第12話:蠢く闇
傲慢なる魔神が無言で佇んでいる。雷鳴轟く黒雲の下、城の頂に立ち、魔神ルシフェルは遥か遠くを見つめていた。
「……ふっ、ククク……まさかあのレヴィアタンが寝返るとはな。よくもまあそんな事をしてくれたものだ」
漆黒の魔力が大気を震わせる。言葉にはしていないが、明らかに苛立っている。だからこそ、誰も彼に近付けない。誰も彼の名を呼べない。それは死を意味する行為だからだ。
だがしかし、それを恐れない者が一人。
「魔神なんてそんなものじゃない。結局あたし達は、互いを仲間だなんて思っていないんだから」
「アスモデウスか。何の用だ?」
ギロりと、ルシフェルが現れた少女を睨む。美しい桃色の髪は腰まで伸ばされ、目を疑ってしまう程の美貌を持つ少女である。
「〝あいつ〟が言ってたわよ。探していたモノが見つかったから、次は自分も同行させろってさ」
「少し前は当分の間忙しいと言っていたが……まあいい、許可しよう。ただし、目的は一つではないと把握しておけ。そう伝えろ」
「最近退屈だったけど、ようやく動き出すのね。あたしも少し体を動かそうかしら」
先程アスモデウスと呼ばれた少女が、黒い羽を広げて飛び降りる。それを見送ったルシフェルは、仮面の下で口の端を上げた。
「計画は順調、問題は女神アルテリアス……いや、女神の力を宿した人間か。ククッ、せいぜい駒を相手に踊っているがいい」
言い終わると同時、一際大きな雷音が響き渡った。
「へっきし……!」
突然隣のジークがくしゃみをしたので、部屋の整理をしていたシオンは僅かに肩を震わせた。
「……風邪ですか?」
「いや、多分舞った埃が……っくし!」
『あれじゃないですかー?ほら、どこかで誰かがジークの悪口言ってるとかー』
「ああ、そういう事ですか」
「お前らなぁ……」
ネックレスと幼馴染にそんな事を言われ、ジークは息を吐く。散らかしっぱなしだったレヴィの部屋。あまりにも酷い有様だったので片付けを始めたものの、思ったよりも埃が舞っているらしい。
『そんなに埃が舞っているのなら、私だってくしゃみが出てしまう筈ですー』
「いや、お前ネックレスだろ」
「ご主人様、お部屋の片付けが終わりました」
シルフィが顔を出し、ご褒美を期待するような目で見上げてくるので、ジークは彼女の頭を優しく撫でた。彼女の希望でジークやシオンの部屋の掃除を任せていたのだが、流石は特務騎士団専属メイドである。
「ジーク、ボクも終わったよー!」
「わっ!?れ、レヴィさん……!」
そんなシルフィに背後から抱き着いた、同じくらいの身長の少女。家の前にある花壇の水やりを任せていたレヴィだ。
「ボクも撫でて〜」
「あ、ずるいですレヴィさん!ご主人様、私もこのまま……!」
「はいはい」
二人の頭を撫でながら、ジークは窓の外に目を向ける。ここ最近はずっと晴れ続けていた空が、時間が経つごとに雲に覆われていく。僅かだが、胸騒ぎがした。
そして、このタイミングで玄関の扉が何度か叩かれ音が鳴る。嫌な予感がしながらも、ジークは駆け足で玄関へと向かった。
「エステリーナ?何かあったのか?」
「ああ、突然すまない。王都からかなり離れた場所になるんだが、アルツェンという町に未知の魔物が出現したという情報が入ってな。特務騎士団に出撃命令が出たんだ」
「アルツェン……鉱山街ですか。未知の魔物というのは、一体どのような?」
「詳しい事は私も分からない。だが、王都に情報を届けてくれたアルツェンの自警団に所属する方によれば、少し前に行方不明となった友人にどこか似ていたらしい」
それを聞き、ジーク達は皆表情を変化させる。恐怖のあまり、魔物を友人に見間違えてしまったのか、それとも……。
「とにかく、早めにアルツェンに行った方が良さそうだな。エステリーナ、自警団所属の人は今もまだ王都に?」
