第59話:教団の拠点
「ここね」
例の山に到着した一行は、アスモデウスが指さした場所を見て首を傾げた。何故ならそこにあるのは、ただの山肌だったのである。
「な、何よその顔は。あたしを誰だと思ってるの?」
そう言ってアスモデウスが魔法を使った直後、バチッという音と共に山肌に穴が空いた。いや、元からあった穴が隠していた姿を見せたのか。
「この程度の幻影魔法でこのあたしを騙せると思わないことね。さ、魔物は多分この奥よ。さっさと進みましょ」
『かなり強力な魔法と結界だったと思うが、流石は色欲の魔神といったところか』
サタンに言われ、自信満々に歩き出したアスモデウスを見て苦笑しながら、ジーク達は穴の奥へと進んだ。途中で下に続く階段が現れ、それを慎重に降りていく。それから何分経っただろうか。やがて彼らが辿り着いたのは、地面に半分以上埋まった巨大な遺跡の前だった。
「こんな場所に遺跡があるなんて」
「かなり古いものだな。王国の調査では、このような遺跡が発見されたという報告は無かったが」
崩れた扉の向こうは漆黒の闇。何が潜んでいるか分からない。まるで、魔物の口の中へと足を踏み入れようとしている気分になる。
「魔物はこの奥にいるはずだわ」
「ジークさん、どうする?」
「……行こう」
まずはジークが遺跡へと踏み込んだ。暗くて何も見えず、今魔物が出てきたら不利になるなと思っていると、続いて入ってきたルシフェルが光の球を魔力で生み出し、一面を照らした。
「周囲を照らすのは私に任せて」
「ああ、助かるよ」
「じゃあボクは魔物が出てきたらぶっ飛ばす係ね!」
「私もそれで。ジーク様には指一本触れさせません」
頼りになる仲間達の声を聞いて苦笑し、ジークは前方に顔を向けた。その直後、突然魔法で照らされている範囲の外側から、全身が膨れ上がった魔物が飛び出してきた。
いや、あれは魔物ではない。
これまで何度も相手にしてきた、無理矢理魔物へと姿を変えられた人間達。騎士団は彼らを魔人と呼ぶ。赤く染った瞳をあちこちに動かしながら、魔人はジーク達に襲いかかった。
「【止まりなさい】」
しかし、アスモデウスの声が響いた瞬間、その魔人の動きはピタリと止まった。驚き振り向けば、腕を組んで魔人を睨むアスモデウスの姿が目に映る。
『禁忌魔法を使いましたね』
「少しだけね。さて、どうするの?」
正直、助けたいという気持ちが心を支配している。ただ、今の段階で魔人を人に戻す方法は見つかっておらず、このままだと苦しめるだけだというのはこれまでの戦闘で思い知ってきた。
覚悟を決め、ジークは拳を握りしめる。それと同時、嫌な予感が全身をぶるりと震わせた。
「ジーク様、お下がりください!」
「っ……!」
魔人の体が一気に膨らみ、そして爆散する。至近距離で衝撃波を浴びたジークは吹っ飛ばされ、遺跡の壁に衝突して顔を歪めた。
そんな彼にシオン達が駆け寄り、口々に大丈夫かと声を上げる。
『……あの瞬間、別の場所から魔力が流し込まれましたね。恐らく爆弾代わりに使われたのでしょう』
「くそッ!人の命をなんだと思ってるんだ!」
立ち上がり、ジークは遺跡の奥を睨む。恐らく、ここには王国を騒がせている魔物が潜んでおり、更にその魔物達を使役している存在もいるだろう。そしてその存在は、間違いなくあの男だ。
『おい、油断するな!』
サタンの声が響く。いつの間にか、周囲に転移結晶が浮遊しており、それは光を纏いながらそれぞれの体に貼り付いていく。しまったと思った時にはもう遅い。特務騎士団は、敵の腹の中でバラバラにされてしまった。
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「おっと……!?」
突然視界が切り替わり、レヴィは思わず転びそうになった。なんとか踏ん張り辺りを見渡せば、巨大な石像が立ち並ぶ場所に彼女は立っており、敵の手で分散させられたのだろうと察して舌打ちする。
「やっぱりベルフェゴールか……!」
