第4話:森の妖精
家が、木々が、仲間達が焼けていく。そんな地獄の中を、涙を流しながら逃げ惑う事しかできない。
唐突に訪れた、日常の終焉。昨日までは静かで美しかった森が、断末魔をあげながら業火に包まれる。もう、自分しか生き残っていないだろう。そう考えると、絶望が一気に押し寄せてきた。
『大丈夫、───、お母さんはずっと、───を見守っているからね』
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。認めない、あれが最後だなんて、絶対に認めない。だから走る。信じて走る。きっと、上手く逃げてくれた筈。
「────ぁ」
信じない、信じない。目の前に転がっているのが、母だったものだなんて。少女はただただ立ち尽くした。もう、悪魔は去った。自分から全てを奪った災厄は去った。だけど、もう、何も、信じない。
「おいおいマジかよ!こりゃあエルフのガキだ、捕らえろ!はははっ、こいつァ高く売れるぞ!」
これ以上何かを失う事になっても、もう知らない。どうでもいい────
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「妖精の森が焼失しただと!?」
部下からの報告を受け、イツキは目を見開いた。昔からエルフ族が暮らすと言い伝えられていた妖精の森。古くから存在していた伝承の森が、たった一晩で燃え尽きてしまったというのだ。
「魔王クラスが何かをしたという事でしょうか」
「その可能性は高いが、わざわざ人のいないあの森を焼き払う理由が無い」
「そういう気分だったのでは?エステリーナが交戦したという魔王も、歩く先に町があったから破壊したと言ったそうですが、今回もそれに近い理由で森を焼いたのかもしれませんよ」
ノエルの言葉を聞き、イツキは拳を握りしめる。王国の中でも特に貴重な自然遺産だった妖精の森。それをそんな理由で焼いたのだとすれば、到底許す事などできはしない。
「数百年以上も姿を確認できていないエルフ族。そんな彼等を脅威と認識し、森を襲撃したという可能性は?」
そんな時、話を聞いていたエステリーナが言った。なるほど、確かにその可能性も捨てきれない。風と共に歩み、動植物の声を聞き心を通わせる種族……エルフ。人とは比較にならない程の魔力を誇るエルフ族が現代まで生き残っていたのだとすれば、それは魔族達にとって人間以上の脅威となるだろう。
「イツキ様、大変です!」
とにかく、妖精の森跡地に調査隊を送らねばとイツキが考えていた時、勢いよく扉を開け放って部下が部屋の中へと駆け込んできた。何事だと尋ねる前に、彼の部下は持っていた報告書を読み上げる。
「妖精の森付近を訪れていた商人が、エルフ族と思われる少女を発見、保護!国王様に謁見したいと、その少女を連れ王城に来ています!」
「何だと!?」
エステリーナとノエルも、イツキと同じように驚いている。そんな中でエステリーナは、呼び出し用の魔結晶に魔力を込めた。
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「遅い遅い遅ーいっ!そんなんじゃ魔神と会ったらボコボコにされちゃいますよー!」
「ぜえっ、ぜえっ……スパルタすぎるっ……!」
人のいない場所でアルテリアスが用意した特訓メニューに挑んでいたジークが、その場に倒れ込んで必死に呼吸を整える。近くで見ていたシオンも、内容がハードすぎて心配しているようだ。
「魔王に勝てたからといって、まだまだジークはひよっこです。これからもっと強くなってもらいますからねー!」
「頑張るよ……おえっ」
体を起こし、シオンから手渡された水を飲む。アルテリアスの言う通り、今の自分はただ女神の魔力が使えるだけのひよっこである。魔力をぶっ放しただけで勝てた魔王クラスとは違い、魔神はこれだけアルテリアスを警戒させる強者達なのだ。
「ふう、もうちょっとだけ頑張るか」
「うんうん、その意気ですよー」
立ち上がったジークが魔力を纏おうとした時、持っていた魔結晶が熱を帯びた。どうやらエステリーナから連絡がきたらしい。魔力を込めて耳元にそれを当てると、やはりエステリーナの声が聞こえてくる。
『すまないジーク、大丈夫だったか?』
「ああ、どうかした?」
『先程耳を疑うような話が舞い込んできてな。妖精の森と呼ばれる場所があったんだが、何者かによって一夜で全焼してしまったらしいんだ』
アルテリアスとシオンにもエステリーナの声は聞こえていたようで、この場の空気が自然と引き締まる。
『そしてその森の跡地から、エルフ族の少女が発見されたという。今からその少女を連れた者達が王城に来るらしいが、森を焼いた存在……魔王クラスや魔神についての話が聞けるかもしれない』
「なるほど。俺達も行っていいかな」
『勿論だ、その為に連絡したのだから』
「ありがとうエステリーナ。すぐ行くよ」
魔結晶を戻し、ジークが2人に目を向ける。移動する準備はできているようで、ジーク達は急いで王城を目指して駆け出した。
