第19話:勝利を掴む
「どう足掻いても無駄だ。どんな場所から僕に攻撃しようと、領域内では必ず減速する。魔力で速度を上昇させたとしても、僕には絶対届かないんだよ!」
再び呼び出された魔人達がジークを襲う。
「普通に動いてるじゃないですかー!」
「僕が許可したものは別だ!さあ、領域を更に広げてやろう!モルモット共に為す術もなく嬲られるがいい!」
ジークの意思でアルテリアスをネックレスへと変え、ジークは魔人達を迎え撃った。しかし、ここはベルフェゴールが支配する怠惰の領域。その場から殆ど動く事もできず、ジークは魔人達の攻撃を浴び続ける。
「はははははっ!いいぞ、踊り狂え!」
「がっ、ぐあっ!?」
徐々に意識が薄れ始める。先程凄まじい魔力の衝突を感じたが、エステリーナ達は無事なのだろうか。もし無事であっても、今ここでベルフェゴールを倒さなければ彼女達が襲われるかもしれない。
しかし、自分ではこの領域を突破できない。どうすれば勝てる?どうすれば、自分は─────
《あなたは強い。私が保証する》
不意に、そんな声が頭に響く。
《誰よりも温かくて勇敢な心の強さ。あなたは誰かの為なら何だってできてしまう、そんな人だから》
違う、これは思い出。いつの日かは思い出せないが、とても大切な人が言ってくれた─────
「そうだ、俺はまだ……負けてない!」
「っ、この魔力は!?」
魔人達が吹き飛ぶ。その直後、強烈なボディブローがベルフェゴールを襲った。
「があっ!?な、何故動ける……!?」
「皆はまだ戦ってるんだ!俺だけ一人リタイアする訳にはいかないんだよ!」
今度は頬を殴られ、ベルフェゴールは吹っ飛んだ。荒い呼吸を繰り返すジークは、禁忌魔法の影響下で動けている現状に驚きながらも、追撃する為地面を転がるベルフェゴール目掛けて走り出す。
『ふふ、私の魔力をここまで使いこなすなんて!禁忌魔法に干渉して、その効果を半減させたのですよー!』
「あ、有り得ない!そんな事が可能な筈……っ!」
『可能です!何故ならこの魔力は私、女神アルテリアスの魔力なんですからねー!』
「覚悟しろ、ベルフェゴール!」
顔面に拳を叩き込み、ベルフェゴールを壁に衝突させる。更にそのまま自身を加速させ、数えきれない程の連撃をジークは放った。
衝撃であちこちの壁にヒビが入っていく。それでもジークは手を止めない。私利私欲の為に人の命を弄ぶこの男だけは、絶対に許すわけにはいかない。
「だらああああああああッ!!」
「ッ───────」
あと、一撃。残る魔力全てを纏わせた拳を握りしめ、ジークは勢いよく踏み込み───そして膝をついた。
『ジーク!?』
「ま、まずい……!」
ここまでの戦闘で受けたダメージが、ここに来て一気にジークを襲ったのだ。そんなジークを見たベルフェゴールは腫れ上がった頬を撫でながらニヤリと笑い、ジークの顎を蹴り上げる。
「ぐあっ!?」
「よくもやってくれたなジーク・セレナーデぇ!お前は簡単には殺さないぞ!四肢をもいで、生きたまま全身を焼いて、虫共の餌にしてやる!その後はレヴィアタン達もだ!ああいや、順番を変えようか!目の前で女共を死ぬ程犯して心を壊して肉塊にしてからお前を殺してやるよ!」
ジークの頭を踏みつけ、ベルフェゴールが叫ぶ。
「今ここで、お前の手足をもいでやる!まずは右腕だ!この僕を、怠惰の魔神を敵に回した事を後悔するがいい!」
「くっ────」
来るであろう痛みに備え、ジークは目を閉じ歯を食いしばる。しかし、いつまで経っても何も起こらない。どういう事かと顔を上げれば、ベルフェゴールは大きく仰け反っていた。
「っ、こんの野郎がああああッ!!」
「ごぶあッ!!」
よく分からないが、これは好機だ。跳ね起きたジークは再度魔力を拳に纏わせ、ようやくジークに気付いたベルフェゴールを全力で殴った。その衝撃で背後の壁が砕け散り、ベルフェゴールはその向こうにあった空間へと飛んでいく。
「はぁ、はぁ……な、何だったんだ?」
『分かりません……ってあら、シオン?』
「え……」
アルテリアスの声を聞き、振り返る。すると向こうにシオンが立っていた。顔は真っ青で汗まみれになっているが、彼女が魔法を放って今の隙を生んでくれたのだろうか。
