第45話:大天使ルシフェル
「─────……………」
不思議な感覚が全身を包んでいる。まるで海の中を漂っているかのような、心地よい感覚。誰かが自分を呼んでいる気がする。そう思うと、閉じられていた視界に光が射し込んだ。
「ここ、は……」
目を開けたジークは、一面真っ白な空間に立っていた。そこで先程まで行われていた戦闘を思い出し、自分は死んでしまったのだろうかと不安を抱く。
『違います。貴方はまだ死んでいない』
「っ、誰だ!?」
不意に聞こえた、優しい声。どこかで聞いたことがあるような声だったが、自分以外に誰かいるのだろうか。
『安心して、私は貴方の敵じゃないよ』
そう言って姿を現したのは、その背に美しい純白の翼を生やした幻想的な雰囲気を纏う少女だった。そして、その少女を見た瞬間、ジークは目を見開き咄嗟に構える。
「ル、ルシフェル……!」
そう、そこに立っていたのは、先程自分を斬り裂いた魔神ルシフェルだったのだ。ただ、雰囲気などがまるで違う。真紅ではなく黄の瞳を持ち、翼は真っ白、鎧も装備しておらず不思議な素材でできた衣を纏っていた。
『ええと、私はルシフェルなんだけど、ジークさんが戦っていたルシフェルとは違うというか……』
「た、確かに、敵意は感じないけど……」
『簡単に言えば、私が本物のルシフェルで、魔神として行動しているのは私の体を乗っ取った別人……ということです』
恐らく嘘は言っていない。そう感じさせる程、聞いた者を落ち着かせる声色。ジークは肩の力を抜き、目の前の少女にもう少し詳しく聞いてみようと考える。
「俺のことは知ってるみたいだな」
『それは、ずっと貴方を見ていたから』
「そ、そうか。その、ここはどこなんだ?」
『ここはジークさんの精神世界とでも呼ぶべき場所。さっき教会から飛び去る前に、内側にいた私がジークさんの精神に干渉したの。今は意識を共有している状態、かな』
「なるほど。それと、今俺の前にいる君が本物のルシフェルなんだとしたら、さっき俺が戦ってたのは何者なんだ?」
そう言われ、ルシフェルの表情が変わる。深い悲しみと怒りが、彼女の表情から感じ取れた。
『あれは私の体を乗っ取った〝魔剣〟……かつて天界最高の武具と言われていた、意志を持つ宝剣ゼウス』
ジークは戦いの中でルシフェルが使っていた剣を思い出す。恐らくだが、あれがその魔剣とやらだろう。
『少しだけ、私の話をしてもいいかな』
「あ、ああ、是非聞かせてくれ」
『ふふ、ありがとう。実は私、天界の天使達を率いる大天使長だったんだ。天界や地上に住む人達のために、幼い頃から色々なことを学んで努力してきた。だけどある日、突然天界への反逆を企てているなんて罪を着せられちゃって。勿論無実を訴えたんだけど、攻撃され続けて私は堕ちた』
神魔大戦後、天界は魔族だけではなく人間達も滅ぼそうと考え始めていたという。人間達は恐るべき速度で増え、いつか天界に牙を剥くかもしれない危険で下劣な存在だと。
それに反対したのが大天使長のルシフェルだった。彼女は他の天使達や天界を統治する者達を説得し、更にはかつては敵対した魔族とも、いつかは手を取り合えるかもしれないと言い続けたらしい。
しかし、ルシフェルの味方をする者はいなかった。遂には人間や魔族の味方をして天界を滅ぼそうとしているとまで言われ始め、天使達の攻撃を受けて傷つき地上に落ちる。
彼女が目を覚ました時、そこは光の届かぬ魔界だった。自慢だった純白の翼は黒く染まり、食料もなく、力を失い魔族から逃げ続けるだけの日々。そんなある日、次第に衰弱し、死を覚悟していたルシフェルの前に現れたのが、遥か昔に天界から消えた宝剣ゼウスだった。
───私を手に取れ、愚かな天使よ。自らを正義だと信じ込み、その他全てを悪だと決めつける天界が憎いだろう?私がお前に力を貸してやる。死にたくなければ私を握るのだ