「ああ、ジーク達と共にアルツェンへと戻るよう伝えている。彼の話によれば、魔物は街の傍にある鉱山に入ったという。今は封鎖しているそうだが、いつまた被害が出るか分からない。街の人達を、どうかよろしく頼む」
「任せてくれ」
未知の魔物……魔王クラスや魔神の可能性があるからこそ、特務騎士団に話が舞い込んだのだろう。幸い怪我人は数名でいずれも軽い怪我だというので、これ以上怪我人を出さない為にジーク達は即座に準備を終え、自警団所属の男性と共に王都を出発した。
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「少し前に、俺の親友……コーディは鉱山に魔物が現れたって話を聞いて、一人で討伐に向かったんだ。俺は止めたけど、あいつは大丈夫だって聞かなくて、夜中に出掛けたらしくてさ。それから行方不明になって、皆で鉱山を捜し回ったけど見つからなくて……だけど、一昨日アルツェンに現れた魔物はコーディにそっくりだったんだ。その、見た目は異様だったけど、雰囲気とか胴体に付いていた頭部とか……」
アルツェンに向けて移動している最中、自警団所属の男性……エリオットが言った。それを聞いたジークは暫く考え込み、同じく何かを考えていたレヴィに声をかける。
「レヴィは何か知らないか?魔族側で、別の生物を魔物化させる魔法の使い手とか」
「いや、聞いた事がないね。そんな魔法が存在するのなら、今頃彼らは喜んで君達人間を魔物化させてるだろうし」
ただ、とレヴィは続ける。
「一人、魔法の研究や実験を好んで行っている奴が居てね。そいつがそんな馬鹿げた魔法を生み出して、効果を確かめている最中だとしたら……」
『魔法が完成した場合、魔族側の勢力は一気に力を増すでしょう。本当に、馬鹿げた魔法ですが』
凍てつくような声。それを発したのは、今まで黙って話を聞いていたアルテリアスだった。
「まあまあ、落ち着きなよ女神さん。ここには一般人だって居るんだからさ」
『え……あ』
レヴィに言われてアルテリアスは気付く。エリオットが、アルテリアスが放った殺気を浴びて震え上がっている事に。
「というか、そんな殺気放てるんだ。ふふ、一度手合わせしてもらいたいな」
『すみません、つい。手合わせならジークとお願いします』
「ま、ま、まさか救世の女神様や最近噂の魔神の子、それにその魔神を倒した人と一緒の馬車に乗る日が来るなんて。は、はは、ははは……」
少しエリオットが可哀想だ。苦笑し、ジークはお怒りのアルテリアスを落ち着けるように、点滅しているネックレスを軽く撫でた。
『あら……?』
すると、アルテリアスが何かに気付いたように呟く。それと同時、レヴィも馬車から身を乗り出して目を細めた。
「この気配、魔物?いや……」
「不吉な風……何か来ます!」
シルフィがそう言った直後、馬車目掛けて猛スピードで街道を疾走する数体の魔物が視界に移った。狼型の姿を見てジーク達はダイナウルフと呼ばれる魔物と判断したが、少し様子がおかしい。
「チッ、まさかとは思うけど……!」
馬車から飛び出したレヴィが勢いよく跳躍し、生み出した魔鎌を手にダイナウルフの群れへと突っ込んだ。そして振り回された鎌はウルフ達の首を刎ねたが、躱した数体はそのまま馬車との距離を詰め始めた。
「レヴィさんの攻撃を躱すなんて!」
それを見たシルフィが馬車の屋根上に飛び乗り、そこから周囲の木々を利用し鋼糸を張り巡らせる。しかし、それすらもダイナウルフ達は身を裂かれながらも掻い潜り、遂に馬車へと飛びかかった。
「マジかよ……!」
「普通の魔物とは思えませんね」
ジークとシオンも馬車から降り、空中でダイナウルフをそれぞれの一撃で弾き飛ばす。どうやら目的はジークだったらしい。移動を続ける馬車は追わず、残ったダイナウルフ達は着地したジークとシオン、シルフィを取り囲んだ。
「ご主人様には触れさせませんよ」
