第20話:祭りの準備
『どうして……私を助けてくれたの?』
この世のものとは思えない美貌の少女が、背に生えた翼を広げながら不安げにそう聞いてくる。それに対して至って普通の少年は、迷う事なく口を開いた。
───君が、困っていたから
少女が目を見開く。それだけの理由で、自分とは異なる種族の私を助けたのかと、驚きを隠そうともせずに。
しかし、その一言によって少女は少年に絶大な信頼を寄せるようになる。この時は、本当に幸せだった。少女にとって、生まれて初めて幸せだと感じた時間だった。
───それなのに。
許さない、絶対許さない
壊してやる、彼の居ない汚れた世界なんて
許さない許さない許さない、ジークの居ない世界なんて私が破壊してやる
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「─────ッ!?」
不意に意識が覚醒し、ジークは飛び起きた。その際何かと額が衝突し、何とも言えない痛みに襲われ再び倒れ込む。
「っ、つぅ~〜〜〜〜!」
「ぐぬぅ……シ、シオン?」
見れば、ベッドの隣でシオンが額を押さえて座り込んでいる。どうやら今衝突したのは彼女の額だったらしい。申し訳なくなり急いで起き上がると、シオンが手のひらを向けてきた。大丈夫という意味らしい。
「い、今のは、私も悪いので……うなされていたので、どうしたのか気になって……」
「うなされてた?」
そういえば、夢を見ていた気がする。しかし、思い出そうとすれば鈍い痛みに襲われ思考が鈍る。僅かに顔を歪めたジークを心配したのかシオンが不安げに見つめてきたので、ジークは大丈夫だよと少し無理をして笑った。
「ジーク、おはよーう!」
「ち、ちょっとレヴィさん……!」
その直後、元気な声と共に扉が開かれ部屋の中にレヴィが入ってきた。彼女の後ろには、まだ朝だから静かにと少し怒っているシルフィが居る。しかし、レヴィはジークとシオンと交互に見た後、面白そうにニヤリと笑った。
「お邪魔しちゃったかな?」
「い、いえ、そんな事は」
「駄目ですよシオンさん!こんな朝からご主人様を誘惑するなんて、そんなレヴィさんみたいな真似を……!」
「べ、別に何もしてないって!」
一気に部屋の中が騒がしくなったが、ジークは少し安心した。あの夢は妙にリアルだったが、ここはいつも通りの自分の居場所なのだと思えたからだ。
『ふあぁ、騒がしいですねー……』
「ん、おはよう女神さん」
ネックレス状態で眠っていたアルテリアスも起きたらしい。レヴィが挨拶すると、ネックレスがチカチカと光った。
『おや?朝から贅沢ですねージーク』
「な、何がだよ」
『起きたらこんな美少女達に囲まれてるんですものー。その辺どう思ってるんですかー?んー?』
絡んでくるアルテリアスを枕の下に放り込み、ジークはやれやれと息を吐く。しかし、周りではシオン達が質問の答えを聞きたそうに待機している。
「まあ、そりゃ、恵まれてると思うよ……みんな可愛いし」
「ご、ご主人様……!」
「むぅ……」
「あははっ、ジークったら顔真っ赤だよ」
「ええい言うな!」
『女神を枕の下に放り込むとは何事ですかーっ!』
するんと枕の下から飛び出してきたアルテリアスに額を叩かれる。
「ねえねえジーク、今日は暇?」
「ん?そうだな、特に任務とかはないな」
「じゃあボクと手合わせしようよ!最近あんまり動いてないから身体が鈍っちゃっててさぁ」
「あっ、駄目ですレヴィさん!ご主人様は私と一緒に買い物に行くんです!それから家の片付けも」
「えー、そんなの別に今度でもいいじゃん」
レヴィとシルフィが可愛らしい言い合いを始める。それをどうしたものかと眺めていたジークだったが、シオンが手招きしているのに気付いてベッドから降りる。そして窓の外に目を向ければ、騎士団の鎧に身を包んだエステリーナが手を振っていた。
「すまないな、急に呼び出して」
「いや、大丈夫だよ。レヴィとシルフィにはちょっと申し訳ない事しちゃったけど」
「本当に置いてきて良かったのか?」
「ま、まあ、今回は許してほしいな」
着替えを済ませたジークは、エステリーナと肩を並べて王城を目指して歩いている。レヴィとシルフィはシオンに任せてきたので、何か買って帰ろうとジークは思った。
