第5話:エルフの少女
「ふッ────」
迫り来る魔物達を、ジークの拳が吹き飛ばす。そんな光景を後ろで見ていたシルフィは、思わず手をパチパチと合わせた。
「ジークさんは、王国の騎士なんですよね?」
「ええ、つい先日そうなりましたねー」
「それで、アルテリアス様の魔力を使う事ができると」
「選ばれし者ですねー。強いですよー彼は。もう既に、この地を襲った二人の魔王を打ち破っていますからー」
「……」
そんな会話をしていた二人の前に、魔物を退けたジークが腕を回しながら歩いてくる。まだまだ妖精の森までは遠いが、シルフィが徒歩で向かいたいと言ったので馬車は借りていない。
「なあなあ、結構魔力コントロール上手くなったと思わないか?」
「全然ですー」
「うぐ、マジか……まあ、しっかり出来てないと周りの人を巻き込んでしまうかもしれないしな。自惚れずにしっかり練習するか……」
「あ、あの、ジークさん」
名を呼ばれ、どうしたとジークがシルフィに目を向ける。
「ジークさんに、お願いがあって……」
「どうした?」
「妖精の森が、私の故郷でした。私達エルフ族が何百年も人間に見つからなかったのは、特殊な結界が展開されていたからです。だけどあの時、あれは結界を破って故郷に侵入してきた……」
「っ、それって」
「魔族、だと思います。だけど信じられないくらい強くて、全員で協力しても傷一つ付けれなくて……私達の故郷は、炎に包まれてしまいました」
ジークと目を合わせ、アルテリアスが表情を変える。ただの魔王クラスが、エルフ族の実力者達を何十人も相手にして傷一つ負わないというのは妙だ。そこで思い至ったのが、魔王クラス以上の化物が姿を現した可能性。
「まさか、魔神が……?」
「こんな事を知り合ったばかりの人にお願いするのは間違っていると思います。だけど、女神様の力が使えて、信じられるジークさんなら……」
「なるほど。俺にシルフィの故郷を奪った奴をどうにかしてほしいって事だな?」
シルフィが目を伏せながら頷く。アルテリアスの言う通り、今回現れたのは魔神である可能性が高い。しかし、それがどうした。元々ジークは、その魔神を相手にする為アルテリアスの代わりとして村を出たのだ。
「よし、俺に任せろ!いつになるかは分からないけど、必ずそいつをぶっ飛ばしてやる」
「ジークさん……!」
目を潤ませながら見つめられ、ジークが言葉に詰まる。何というか、あまりにも可愛らしすぎたのだ。なるほど、妖精の森に住んでいたのは、確かに妖精だったらしい。
「完全に信頼を勝ち取りましたねぇ」
「ま、まあ、それは嬉しいんだけど……」
「ただ、今回の件に魔神が関係しているのだとしたら、あまりのんびりはしていられませんよー?」
「そうだな。俺もそろそろ覚悟を決めた方が良さそうだ」
どれ程の強さを誇るのかは分からない。それでも、これ以上シルフィのように悲しむ人を増やさない為に。女神代理として恥じない戦いをしようと、ジークは自分の心に誓う。
「それにしても、改めて聞くと魔神ってのはとんでもない存在だな。今の俺はどこまでやれるだろうか」
「私の魔力を持っているジークは、間違いなくその魔神達と同等かそれ以上の実力者となっています。それでも恐らく、戦闘経験の差は確実にあるでしょう。戦闘中は私がサポートしますけど、確実に勝てると断言するのは難しいですねー」
「そ、それほどまでの脅威なのですか、魔神は」
シルフィの頬を汗が伝う。エルフの戦士達は皆強かった。それでも全く歯が立たずに全滅したので常識外の強さだとは分かっていたが、女神であるアルテリアスにそう言わせるほどの存在だとは。
「大丈夫、何とかしてみせるさ」