「通常よりも筋肉の量や魔力が増しています。何らかの理由で突然変異したのか、それとも……」
「話は後だ。逃さないよう確実に撃破するぞ!」
一斉に動き出したダイナウルフ。しかし通常とは違うとはいえ、相手が悪過ぎた。シオンが造り出した槌に押し潰される個体、シルフィのダガーで首元を切り裂かれる個体、ジークの拳で遥か遠くに吹っ飛ばされる個体……レヴィが合流した頃には、全てのダイナウルフは討伐されていた。
「おお〜、やるねぇ皆」
「レヴィ、馬車から出る前にまさかとは思うけどって言ってたな。何か知ってるのか?」
「知ってるというか、さっき話してた奴の仕業っぽいかな。前から行っていた〝魔物の狂化実験〟……それが成功したんだと思う」
「狂化……」
「怠惰の魔神ベルフェゴール、そいつが行っていた悪趣味な実験だよ」
それを聞き、全員が目を見開く。
『今回の件には怠惰の魔神が関与していると?』
「その可能性が高いって事。場合によってはボク以来の魔神戦になるかもしれないね」
「なら、俺達の動きが知られてるって事じゃないか?あのダイナウルフ達、明らかに俺を狙ってるみたいだったし……」
「アルツェンって所での一件……ボク達を罠に誘い込もうとしている可能性もあるってわけだ」
場に緊張が満ちる中、避難していた馬車とエリオットが戻ってきた。アルツェンまでは後二時間程、今のうちに不測の事態に備えておいた方が良いだろう。
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鉱山街アルツェン。様々な鉱石が採掘できる山の麓にある街で、普段は街中にある加工場や鍛冶屋から聞こえる音が響き渡り、屈強な人々の声が絶えない賑やかな街。
しかし、例の魔物騒ぎ以降は日中も街は静まり返り、到着したジーク達がその静けさに誰も居ないのではないかと思ってしまった程である。
「良かった、あれからコーディに似た魔物は街を襲っていないみたいだ」
「アルテリアス、レヴィ、魔力は感じるか?」
『ええ、かなり強い魔力が鉱山から』
「うん、これは魔王クラスかな」
二人によると、魔王クラスの魔力は鉱山の中を彷徨うように移動し続けているらしい。現時点で鉱山の外に出てくるような様子は見られないので、エリオットの希望で住民達から魔物の話を聞く事にした。
「ありゃあどっからどう見ても魔物だよ。あいつのせいで、俺の家はぶっ壊れちまった。絶対許さねえ……討伐は頼んだぜ、騎士さんよ」
「恐ろしい容貌だったわ。それこそ、最近各地に現れてるっていう魔王なんじゃないかしら」
「なんだか少し悲しそうだったんだよね。暴れ回ってたんだけど、何かに気付いてほしそうな感じ?」
様々な話を聞いた後、ジーク達は酒場で情報の整理を行う事に。
「気になる話も聞けたな。何かに気付いてほしそうな感じだったと言っていた人が居たが……」
「エリオットさんのご友人……コーディさんが自分だと気付いてほしかったと考えると、暴れた理由にも納得できますね」
『死傷者が出ずに皆軽傷で済んだのは、例の魔物がエリオットの言う通りコーディという方で、意識が僅かに残っていたからかもしれません』
「っ、やっぱりあいつはコーディだったんだ。絶対元に戻してやらなくちゃ……!」
拳を握るエリオットを見て、ジーク達も決意を固めた。そして危険だがついてくるというエリオットと共に、魔物が徘徊する鉱山へと足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が満ちた坑道を、エリオットを四方から守るように立ち歩く。ここでは魔結晶も採掘されているようで、鉱山全体から魔力を感じた。
その中で一際強大な魔力を放つ存在。距離が縮まるにつれ、エリオットの顔色は悪くなっていた。
「魔王クラスの魔力……一般人にはかなりの影響を与えるようですね。私も少し頭痛がします」
