第24話:甘美なる色欲の支配
『カップルが多いですねー』
「まあ、祭りだしな。俺達も他の人からそう思われてたりして」
「何言ってるのよ、気持ち悪いわね」
「真顔で言うな、傷付くだろ」
魔神と肩を並べて賑わう王都を歩く。アルテリアスの言う通り、確かに周囲を見ればカップルと思われる男女の数が多い。腕を組んで歩く者や、大胆にも道端でキスをする者まで……アスモデウスは彼らに冷ややかな視線を向けていた。
「見せつけたいのね、自分達の姿を。人間って本当に醜いわ」
「ま、まあ、仲良しなんだぞーって知ってもらいたいんじゃないか?」
『レヴィはあんな感じで躊躇いなくジークに抱き着きますけど』
「あんた、レヴィアタンに手を出してるんだ」
「出してないって」
寧ろ出されていると言った方が正しい気がする。
「あんたって好きな人とかいないわけ?」
「え……まあ、いないな」
「ふーん?この一ヶ月間あんた達を見てきたけど、女に囲まれてヘラヘラしてたじゃない。あの中にいないの?好きな人」
「いや、その、何というか……」
「別にどうでもいいけど。あ、あれも美味しそうね。買いに行くわよ」
「お前ッ、なんてやつだ……」
クスクス笑いながら、アスモデウスが屋台に近付いていく。完全に遊ばれている。アルテリアスもケラケラ笑っていたので、ネックレスを強めに叩いておいた。
「あんたは、さ」
「ん?」
それから暫く王都内を歩き、ドリンクを買った二人は小さな公園にあるベンチに腰掛けた。そこで寛いでいるとアスモデウスが口を開いたので、ジークは飲んでいる最中のドリンクから口を離す。
「本気で人間と魔族が仲良くできるなんて、考えてるわけ?」
「え……」
「あたしは無理だと思ってるわ。だけど、あんたはどうして魔族の……それも魔神であるレヴィアタンと仲良くできてるのよ」
「それは……何でだろ」
「今もそうよ。あんた、あたしに全く敵意を向けてない。あたしが敵だって事を忘れてるんじゃないかって思うくらい」
そう言われ、ジークは確かにと苦笑する。
「正直なところ、アスモデウスとは仲良くできたらいいなと思ってる」
「え?」
「だって、人間は嫌いだっていうのは本当だろうけど、それでもこうして人間を知ろうとしているじゃないか」
「っ、何勝手な事……」
「人間と魔族の間には深い溝がある。アスモデウスが人間を憎むのも、事情を聞いた俺は納得できる。だけど、アスモデウスが人間全員が酷い奴じゃないって思ってくれるのなら、俺はアスモデウスがもっと俺達を知ってくれるように手助けしたい」
アスモデウスが黙り込む。どうやらふざけている訳ではないと分かってくれたらしい。それから数十秒後、アスモデウスは呆れたようにやれやれと息を吐いた。
「お人好しにも程があるんじゃない?」
「はは、どうだろう」
「……まあ、悪くはないと思うわよ。レヴィアタンは、あんたのそういう馬鹿な所に惹かれたんだろうし」
ジークと目を合わせないようにしながら、アスモデウスがそう呟く。
「まったく、調子が狂う」
「ん?」
「今回は気が変わったから、見逃してあげてもいいわ」
「アスモデウス……!」
人間を憎む彼女が、王都に集まった人々に手を出さないと言っているのだ。驚きを隠せないジークだったが、すぐに嬉しさが込み上げ立ち上がる。
「何よ」
「……続き、見て回るか」
「そうね。仕方ないから付き合って────」
そして、アスモデウスも苦笑しながら立ち上がろうとした、その直後。
「……?向こうが騒がしいわね」
「そうだな、何かあったのか?」
公園の外で、人だかりができている。何か嫌な予感がしたジークは、その人だかりに駆け足で近寄った。
「おい見ろお前達!この俺が、王都に潜伏していた魔族を発見したんだぞ!」
「っ、魔族!?」
『あれは……親子の魔族ですね』
人だかりの中心で抱き合い恐怖に震えていたのは、騎士の男に剣を突きつけられた魔族の親子だった。
「魔神アスモデウスが王都に居ると聞いていたが、お前達は奴の手下で間違いないな!?」
