
「なら、私達だけで話をさせてよ」
ルシフェルが前に出た。ジーク達が驚き彼女を引き止めようとするが、ルシフェルはそのままクルトの前まで歩いていく。
「……どういうつもりだ」
「少し話がしたいだけ。皆には待っていてもらうから、場所を変えよう」
「フン、いいだろう」
神装を手にクルトが飛ぶ。移動先はルシフェルに任せるつもりなのだろう。三人共空に浮かんだまま待機している。ルシフェルは一度振り返り、駆け寄ってこようとしたジーク達に大丈夫だよと笑顔を向けた。
「すぐ戻ってくるから」
「駄目だ、ルシフェル!」
ジークの手が伸ばされるが、ルシフェルは勢いよく飛び去った。それに続き、天使達は空の彼方へと消えていった。
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王都からかなり離れた高原に降り立ったルシフェルは、正面に着地したクルト達を見て拳を握る。どうすれば退いてくれるだろうか。どうすれば信じてもらえるだろうか。考えて考えて考えて、それでも答えは出てこない。
「ここを自分の墓場にするか、ルシフェル」
「私はまだ死ねないよ。生きなきゃいけない理由があるから」
「あの人間か?」
睨みつけてくるクルトの前で、ルシフェルは一瞬肩を揺らした。しかし胸元を握りしめ、それも理由の一つだねと苦笑する。
「ジークさんが生きることを諦めるなって言ってくれたから、私はこれからも頑張れる。理想を現実にするために、私は立ち上がれるの」
「……あんな人間がなんだというんだ」
神装が輝きを増し、クルトの纏う神力が大地を砕いていく。
「私はクルト君達と争うつもりはないよ。ジークさんやアルテリアス様、魔神の皆のことも、話せばきっと分かってくれるって信じて────」
槍が頬を掠めた。怒りに震えるクルトが、ルシフェル目掛けて突きを放ったのだ。
「甘いんだよ、お前は。もう子供じゃないだろう?自分が天界から追放された理由がまだ分からないのか……!」
「天使だから、魔族だからという理由で争う時代は私が終わらせる。夢を見るなと笑われ続けたとしても、いつか必ず」
「何故分からない!そんな馬鹿な事を言わなければ、お前は今でも天界にッ……!」
ルシフェルは咄嗟に跳躍した。爆発的に膨れ上がった神力が地を穿ち、空気を裂く。翼を広げ、そのまま飛行を開始したルシフェルを、凄まじい速度でクルトが追う。
「神装を出せ!俺達を相手にただ逃げ回るだけでどうにかなると思っているのか!」
「くっ……!」
地上から迫る、稲妻を帯びた無数の矢。エアの持つ神装【猟犬】から放たれるその矢は、標的と決めた相手を込められた神力が尽きるまで追い続ける効果を得る。
更にエアが持つのは【分裂】の奇蹟。能力にある程度の制限はあるものの、それを使い矢を分裂させて大量に放ち続けていた。
「貫け、神装【烈光槍】!!」
そして、クルトが持つ【貫突】の奇蹟は、能力発動から三秒間、いかなる硬さを誇るものであろうと貫く必殺の一撃を放つことが可能となる。その後は一定時間奇蹟は使用不可となるものの、その一撃を受ければルシフェルは命を散らすこととなるだろう。
「ごめんねルシフェル、僕らは君の討伐を指示された。それに賛成なんだよ、僕は」
エアの矢が脚を掠め、ルシフェルは僅かに体勢を崩した。それをクルトは逃さない。突きを放ち、体を逸らして避けたルシフェルの腹部に膝蹴りを叩き込む。
「正直に全て話せ!このままだと、本当にここがお前の墓場になるんだぞ!」
「全部本当のことなんだ……!」
「っ、お前はああああああッ!!」
服を掴み、猛スピードで地上へと迫り、そしてルシフェルを地面に投げ飛ばす。抵抗していなかった彼女はそのまま地面に衝突し、メキメキと嫌な音がクルトの耳に届いた。
「駄目だ、本気で話し合いを望んでるね」
「何なんだよ、傲慢の魔神は俺達天使を滅ぼそうと思ってる存在なんだろう!さっきから抵抗しない意味が分からない!」
「……何が真実なのか」
ヨロヨロと立ち上がったルシフェルに目を向けながら、これまでずっと黙っていたクラウンが口を開いた。
「彼女が魔神と結託して天界を滅ぼそうと計画している、先程見た魔神達は天界を滅ぼそうと計画している、アルテリアス様はルシフェルと同じ考え……それらは全て真実なのだろうか」
「お前、大天使長を疑ってるのか?」
「少し分からなくなってきている」
馬鹿なことを言うなよとクルトは舌打ちし、槍の先端をルシフェルに向け更に神力を解放する。
「……クルト、何故そこまで怒りに震える」
「何故だと?そんなもの、奴が俺達を裏切ったからに決まっているだろうが!」
「裏切ってなんかない!!」
響き渡るルシフェルの声。見れば、彼女は涙を流しながらフラフラと歩き始めていた。
「どうして分かってくれないの……!?私達、ずっと一緒に頑張ってきた仲間なのに……!」
驚きのあまり槍を持つ手が震える。あのルシフェルが、こんなにも感情を爆発させながら不満を叫んだ。何が彼女をここまで追い詰めている?少し考えれば、そんなものは簡単に分かる。
「っ〜〜〜〜、その仲間を裏切ったのはお前の方だろうが!!!」
認めない。正しくないのはルシフェルだ。混乱する中体は無意識に動き出し、気付けば渾身の突きをルシフェルの顔面目掛けて放っていた。
奇蹟を発動したのでこの一撃は絶対に防げない。この槍が彼女を貫く光景が、一瞬頭に浮かぶ。
「あ─────」
後悔しても、もう槍は止まらない。そのまま突き出された槍はルシフェルの顔面へと迫り────そして鷲掴みにされ止められた。
「────フン、ゴチャゴチャと五月蝿いゴミだ。しかしまあ、何百年経っても貴様らは変わらないのだな。私は今、本気でこの娘を不憫だと思っているぞ」
「な、何故俺の槍が……」
槍を引っ張り、先程のお返しとばかりに放たれた膝蹴りが腹部に吸い込まれる。そして血を吐いたクルトを魔力を放って吹き飛ばし、その少女は顔を上げた。
金色の瞳は真紅に染まり、純白の翼は黒に塗り潰され、絶望的なまでの魔力が辺り一帯を震わせる。
「さあ……私がお望みの堕天使、傲慢の魔神ゼウスだ。思う存分私と踊り狂うとしようか、大天使共」




