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異世界ディヴェルティメント〜不幸少年のチート転生譚〜  作者: ろーたす
第一章:少年達は運命に出会う
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第1話:女神との邂逅

───どうして……?どうしてこうなったの……?


ポタポタと、雨のように落ちてくる涙が頬を叩く。視線の先では、自分を責めるように何度も頭を掻き毟りながら掠れた声を発する少女が涙を流している。


───私はただ、あなたと普通の日々を過ごしたかっただけなのに……それすらも私には許されないの……?


あぁ、そうか。君が涙を流しているのは俺のせいか。ぼんやりと、そんな考えが頭に浮かぶ。しかし、声を発することができない。代わりに喉奥から溢れてくるのは、ドロドロとした真っ赤な液体だった。


───許さない許さない。壊してやる……───のいない世界なんて、全部私が壊してやるッ……!


駄目だ、君にそんな表情は似合わない。手を伸ばす。手を伸ばそうとする。笑ってほしい……もう一度だけ、復讐に燃えたそんな顔じゃなくて、君の笑顔が─────







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「─────ッ!?」


不意に意識が覚醒し、少年は飛び起きる。そして周囲を見渡せば、そこは見慣れた自室であった。ただ、服は汗でびしょ濡れになっており、心臓が破裂してしまうのではないかと思ってしまう程暴れている。


そして……。


「え、涙……?」


何故か涙が頬を濡らしていた。何か夢を……長い長い夢を見ていた気がするが、それに関係しているのだろうか。と、そんな事を考えていた時、不意に部屋の扉が開かれ一人の少女が中へと入ってきた。


夜空のように黒い髪と紫色の瞳。表情は少年の涙を見ても変わらず、最初と同じ無表情。しかしその顔は、男性ならば思わず二度見してしまうであろう程可愛らしく、容姿も非常に整っていた。


「ジーク、どうかしましたか?」


名を呼ばれ、少年……ジークは急いで涙を拭く。


「いや、欠伸しただけだよ」

「汗まみれですけど……」

「う……お、俺もよく分からないんだ。夢を見てた気がするんだけど、内容を覚えてるわけじゃないしさ」

「はあ……まあ、とりあえず降りてきてください。もう朝食の準備は済ませているので」

「分かった、わざわざありがとな」


やはり表情を変えずに少女が部屋から出ていく。それを見送った後、ジークは軽く伸びをしてから立ち上がった。夢のことは気になるが、あまり少女を待たせるわけにはいかない。そのまま洗面所に向かって顔を洗ってから、既に朝食が並べられたリビングへと向かう。


「お待たせ、シオン」


そう言うと、少女……シオンが無表情のままこくりと頷く。ジークはシオンの正面に腰掛けると、早速朝食に手をつけた。


フレンチトーストに出来たてのスープ、サラダなどが並んでいる。手伝えなかったのを申し訳なく思いながらもそれらを口に運ぶと、僅かにシオンの表情が変化した。


じっくり観察していても分からない……恐らく長年共に過してきたジークだけが気付くだろう表情の変化。若干そわそわしているので、どうやら朝食の感想を待っているらしい。


「ん、美味いよ。やっぱり朝はシオンの作った料理を食べなきゃ始まらないって感じ」

「……そうですか」


何とも嬉しそうな無表情である。シオンの周囲に可愛らしい花が舞う幻覚が見えた気がした。


「それで、ジーク。夢の内容は忘れていても、今日の予定はしっかり覚えていますよね?」

「予定?ふむ……」

「呆れました。今日は村祭りの日ですよ。その準備と、祭りの成功を祈って祭壇にお供え物をしに行くんです」

「あー、そうだっけ?」


そういえばそうだった。二人が住むのは人里離れた山中にある村だが、毎年村祭りが開催されるのである。そして、山の頂上にある祭壇に供え物をする役目を二人は任されていたのだ。