「ち、違います!私達は……!」
「魔族の分際で言い訳か!?人間に迷惑をかける事しかできないお前達が、まさか命乞いでもするつもりじゃないだろうな!」
「おい、何をやってるんだ!」
今にも魔族を斬り伏せそうな男に、野次馬を押し退けジークが叫ぶ。彼に気付いた男はニヤリと笑い、子供を抱いた女魔族の髪を掴んだ。
「王国に害をなす魔族を見つけたんだ!しかし何だ?魔族のガキと仲良しな英雄様は、こいつらの味方でもするつもりか!?」
「明らかに戦う意思が無いだろ!?あんたは無抵抗な魔族を手にかけるつもりか!」
「魔族は敵だ!こいつに戦う意思が有ろうと無かろうと、こんな奴らが生きてる事自体罪なんだよ!」
『っ、やめなさい!』
男の剣が、親子の首をはねた。王都に住み、レヴィのような魔族も居る事を知る者達はそれを見て言葉を失ったが、他所から王都を訪れている者達は叫ぶように盛り上がる。
正直、ジークに男を悪だと言う事はできない。人々は、昔から魔族は敵だと教え込まれている。しかし、騎士の男は間違いなく選択を間違えた。
「ほら、ね?人間と魔族は、絶対に分かり合う事なんてできないのよ……」
「ッ……!?」
これまで感じた事のない、絶望的なまでの魔力。振り向けば、怒りに震える災厄がゆっくりと歩を進めていた。
「な、何だお前?まさかお前も魔族か!?」
「ええ、そうよ。今あんたが殺した、故郷を追われて生き延びる為人間になりすましていた、弱小魔族と同じ存在……」
「だったらお前も殺してやる!これで俺もようやく出世だ!」
「そして────」
男が剣を握り、振るう。しかし次の瞬間、剣が砕け散るのと同時に男の腕が逆方向に捻じ曲がった。
「ぎぃやあああああああッ!?」
「あんたが捜していた魔神アスモデウス本人よ……!あんたには……あんた達には!二度と忘れる事のできない恐怖をその身に叩き込んで、死ぬまであたしの奴隷として地獄を見せてやるわッ!!」
羽を広げて飛び上がり、アスモデウスはその身に宿した圧倒的な魔力を解き放つ。
「《甘美なる色欲の支配》!!!」
彼女の身から放たれ王都を駆け抜けた桃色の魔力。それは瞬く間に王都全体を覆い尽くす。
「な、何が起こったんだ……!?」
『色欲の禁忌魔法、《甘美なる色欲の支配》……魔法を放った相手の自由を奪い、強制的に支配下に置く魔法だった筈ですが……私が相手にした色欲の魔神とは、魔法の範囲が桁違いです』
「相手の自由を支配って────」
突如、周囲に居た人々が恍惚とした表情を浮かべ、一斉にジークに飛びかかった。それに反応したジークは跳躍して屋根に飛び乗り、上空に浮かぶアスモデウスに目を向ける。
「待ってくれ、アスモデウス!」
「始めたのはそっち、人間よ。恨むなら人間を恨むのねぇ!」
驚異的な身体能力を得た人々が、屋根目掛けて次々と跳ぶ。頬を染め、涎を撒き散らしながら迫る彼らに手を出す訳にはいかず、舌打ちしたジークはそのまま屋根伝いに駆け出した。
と、そんな彼の前に降り立った小柄な影。メイド服に身を包んだ幻想的な容姿の少女、シルフィである。
「シルフィ、無事だったか!」
「ご主人様……」
「実はアスモデウスが禁忌魔法を使ってな。その効果で皆が……って、あの、シルフィさん?」
何故かジークの服を脱がせようとするシルフィ。突然の行動にジークは困惑するが、クスクス笑うアスモデウスを見てシルフィが彼女の魔法に支配された事を悟った。
「シルフィ、目を覚ませ!」
「目を覚ます?何を言ってるんですか、ご主人様。シルフィはただ、愛するご主人様にこの身を捧げようとしているだけです」
「は、はあ?」
「大丈夫です、まだ汚れてませんから!さあ、遠慮なくこのシルフィを抱いてください!あ、縄とか使いますか?」
「シルフィーーーーーーッ!?」
凄まじい力でズボンを脱がそうとしているシルフィが、一体何をしようとしているのか。ここで抵抗をやめた場合、間違いなく手遅れになってしまうだろう。