起動した転移結晶から感じた魔力はベルフェゴールのものだった。この遺跡に入ってから、何故か魔力感知が上手くいかない。まさか転移結晶が完全に起動しきるまで気付けないとは思わなかった。今この場で、例の魔物の能力が使われているということか。
「ククク、俺っちの相手はお前かぁチビ助」
「はあ?」
石像の一つが動き出し、レヴィの前に立つ。どうやら擬態していたらしく、何度か点滅した後その体は本来の色を取り戻し、男は刃となった両腕を豪快に振り回した。
「君、誰?」
「俺っちはダンケル。ベルフェゴール様率いる魔神教団の幹部さぁ」
「魔神教団、ね。やっぱりそれに関与していたのは彼だったか」
呟き、ダンケルと名乗った巨人を見上げる。間違いなく、この男はベルフェゴールの手で魔人化した元人間。しかし、意識はハッキリしており、魔人化に絶望した様子でもない。
ということは───
「自らの意思でその姿になったのかな?」
「その通りだ。この力はいい……最高だ。俺っちは元傭兵でよぉ、自分より強いやつをぶっ殺すのが唯一の楽しみでな。ただ、いつしかまともに戦える相手も────」
「あー、いらないいらない。そういうの別に聞きたくないから、時間勿体ないし」
話を遮られたダンケルが額に青筋を浮かべ、腕を振り下ろす。それはレヴィが立つ真横の床を粉砕し、振動が部屋全体を震わせた。
「調子に乗るなよクソガキぃ。俺っちがその気になれば、てめえがミンチになるんだぜぇ」
「ハッ、わざわざ当てないでくれたんだ?そういうのもいらないって。ボクが誰か、ベルフェゴールから聞いてるんじゃないの」
「嫉妬の魔神レヴィアタンだろぉ?だからどうしたってんだ。ベルフェゴール様と、そして直に降臨する魔神デミウルゴス以外の魔神なんざ、この俺っちが捻り潰してやらあッ!!」
横薙ぎに払われた腕を、レヴィはその場から動くことなく片手で受け止めた。ダンケルは全力で力を込めているようだが、取るに足らない筈の小さな少女はピクリとも動かない。
「ば、馬鹿な、なんて力してやがる……!?」
「ぬるいね。意識がハッキリしてる魔人なんて初めてだから、どんなものかと思ったけど」
刃を掴み、レヴィがダンケルの巨体を振り回す。そして投げ飛ばされて壁に衝突したダンケルは、飛んできた水の槍に肩を貫かれて絶叫した。
「質問いいかな?君達魔神教団の目的って何?さっき言ってた、魔神デミウルゴスとやらを生み出そうとしてるとか?」
「ぐぅ……どうだろうなぁ」
「それと、最近王国中に現れている魔物、あれのことも教えてくれる?ここにいるらしいけど、使役してるのはベルフェゴール?」
「さ、さあなぁ……!」
「君は自らの意思で魔人化したらしいけど、他にそういう人はいないの?魔神教団の幹部って言ってたね。幹部クラスは全員魔人化しているのかな?」
ダンケルは恐怖を覚えた。こちらに向かって笑顔で歩いてくる、自分よりも遥かに小さな少女。ただ、目が笑っていない。質問を無視しているダンケルを、深い闇を感じる瞳で見つめながら災厄が迫る。
「や、やめろぉ、来るんじゃねえぇ!」
「あれだけ暴言吐いといて、今更何言ってるのさ。いいから質問に答えなよ。今はジーク達もいないし、遠慮してあげないよ」
「来るなっつってんだろうがあああ!!」
ダンケルが右腕の刃を振り下ろしたが、それはレヴィの放った蹴りと衝突した瞬間、音を立てて呆気なく砕け散った。
「ぎゃあああああっ!?」
「ねえ、何回言わせるつもり?これ以上しらばっくれるのなら、無くなるのは腕だけじゃ済まないけど」
「お、お前みたいな雑魚に……教えることなんざ何一つねえんだよおおぉ!!」
「あっそ、じゃあもういいや」
残った片腕を振り回すダンケルだったが、その腕をレヴィに掴まれ、天井目掛けて投げ飛ばされた。そして落下してきたその巨体に、レヴィは連続で拳を叩き込む。
連打の嵐に筋肉は陥没して骨は砕け、再度天井付近まで吹っ飛んだダンケルは、小さな拳に凄まじい量の魔力を纏わせたレヴィを見て目を見開いた。
「詳しいことはベルフェゴールに聞けばいいからね。終わりだよ、バイバ〜イ」
「ま、待っ─────」