「手伝いをした後、昼過ぎには祭壇に向かいますからね」

「ああ、了解」






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






二人が住むカルナ村は、滅多に人が寄らないような場所にそびえ立つカルナ山の山中にある村である。カルナの山頂にある祭壇には、かつてこの地方に恵みをもたらした精霊が祀られており、村祭りの際にはその精霊にお供え物をしなければならないのだ。


「にしても、なんたって山の頂上なんかに……」

「精霊様は、カルナ山の頂上から大地を見下ろしているんです。こうして沢山食料を確保できたのも、精霊様のおかげです」

「ふぅ、どうだか」


険しい道のりだが、二人いれば会話が弾む。ふと、シオンが思い出したように指を立てた。


「そういえば、もうすぐ私達が出会って五年が経ちますね」

「ん?そうだっけ」

「物忘れが激しいですね。頭の中に石ころでも詰まっているんですか?」

「し、辛辣だな、おい」

「冗談ですよ、私の方は」


じとーっと、シオンに見つめられてジークの頬を汗が伝う。


「お、覚えてたよ」

「……まあ、そういうことにしておきます」


そう言うと、シオンは近くにあった大きめの石に腰掛けた。どうやら疲れていたらしい。ジークも彼女に歩み寄り、持ってきていた水筒と軽食を彼女に手渡す。


「あら、ありがとうございます」

「休憩は大事だからな。この先は〝魔物〟が多いらしいし、ある程度体を休めとかないと」


魔物、それは世界中様々な場所に生息している人類の敵。ある種は羽を持ち、高速で空を飛び回り、ある種は鋭い爪で人の身を容赦なく切り裂く。それらは人には似ても似つかない姿で、大半が異形の化物と言うべき存在である。


しかし、中には人に懐く魔物もいる。そういうタイプは上手く手懐けることができれば、ペットや相棒として共に過ごすことも可能だという。


「……なんて言ってたら出やがったな」


溜息を吐いたジークの視線の先、木々の隙間から姿を現した小型の魔物。一匹姿を見れば周辺に十匹は身を潜めていると言われる、驚異的な繁殖力が特徴のゴブリンである。


他種族の雌を好んで襲うと言われ、各地で被害が多発している厄介な魔物。この近辺での目撃情報はここ数年間無かった筈だが、姿を隠して繁殖していたのだろうか。


「休憩ぐらいさせろっての……!」

「まあ、相手は魔物ですからね」


少し怠そうにそう言い、シオンが立ち上がる。そして意識を切り替え、体内を巡る〝魔力〟の流れを捉えた。


「ジーク、危険ですよ」

「え?」


次の瞬間、ゴブリン達の足元に次々と魔法陣が浮かび上がり、その陣内にある地面が形を変え、石と砂で構成された槍となって小さな体を貫いた。


古代の言語が記された陣を展開し、そこに魔力を流し込むことで起動する奇跡の力、魔法。ジークはその魔法が上手く使えないのだが、シオンは村一番の魔道士である。ゴブリン程度の魔物は、彼女の相手にすらならない。


「あ、あっぶねえ!今俺のこと狙ったやつ一個あっただろ!」

「それは気の所為ですね」

「ったく……ん?」


視線の先で、何かが動く。たった今ゴブリンはシオンが殲滅した筈だが、まだ生き残りがいたのだろうか。と、そんな事を考えていたジーク目掛けて、木々の隙間から突如火球が放たれた。


咄嗟にそれを避けたジークだったが、火球は彼を追って再度放たれる。それを見て舌打ちし、ジークは自身が持つ魔力を体全体に纏わせた。


「【身体強化フィジカルブースト】……!」


これこそが、ジークが唯一使える魔法。魔力で身体能力を一時的に超強化する魔法なのだが、その効果は保有魔力量によって変化する。彼は魔法使用が不得意であるが、魔力量だけはシオンをも上回っていた。


「ふッ────」


地を蹴り、目にも留まらぬ速さで木々の向こうに潜む敵目掛けて疾走。目が合い体を震わせた敵の姿を確認し、ジークはそのまま足を振り抜いた。速度と筋力が上昇した状態での蹴りは、敵の鳩尾へと容赦なく吸い込まれる。