「毎年アルテリアス様が大戦を終結させてくださった日が最終日で、その二日前からこの王都では大規模な祭りが開催されるんだ」
「ああ、確か〝月光祭〟だったっけ」
「うん、その事で会議をする事になってな。それで今日はジークを呼びに来たんだ」
月光祭。昔からシオンと行きたがっていた、王都アリスベルで開催されるセレスティア王国最大の祭りである。王国中から人が集まり、この三日間だけは嫌な事を忘れて心の底から楽しもう……そんなイベントだとか。
そんな祭りが来月にまで迫っている。実はもう既に様々な場所で準備は始まっているのだ。
「実は、騎士団は月光祭で必ず劇をやっていてな。今回はジーク達特務騎士団をメインに劇を考えたいという話になっているんだ」
「ええっ!?」
「ふふ、驚くのも無理はない。当然そんなものは強制できないから、今日の話し合いで色々決めていきたいと兄さん達が言っていた」
「い、嫌とかじゃないけど……」
恐らくレヴィはノリノリで参加したがるだろうが、大勢の前ですべったらと考えると額に汗が滲む。その辺も含めてこれから話をするらしいので、やはりシオン達も呼んでおいた方がいいだろうか────
「あれ、エステリーナ?」
「どうした?」
「いや、その怪我……」
よく見れば、エステリーナは様々な箇所に包帯を巻いていた。気になったので聞いてみると、エステリーナは少し恥ずかしそうにその包帯を撫でて笑う。
「憤怒の紋章……その力は強大だ。上手く扱えるようにならなければ、周囲に迷惑をかけてしまうかもしれない。ジークもアルテリアス様の魔力を得たばかりの時は、それをコントロールできるよう特訓したのだろう?」
「てことは、エステリーナも前の俺と同じように特訓してるって事か」
「ふふ、あまり上手くいかなくて怪我ばかりしてしまっているけど」
ジークとしては少々心配だった。確かに今のエステリーナは、前とは違ってレヴィ並の魔力をその身に宿している。しかし、コントロールに失敗すれば受けるダメージは桁違いだろう。特訓の手伝いができないだろうか……ジークがそう思った時。
『当然だ。人間の娘にそう簡単に扱われてしまっては、長い年月をかけて紋章をコントロールした我はそれ以下なのでな』
『あの頃はジークも頑張ってましたねー』
「うおっ、びっくりした」
急にこれまで黙っていたアルテリアスと、エステリーナの魔剣となった元魔神のサタンが口を開いた。
「急に声出すとびっくりするだろ」
『ふむ、我々は今までわざわざ黙っておいてやったのだぞ』
『そうですよー、二人きりの時間を邪魔しちゃ悪いなーと思ってー』
「なっ……」
エステリーナの顔が赤く染まる。それを見てジークも顔が熱くなり、更にそれを見たアルテリアスとサタンはケラケラ笑った。
「わ、私は別に、そういうつもりでジークと話していたわけじゃ……!」
『ふむ、そういうつもりとは?』
「いや、その、そういうつもり……」
顔が髪より赤くなっているエステリーナ。本当にそういうつもりはなかったのだろう。アルテリアス達もそれは分かっているのだろうが、本当に意地が悪い。
「おい、やめてやれ……」
『フッ、すまん』
『エステリーナってついいじっちゃいたくなっちゃうんですよねぇ』
「はぁ、女神と魔神が揃って何を……」
そんな話をしているうちに、ジーク達は王城に到着した。長い話が始まりそうだと、何だか始まる前から早くも疲れていた。
「こ、これは……」
渡された企画書に目を通し、ジークは言葉に詰まる。特務騎士団主演劇(仮)は、魔法を中心に行われる子供向けのものと聞いていた。確かに内容はそんな感じなのだが、配役を見ると本当に大丈夫なのか心配になってしまう。
『登場人物a
ジーク:勇者A
アルテリアス様:悪の魔王
レヴィ:連れ去られた姫
シオン:Aの仲間、魔道士
シルフィ:Aの仲間、バトルメイド』
『登場人物b
エステリーナ:旅の剣士
イツキ:魔王の部下A
ノエル:魔王の部下B
その他騎士達多数出演予定』
『私も出れるんですかー!?いやー、燃えますねぇ!それも悪の魔王だなんてー!つまり、姫を取り返しに来たジークをボコボコにする役って事でしょう!?』