禍々しい魔剣となっていたゼウスは、ルシフェルにそう言った。そしてルシフェルは、震える手を伸ばして魔剣ゼウスを手に取り─────
『私はゼウスに体を乗っ取られて、意識の奥底で消滅の時を待っている状態なの。今のところ、私にもゼウスの目的は分かっていないけどね』
「そんな、ことが……」
天界とは、美しく誰もが夢見る理想郷だと思っていた。しかし、まさか人間までもが敵だと認識されているとは。このことをアルテリアスは知っているのだろうか。
『ゼウスは徐々に私の魂を塗り潰していっていて、もう少しで完全に体を乗っ取られてしまうと思う。そうなったら、私は完全に消えてしまうかな』
「これまで、ゼウスが他の魔神を使って自分は出てこなかった理由って……」
『私が内側から抵抗していたからだね。結構苦しかったみたい。さっきもジークさん達にトドメをさそうとしていたけど、ギリギリで退かせることができたよ』
優しい笑みを浮かべるルシフェルを見て、ジークの胸がズキリと痛む。本当は、怖くて仕方ない筈だ。何故あの時ゼウスを手に取ってしまったのだろうと、後悔もしている筈。それなのに彼女は、それをジークに悟らせないよう笑っているのだ。
意識を共有しているからこそ、それは分かる。
『ごめんね、今日は付き合わせてしまって。一度だけ、こうしてジークさんと話をしてみたかったの』
「ルシフェル……」
『ゼウスに体は乗っ取られていたけど、いつも貴方の活躍は聞いていた。魔法で映し出された映像を観る度に、一度でいいから貴方に会ってみたいと思った。ふふ、夢が叶って嬉しいよ』
「一度だけなんて言うな」
ルシフェルが言葉を止める。ジークは、目の前にいる少女を見つめながら、胸の中に渦巻く思いを吐き出した。
「これから何度でも会って話ができる、そんな未来を掴んでみせる。魔剣ゼウスに体を乗っ取られているのなら、その魔剣本体を破壊すればルシフェルは解放されるんじゃないのか?」
『それは……そう、なのかな。だけど、私はこの手で多くのものを傷つけすぎた。私にはそんな未来────』
「皆がルシフェルを悪く言ったとしても、俺はお前の味方になる。だから、生きることを諦めるな」
そう言われ、ルシフェルは目に涙を浮かべた。
『……私はもう駄目だよ。消えてしまうまであと僅か。今はギリギリ耐えることができてるけど、もう限界が近いの。だからね、ジークさん。もしももう一度ゼウスと戦うことになったら、私ごとゼウスを殺してほしい』
「嫌だ」
『魔剣だけを破壊するなんて無理だよ!私の体を破壊すれば、ゼウスの意識も消すことができる。だから、他の子達と協力すればきっと……!』
「俺の仲間達は、絶対にお前を助けるって言ってくれるよ。だから、信じて待っていてくれ。必ず俺達が、ルシフェルを魔剣から解放してみせる」
ああ、本気でそう言っているのだろう。ジークの言葉を聞いて、ルシフェルは彼に身を寄せた。驚いてはいたが、ルシフェルを突き放したりはせず、ジークも震える彼女の背中に手を回す。
それからどれだけの時間、ルシフェルに胸を貸し続けただろうか。次第にジークの意識は薄れていった。
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「…………」
意識が戻り、ジークは痛む体を起こした。全身に包帯が巻かれており、ゼウスとの戦闘で受けた傷がどれ程酷かったのかを教えてくれる。
そして、椅子に座りながらベッドの方に体を倒して寝息を立てているシルフィが目に映る。随分心配させてしまったらしい。優しく頭を撫でると、目を覚ましたシルフィはジークを見て勢いよく立ち上がった。
「ジ、ジーク様!?」
「はは、そんなに驚かなくても……」
「よ、良かった、意識が戻ったのですね……!」
目に涙を浮かべながら、嬉しそうにシルフィが言う。すると部屋の扉が開き、レヴィ達が中に駆け込んできた。