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「ジーク君。君はエルフ族について、どう思うかね?」
額には大きな傷跡、長く立派な白髭、目は獲物を睨みつけるかのように細められ、その人物を知らない者が見れば魔王クラスと勘違いしてもおかしくはない程の威圧感が場を満たす。
しかし目の前にいるジークは、頬に汗を垂らしながらも、苦笑しながら口を開いた。
「長い耳が特徴的な、全ての種族の中で最も美しい者達……それがエルフ族でしたね。本当に存在しているとは思いませんでしたけど」
「ぬわっはっはっはっ!そうだなあ、私も一度会ってみたいと思っていたのだ!きっとピチピチでムチムチなお嬢さんに違いない」
「は、はあ……」
今、ジークの前で豪快に笑い始めたこの人物。周囲にいるイツキやエステリーナ達からはやれやれといった視線を向けられているが、このセレスティア王国で最も尊敬される象徴たる存在───ダイン国王陛下である。
ジークとシオンも何度か呼び出されて話をしているが、とにかく明るく元気な人だ。それにしっかりと国の事を考えており、だからこそ国民達からの信頼は非常に厚い。
若い頃は騎士団を率いて最前線で剣を振っていたらしく、今でも騎士団長クラスの実力を誇るという。そんな国王陛下の前に、伝説のエルフ族がやって来るというのだ。妖精の森と呼ばれる場所から連れてこられたようだが、一体どんな姿なのだろうか。
「おや、来たみたいですよー」
魔力体状態のアルテリアスがそう言うのと同時、謁見の間の扉が開かれ数人の男が緊張した面持ちで中へと入ってきた。そして、彼等が連れていた少女の姿を見た途端、この場にいた者達は思わず言葉を失った。
まるで、この世のものではないかのような、美しく儚い存在。若菜色の髪を紐で縛ってポニーテールにしており、小柄だがその容姿はまさに妖精と呼ぶに相応しい。唯一アルテリアスだけが「私の方が綺麗ですよね?ね?」と小声でジークに絡んできたが、それ以外の者は全員がエルフの少女に見惚れていた。
と、そこである事に気付いたダインがすっと目を細める。思わずその場に跪いてしまいそうになる威圧感が周囲を満たし、驚くジークやイツキ達の前で、少女を連れてきた商人達は震え上がった。
「……何故、首輪と鎖を付けているのだね?」
「こ、これは、その、暴れられると大変ですので」
「私は妖精の森跡地でエルフ族を〝保護した〟と聞いていたのだが、幼い少女に対して何をしている」
そう、手枷と首輪が少女には付けられていた。更に首輪から伸びる鎖を持つ男性の姿は、まさに奴隷商人。ダインが最も嫌い、廃止した奴隷制度。まるで主人と奴隷を見ているような気分になり、ダインは凄まじい殺気を放つ。
「抵抗した際に付けられたような傷や痣まで確認できますねー。あぁ、なるほどー。貴方達、その子を国王さんに売ろうとしていたんですかー。保護したなんて嘘をついて」
「なっ……!?」
アルテリアスの言葉を聞いた商人達が、驚き額に脂汗を浮かべる。その直後、エルフの少女に異変が起こった。突然目を見開いたかと思えば、その小さな体から膨大な魔力を解き放ったのだ。
「な、何だ……!?」
「っ、全員防御を────」
次の瞬間、凄まじい暴風が吹き荒れた。反応が遅れた騎士達は吹き飛ばされ、咄嗟にダインを守ったジークも壁を突き破って外へと投げ出されてしまう。
まるで巨大な竜巻。謁見の間を破壊したその災害を、落下しながらジークが見開いた目で見ていると、崩れた壁から身を乗り出し、ジークを呼ぶシオンの横を通り過ぎて飛び出してきた小柄な影が一つ。
「エルフ族の……!?」
「っ……!」
目の前までやって来たエルフ族の少女はそのまま空中でジークの服を掴み、着地と同時に全力で疾走した。
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「あー、えっと……」
どれだけ連れ回されただろう。王城から離れた路地裏で、ジークは少女にナイフの切っ先を向けられていた。落ちていたものだと思うが、正直身体強化を使えば簡単に奪い取る事ができる。しかし、まずは会話が必要だとジークは判断する。
「はじめまして。俺はジーク、君は?」
「っ……!」
「ええと……」
先程魔力を解き放った際、手枷は砕け散ったらしい。ただ、首輪はまだ付けられたままである。それを見ていて嫌な気持ちになったジークは、威嚇し続けてくる少女の首輪を掴み、身体強化を行い粉砕した。
「っ……!?」
「ああいや、攻撃したわけじゃないよ。俺は君の味方だから、安心してほしい」
「……」
信じられないとでも言いたげな視線を向けられ、ジークはどうしたものかと息を吐く。アルテリアスが言っていた、傷や痣。こうして見るとそれは確かに目立ち、これをあの商人達が付けたのだとしたら許せない。
少女が怯え、こうして威嚇してくるのは、きっと連れてこられるまでに酷い扱いをされてきたからだろう。
(俺を人質に、王都から脱出しようとしてるって事か。まあ、それを手伝ってあげた方が絶対いいよな……)