「グギッ……!?」


そんな声を出し、木に叩きつけられた魔物。手に杖を持ち、ローブに身を包んだゴブリン。通常個体とは違い、高い知能と魔力を持ったゴブリンウィザードである。


「何故上位個体がこんな場所に……?」


駆け寄ってきたシオンが、ジークの視線の先で横たわるゴブリンウィザードを見て僅かに表情を変化させる。無理もない。ゴブリンが現れたことも驚きの事態であったのに、その上位個体まで確認されたのだから。


「こりゃあ、一旦戻って報告した方がいいんじゃないか?」

「そうですね……でも、今から戻ってもう一度山頂を目指すとなると、祭りの開始が遅れてしまうのでは」

「うーん、どうしたもんかね」


暫く考え込んでいた二人だが、今までゴブリンは村まで降りてきていなかったので、それ程急がなくても大丈夫だろうと判断し、登頂を再開した。


道中ジェル状の魔物であるスライミーや群れで標的の血を吸うキラーバットなど、下位の魔物と遭遇すること数回。危なげなくそれらを撃退したジークとシオンは、無事に山頂へと登頂。あとは祭壇に待ってきた物をお供えするだけである。


「ジーク、見てください」

「ん……おっ、いい景色だな」


この山で長い年月を過ごしてきたが、立ち入り禁止になっているので今回初めて訪れた山頂からの景色。広大な森、巨大な川、空を舞う鳥の魔物に流れゆく雲。地平線の果てまで広がる美しいその景色を目に焼き付けながら、ジークは頬を緩めた。


「シオンと一緒に見れて良かったよ」

「え……?」

「ほら、シオンってここに来る前の記憶が無いだろ?だから、こうして思い出が作れて嬉しいというか……」


そう言うと、シオンの顔が驚く程赤く染まった。長年共に過してきたが、そんな顔はジークも見たことがない。


シオンが村を訪れたのは、今から五年近く前。まるで世界の終わりでも見てきたかのような、絶望に染まった瞳。何があったのかとジークや村人達が質問しても、シオンという名前以外の記憶を失っていた彼女は何も答えられなかった。


そんな彼女をジーク達は温かく村に迎え入れ、家族として接してきた。しかし、照れたり笑ったりした所は、最も親密な関係であるジークですら見ていなかったというのに。


「そう、ですか」

「お、おう」

「…………」

「そ、そろそろお供え物をして戻ろうぜ!あんまり遅いと村長に怒られちまうしな!」


なんだかジークも自分のセリフが恥ずかしくなり、急いで祭壇にお供え物を並べていく。そんな彼の背中を、シオンが見つめていたその直後。


「ふむ、人間か……」

「「っ!?」」


同時に息を呑み、空を見上げる。ジークの声でもシオンの声でも、よく知る村人達の声でもない。思わず体が震えてしまうような声が、真上から聞こえてきたからだ。


視線の先では、一人の男が浮遊していた。漆黒の外套に身を包み、傲慢そうに口の端を上げた男である。


「魔道士……なのか?」

「ただの魔道士ではありません。これ程までの魔力、今まで感じたことがない……!」

「ほう、余の身から溢れ出す魔力を浴びて意識を保てているのか。なるほど、お主らも多少は魔力を持っているな」

「何者だ!お前からは、魔物と同じ気配がする……!」


それを聞き、男の表情が変化する。余裕の笑みから、怒りの表情へと。


「お主、余が魔物如きと同ランクと言うのか?」


バチバチと、魔力が男の全身を駆け巡る。あまりにも桁違いな魔力を浴びて、ジークは冷や汗を浮かべた。


「お前、まさか魔族なのか……!?」

「ククッ、その通り。そして、余は魔を極めた魔王であるぞ」


魔族とは、魔物よりも遥かに高い知能と魔力を持った種族である。世界中で目撃されている彼らは、数百年前に起こった大戦の生き残りと言われている。そして、その大戦で猛威を振るったのが、魔族側の支配者と言うべき存在、魔王だった。


