第2話:炎剣のエステリーナ
「魔王クラスが消息を絶った、だと?」
その声が耳に届いた瞬間、あまりの恐怖に男は失神しかけた。絶対に怒りを抱かせてはならない存在が、僅かとはいえ苛立ちを見せた。ここから先は、発する言葉を一文字間違えるだけで死を迎えてしまうだろう。
「は、はい……昨日、アルター様の、魔力反応が、突如、例のポイントで、消失した、との、報告が……」
「女神アルテリアスはどうなった?」
「ふ、不明、です。ただ、アルター様の、反応消、失には、女神、アルテリアスが、関係して、い、いるかと……」
「……愉快だな」
「ひっ!?」
男が腰を抜かし、震え上がる。今彼の前に居るのは、足を組んで玉座に腰掛けている災厄。全身を漆黒の鎧で覆い尽くし、その表情は兜に阻まれ拝むことができない。しかし、この場を満たす殺気と魔力。それをこれだけ浴び続ければ、この災厄が何を思っているのかなど、嫌でも分かってしまう。
「魔力の大半を失い、あの大戦から眠り続けていた古き老神にすら魔王は遅れをとるのか?ククッ、笑わせるじゃないか」
隙間から覗く真紅の瞳が男を捉える。それが分かり、最早男は何一つ考えられない状態となってしまっていた。
「あぁ、愉快だ。はははっ、はははははっ!」
「ぐぎっ……!?」
ミシミシと、空気が軋む。それと同時、男の全身を物凄い力が襲った。まるで、見えない何かに押さえつけられているような感覚。耐えられなくなった男は、そのまま勢いよく床に叩きつけられ、不可視の力は遂に男を床ごと押し潰す。
「まあいい、所詮僅かに力を得ただけの魔族などその程度であるという事だ。なあ、お前もそう思わないか?」
問いかけるが返事は無く。肉塊と化した男を見て、災厄は可笑しそうにクスクスと笑った……その直後。
「やあやあ、ご機嫌ナナメだねー。別に仕方ないと思うよ?だって魔王クラスとは言っても、所詮王様止まりなんだから」
「ん……?」
不意に第三者の声が聞こえ、そちらに目を向ける。すると目に映ったのは、笑顔で手を振る小柄な少女の姿だった。
「……何の用だ?」
「そう睨まないでよ。アルター……だっけ?彼って一応ボクの部下だったじゃん?それを殺ったのが誰か、ちょっと気になっただけだからさ」
「奴を始末したのは女神アルテリアスだ。ただそれを聞いて、お前は何をするつもりだ?」
「くふふ、それってわざわざ言う必要ある?」
指を頬に当て、少女はそう言った。そんな彼女の前では、玉座に腰掛ける絶対的な存在が絶えず濃厚な魔力と殺気を放ち続けている。しかし、少女はまるでそれを感じていないかのように歩を進め、災厄の前で獰猛な笑みを浮かべた。
「ボクに殺らせてよ、そいつ。最近あんまり動いてないから、結構鈍ってるんだよねー」
「ふむ……それも悪くないが、少し我慢してもらおうか。女神アルテリアスは、魔王の襲撃を受けて別の場所へと移動するだろう。ある程度情報を集めて奴の移動地点全てを予測し、そして潰す」
「えー、なんでさ!今は魔力の大半をロストしてるんでしょ?そんなに警戒する必要あるの?」
「無駄な消耗はしたくないからな」
それを聞いた少女は、自身の足もとで肉塊と化した元魔族を見下ろし、そして呆れたように言う。
「これは無駄な消耗じゃないの?」
「元から価値の無いものだ。屑が一つゴミになったところで、我らの計画にどう影響する?そもそも、私が居れば天界程度に敗れる事など有り得ないのだがな」
「相変わらず傲慢だねぇ」
息を吐き、少女は玉座に背を向け歩き出す。そんな彼女の小さな背に、災厄は声を投げた。
「何やら我らの首を狙い、魔界を掌握しようと企んでいる愚か者共が、クレイドル古城に潜伏しているらしい。暇潰しに尋ねてみてはどうだ?」
「……んふふ、ボクと違って色々情報を知ってるんだねー。これはもう、心の底から嫉妬しちゃうよ」
嫉妬という単語を口にした瞬間、無意識なのだろうが、少女の体に収まり切らない圧倒的な魔力が溢れ出していた。
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「おっ、見ろよシオン、ホーンラビットの丸焼きがこんなに安く売ってるぞ!」