「シオン、何でここに!?」
「そ、その、住民の方々の避難が完了したので、何か手伝える事がないかと思って」
「今、シオンがベルフェゴールに何かしたのか?あいつ、仰け反ってたんだけど……」
「わ、分かりません。でも、ジークが踏まれているのを見た時、急に目の前が真っ暗になって、気付いたらジークがあの人を殴っていて……」
シオン本人も、何が起こったのか分からなかったという。ジークはまだ質問したい気持ちを抑え、まずはベルフェゴールの確認に向かう事にした。
『ここは、また妙な場所に出ましたねー』
「何だあれ、石版?」
崩れた壁の向こうには、今まで居た場所と同じくらいの広さの空間が広がっていた。ここには水が流れ込んでおり、仰向けに倒れているベルフェゴールは体の半分が水に浸かっている。
そして、気になったのは祭壇のようなもの。その上に、巨大な石版のようなものが設置されていたのだ。
「ふ、ふふふ、君達には一生分からないものだよ、それは」
「ジーク、まだ意識があります」
「ああ、シオンは俺の後ろに」
上体を起こし、ベルフェゴールは笑う。
「隠れないで、もっと顔を見せてくれよ。ははっ、今日は生きていて一番の日だ。ついに……ついに探し求めてきたものを見つける事ができた!」
『……?その石版がですかー?』
「さあ、どうだろうなぁ。だが、僕もこれ以上戦える状態ではないのでな。今回は退かせてもらう」
「逃がすわけないだろうが……!」
とは言ったものの、今度こそジークは全身から力が抜け、シオンに支えてもらいながらでないと立てなくなる。
「それではさらばだ、ジーク・セレナーデ。今回は負けを認めるが、次に会った時は全身を八つ裂きにしてやるから覚悟しておけ。そして隣の女も、せいぜい僕の為に生き延びていてくれよ」
「え────」
次の瞬間、周囲に白煙が拡散された。それ自体に毒性などはないようだが、正確な魔力感知が行えなくなり、晴れた頃にはベルフェゴールは居らず。悔しいが、ある意味最悪な怠惰の魔神を倒す事はできなかった。
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魔神二体、魔王クラス百二十四体、魔物約三千体による王都侵攻は、勇敢な騎士達の手によって阻止された。こちら側にもかなりの犠牲者は出たが、それでも被害を最小限に抑える事ができたのは、対サタン戦の前にほぼ全ての魔物や魔王クラスをレヴィが殲滅していたからである。
更には憤怒の魔神サタンと激戦を繰り広げ、討伐のきっかけを作ったのだから、今回最も活躍したのは間違いなく彼女だろう。最高位勲章を含め、最も多くの勲章を授与されたレヴィはとても恥ずかしそうに笑っていた。
そして、話を聞いてジークが最も衝撃を受けたのは、最終的に憤怒の魔神を撃破したのがエステリーナであり、更に次の魔神に選ばれたという事だった。
サタンは何故か彼女の剣になっており、レヴィ達の話によれば別に悪い魔神ではないとの事。元の姿には戻れないらしいので、剣の状態できちんとダイン国王陛下にも謝罪していた。
ちなみに地下で見つかった謎の石版は、現在も調査が行われている最中である。しかし、未だその正体は判明していないという。
「うわっ、何これ美味しい!シルフィも食べてみなよ!」
「ん〜、本当ですね!このサラダも美味です」
「はは、落ち着いて食べろよ」
王都防衛戦から一週間後、王城で大規模な勝利祝いの宴が行われていた。騎士団所属の者は全員参加しており、王国中から取り寄せた食材を使った料理を存分に堪能している。
興奮気味に料理を口に運ぶレヴィとシルフィを落ち着かせながら、ジークも見た事のない高級食材を見て目を輝かせる。そんな姿が余程変だったのだろう。ドレス姿のエステリーナが口元を押さえてクスクス笑う。
「ふふ、少し子供に見えてしまって」
「あらー、恥ずかしいですねー」
こちらはいつもの服装だが、宙に浮きながらアルテリアスが馬鹿にしたように口元に手を置く。こうして絶世の美女二人が並ぶと、やはり人々の視線が集まる。
レヴィとシルフィもそれぞれドレスを着用しておりかなりの人に絡まれていたが、全く相手にされないので肩を落として参加者達は離れていっていた。