そんな規格外な存在が、今目の前に。ジークはシオンを守るように立ち位置を変え、魔力を纏って男を睨む。


「仮にお前が本当に魔王だったとして、こんな場所に何の用だ?」

「お主ら人間に用は無い。そこにある祭壇、その中で眠る忌々しい天界の犬に用があるのだ」

「天界の犬?一体何を……」

「邪魔だ、失せるがいい」


突如、手のひらから魔力を放った男。それは荒れ狂う暴風となり、ジークとシオンを容赦なく吹き飛ばした。更にそのまま山頂にある物全てを薙ぎ払い、祭壇すらも粉々に破壊する。


「魔力を放っただけで、ここまで……!」

「くっ、下がってろシオン!【身体強化フィジカルブースト】!」


何をするつもりなのかは分からないが、これ以上暴れられるとシオンや村人達が危ないと判断し、恐怖を押し殺してジークは勢いよく跳躍した。しかし、男は迫るジークに気付いていないのか、崩れた祭壇を睨み続けている。


それをチャンスと見たジークは拳を握りしめ、全力で男の顔面目掛けて腕を振り抜いた───が。


「なっ……!?」

「……余の話を聞いていたか?」


見えない壁のようなものと拳が衝突し、火花が散る。魔力で障壁を生み出し、自身の周囲に展開していたらしい。空中で動きが止まったジークに、男はゴミを見るような目を向けた。


「余は魔王アルター。余の言葉を無視したその罪、死をもって償うがいい」

「ッ────」


男……アルターの拳が、ジークの腹部を貫いた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、遅れてやって来た激痛にジークは顔を歪め、腕を引き抜かれると同時、力無く山の上へと落下する。


「ジークッ!」

「がっ!?ぐっ、うぅ……!」

「愚かなり、人間。これ以上魔王の怒りを買うな」


そう言って、アルターは山頂に降り立ち祭壇があった場所へと歩を進める。そして瓦礫を魔法で吹き飛ばし、その下にあった水晶玉のようなものを手に取り口の端を上げた。


「ジーク!しっかりしてください、ジーク!」

「シ、オ……ン……」

「嫌です!死なないでください!ジークに死なれたら、私……!」

「っ……」


ジークの頬を、シオンの涙が叩く。初めて見た筈のシオンの泣き顔が、何故かいつか見た泣き顔と被る。


「俺は、そんな顔じゃなくて、笑顔が───」


意識が薄れる。このままでは、シオンまでアルターに殺されてしまうかもしれない。どうすればいいのか、何をすればあの男からシオンを守れるのか。


(くそっ、俺は────)


そして、意識が完全に途切れる寸前。


『フフっ、ようやく会えましたね。私の力を扱える者に』

「────え?」


聞き覚えのない声が耳に届くと同時、ジークの周囲に異変が起こった。突然辺り一面が黒に包まれ、全身から痛みが消える。例えるならば、まるで夢でも見ているかのような感覚。そんな彼の前に、一人の女性が立っていた。