怯えが顔に出ていたシルフィにジークがそう言うと、彼女は笑ってくれた。そうだ、これ以上犠牲者を出すわけにはいかない。たとえ敵がどれほど強大な力を持っていようと、決して諦めずに死ぬ気で戦ってみせよう。
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「これは……」
休憩を挟みながら、歩く事約三時間。既に辺りは薄暗くなり始めており、魔物も活性化する時間帯。
ようやく辿り着いたシルフィの故郷は、黒く焼け焦げていた。草一つ生えていない、死の空間。未だに燃え続けている場所もあり、時折風に乗って嫌な臭いが届く。
「っ、うぅ……」
こうして実際に全てが失われている光景を見て、シルフィはその場に崩れ落ちる。そんな彼女にかける言葉が見つからずにジークが黙り込んでいると、アルテリアスが周囲を見渡しながら顎に手を当てた。
「……妙ですね」
「どうかしたのか?」
「この臭いは、恐らく巻き込まれた魔物が焼けた臭い。エルフ族はかなりの魔力をその身に宿しており、死後も魂は魔力に包まれ暫くの間はその場に留まり続ける種族。それなのに、ここには一つもその魂や魔力が存在していないのです」
小声でアルテリアスがそう言う。という事は、エルフ族達は別の場所に逃げる事に成功したのだろうか。
「いえ、これはまるで、魂そのものを喰らったかのような───まさか」
アルテリアスが何かを言おうとした、その直後。突然真上から魔力を感じたジークはアルテリアスとシルフィを抱え、咄嗟に後方へと飛び退いた。遅れて直前まで立っていた場所が砕け散り、爆発する。
着地したジークは二人を降ろし、魔力を纏って立ち上る煙を睨みつけた。
「誰だ……!」
「ほっほっほっ。まさか、私の魔弾を避ける人間がいるとは」
「ジーク、あれは魔王クラスです」
煙の中から姿を現したのは、淡く輝く手のひらをぺろりと舐めた異形の男。明らかに人間ではないその容姿は、悪魔と言った方が的確だろう。事実、この男は魔王クラス。まさかとは思うが、この男が森を焼いた犯人なのか。
「ほっほっ、主様から生き残ったエルフ族を捜せと言われて来ましたが、まさかこんなにも早く見つかるとは。それも、濃密な魔力を持った良い個体が」
「主様だと?」
「おやおや、妙な魔力を持っていますねぇ、貴方。まさかとは思いますが、噂の女神アルテリアスとその魔力を使う人間では?」
「……そうだと言ったら?」
「ほっほっほっ、これは何と運が良い!女神をこの場で始末しエルフ族の子供を連れ帰れば、私の評価が跳ね上がる事は間違いなし!」
次の瞬間、ジーク達の視界が白く染まる。舌打ちしてジークは魔力を拳に纏わせ、迫り来る魔法を殴って消し飛ばした。その衝撃波を浴びた魔王クラスの男は口の端を上げ、心底愉快そうに笑い出す。
「ほっほっ、二度も防がれるとは」
「お前の主って奴が、シルフィの故郷を……この森を焼いたのか」
「そうですねぇ、でも別に問題はないでしょう?主様に食される悦びを、その身で味わう事ができたのですから!」
それを聞き、アルテリアスが男を睨んだ。
「今ので確信しました。エルフ族を襲撃したのは魔神……《暴食》の魔神ですね?」
「暴食の、魔神?」
「全てを喰らう悪趣味な魔神ですよ。魂が存在していない事を疑問に思っていましたが、暴食の魔神がエルフ族の魂ごと喰らっていたという訳ですか……」
「ほっほっほっ、流石は女神アルテリアス。その通り、そこにいる子供以外は我が主が全員捕食しましたよ」
シルフィの顔が青ざめる。アルテリアスは不快そうに表情を歪め、ジークは血が滲む程拳を握りしめた。
「どう、して、そんな事……」
「それは主様に聞いてください。まあ、お腹が空いたから……ではないでしょうか。ほっほっ、皆さんが別の生物を食すのと同じです。生きるためには食べなければねぇ」
「てめえッ……!」