「……ジーク、デレデレしない」
「いてっ!し、してないって」
エステリーナとアルテリアスを見ていると、シオンに耳を引っ張られた。彼女も美しいドレスに身を包んでいるが、相変わらず無表情である。
「あれから一週間ですか。ジーク、もう体は大丈夫なのですか?」
「ああ、すっかり治ったよ。俺としてはレヴィの方が心配なんだけどな」
「ボクももう平気だよ。まあ、一昨日くらいまでは結構しんどかったけどね」
「サタンの一撃で全身骨折、更に禁忌魔法の方向転換で筋肉もズタズタ……ふふ、そんな状態からよく一週間で復帰したものだ」
エステリーナやシルフィの前では強がっていたが、あの後レヴィは気を失って二日間寝たきりの状態だった。しかしそれからたった数日で怪我は癒え、今日こうして宴に参加しているのだ。
「ご主人様、あまり無理はしないでくださいね?」
「そうだよ、ジークだって大怪我だったんだから。それにしても、よくジーク相手にベルフェゴールも逃走できたよね。まさか怠惰の禁忌魔法がそんなに厄介だったなんて」
「他の魔法にも苦戦したよ。魔物の大軍も、気付かれずに王都まで連れてきたのはアイツなんだろ?どんな方法を使ったのかは分からないけど、逃がしたのは失敗だ」
「今後また悪さをするかもしれませんものねー。まあ、その時こそはボッコボコにしてやりましょうねー」
そんな話をしていると、イツキとノエルが歩いてきた。そして持っていたグラスを差し出してきたので、ジークはそれに自分のグラスを軽く当てた。
「飲んでいるか、ジーク」
「いや、まだ未成年なんで。今飲んでるのは普通のジュースです」
「ボクもお酒飲みたーい」
「レヴィは見た目が完全に子供だからなぁ。人間年齢だとどのくらいなんだ?」
「んー、十五歳くらい?」
全然見えないが、そうらしい。
「そ、そうなのか。でも残念、この国じゃお酒は二十歳からだな」
「実は二十歳なんだよ」
「駄目です」
「ジークのケチー!」
魔族も酒を好むらしいが、レヴィはこれまで一度も酒を飲んだ経験がないという。魔族であってもこの国に来た以上、きちんとルールは守らなければならない。
「…………」
そんなジークとレヴィのやり取りを、少し複雑な気持ちで見つめていたエステリーナ。ノエルは暫くエステリーナを観察し、やがてやるほどと納得する。
「エステリーナ、いいのですか?このままだとジーク君、他の子に取られてしまいますよ」
「え?い、いや、何の話ですか」
小声で話しかけられ、エステリーナは同じく小声で返事する。
「分かっています、貴女がまだ少し意識し始めたばかりだという事は。だからこそもっとしっかりしてもらわなくては」
「あの、本当に何の話……」
「ジーク君、エステリーナから二人で話があるようです。後でお時間を頂けますでしょうか」
「ちょっ、ノエルさん!?」
突然そんな事を言い出したので、エステリーナは頬を赤くしながら驚いた。ジークは別に構わないと言っているが、イツキは何やら怖い顔でジークを睨んでいる。
「おやおや、攻めるねぇエステリーナ」
「今のは私が言ったんじゃ……」
「ま、頑張りなよ。ボクはいっぱい褒めてもらえて満足だから、今回はエステリーナに譲ってあげる」
レヴィまでそんな事を言ってくる。シルフィとシオンはどこか羨ましそうな表情でエステリーナを見てきていた。
それから話を続け、ジークとエステリーナは自然に二人きりになっていた。いや、されていたと言うべきか。月明かりに照らされたバルコニーで、宴で盛り上がる者達の声を聞きながら、現在二人は肩を並べて立っている。
「その、改めてありがとう。ジークが来てくれた時は、本当に嬉しかった」
「はは、なんか照れるな。正直、もっと早く駆けつけれていたらとは思うけど」
「ううん、そんなに贅沢は言えないよ。本当なら、私一人で何とかしないといけなかったのに」
思い出すと腕が震える。自身のトラウマの原因となった人物が、ずっと身近な場所に居たのだ。あの後ベルフェゴールの手によってカレルは死亡したと聞いたが、それでもまだ少し怖い。
「話はイツキさんから聞いたよ。カレルがその件に関わってたって事も知った」