「……落ち着いてください。まるで田舎から出てきたばかりの田舎者みたいで恥ずかしいです」
興奮気味に丸焼きを指さすジークに、表情は変えず呆れたようにシオンが言う。実際二人は田舎者なのだが、道行く人に微笑ましい視線を向けられるのがシオンにとっては恐ろしく恥ずかしかった。
カルナ村から最も近い町、ブロッサム。二人も何度か買い出しなどで訪れた事はあるが、どうやら今日は町全体で割引キャンペーンを実施しているらしく、売っている商品がやたらと安い。そのせいで、ジークがほぼ常に反応し続けているのだ。
「爺ちゃんから貰ったのは金貨五枚に銀貨十枚、それから銅貨三十枚だ。ここである程度使っても大丈夫だろうし、今のうちに食料や道具を買い揃えておこう」
「それは、まあ、そうですけど」
『シオンも苦労してるんですねー』
澄んだ美しい声が、ジークが首からぶら下げている水晶のネックレスから聞こえた。その正体は、かつて天界と魔界の大戦を終結させた女神アルテリアス。水晶玉となって眠っていた彼女は、魔界側に姿を見させない為に更に姿を変え、この状態になって旅に同行しているのだった。
そんな女神様を連れ、まずジーク達は宿屋に向かった。そして二人部屋を借りて荷物を置いたのだが、そこで気付く。
(シオンと同じ部屋で、寝る……!?)
(別々の部屋だと料金が高くなるので、同じ部屋にしましたけど、これってあまり良くない状況なのでは……?)
長い期間同じ家で過ごした二人だが、同じ部屋で寝た事は一度も無い。勿論ジークも旅立って早々そんな事をするつもりは微塵も無いのだが、珍しく動揺しているシオンを見て変に意識してしまっていた。
「と、とりあえず買い物しようか!」
「そ、そうですね。そうしましょう」
『あらー、お若いですねー』
顔を赤くしながら宿から出た二人に、恐らくニヤニヤしているのであろうアルテリアスが言う。それを無視して二人が向かったのは、宿のすぐ近くにあった魔結晶の店だった。
魔結晶とは、自然に漂う魔力が長い年月をかけ結晶となった物である。ほんの少し魔力を流し込むだけで、誰でも簡単な魔法が使える便利なアイテムであり、今では生活に欠かせない物となっていた。
「怪我をした時用に回復結晶を、あと火をおこす用に炎結晶を、それぞれ何個か買っておこう」
「水が不足した時用に水結晶も購入しておくべきです。それと、洞窟等の探索用に光結晶も」
『これも買いましょうよー。暗いお部屋をピンク色に染める夜のお楽しみ結晶とか、絶妙な感じで振動する結晶とか────』
「買わねえよ!」
何故そんなものが売っているのかは不明だが、やたらとそれらを勧めてくるアルテリアスの相手をするのが面倒なので、必要な魔結晶のみを購入し、次の店へと向かう。
『ジーク、あれを見てください』
「ん?……なっ!?」
続いて訪れたのは防具屋。魔結晶を埋め込み属性耐性を付与した鎧や、ジークの全身を隠してしまう程大きな盾等が並んでいる。そんな中、アルテリアスに指示された方向に目を向けると、そこには何とも露出度の高い水着のような女性用防具がぶら下げられていた。
『ここって下着店でしたっけー?』
「い、いや、あれも一応防具なんだろうけど」
『うふふー。あれをシオンが着てくれたら、大変な事になっちゃいますねー』
「お前なぁ……そりゃ凄いだろうけど、シオンはそういうの好きじゃないし、あれで町を歩いてたらただの変態じゃないか」
「私がどうかしましたか?」
突然後ろから声が聞こえ、ジークの肩が跳ねる。振り返れば、いつもと変わらない無表情でこちらを見つめるシオンと目が合った。
「ああいや、別に何でもないよ……!」
「怪しいですね。何かを私に着せると言っていませんでしたか?」
『あれですよー、あれあれ。ジークが是非シオンに着てほしいと言っていましたー』
「んなっ!?」
「あれ?……っ!?」
そこで水着型防具に気付いたらしい。シオンが顔を真っ赤にし、まるで石像のように硬直する。
「な、なっ……!」
「ち、違うぞシオン!俺は別にそんな事言ってないから!」
『いやぁ、お買い物って楽しいですねー』
「ぐぬっ、お前ぇ……ん?」
アルテリアスを睨んでいたジークが、ふと防具屋の外に目を向ける。訪れた時から賑やかな町だとは思っていたが、先程とは騒がしさが違った気がしたのだ。
