第40話:女神の胸中
「魔神ルシフェルの目的は、恐らく地下水路にあるあの石版。あれは一体何なのでしょうねー」
「そうだな……というか」
報告を終えたジークは、先に風呂に入る事にした。そして体を洗い、湯船に浸かってのんびり寛いでいたのだが。
「なんでいるんだよお前……」
「えー、別にいいじゃないですかー。レヴィは良くて、女神である私は駄目なんて不公平ですー」
アルテリアスが、膝を抱えてふわふわと浴室の中を浮遊していた。彼女は服を脱いでいないものの、ジークは腰にタオルを巻いただけの状態なので、なんとも恥ずかしい気分になる。
「それに、私達は魔力を通じて色々なものを共有しているのですよ?今更混浴するくらいで慌てなくても……」
「え、何お前混浴するつもりなの?」
「レヴィはしてるじゃないですかー」
「レヴィはあれだろ!?お前は女神、皆の憧れ!誰からも崇め奉られる至高の存在!」
「知ったこっちゃないですねー」
額に手を当て息を吐く。本当にこれが大戦を終結させた女神様なのだろうか。ちらりとアルテリアスを見れば、彼女もこちらを見ていたので目が合う。
白銀の長髪に、傷やシミ一つ無い綺麗な肌。豊満な胸に整った顔……あまりにも美しく神々しさすら感じる容姿を持った彼女。中身を知っているとはいえ、こうしてドキリとしてしまうのは仕方ないだろう。
「……あのさ、アルテリアス」
「はい?なんでしょうかー」
「ルシフェルとの戦いは近い。それが終わったら、アルテリアスはどうするんだ?」
「え?ど、どうって……」
そんな事を言われるとは思っていなかったのか、アルテリアスが言葉に詰まる。
「アルテリアスの怪我が治るまで、俺が魔力を借りて魔神と戦うって話だっただろ?戦いの後は、またカルナの祭壇で休むのかなって……」
「……そんな事、考えてませんでした」
少し寂しげなトーンで、アルテリアスはジークを見つめながら言う。
「でも、確かにそうですね。まだ傷は癒えていませんし、暫くは回復に専念するかもしれません」
「そうか……」
「何でそんな事を?」
「いや、まあ、それはちょっと寂しいかなって」
そう言われ、アルテリアスは黙り込む。一方ジークは天井付近を漂っている彼女を見ながら若干焦っていた。何か嫌な気分にさせるような事を言ってしまっただろうか……と。
「お、おい、どうした?」
「……なんでもないですよー」
にこっと笑い、突然アルテリアスが湯船にダイブした。その際淡い光を纏っていた衣が消え、ジークの目の前に女神の肢体が晒される。
「おおおおおいっ!?」
「はいはい詰めてくださいねー」
「いや待て、落ち着けって!」
グイグイ押してくるが、色々と腕に当たっており理性が飛んでいきそうになる。相手は魔力体だが、まさかここまで肉体を再現しているとは。
「ジークは、私とお風呂に入るのは嫌ですかー?」
「い、嫌じゃないけど、そんな事する関係じゃないだろ……!」
「む……」
「な、なんだよ」
「誰これ構わずこんな事したりしませんよ?相手がジークだから、その、別にいいかなって」
「どういう事!?」
何を言ってるんだお前はと焦るジークを見て、アルテリアスが苦笑する。確かに、自分は何を言ってるんだろうと思う。
(魔神との戦いが終われば、ジークと一緒にいる理由は無くなる……傷を癒して天界に戻らないといけないですもんね……)
その時、自分は何を思うのか。ジークは何を思うのか。それを想像しようとすると、胸の奥がズキリと傷んだ。
「……どうしたんだよ」
「え?」
「元気ないみたいだけど。何かあったのか?」
「いや、なんで……」
「結構長い付き合いだしな。見れば分かる」
見えた。見えてしまった。向こうにある鏡に映る、真っ赤になった自分の顔が。急いで顔をお湯の中に沈めたものの、横顔は見られてしまった可能性が高い。
「ジークがアルテリアス様に不埒なことをしていると聞いて」
「うおおっ!?」
ぶくぶくと息を吐いているアルテリアスを見て、ジークが何をしてるんだと思っていると、突然扉が開いてシオンが入ってきた。焦ったが、服を着てくれていたのが救いである。
「ち、違うぞシオン!こいつが勝手に入ってきただけで……!」
「あ、あらー、何を照れているのですかジーク。入るのなら服ぐらい脱げって言っていたくせにー」