ジークが地を蹴り、男目掛けて蹴りを放つ。それを避けた男は手元に魔力を集中させ、先程から言っている〝魔弾〟をジークに放った。それは空中で身動きが取れないジークを容赦なく吹き飛ばし、地面を転がったジークは焼け焦げて折れた巨木に衝突する。
「ジークさん……!」
「ほっほっ、その程度ですか!」
顔を上げれば、無数の魔弾が迫っていた。立ち上がったジークは全身に魔力を纏わせ、その魔弾を次々と打ち落とす。しかし、シルフィとアルテリアスにも魔弾は迫っており、彼女達を守る為にジークは身体強化を発動した。
「っ、速い!」
「らあッ!」
シルフィ達の前に割り込んだジークが、前方に魔力を放って魔弾を消し飛ばす。そして強化された脚力での全力疾走は男の反応速度を遥かに上回り、強烈なボディブローが男の腹部を陥没させた。
まるで弾丸のように吹っ飛んだ男。手加減はしていないので、今の一撃で戦闘不能になっていてもおかしくはない。
「シルフィ、怪我はないか?」
「は、はい、おかげさまで……!」
「ちょっとぉ、私の心配はーー!?」
「魔力体だから当たっても大丈夫だろ」
「酷い!?」
ショックそうに体を折ったアルテリアスを無視し、ジークは吹き飛んだ先で立ち上がった男に目を向ける。
「まだ生きてやがるか……」
「ゴホッ……魔王ですので。さてさて、それでは手加減をやめましょう」
魔力が迸り、瞬間、男が真上に魔弾を放つ。それを見ていたジークだが、弾け飛んだ魔弾が雨のように降り注いでくるのが目に映り、シルフィに覆いかぶさり背を向けた。
着弾し、派手な音と共に爆ぜる魔弾の雨。ジークは背中に凄まじい衝撃を感じながらも、シルフィを攻撃から守り続ける。
「ジーク、無事ですかー?」
「ああ、何とかな……!」
やがて止まった魔弾による無差別破壊。無傷のジークがシルフィから離れれば、男は少し苛立ちを見せていた。
「何故私の魔弾が効かないのでしょうか」
「生憎、俺の魔力はこの女神が貸してくれた魔力。女神パワーの前に、その程度の攻撃なんて無意味って事だ」
「ほっほっ、それなら」
男が猛スピードで駆け出し、ジーク目掛けて拳を突き出す。それを受け止めたジークだったが、敵の狙いに気付いてシルフィとアルテリアスに避難するよう声を張り上げる───が、遅い。
零距離で放たれた魔弾は盛大に爆ぜ、爆風がシルフィ達を吹き飛ばす。そして顔を上げれば、ジークが立っていた場所は黒煙に包まれていた。
「そ、そんな……!」
「いえ、あれは」
アルテリアスには分かる。今のを浴びたジークはノーダメージで、それどころか────
「ごはァッ……!?」
黒煙の中から飛び出したのは、体をくの字に折って血を吐く魔王クラスの男。それを追って姿を見せたジークは、そのまま空中で男を蹴り飛ばした。
「……ほっほっ、やってくれましたねぇ人間!貴方には特別に、この私───魔王ベイル様の超魔弾をプレゼントいたしましょう!」
吹っ飛んだ先で体を起こした魔王クラスの男───ベイルの手元に凄まじい量の魔力が集中する。恐らくこれから放たれるのが、ベイルの最大魔法なのだろう。迎え撃つ為にジークは構え、魔力を纏い直す。
「消えなさい、人間!!」
「お前がな!!」
「え──────」
踏み込み、目の前まで一瞬で到達した魔弾をぶん殴る。僅かに拳が押し返しされたものの、ジークの一撃はベイルの魔弾を消し飛ばし、その先に立つベイルすらも衝撃で弾け飛んだ。
「す、凄い……」
「ふふ、魔王クラスでは相手になりませんねー」
魔力を体内に戻して息を吐いたジーク。そんな彼の背中を見つめながら、シルフィは感動していた。本当に、彼なら故郷を奪った憎き存在を倒してくれるかもしれない。その為に、自分にできる事は一体何だろうか。