「何かあったのか……?」
「っ、あ、ジーク……」
少し逃げるようになってしまったが、ジークは駆け足で防具屋から出て外の様子を伺う。すると彼の目に飛び込んできたのは、燃えるように赤い髪が特徴的な、美しい少女の姿だった。
長いその髪を首の辺りで束ねており、女性用の鎧に身を包んでいるが、その容姿を見たジークは、一瞬どこかの国のお姫様かと思ってしまった。それ程までに美しい少女が、何故鎧など着ているのだろうか。
更にその少女を先頭に、鎧を着た数人の男が周囲を睨むように歩いている。一体どういう集団なのかとジークが首を傾げていると、彼女達を見る為に集まったのであろう野次馬の声が聞こえてきたので耳を澄ます。
「すっげえ、本物のエステリーナ様だ」
「歴代最年少で騎士団長になった天才剣士。噂通りめちゃくちゃ美人だな……」
「じゃあ、後ろに居るのは第二騎士団の連中か」
ジークは記憶を探る。確か王国には、複数の騎士団が存在していた筈。話によると、そのうちの一つの第二騎士団の団長があの少女、エステリーナらしい。
自分と同い年くらいの少女が、一つの騎士団を率いているというのだ。素直に驚きながら、ジークは前を通り過ぎようとしていたエステリーナを目で追う。
すると不意にエステリーナが立ち止まり、ジークを見つめながら何かを考えるように顎に手を当てた。
「すみません、以前どこかでお会いしたことはないですか?」
「え、俺?いや、ないと思いますけど……」
一応ジークは周囲を見渡したが、エステリーナが見ているのは明らかに自分である。ただ、これ程までに美しい少女に会った記憶など、ジークにはなかった。首を振ると、エステリーナが礼儀正しく頭を下げる。
「……そうですか、失礼しました」
「いえ、こちらこそすいません……」
そのまま顔を上げたエステリーナは、優しく微笑んでから再び歩き出した。何だろう、嫉妬に近い視線があちこちから向けられている気がする。汗を垂らしながら、ジークはその場を後にした。
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『エステリーナさん?でしたっけ。いやぁ、美人な方でしたねぇ。ああいう人がタイプなのですかー?』
「タイプとか、そういうのはよく分からん。ただ、びっくりするくらい美人だったけどな」
その日の晩、静かな町中をのんびりと歩きながら、ジークは昼間に会ったエステリーナの事を思い出していた。
結局シオンはすぐに寝てしまったが、妙に緊張して眠れなかったジークは、夜風を浴びようと宿を出たのだ。もう日付が変わる少し前なので人は少なく、気温も散歩をするには丁度いい。
『彼女、どうして突然ジークに声をかけたのでしょうかー。まさかジーク、過去に手を出して』
「るわけないだろ。まあ、人違いだと思うよ」
『ですよねー。そんな根性があるのなら、とっくにシオンに手を出してるでしょうしー』
「俺とシオンは、別にそういう関係じゃないから」
そう言って、ジークは欠伸をしながら伸びをした。いい感じに眠くなってきたので、そろそろ引き返そうと足を止める。その直後、突然ネックレスが淡く発光し、魔力体のアルテリアスがジークの前に姿を現した。
「ど、どうした?」
「この反応は……近いですねー。町の外で、高い魔力の持ち主同士が交戦しています」
「なっ……」
「片方は魔族です。この魔力量は、恐らく魔王クラスかと」
「場所はどこだ!?」
「案内するのでついてきてくださいー」
ふわりと浮き上がり移動を始めたアルテリアスを追い、辿り着いたのはカルナ村からブロッサムへと向かう際に通った森の中。そこでジークが目にしたのは、血溜まりに沈んだ数人の騎士達と、背中から羽の生えた魔族の男。そして、男の前で傷つき膝をついているエステリーナの姿だった。
「おや?お仲間の到着かな……?」
「っ、君は……」
男が愉快そうに口の端を上げ、エステリーナが驚いたように目を見開く。そんな二人の視線を浴びながら、ジークは自身とアルテリアスの魔力を纏った。
「この魔力……只者ではないね。何者だい……?」
「さあな。そう言うお前は魔王か?」
