第63話:束の間の休息
特務騎士団による魔神デミウルゴスの討伐から早三日。王国では各地で教団関係者が捕えられ、魔神教団は呆気なく壊滅した。今後詳しい情報を聞き出す為に尋問するらしいが、教徒達は発狂している者が多数で、もしかするとこういう事態を想定して、ベルフェゴールが何か手を打っていたのかもしれない。
そして、魔神教団の本拠地である地下遺跡は完全に崩壊しており、調査は困難を極めた。瓦礫の撤去にはかなり時間がかかると思われ、騎士団を悩ませている。
「ジーク様、包帯を替えさせていただきます」
「ああ、大丈夫。自分でやるよ」
「いえ、無理をしてはいけません。悪化する恐れもありますから、ここはシルフィにお任せください」
『あらあら、甘やかされてますねー』
アルテリアスの茶化すような声が聞こえる。多分何を言ってもシルフィは駄目ですと返してくるだろう。自分だって怪我をしているのにと思いながら、今回はシルフィに包帯を替えてもらう事にした。
右腕はまだいつものようには動かせない。デミウルゴスの光線を受け止めたあの時、咄嗟だったので魔力と神力を上手く纏えず、これ程までのダメージを受けてしまった。普段なら通常よりも早く癒える筈だが、今回は治りがかなり遅い。
(イツキさんはゆっくり休めって言ってくれてるけど、できれば手伝いたいんだよな……)
とは思っていても、この腕では出来る事は限られる。それに特務騎士団の皆も全快したわけではないので、無理をさせるのは申し訳ない。ここはイツキの善意に甘えておいた方が良さそうだ。
「はい、これでおしまいです」
「ん、ありがとう」
わしわしと頭を撫でられ、シルフィはだらしなく頬を緩める。そんな様子を少し離れたソファの上で眺めていたアスモデウスは、頬を膨らませながら膝を抱いた。
「アスモデウスさん、拗ねてる?」
「はっ!?べ、別に拗ねてなんか……!」
「ふふ、わかりやすいなぁ。でも確かに、ちょっと羨ましいなとは私も思うよ」
「で、でしょ?」
「……でしょ?」
「違う、今のは間違いよ!」
口元を押えてルシフェルはクスクスと笑い、顔を真っ赤にしながら暴れ出しそうだったアスモデウスを落ち着かせる。
「そろそろ私も積極的にアプローチした方がいいかなぁ……」
「うっ、それは……」
「みんな強敵だからね。ジークさんは悩んでるみたいだし、選んでもらえるようにアピールしないと」
勘弁してくれとアスモデウスは頭を抱えた。ただでさえ強者揃いの特務騎士団だというのに、そこにルシフェルまで本格参戦すれば勝ち目はますます無くなっていく。
「……アスモデウスさんって、意外と自己評価低いよね」
「え?そ、そんな事は……」
「とても魅力的なのに、自分は皆より劣っててジークさんに相応しくないって思ってるでしょう?」
言葉に詰まる。そんなアスモデウスの反応を見たルシフェルは、そんな事ないと思うけどなと苦笑した。
「皆それぞれ良いところがあるよ。ジークさんは、そういうところをしっかり見てくれてると思うな」
「……そうかしら」
「うん。私はジークさんの、そういうところが好きだからね」
眩しい、物凄く眩しい。やはり自分はこの光に埋もれてしまうのではと思ってしまうが、確かにウジウジしている場合ではないのかもしれない。
とは言ったものの、どうアピールすればいいのかと再びアスモデウスが頭を抱えていた時、外出していたレヴィとエステリーナが戻ってきた。
「たっだいまー!」
「すまない、遅くなった」
やたら上機嫌なレヴィがジークに抱きつこうとしたので、シルフィが顔面を手で押えてそれを止める。それを見て苦笑するジークだったが、エステリーナも妙に嬉しそうに頬を緩めていたので、どうしたのかと本人に聞いた。
「いや、先程兄さん達と話をしていたんだが、ノエルさんにとてもいい場所を紹介してもらってな。少し遠いが温泉のある宿を貸切で使わせてもらえる事になった」
「へえ、それはまた豪華な……」
「そこの温泉は怪我によく効くらしく、今の私達にはありがたいだろう?特務騎士団の皆で行くといいと、兄さんが許可をくれたんだ」
なるほど、温泉宿を貸切で使えるとなると、確かにエステリーナも上機嫌になるだろう。どのみち怪我を治す事が最優先なので、たまにはそういうのも悪くはない。
「準備を済ませたら出発したいが、ジーク達は大丈夫だろうか」
「ああ、勿論」
「楽しみだねー」
こうして、有名な温泉宿に向かう事になったジーク達だったが、この時はまだ、そこで何かが起こるなど誰も想像してはいなかった。