「終わったよ。シルフィ、もう少し見て回るか?もしかしたら、何か見つかるかもしれないし……」
「いえ、ここからは誰の気配も魔力も感じる事ができません。アルテリアス様やあの男が言った通り、皆の魂はここに存在していないのでしょう。だから……」
シルフィの目から、涙が溢れ出す。魂さえ残っていれば、導いてあげる事ができた。しかし、生き残ってしまった自分には、それすら許されないというのか。
声を、涙を、抑える事ができない。そんなシルフィを、ジークは優しく抱き寄せた。この時だけは、アルテリアスも冗談を言ってきたりはしない。
「俺で良ければいくらでも君の力になる。だから、頑張ろうシルフィ。きっと、想いは届く筈だ」
「う、うぅ、うああああああっ!!」
ただ一人残された妖精の泣き声が、満天の星空の下響き渡った。
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「あ、あの、これは一体どういう……」
翌日、全ての報告を終えたジークは、自宅に戻ってから驚きのあまり目を見開いていた。何故なら先程まで共に王城を訪れていたシルフィが、どこで手に入れたのか分からないメイド服に身を包んでいたからである。
「私は考えたのです。魔神を討つ為行動しているジークさんの為、何かできる事はないのかと」
「そ、それで、なんでメイド服……?」
「当然、ジークさんを傍で支える為です。アルテリアス様に教わりました。メイドとは、主人に全てを捧げて仕える者であると」
「アルテリアスッ!!」
『うふふ、ちびっ子エルフメイドなんてレベルが高いですねー。流石はジーク、欲望の化身……あっ、待って!ネックレスごと握り潰そうとしないでくださいー!』
息を吐き、シルフィを見る。確かに反則級の可愛さである。それも、伝承の中に登場する幻の種族エルフが、メイド服を着ているのだから。
『か、彼女には帰る場所が無いのです。ここはジークが面倒を見てあげるべきでしょう!』
「ああもう、それは勿論だけど!シルフィはエルフ族だろ?普通に歩いてたら大注目されちゃうぞ」
「気にしません。私はジークさんの力になると誓ったのです。その程度の事で怯んだりはしませんよ」
決意に満ちた瞳で見つめられ、ジークは降参だと両手を上げた。そんな彼を見てシルフィは嬉しそうに微笑み、そして優雅にお辞儀をしてみせる。
「これからよろしくお願いしますね、ジークさん……いえ、ご主人様」
「ぶふっ!」
『あらー』
思わず咳き込んだジークだったが、扉が開け放たれた音を聞いて振り返った。そして、震え上がる。そこに立っていたのは、何とも恐ろしい無表情でこちらを見つめるシオンだったからだ。
「エルフ族の少女を迎え入れるとは聞いていましたが、まさかご主人様呼びを強制させているとは。そういう趣味があったんですね、ご主人様」
「ち、違う!これはだな……!」
「ご主人様は何も悪くありません!私がそうお呼びすると決めたのです!」
『やーん、私もご主人様って呼んだ方がいいですかー?』
一気に騒がしくなったリビングで、ジークは頭を抱えるのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ふんふんふーん♪」
上機嫌な少女が一人。別に、彼女の周囲には花畑が広がっている訳でも、美しい街並みが広がっている訳でもない。
そこにあるのは、見渡す限りの地獄。崩壊した城、大地を染め上げる血、積み重なった魔族の死体。その上に、鼻歌を口ずさみながら少女は腰掛けていた。
「あぁ、楽しみだなぁ。どんな子なのかなぁ、早く会いたいなぁ」
この地獄を作り上げた少女が笑う。まるで恋する乙女のように、頬を赤く染めながら。
「ボクが嫉妬するくらい強くて素敵な子だったらいいなぁ……!」