「いや、勇者に負けるからな!?」
「ま、まさかアルテリアス様を出演させるとは」
「てかレヴィが姫役って、あいつそんな大人しいキャラじゃないだろ……」
そもそも自分が主人公の勇者役というのも躊躇いがあるが、アルテリアスとレヴィは心配だ。特にアルテリアスが調子に乗って、劇がぶっ壊される可能性が高い。
『大丈夫ですよー、観に来てくださった皆さんを楽しませるのがこの魔王の役目ですからー!』
「やる気満々だこの人……」
「ふふ、あまりこういう事をする機会はないだろうから。アルテリアス様も参加できて嬉しいのだろう」
「騎士団の皆も、アルテリアスの扱い方が分かってきたんだなぁ」
興奮しているネックレス状態のアルテリアスを見て、騎士団の面々が苦笑している。最初の頃は皆緊張していたが、すっかり打ち解けたものだなとジークは思った。
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「あ、あぁ……」
「ば、化物め……!」
燃え上がる砦の中で、倒れた魔族達は口々にそう言った。彼らの視線の先では、漆黒の鎧に身を包んだ禍々しい存在が剣を手に立っている。突如現れた破壊の使徒は、たった数分でこの砦を落とした。次元が違うその力を前に、魔族達には立つ事すら許されない。
「我こそが魔族の支配者だと、愚かにもこの私に歯向かうとは。ククッ、その勇気だけは褒めてやるとしよう」
まるで、見えない力に全身を押さえつけられているかのようだ。倒れた魔族達は、皆自身の体が潰れてゆく音を聴きながら悲鳴をあげる。
「あらあら、随分可哀想な事をするものね」
「アスモデウスか。可哀想とは?私はただ、歩くのに邪魔な石ころを排除しようと思っているだけだが」
「まあ、どうでもいいけど。そんな奴ら、生きてる価値の無いゴミ同然なんだし」
ふわりと降り立ったアスモデウスが、叫ぶ魔族達に冷ややかな視線を向ける。そして、この惨状を生み出している主───魔神ルシフェルの背に向かって言った。
「ねえ、次はあたしが出るわ」
「ほう……?」
「分かってるのよ、あんたが自分で王都に向かわない理由。詳しくは知らないけど、魔力制御が上手くいってないんでしょう?」
それを聞き、ルシフェルは黙り込む。
「そんな状態で、流石のあんたも女神の魔力を宿した人間……ジーク・セレナーデと魔神レヴィアタンの相手を同時にするのは厳しい。ああ、それと魔神サタンもか。ふふ、違う?」
「……そんなもの、この私一人で叩き潰す事は簡単だ」
「やれやれ、傲慢ねぇ。目的に必要なものが見つかったのにこんな事をしてるってんだから、あんたには余裕が無いって事じゃない」
「少し黙れ。その首が繋がっていてほしければな」
アスモデウスが両手を軽くあげる。彼女の首には、ルシフェルが持つ漆黒の剣が押し当てられていた。
「殺れば?これ以上戦力ダウンしたら、どうなるのか……それはこの後にしか分からないんだから」
「貴様……」
「あたしはね、ただ人間に復讐できればそれでいいの。あたしの大切なものを奪った人間に。だからあたしを出せ、そうしたら王都なんて簡単に陥落させてやるわ」
「……いいだろう。だが、失敗すれば貴様は殺す。この私にここまで言ったのだ、生きていられると思うなよ」
「はいはい、別に構わないわよ。元から互いに利用し合っているだけなんだから」
そう言うと、霧に包まれたアスモデウスの体はルシフェルの前から消え去った。彼女を見送った後、ルシフェルはやり場のない怒りを発散するかのように、近くに転がっていた魔族を勢いよく蹴り飛ばす。
「ふふ、ふははっ……よくもまあここまで揃って私をイラつかせてくれるものだ。私に敵うものなど誰一人として居ないというのに」
他の魔族を持ち上げ、天井に叩きつける。
「ひっ!?た、助け……!」
「なんだ、お前は私に口を聞ける程偉いのか?」
口を開いた魔族は焼き尽くし、額を押さえてルシフェルは笑う。
「もうすぐだ……もうすぐ、私の願いは叶う」
崩れ落ちた天井の先……空に浮かぶ黒雲を睨みながら。
「待っているがいい、天界の犬共め」