数百年以上も人前に姿を現さなかったというエルフ族。それはきっと、彼等が人間と距離を置きたかったから。それなら無理に留めようとはせず、故郷に帰してあげた方が彼女の為になる。
「よし分かった。君の故郷は妖精の森って場所なんだよな?」
「……?」
警戒しながらも頷いた少女。それを見てにっと笑い、ジークは少女に手を差し出した。
「俺がそこに連れて行ってやる」
「……!?」
「皆には後で言っておくよ。あれから俺も捜したけど、結局見つかりませんでしたーってな。だから、俺を信じてほしい。俺は君に酷い事はしないし、必ず故郷に帰してあげるから。な?」
それを聞き、暫く黙り込んだ少女。しかし、唐突に大粒の涙が瞳から零れ落ちたので、ジークはぎょっと目を見開いた。
「ど、どうした?」
「……だって、あなたは、嘘を言ってないから」
「っ……」
初めて聞いた、少女の声。なんて綺麗な声なのだろう。
「私を連れて来た人達は、嘘ばかり言っていて……」
「……そっか、辛かったよな」
頭を撫でてやれば、我慢の限界だったのか、少女はジークの胸に顔を埋めて泣き始めた。黙って落ち着くまで泣かせてやろうと思い、ジークはそのまま頭を撫で続ける。
妖精の森は、突然業火に包まれ焼失したと聞いた。この少女はきっとそこで暮らしていて、生き残った者達を捜したいと思っている筈。それならば、その手助けをしよう。そんな思いが伝わったのか、顔を上げた少女は微笑みながら言った。
「あなたは、温かい心の持ち主ですね」
「そ、そうかな……」
「でも、きっと生き残った仲間はいません。誰よりも大切だった母も、私を守る為に命を落としましたから」
「なっ……」
「それでも、私はあの森に行きたい。仲間達や母の魂は、きっとまだ彷徨っているから……私が、導いてあげたいんです」
まだ幼いのに、なんて立派な少女なのだろう。理由は変わってしまうが、この心優しい少女を必ず連れて行ってあげなくては。改めてそう思い、ジークは再び少女に手を差し出す。
「もう一度言うよ。俺はジーク、よろしく」
「……シルフィ、です。もう何も、誰も信じないと思っていましたけど、あなたは信じます。よろしく、お願いします」
ジークの手を、少女の小さな手が握った───その直後。
「何をコソコソしているのですか、ジーク」
「ふふん、隠れても私には丸わかりなんですからねー」
「っ!?」
「シ、シオン、アルテリアス」
何故か苛立っているように見えるシオンと、ドヤ顔でこちらを見てくるアルテリアスが、いつの間にか路地裏にやって来ていた。どうやらアルテリアスに、魔力を通して居場所がバレたようだ。
「シルフィ、二人も味方だよ。片方なんか女神様だしな」
「っ……!」
「あらー、警戒されてますねー。それに比べて、ジークは随分懐かれたみたいですけど……ふふ、何をして心を開かせたのでしょうかー」
「まさかジーク、無理矢理……」
「何を想像してるのかは知らんが、普通に話をしてただけですのでご安心を」
ジークの背後に隠れてしまったシルフィだったが、やがてジークの言っている味方という言葉が嘘ではないと分かったのか、警戒しながらだが二人の前に顔を出す。
「何をするかは分かっていますよー。そちらの子を妖精の森まで連れて行ってあげるのでしょう?」
「分かってるのかよ」
「当然ですー。ただ、エステリーナ達には事情を説明しておくべきではー?」
「この子が怖がってるからな。あまり他の人と接触させるのはやめてあげたいんだ」
「なるほど。それでは私が他の方々に説明しておくので、その間にジークは彼女をお願いします」
「シオン……ああ、助かるよ」
ですが、とシオンが不機嫌そうな表情で顔を近づけてきたので、ジークは思わず身を逸らす。
「変な事をしたら、許しませんからね」
「し、しないって!」
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「ダイン様、ご無事ですか!?」
「うむ、心配ご無用。ジークが庇ってくれたものでな」
荒れた謁見の間で、心配しているイツキに笑顔を見せるダイン。イツキはほっと息を吐いたが、すぐに表情を真剣なものに切り替えた。
「エルフ族の少女を追います。恐らくジークを人質にして逃走するつもりでしょう」
「そうだなあ……ただ、彼女は何も悪くない。この件についても悪いのは我らの方だ。きちんと話をして、もし彼女が嫌というのならばそっとしておいてあげてくれ」
「ええ、そのつもりです」
イツキが頷いた直後、先程ジークを追って外に出たシオンが戻ってきた。そんな彼女から、ジークがエルフ族の少女───シルフィと共に妖精の森へ向かう事になったと聞かされ、ダインはなるほどと顎髭を撫でる。
「流石はジーク。この短時間で彼女の心を開かせたようだな」
「我々も妖精の森に向かうべきでしょうか」
「いや、よい。ここはジークに任せてみようではないか。ワシらはジークと……もしも彼女がここに戻ってきてくれた時の為、歓迎の準備をしておこう」
「はっ」