「あぁ、魔王グィンガムさ。そういえば、魔王アルターを殺した女神が移動を始めたと聞いていたけれど、心当たりはないかな?」
「あ、それ私ですよー」
「言うな馬鹿!」
軽い調子でバラしたアルテリアスの頭を叩き、ジークが息を吐く。まさか、こんなに早く魔王クラスと遭遇するとは思っていなかった。それも、恐らくあの騎士達は死亡している。今自分の前に立つ、魔王の手によって。
「お前は、どうしてこんな事を……!」
「酷いなぁ、僕は何も悪くない……襲われた側さ」
「貴様、既に何人もの人を殺しておいて、まだそんな事を言うのか……!」
「うるさいよ、黙ってろ負け犬」
「ぐっ!?」
グィンガムが、エステリーナの後頭部を踏みつけ地面に叩きつける。それを見てジークは駆け出したが、グィンガムの放った魔法を浴びて吹っ飛ばされた。
「だってさ、歩いてたら町があってさ、邪魔だから壊すと人間が襲ってきたんだ。それで、自分を守る為にその人間を殺した。今回もそうだよ。待ち伏せしてたこの人間達に襲われた。だから殺した。これって正当防衛じゃないの?というか、人間なんて虫みたいにいっぱいいるんだからさ、何匹か殺したところで問題ある?僕は常日頃そう思っているよ……」
「……脚をどけろ」
「ん?それって僕に言ってる?でしゃばるなよ人間。どうせなら、女神アルテリアスを殺りたいんだけど────」
次の瞬間、ジークの拳がグィンガムの頬を歪めた。身体強化を、アルテリアスの魔力で発動した。それにより、加速値と一撃の破壊力は通常の数十倍に。アルターの時のように魔力を放ちはしなかったが、それでもその一撃は魔王を勢いよく弾き飛ばした。
「エステリーナさん、無事ですか!?」
「ぐっ……ええ、大丈夫です……」
全身から出血しているが、エステリーナはふらりと立ち上がった。そして怒りに燃える彼女の視線を追えば、倒れた木を押しのけ立ち上がるグィンガムの姿が目に映る。
「エステリーナさんは、あいつを倒す為にブロッサムを訪れていたのか……」
「ですが、私以外は全員……くそっ、私に力があれば……!」
「来ますよジーク、構えなさい」
アルテリアスの声を聞き、ジークが魔力を纏い直した直後、虚空に大剣を出現させたグィンガムが、それを手に勢いよく地を蹴った。そして大剣を軽々と振り回し、周囲の木々を薙ぎ払う。
「はははははっ!なるほど、女神アルテリアスの魔力を人間が手にしていたのか!これは我が主に報告しなくては!」
「チッ!エステリーナさん、下がって……!」
振り下ろされた大剣を、魔力を集中させた腕を交差して受け止める。以前からこういう戦い方は得意だったが、それでもアルテリアスの魔力が無ければ、この一撃で真っ二つにされていただろう。
「君は一体何者なんだい!?」
「通りすがりの人間だよ!」
大剣を押し返し、がら空きの腹部に膝蹴りを叩き込む。そして蹌踉けたグィンガムに放たれた全力の鉄拳は、そのまま魔王の顔面を捉え───すり抜けた。
「っ!?」
「馬鹿め、残像だよ人間ん!」
真後ろから声が聞こえた。まずい、しかし避けられない。振り返ったジークは、目の前まで迫った大剣をどうにかして受け止めようと全身に力を入れる。その直後、ジークの視界が赤く染った。
「っ、これは……!」
「はああッ!」
燃え盛る剣が、眼前で踊る。炎を纏ったエステリーナが、ジークを襲った大剣を弾き返したのだ。
「唸れ、炎剣イフリート!」
更にエステリーナは踏み込み、グィンガム目掛けて爆炎を放つ。しかし、それが直撃する寸前でグィンガムは跳躍し、そのままエステリーナに大剣を振り下ろした。
「させるか!」
「今は卑怯とか言ってられませんよー!」
間一髪、エステリーナを抱えてジークが後方に飛び退く。空を斬った大剣は派手に地面を砕き、舞散った石が雨のように降り注いだ。
「す、すまない、助かった」
「いや、こっちこそさっきは助かったよ。それにしても、魔王アルターより普通に強いな。どうしたものか……」
「これはもう一気に攻めるしかないですねー」
「ん、そうだな」
先程はすぐ側にエステリーナが居たのでアルターを吹き飛ばした時のように魔力は使えなかったが、今ならやれる。集中し、ジークはグィンガム目掛けて弾丸の如く駆け出した。