「あはははははっ!これがあたしの禁忌魔法よ!心身共に支配して、その身に眠る性欲を全部呼び覚まして爆発的に高めるの!良かったじゃない、慕ってくれてる森の妖精を抱けるんだから!」
「おまっ、ふざけんな!」
「ご主人様のお世話は私の役目……これだけは誰にも譲れません!」
「だ、駄目だ、一旦退くぞアルテリアス!」
『え、ええ……!』
身体強化を発動してシルフィを引き剥がし、ジークは全力でその場から離脱した。アスモデウスを取り押さえなければ魔法の効果は消えないだろうが、あの付近は人が多過ぎて自由に動けない。
「ジーク……?」
「っ!?エ、エステリーナ……!」
「良かった、無事だったのか」
どうしたものかと頭を悩ませるジークの前に、第二騎士団の騎士達を引き連れたエステリーナが現れる。しかし、様子がおかしい。何故か騎士達がエステリーナの前で跪き、興奮したように彼女を見上げていたのだ。
「あの、エステリーナ様────」
「誰が口を開いていいと言った、この豚が!」
「ぶひぃ!!」
「おいおい、これって……」
「すまないな、このような輩まで連れてきてしまって。しかし、もう我慢できない。とりあえず鎧を脱ぐから待ってほしい」
「エステリーナさん!?」
鎧を脱ぎ始めたエステリーナだったが、立ち上がろうとした騎士の一人を睨んで思いっきり彼の尻を蹴る。騎士は嬉しそうにしており、エステリーナも若干楽しそうだ。
『こ、これはまた特殊な……』
『おい、早く逃げろジーク・セレナーデ!』
「っ、その声はサタンか!?」
『これは色欲の禁忌魔法だな?今この娘はその魔法に支配されている状態で、剣の我では魔法の効果を半減させるのが限界だったが、それでもこれだ』
『半減させた結果、エステリーナがドSに……』
「くっ、とにかくエステリーナも駄目だ。ありがとう、サタン!」
「あ、ジーク……!」
再度駆け出し、ジークは安全な場所を探した。王都全体に届く魔力に心身を支配する魔法は、レヴィの広範囲を破壊する魔法とは違った意味で恐ろしい。
まさかとは思うが、レヴィもこの魔法の影響を受けてしまっているのではないだろうか。そうなった場合、ジークは魔神を同時に相手にしなければならなくなる。
『ジーク、あれは……!』
「っ、レヴィか……!」
視線の先に立つ少女が、立ち止まったジークに気付いて目を見開く。直後、物凄い速度で少女はジークの手を引き、近くにあった路地裏へと駆け込んだ。
「くっ、レヴィも禁忌魔法に……!?」
「あっ、やっぱりジークは魔法を弾いてたんだね。大丈夫、ボクは正気だよ。アスモデウスの魔法は効いてない」
少女……レヴィがにっと笑ったのを見て、ジークは安堵の息を吐いた。これで仲間が一人増えた訳だが、ここでのんびりはしていられない。
「それよりジーク、アスモデウスの事が分かってるっぽいけど。彼女と遭遇したのかな?」
「あ、ああ。けど、アスモデウスが禁忌魔法を使ったのには事情があってだな……」
「ふふ、もしかしてアスモデウスとも仲良くなろうとしてる?」
「それは……可能ならそうしたい」
「分かった、じゃあボクはそれを手伝うよ」
そう言うと、レヴィは路地裏に入り込んできた人々を魔力を放って吹き飛ばした。驚くジークだが、レヴィは威力を抑えて彼らを気絶させただけである。
「多分アスモデウスはジークの位置を把握し続けていて、王都に居る人達のほぼ全員を使って君を追い詰めるつもりだよ。そこで考えがあるんだけど、ジークは操られている人達を引きつけてくれないかな」
「俺が?」
「うん。その間にボクがアスモデウスと接触して、この禁忌魔法を解除してみせる」
「分かった、彼女はレヴィに任せる。だけど……」
「殺したりはしないよ。あの子には、ボクみたいに皆と仲良くなってもらいたいからね」
「レヴィ……ありがとう」
「じゃあ、そっちはお願いするよ!」
レヴィが跳躍し、屋根伝いに走り出す。それを見届けたジークは、深呼吸してから表通りへと飛び出した。