「はあ!?」
「ほう……?」
ザワザワと、シオンの体から魔力が溢れ出す。これはまずいとジークが立ち上がろうとした時、今度はシオンを押しのけてレヴィが浴室に転がり込んできた。
「ジークと混浴できると聞いて!」
「しねーよ!」
「って女神さん何してるの!?それはボクのポジションなのに!」
水着を着ているから大丈夫だと言いレヴィが服を脱ごうとし始めたので、それに気づいたジークが急いでやめさせようとした時、レヴィの動きが突然止まった。見れば、彼女の後ろに笑みを浮かべたシルフィが立っている。
「ジーク様に手を出そうとする不埒な方がいると聞きましたが……また貴女ですか、レヴィさん」
「え、ちょっと、あそこにジークとお風呂入ってる人いるよ!?」
「アルテリアス様はいいのです。レヴィさん、貴女は駄目です」
「理不尽〜!」
体に糸を巻きつけられたらしい。シルフィに引っ張られ、レヴィが浴室から出ていく。そんな彼女達と入れ替わるように顔を出したエステリーナは、両手で目元を隠し、しかし指の隙間からジークとアルテリアスを見ながら、顔を真っ赤に染めていた。
『フム、大胆なことだ』
「ふ、風呂場で一体何を……あぅ」
「エステリーナ、これはだな……!」
誤解を解こうと立ち上がったジークだったが、腰に巻いていたタオルがはらりと落ちる。アルテリアスが吹き出し、シオンが目を丸くして、ばっちりとジークのアレを見てしまったエステリーナは、しばらくの間硬直し─────
「いやああああああっ!!」
可愛らしい声を出しながら走り去ってしまった。そしてまた入れ替わるように、今度はマモンが顔を出す。
「くくくっ、賑やかなこった」
「ああもう、なんとでも言え……ってマモン!?なんでこんな所にいるんだ!?」
急いでタオルを巻き直したジークは、突如現れた強欲の魔神を見て動揺した。
「ちょいと紹介したい奴がいてな。さっきお前ん家を聞いて来たんだが……お邪魔だったかな?」
「いや、そんな事は────」
そういえばと隣を見れば、そこには一糸纏わぬアルテリアスがいて、彼女と目が合った瞬間顔が沸騰しているのかと思う程熱くなった。
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「いやー、わりぃな。この前の事を話したら、一緒に謝りに行くって言ってさぁ」
笑っているのは、数日前に王都に現れジークと闘ったマモン。偶然会ったイツキとノエルに道を聞き、家までやって来たらしい。
「その、本当に申し訳ございませんでした。マモン君が迷惑をおかけしたみたいで……」
もう一人は、マモンが片思いの相手だとジークに話していた少女。名をロゼといい、マモンから聞いていたとおり非常に可愛らしい容姿である。
「いや、あれがきっかけでマモンとは仲良くなれたんで、別に迷惑だとは思ってませんよ」
「で、でも、怪我とかは……」
「俺もジークにぶん殴られたけどな」
「マモン君は黙ってて」
「あ、はい」
頭を下げられ、ジークはどうしたものかと頬を掻く。とりあえず謝罪は受け入れたものの、本当に何も気にしていないのだが。
「にしても、結構普通の家に住んでんのな。人数も多いし、もっとでかい家を持ってると思ってたぜ」
「特務騎士団所属になった時に借りたんだ。人数が増えたのは予想外というか……」
「くくく、夜とか賑やかなんじゃねえの?」
「早寝早起きしてるっての」
直後、レヴィが意味深な笑みを浮かべながらジークに身を寄せ肩に顎を乗せる。
「ボクはいつもジークと一緒に寝てるよ。いろんな意味で」
「お、おい!?お前が勝手に布団の中に入ってくるんだろ!」
「え〜?この前なんか、あんなに激しくしてくれたのに」
「何を言っているのですかレヴィさん!ジーク様はそんな事をする人じゃありません!」
「寝ぼけて抱きついてた時の事だろそれ!あ、あれに関しては事故じゃないか!」
ロゼが顔を真っ赤にし、マモンがニヤニヤしている。多分アルテリアスもニヤニヤしているのが魔力を通じて分かる。
「はっはっはっ!やっぱり面白ぇ奴らだなお前ら」
「で、マモンはどうなのさ」
「は?」
「ロゼさん超可愛いけど、一緒に暮らしててどう思ってるのさ」