「ご主人様は平気ですか?」
「ああ、アルテリアスのおかげでな」
「んー、ちょっと難しいけど、これならどうかな?」
レヴィが魔法を使う。すると、エリオットの体がレヴィの魔力に包まれた。
「こ、これは……」
「一応水魔法の一つでね。彼を防御する結界を展開したんだ。ただ、他人に使うと維持するのがしんどくて。あまり長持ちはしないよ」
「いや、凄くありがたいよ。優しいんだね、君は」
「あはは、魔神だけどね〜」
照れくさそうに笑うレヴィを見て、エリオットが微笑む。優しいのは事実であり、ジーク達も日頃から彼女に対してそう思っていた。
『さて、いよいよ敵に追いつきますよー。皆さん、気を引き締めてくださいねー』
「了解。エリオットさん、下がってください」
開けた場所に出た瞬間、おぞましい魔力が坑道内を駆け抜けた。身構えたジーク達の前で、異形の存在がゆらりと振り返る。
紫色に染まった肉体は膨れ上がり、右腕がまるで巨大な剣のように変貌している。そんな中、ブロンドの髪が揺れる。その下で動き回っていた赤い瞳が、ジーク達を捉えた。
『グ、ギギ……オ、レハ……』
「っ!コーディ……コーディなんだな!?」
エリオットが叫ぶ。それに反応したのか、魔物は自身の頭に腕を押し付ける。
『オレ、オレ……ハ……オレハアアアアッ!!』
「まずい、来るぞ!」
「サポートします。エリオットさんの事は私とシルフィにお任せを」
「行くよージーク!」
振り下ろされた剣腕から魔力の斬撃が放たれる。それをレヴィが水の壁を生み出して防ぎ、それを跳び越えジークが魔物の頭を掴んで後頭部を地面に叩きつけた。
「アルテリアス、どうだ!?」
『────膨大な魔力の流れの中心に、今にも消えてしまいそうな魂の欠片を確認。この魔物はエリオットの友人であるコーディに間違いないでしょう。ただ、ここまで形が崩れてしまっていると、もう……』
「なっ……」
『ウオオオオオオオオッ!!』
ジークを弾き飛ばし、コーディは吠える。そして再度放たれた斬撃はレヴィの魔法を切り裂き、エリオットを襲った。
「させません、【鉄岩壁】」
「やああっ!」
しかし、埋まった鉱山を利用しシオンが生み出した鉄の壁とシルフィの暗技に阻まれ、斬撃はエリオットに届かず消滅する。
「やっぱりベルフェゴールの仕業か。ジーク、残念だけどその人は……」
「そんな……!」
「このままじゃ彼を苦しめるだけだよ。早めに決着をつけてあげるべきだ」
暴れ狂うコーディを見て、レヴィがそう言う。それに対し、ジークは拳を握りしめた。向こうではシオン達に守られたエリオットが顔を真っ青にしている。このままでは、彼の目の前で親友を手にかけてしまう事になるだろう。
『ウルルルアアアアッ!!』
「ぐっ!?」
エリオットを救う方法を考えていたジークだったが、コーディの接近に気付かず勢いよく背中を斬られてそのまま壁に衝突。それを見たシルフィがコーディを鋼糸で拘束すると同時、レヴィが魔力を纏う。
「コーディ、もうやめてくれ!」
『オレハ……オレ、ヲ……』
痛みに耐えて立ち上がったジークの目に、懇願するようにこちらを見つめるコーディの弱々しい姿が映る。
『オレヲ、コロシテ……』
「っ……!」
ジークが言葉を失った次の瞬間、コーディの首が宙を舞った。ジークの視線の先で、鎌を手に持ったレヴィが地面に着地する。
「こういうのはボクに任せてくれればいいから」
「レヴィ……」
悲しそうにそう言い、レヴィはエリオットの前で頭を下げた。
「ごめんなさい。君の友人を、助けられなかった」
「……いや、きっとコーディは救われたよ。だって、こんなにも安らかな表情で……ッ!」
苦しませるくらいなら───レヴィの判断は間違っていなかったのだろう。号泣するエリオットが抱える、灰となりつつあるコーディの首。その表情は、ようやく苦しみから解放された事に安堵したかのようだった。