「ジークが目を覚ましたって!?」
「意識ははっきりとしているのか!?」
「み、皆さん気持ちは分かりますけど落ち着いて……」
皆がジークを見てワイワイ騒ぎ出す。エステリーナが泣き出した時は大慌てだったが、落ち着いた頃にジークは何があったのかを説明し、真の敵が魔剣ゼウスだということを伝えた。
「宝剣ゼウスですかー。私が天界にいた頃には無かった武具ですねー。それに、天界が人間まで攻撃対象にしているとは。天使達がごちゃごちゃうるさいので地上で眠っていましたけど、まさか今の天界がそんなことになっているとは驚きですー……」
「しっかし、ほんとにルシフェルは信用していい奴なのか?ジークが見た夢って可能性は……」
「いや、あれは絶対夢じゃない。俺達が今生きているのも、彼女のおかげなんだ」
「ルシフェルは女の子だったかぁ。またライバルが増えそうな予感がするけど、ボクも助けてあげたいと思うな」
そう言うと、レヴィは少し用事があると言って部屋から出ていった。どうしたのかと思ったが、ジークが目を覚ましたからできた用事なのだという。暫くして戻ってきたレヴィはその手に結晶の塊を持っており、それをジークに手渡す。
「これって、転移結晶ではー?」
「うん、キュラーが持ってきてたの。役立つことがあるかもしれないからって、魔界で一つ盗んだんだってさ」
「もしかして、それを使えば……」
「んふふ、魔界に転移できるよ。キュラーによると、ベルフェゴール作成の転移結晶は、二つに割って使用するらしくてね。魔力を込めることで、もう半分の結晶がある場所に転移できるらしいの。これの片割れは、気づかれないようにするため魔界の端っこに置いてきたんだって」
恐らくゼウスは魔界に戻っている筈。ルシフェルが消えてしまうまであと僅か……それならこちらから魔界に乗り込んでやろうというのがレヴィの考えだった。
「ルシフェルが抵抗できている今が、魔剣ゼウスを破壊する最大のチャンス。ルシフェルが消えてしまえば、ゼウスは思う存分紋章の力を使えるだろうからね」
「よし、それなら早速……!」
「だーめ。まだ完治してない状態でしょ?焦る気持ちは分かるけど、万全の状態で挑まないと勝てる相手じゃない」
「う、それは……」
「実はさっき、魔界に戻ってとある魔族に協力してもらえるよう頼んできてって言ったんだ。三日後に転移結晶がある場所に来るよう伝えてあるから、それまではジークも体を休めること。いい?」
「わ、分かりました……」
レヴィのこういうところはお姉さんっぽいのだが。確かに、今の状態では間違いなくゼウスには勝てない。あの時傲慢の魔神は、紋章の力や禁忌魔法を使ってすらいなかったのだから。
「で、魔界に乗り込むメンバーだけど」
「俺はこっちに残るぜ。腹立つからゼウスの野郎はボコボコにしてやりてえけど、ロゼに何かしてくる可能性があるしな。それに、長い付き合いのお前ら同士の方が色々と動きやすい部分があるだろうし、お前らのいないここをゼウスが襲わせるかもしれねえ。だから、こっちは俺が何とかするぜ」
「まあ、マモンはジークと違って怪我の治りも遅いからね。それと、シオンも今回は王都に残ってもらいたいの」
レヴィに言われ、シオンが頷く。
「魔神としての力を持たない私では、確実に足でまといになってしまいますから」
「その、ごめんね」
「いえ、仕方ありません。私なりにできることを探して待っていますから、そちらはよろしくお願いします」
そして、レヴィはジークに顔を向けた。どうしたのかと思ったが、最後はジークに締めてもらいたかったらしい。
「これまでで最大の戦いになると思う。だけど、一人抗い続けている彼女を救うために、どうか力を貸してほしい。魔界突入は三日後、決着をつけるぞ!」
「「「おおっ!!」」」