無論、グィンガムもそれには余裕を持って反応し、迫るジークに対して斬撃を数発放ってきたが、それら全てを手の甲で弾き飛ばし、懐に潜り込む。
「はあッ!」
「ぐがああッ!?」
今の動きには対応できなかったらしく、ジークの拳はグィンガムの腹部を陥没させた。そのまま派手に地面を転がったグィンガムだが、血を吐きながら顔を上げ、凄絶な笑みを浮かべながら大剣に魔力を集中させる。
「がはっ、ぐぅ、ふふははははっ!まだだ……もっと殺り合おうじゃないか女神の─────」
「いいや、貴様は終わりだ」
立ち上がったグィンガムだったが、突如彼の体は真っ二つに両断された。いつの間にか接近を許していたエステリーナに、燃え盛る剣で容赦なく斬り裂かれたのだ。
そしてグィンガムは炎に包まれ灰となって散り、元々かなりのダメージを負っていたエステリーナはその場に倒れ込む。そんな彼女に駆け寄ったジークは、血を流すエステリーナに昼間に買っていた回復結晶を使った。
「あらー、持ってきていたんですねー」
「いつ何があるか分からないからな。一応ポケットに入れておいて正解だったよ」
「う……すまない、もう大丈夫だ」
体を起こし、エステリーナが息を吐く。まだ傷は残っているが、彼女は無理矢理立ち上がって仲間達のもとへと向かった。
「くっ、誰も守れなかった……」
「エステリーナさん……」
「完全に魔王を舐めていた。私達なら討伐できると思っていたんだ。なのに、君が居なければ私も……」
「んん?あのー、まだ生きてるみたいですよー?」
「え……?」
「全員魔王の魔力を浴びて気絶してるだけみたいですー。見てください、彼らの横に襲われると赤い液体を吐き出すブレスサーペントが倒れてるので、これが血に見えただけかとー」
それを聞いて数秒固まった後、エステリーナは倒れる騎士達の体を揺らした。全員寝惚けて『エステリーナ様ぁ、もっと激しく』とか『エステリーナ様のパンツ……』とか呟いていたので、強烈な拳骨を見舞われていた。
「はあぁ、よかった……本当に、よかった」
とはいえ、彼らの生存は本当に嬉しかったようで、エステリーナは安心したようにしゃがみ込んでしまう。部下思いで優しい騎士団長なんだなと、ジークは自然に笑みを浮かべた。
「そういえば、お礼を言うのを忘れていたな。助けてくれてありがとう……ええと」
「ジークだよ、ジーク・セレナーデ。皆無事でよかったよ、エステリーナさん」
「あ、いや、呼び捨てで構わない。いつの間にか私もタメ口で話してしまっていたし……」
「はは、確かにそうだ」
「それよりジーク、魔王グィンガムが言っていた女神アルテリアスというのは、そこに居る女性の事だろうか」
エステリーナが、眠そうに欠伸をしていたアルテリアスを見ながら言う。ジークは苦笑しながら頷いた。
「正直信じてもらえるか分からないけど、一応本物の女神様だ」
「いや、信じるよ。何かを偽ろうとしている時、目を見れば分かるからな。しかし、そのアルテリアス様の魔力を君は使う事ができるんだな。グィンガムを殴り飛ばした時は驚いたぞ」
「まあ、俺もまだ慣れてないんだけど……」
ちょっと前までただの一般人だった自分が、この数日間で魔王を二人も相手にした。正直夢ではないかと思ってしまう自分もいる。ただ、グィンガムを歪めた拳の感触はまだ残っていて、そのおかげで自分は誰かを守る事ができたのだと実感できた。
「とにかく、エステリーナの仲間さん達をブロッサムに運ぼう。エステリーナも、まだ傷だらけの状態なんだから」
「そうだな。ふふ、ありがとうジーク」
「ど、どういたしまして」
月明かりに照らされながら笑みを浮かべたエステリーナは、思わず赤面してしまう程に美しかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あ、あのエステリーナ様が、会ったばかりの男と普通に話をしているだと……!?」
「ど、どういう関係だ!?お、俺達のオアシスが奪われてしまうってのか!?」
「ち、違う、誤解するな馬鹿!」
翌日。目を覚ました騎士達がブロッサムの病院で目にしたのは、尊敬し、娘のように可愛がっている騎士団長エステリーナ様が、見知らぬ少年と楽しげに会話している姿だった。