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「私も参加してよかったのですか?その、デミウルゴスとの戦いには参加できていないのに」
「当たり前だろう。シオンも特務騎士団の仲間じゃないか」
「うんうん、気にする事ないよ」
エステリーナ達にそう言われ、シオンは少し頬を赤くしてそうですかと頷く。彼女はこの三日間魔神教団の情報収集を手伝っており、皆で呼びに行った時は何事かと驚いていた。
「あ、見えてきましたね」
シルフィの声に皆が反応し、顔を上げる。馬車を降りて山を登り初めてから二十分、目的地である温泉宿がそこにはあった。
「初めまして、特務騎士団の皆様。本日はようこそお越しくださいました」
女将に案内され、部屋に向かう。木造だがしっかりとした造りの宿で、王都にある建物とは雰囲気がまるで違う。窓の外には緑が広がっており、静かで落ち着く場所である。
「ええっ、部屋別なの!?なんで!?」
「当然だろう。同じ部屋で寝るというのは、その、あまりよろしくない」
「ジーク様はそのような事をする御方ではありません!私も部屋を別々にするのは反対です!」
「おおっ、いいねシルフィ!今はボク達も手を組もうじゃないか!」
「いや、心配しているのはお前達が暴走してジークを困らせる事なんだが……」
結局部屋は男女別々となり、隣同士だが二人は文句を言い続けていた。微かに聞こえてくる声に苦笑しながら、ジークは持ってきていた荷物を置く。ここはとても高級な宿で、部屋も一人で使う分にはかなり広い。
「うーん、静かでいい場所ですねー」
「……何故居る」
「え?そりゃあ私達は一心同体、ソウルブラザーですからー」
「また意味の分からん事を……はぁ、エステリーナもこいつには何も言えないか」
レヴィとシルフィが不満そうだったのには、これも含まれているのだろう。このお気楽女神は誰が何を言っても聞かないので、諦めてその場に腰を下ろす。
「それにしても、いい場所を紹介してもらいましたねー。今日くらいは難しい事を考えずに楽しんでいいと思いますよー」
「んー、まあなぁ」
「仕方ないですねー、特別にこの私がジークに最高の癒しを与えてあげましょう」
「は?……おわっ!?」
服を引っ張られ、無理矢理体を横にされる。そして後頭部に伝わる柔らかい感触。にこりと微笑むアルテリアスと目が合った瞬間、ジークの顔ははっきりと熱を帯びた。
膝枕。世界中の誰もが崇める女神アルテリアスの膝枕である。
「お、お前なぁ……」
「あらー。その顔、いいですねぇー」
体を起こそうとするが、動かない。これまで多くの枕を使用してきたが、そのどれよりも遥かに寝心地の良い感触。駄目だ、寝よう。そう諦めてジークが目を閉じた直後、部屋の扉が勢いよく開いた。
「な、何してるのよあんた達!」
「ちょっと女神さん、ボクらが居ないところでそれはずるいよー!」
「あらら、バレちゃいましたか」
ワラワラと他のメンバーが集まってきたので、少し残念そうにアルテリアスはジークから離れた。ジークも我に返ったように体を起こし、詰め寄ってくるアスモデウス達から顔を逸らす。
「ねね、ジーク。日が暮れてきてるし、一緒に温泉入ろうよ!」
「はあ?あのな、ここは混浴可能な所じゃないから」
「そうですよ、馬鹿な事を言わないでください。ではジーク様、本日はこのシルフィが背中を流させていただきますので……」
「話聞いてた!?」
ジークはエステリーナとルシフェルに助けを求めた。こういう時に頼りになるのが、尊敬する程常識人なこの二人である。
「ジークの言う通り、混浴は許可されていない。女は女湯、男は男湯に入るんだ」
「気持ちは分からなくもないけど、今日は我慢してね。じゃあ、一緒に温泉に行こうか」
「むぅ……」
「分かりました……」
(やっぱり扱いが上手いなぁ)
ルシフェルに手を引かれて部屋を出ていった二人を見送り、ジークは残ったシオン達に目を向ける。
「皆はどうするんだ?」
「私も行こうかと思っています。宿に来るまでに、少し汗をかいてしまったので」
「そうだな、私も皆と入らせてもらう。こういう機会は滅多にないからな」
「え、あ、あたしも……」
「分かった。じゃあ、また後で」
ネックレス状態のまま黙っていたアルテリアスも、アスモデウスに無理矢理持っていかれていた。やがて誰も居なくなった部屋で、ジークは一度寝転がる。
(気になる事は沢山あるけど、今日はゆっくり休むとしよう)
ふと窓の外に目を向ければ、もう空には星が浮かび始めていた。