弾丸の如く床を蹴った災厄の拳が顔面を歪め、そのまま衝突した天井が砕け散る。
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「私はアラクネ、魔神教団の幹部よ」
「はあ……」
突如現れた巨大な魔人に自己紹介され、シルフィは眉を寄せる。下半身は蜘蛛、上半身は人間に近いその容姿を見れば、前に立つのがシルフィでなければ恐怖で動けなくなるだろう。
「貴女は暴食の魔神ね。ベルフェゴール様から聞いているわ、最優先抹殺対象の一人だって」
「そういう貴女は魔人化した元人間ですね。意識がハッキリしている魔人とは珍しい」
「フフ、この力は素晴らしいのよ。憎き人間共を、少し力を使うだけで簡単に殺せるんだもの」
「過去に興味はないので聞きませんが、どうやら貴女、魔人になったことに歓喜しているようですね」
シルフィが鋼糸を展開しながらそう言うと、アラクネは口元を押えて笑った。
「ええ、それはもう最高な気分。ベルフェゴール様には感謝しなきゃ。この力があれば、暴食の魔神だって殺せるんだから!」
蜘蛛のような下半身から糸が吐き出され、シルフィを包み込む。それは獲物に張り付き決して逃がさない捕縛の糸。
「あーーはっはっはっ!油断したわね、貴女は私がじっくり味わって食べてあげるわぁ!」
「……貴女こそ、油断が過ぎるのでは?」
高らかに笑うアラクネだったが、突然バランスを崩してその場に倒れ込んだ。何事かと思い下半身を確認すれば、複数の足に鋼糸が巻き付けられている。
「攻撃手段は糸ですか、良いですね。私の使用武器の一つと同じです」
「ば、馬鹿な、私の糸から逃れて……!?」
頭の上に着地したシルフィが、足裏から魔力を放つ。それを浴びたアラクネは勢いよく顔面を床にぶつけ、上半身をめり込ませた。
「後悔することになりますよ。魔神教団など、誰にも認められることはありません」
「な、舐めるんじゃないわよッ!!」
四方八方に撒き散らされる糸。それは風と刃によって阻まれ、ひらりと宙に踊るシルフィには届かない。
「貴女達魔神教団が一体何を企んでいるのか、それは分かりませんが」
アラクネの全身から血が噴き出す。恐るべき速度で駆け回ったシルフィが、今の一瞬で体中を切り刻んだのだ。
「ジーク様の敵は私の敵。これ以上コソコソと何かをするつもりなら、私が貴女を抹殺します」
「何勝った気でいるのよクソチビいいいぃ!!」
トドメをさそうと駆け出したシルフィだったが、視界が真っ白に染まり足を止める。これこそがアラクネの切り札。体内で精製した魔力の糸を半径数十mに渡って撒き散らし、逃げ場のない空間を作り上げた。
「よくも私に傷をつけてくれたわね……!貴女は絶対に許さない、謝っても許してあげないわ……!」
怒りに震えるアラクネが言うと同時、フロア全体を埋め尽くしていた糸が一箇所に集まり始め、そして何かに吸い込まれるかのように消え始めた。
何事かと目を見開くアラクネだったが、やがて全ての糸が消滅した瞬間に理解する。暴食の紋章を解放したシルフィが、自慢の切り札を喰らったのだということを。
「で、デタラメだわ……!」
「これ以上は時間の無駄です。一刻も早くジーク様達と合流しなくてはならないので、これで終わりにしましょう」
トンと跳んだシルフィが天井に足をつけて腕を引く。するとアラクネの巨体が突然凄まじい力で引っ張られ、浮き上がった。
(あ、あの女、どんな力してるのよ!?)
逃げようとしても、空中では逃げ場がない。向けられた手のひらに魔力が集中していくのを見ていることしかできない。
「【大天暴風】」
そして、放たれた魔法がアラクネを包み込み、同時に床が砕け散って下から飛び出してきた別の魔人がそこに衝突。凝縮されたシルフィの魔力と下から加わった魔力が混ざり合い、炸裂する。
「おっ、シルフィじゃん」
「はぁ、レヴィさんですか」
「何その顔!ジークじゃなくて悪かったね!」
「冗談ですよ」
二人の魔人を消し飛ばした小さな少女達は、互いに笑みを浮かべてハイタッチした。