彼らに気付いたエステリーナは顔を真っ赤にしながら関係を否定しているが、それがまた怪しい。騎士達は、絶望的な気持ちのままその場に崩れ落ちる。
「ど、どういう事だ?」
「その、ええと……実は私、男性と話すのがあまり得意ではなくて、慣れた人でないと緊張してしまうというか」
「え?でも、俺とは普通に話せてるじゃないか」
「うん、それは私も不思議なんだ。昨日会った時も思ったんだが、何故か以前から知っているような気がしてな」
『あらー、やっぱり手を』
「出してません」
ネックレスになったアルテリアスにそう言い、ジークはエステリーナの目を見つめる。やはりどこかで会った事があるのだろうか。とはいえ、ジークはカルナ村以外だとこのブロッサムぐらいしか訪れた事がない筈なので、エステリーナに会っていた可能性は低いのだが……。
「皆、彼は昨日魔王討伐に力を貸してくれたジークだ。彼のおかげで私達は魔王を討つ事ができた。感謝するように」
「そ、そうだったのか。すまんね、娘を取られたような気分になっちまってて……」
「はは、愛されてるな、エステリーナ」
「む、ぅ」
恥ずかしそうに頬を掻くエステリーナは、年相応の女の子にしか見えなかった。そんな彼女にジークが微笑ましい視線を向けていると、突然病室の扉が勢いよく開かれ、表情に変化はないが動揺した様子のシオンが駆け込んでくる。
「ジーク、昨夜魔王と交戦したというのは……!」
「ん?お前が言ったのか?」
『ええ、先程分身して伝えておきました』
「俺は大丈夫だよ。魔族側の情報を聞くのは完全に忘れてたんだけどさ」
「そ、そうですか。よかっ────」
シオンが、ベッドの上に座っているエステリーナを見て硬直する。そして、表情を変えないままジークに目を向けた。
「ひっ……!?」
ただ、寒気がする程恐ろしい無表情だった。ジークは身の危険を感じ、思わず震え上がる。
「どなたですか……?」
「セレスティア王国第二騎士団団長、エステリーナ・ロンドと申します。以後お見知りおきを」
「シオン・セレナーデです……ってジーク、まさか騎士団長さんにまで手を……!」
「出してないっての!までってなんだまでって!今までそういうのは一度もない健全な男だから俺は!」
「……そうですか」
(な、何でちょっと嬉しそうなんだ……?)
表情は変わらないが何故か嬉しそうなので、ジークは内心困惑していた。そんな二人を見ていたエステリーナだったが、苦笑した後に立ち上がり、装備を着て部下達に声をかける。
「エ、エステリーナ様、もう動いても大丈夫なのですか!?」
「ああ、傷自体は深いものではなかったから。このまま王都に戻り、今回の件を報告しよう。ジーク、君も来てくれないか?」
「え、俺も?」
「かつて大戦を終結させたアルテリアス様の魔力を宿した少年。これは窮地に立たされている我ら王国にとって、必ずや救世主となるだろう。共に戦ってくれると、私としては嬉しいかな」
「ええと、どうしようか、シオン」
「……まあ、どのみち王都には向かう予定でしたので。勿論私も同行しますからね」
そう言ってから、シオンは僅かに目を細めてエステリーナに視線を向けた。
「あの、エステリーナさん。王国が窮地に立たされているとは、一体どういう事ですか?」
「現在このセレスティア王国は、魔族達に攻撃を受けている最中なんだ。ここ最近は各地で魔王の出現も確認されていて、騎士団総出で交戦しているのだけど、かなりの被害が出てしまっている」
『なるほどー。天界との戦争に備えて戦力を拡大するつもりですかー。人間を支配して、天界に対する兵器にでもするのでしょう』
ジークだけに聞こえる声で、アルテリアスが言う。随分と舐められたものである。ただ、魔王が二人も破られてしまったのは、魔界側にとっては想定外の事態ではないだろうか。
「しかし、心強いな。魔王討伐の為にこのブロッサムへとやって来たが、まさかこんな出会いがあるとは」
「役に立てるかどうかは分からないけど、頑張るよ。改めてよろしく、エステリーナ」
「ああ、こちらこそ、ジーク」
そう言って握手を交わした二人を見ながら、シオンはあまり面白くなさそうな表情を浮かべていた。