「っ、そうか。でも、私なら大丈夫だから。団を預かる者が、こんな事で悩んでいては────」
強がろうとするのはエステリーナの悪い癖だった。しかし、彼女を見るジークは表情を変えずにただ黙っている。
「ジーク……?」
「悩む事の、何が悪いんだ?」
「え……」
「エステリーナは確かに第二騎士団の団長で、皆よりしっかりしなきゃって思う気持ちは分かる。だけど、その前に一人の女の子だろ。悩んだり、怖がったりする事の何が悪いんだよ」
そう言われ、エステリーナは目を見開く。
「俺なんか、イツキさんと比べたら全然頼りないけどさ。それでも友達として、エステリーナの助けになれたらなって思う。俺はいつでもエステリーナの味方でいるからな」
照れくさそうに笑い、自分の胸を叩いたジーク。しかし数秒後、エステリーナの目から溢れ出したものを見て、それはもうとんでもないくらいに焦り出す。
「ご、ごめん、嬉しくて……」
「え?あ、その、良かった。言葉を間違ったのかと思った」
「ふふ、ジークは本当に優しいな。レヴィ達が心を開くのも当然だ」
「あー、それはまあ、偶然というか」
「偶然じゃない。君こそ、そうやって自分の努力や実力を認めないのは悪い癖だと思うぞ」
「う……」
何だか立場が逆転していた。おかしくなり、エステリーナは笑う。こんなにも話しやすい異性は、兄以外にジークしか居ない。いや、もしかすると兄よりも────
「そ、そういえばエステリーナが憤怒の魔神を倒したんだったな。凄いな、俺は取り逃しちゃったけど……!」
「ん、それはレヴィ達のおかげだ。それに、ベルフェゴールの強さはレヴィから聞いている。それ程の使い手をあと一歩のところまで追い込んだのだろう?」
「そうだけど、やっぱり逃げられたのはでかいよ。あれだけの数の魔物を、誰にも悟られずに王国の心臓部まで連れてくるような奴だ。今度はどんな手を使ってくるか分からない」
そう言って、ジークは気付く。エステリーナの肩にレヴィのものと似た赤い紋章が浮かび上がり、ぼんやりと輝いている事に。
「憤怒の紋章……サタンを倒した事によってエステリーナに受け継がれたんだったな」
「ああ、まだ思うようには力を使えていないが。これをレヴィのようにコントロールできるようになれば、きっと対魔神の戦力になれる筈だ。だから大丈夫、私達なら絶対に勝てる」
ジークが言った事を、今度はエステリーナが微笑みながら言った。月明かりに照らされた戦乙女は言葉を失う程に美しく、実際彼女の前に立つジークも、その美しさを前に何を話せばいいのか分からなくなっていた。
「ええっとだな。つまりその、これからもよろしく頼む、ジーク」
差し出された手を数秒間見つめた後、ジークはその手を少し遠慮がちに握る。
「こちらこそよろしく、エステリーナ」
その後、少しの間バルコニーで談笑してからシオン達の所に戻ると、どんな話をしたのか二人揃ってしつこく問いただされ、「ヘタレですねー」と馬鹿にしたような笑みを浮かべていたアルテリアスは、強制的にネックレスへと変えられるのだった。
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「はぁ、はぁ……くそっ、くそくそくそっ!よくもこの僕をこんな目に……ジーク・セレナーデええぇ……ッ!」
全身から血を流しながら、ベルフェゴールは魔神達の拠点───魔界へと帰還した。そしてルシフェルに今回の収穫について報告する為、ヨロヨロと歩いている最中だが……。
「レヴィアタンもだ!今回投入した魔物と魔王共は、殆どあいつ一人が殲滅したらしいじゃないか!あれだけの数を用意するのに、どれだけの手間がかかると思ってるんだよ!これだから能無しは嫌いなんだ!」
廊下の壁を殴り、荒い呼吸を繰り返す。
「まあいい、目的のものは見つけたんだ。あれさえ手に入れば、僕は真の魔神へと至る事ができる……!」
脳裏に浮かぶ、目的の姿。あの瞬間、全身に凄まじい衝撃を感じた瞬間、ベルフェゴールは理解した。あの存在がその能力を以て、あの空間の時を止めたのだと。
その能力こそが、ベルフェゴールが追い求めていた究極の力。それがもうすぐ手に入るかもしれないと思う度に、ベルフェゴールは歪んだ笑みを浮かべるのだった。