皆が気になっていた事をレヴィが聞いた。それに対し、マモンは特に焦る事もなく答える。
「まあ、別に何もねーよ」
「ふぅん?そうなんだ」
マモンの言葉を聞き、ロゼが少しシュンとしている。ジーク達は、やはり両思いなのだと確信した。
「ムフフ、ヘ・タ・レ」
「うるせえチビ助」
「チビって言うな!」
「こらこら、暴れない」
エステリーナに首根っこを掴まれ、小動物のように持ち上げられるレヴィ。時折二人が親子のように見えることがある。レヴィも、基本エステリーナの言うことはすんなり聞き入れるのだ。
「さて、折角遊びに来たんだ。誰か軽く手合わせでもしようぜ」
「えっ、いや、私達はお騒がせした謝罪に……」
「別にいいだろ?こいつらは国を守るために鍛えてる連中だ。体を動かすのに付き合うだけだって」
「へえ、いいじゃんいいじゃん」
「ジーク様のお相手は、この私を倒してからです」
マモンの提案に、レヴィとシルフィは乗り気らしい。特訓なら自分も構わないとエステリーナも言い、シオンは判断を任せるといったふうにジークを見つめた。
「まあ、軽くならな」
「っしゃあ!思う存分やり合おうぜ!」
「っ……もう!」
ロゼは、楽しげに笑うマモンを見て諦めたように頬を膨らます。それから全員で騎士団の修練場に移動し、バトル大好きなレヴィとマモンが早速戦い始めた。
「その、すみません。マモン君に付き合わせてしまって……」
激しく魔力をぶつけ合う二人をジークが眺めていると、隣に立っていたロゼが申し訳なさそうにそう言ってきた。皆やる気だから問題ないと返せば、彼女はそうですかと微笑む。
「マモン君、いつも畑仕事とかを手伝っていて、こんなふうに好きなことをできる時間が少なくて……だから嬉しいんだと思います」
「へえ、そうなんですか」
「私だと、マモン君を楽しませてあげることができなくて。話してると目を逸らされたり、手が触れ合うと飛び退かれたり……」
『あらー、それってー……』
(マモンのやつ、照れてるんだな……)
きっかけがあればすぐに付き合いそうだが、部外者が余計なことを伝えるのはあまり良くないだろう。そう思っていると、こちらに向かってマモンが吹っ飛んできたので受け止める。
「いってえぇ〜!レヴィアタンの野郎、本気で蹴りやがった……!」
「あっはっはっ、油断してるからだよ」
「はは、二人共程々にな」
痛そうではあるが、確かに楽しそうだ。再び駆け出したマモンが、笑っていたレヴィと拳をぶつけ合う。そんな姿を見ながら、ロゼは頬を緩めていた。
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「そんじゃ、またな。今日は楽しかったぜ」
「ああ、今度は俺達が遊びに行くよ」
「ふふ、お待ちしてますね」
日が暮れ始めているが、マモンとロゼはジーク達と別れて王都を出発した。馬車に揺られて二時間程で彼らの住むトト村に到着する。
特に何も無い村だが、やはりここに戻ってくると心が落ち着く。そう思っていたマモンだったが、不意に妙な気配を感じて近くにある木を睨んだ。
「マモン君、どうしたの……?」
「そこに隠れてる奴、さっさと出てこいよ」
マモンがそう言うと、木の裏からローブに身を包んだ男が姿を現した。マモンは気配でその男が魔族だと確信し、ロゼの前に立って魔力を纏う。
「そう警戒しないでほしい、強欲の魔神よ。自分はルシフェル様の言葉を伝えるためにやって来た、ただの弱小魔族」
「ルシフェルだと?」
「今すぐに、魔界に戻れと言っておられる」
「マ、マモン君、どういう事?強欲の魔神とか、魔族とか……」
困惑しながらロゼがそう聞いてくる。マモンは内心舌打ちした。この少女にだけは、自分の正体を知られたくない。
「……嫌だと言ったら?」
「さあ、自分には分かりません。ただ……」
闇に浮かぶ瞳が、ロゼに向く。それに気づいたマモンは魔力を体内に戻し、男に向かって歩き出した。
「悪いロゼ、急用ができた」
「え……」
「心配すんな、すぐ戻るよ」
ニタリと笑う男が石のようなものを取り出し、魔力を込める。すると男とマモンの体が光に包まれ、そして消えた。
「マモン君……」
不安そうに、マモンが立っていた場所を見つめるロゼを残して。