無風の空間だというのに、美しい白銀の長髪をたなびかせている絶世の美女。幻想的な女性の容姿に、ジークは思わず見惚れてしまう────が。


『あらぁ、私の美貌にメロメロになっちゃいましたかぁー?』

「え?」

『仕方ないですよね、だって私女神ですもの。うふふっ、私ったら罪な女ですねぇー』

「あ、あのー……」


出会ってから僅か数秒、絶世の美女は色々とぶち壊してくれた。一瞬心を奪われかけたジークも、つい呆れた表情を浮かべてしまう。


『な、なんですかその顔はー!』

「いや、ええと……」

『とりあえず冗談は置いておきましょう。あまり時間は無いのですからね、分かっていますかー?』

「時間の無駄遣いしたのはそっちだろ!」

『それも冗談ですよー。まあ、時間が無いというのは本当ですけど』


微笑み、女性が頭を下げる。


『その前に自己紹介を。私はアルテリアス、このカルナの祭壇で眠りについていた女神です』

「女神!?さ、祭壇に祀られていたのは精霊なんじゃ……!」

『それは貴方達が勝手にそう思い込んでいるだけでしょう?こう見えて本物の女神なんですからねー。まあ、色々事情があって寝ていたのですけれども』

「は、はあ……」


汗を垂らしながら、ジークが頬を掻く。仮に彼女の言っていることが本当だったとして、これ程までに残念な女神が居るだろうか。見た目は信じられない程美しいというのに。


「そ、それで、アルテリアス……様はなんでこんな場所で寝ていたんですか?祭壇って言ってましたけど、ここは一体……」

『あー、敬語は無しでお願いします。貴方は私の相棒みたいな人ですからねー』

「いや、それは……じゃあ、普通に喋るよ」

『ええ、私達マジ親友ですからー』

「…………」


何も言ってこないジークを見て怒ったように頬を膨らました後、アルテリアスは不意に表情を真面目なものに変えた。


『実は今、貴方は殆ど死んでいる状態なんです』

「えっ……?」

『先程魔王を名乗る男の魔王パンチを食らい、貴方のお腹には大きな穴が!では何故今貴方が普通に話せているのか。それは、貴方の意識に私が干渉しているからです』

「ん、んん?」

『まあ、これは貴方が見ている夢のようなものだと思ってくださいー。ちなみに外での時間は殆ど進んでいませんけど、このままだと貴方、本当に死んでしまいますよー?』


不思議と彼女が言っていることが冗談ではないと分かり、ジークは息を呑む。だが、正直自分が死ぬだけならまだマシだった。


「シオンは……シオンは無事なのか!?」

『シオン……ああ、祭壇に居た女の子ですかー?今のところは大丈夫だと思いますけど、彼女も殺されてしまうでしょうねー』

「くっ、何か方法はないのか!?俺はどうなったっていい!でも、シオンだけは……!」

『あらー、格好良いことを言いますね。方法はありますよー、とっても簡単な方法が』

「っ!頼む、教えてくれ!」

『ええ、それはー……』


ビシッと、アルテリアスがジークを指さした。


『貴方が、魔王を倒すのです!』

「へ……?」


ぱんぱかぱーんと、そんな音楽が聞こえた気がした。アルテリアスは、何故か『決まった……』とでも言いたげに腕を組んでいる。


『私、最初に言いましたよねー?ようやく会えた、私の力を扱える者にって』

「それは、そうだった気がするけど」

『それはつまり、女神である私の魔力を唯一使うことができる人物が貴方ということですよ』

「俺が、女神の魔力を……?」

『実は私、数百年前に起こった天界と魔界の大戦争を終結させた、意外と凄い女神でしてー。でも、今はその時に負った傷を癒している最中なんですよー。それで、私の傷が完治するまでの間、貴方に私の代わりをしてもらおうかと』


天界と魔界の大戦争。それは、この世界に生きる者なら誰もが知っているだろう。天は黒雲に覆われ、地は震え、あらゆる場所で血が流れた最悪の歴史。その戦争には人間も参加しており、その力を借りた天界の勝利に終わったと言われている。


その戦争を終わらせたのが、今目の前に居るおかしな女神様らしい。先程から信じられないようなことばかり起こっており、ジークの頭はショート寸前だった。


『この地で眠りについていた私を狙っている……つまり、敵が天界側の戦力を削ろうとしているということ。このままここで貴方が死んでしまった場合、私の魔力を扱える者は居なくなります。今の天界がどれだけの力を保持しているのかは知りませんけど、天界側は開戦前から一気に不利な状況になってしまうでしょうねー』

「……つまり、俺にアルテリアスの魔力を使って魔界側の戦力を削れと?」

『ええ、その通りですー。ただ、私の魔力も万全の状態ではありません。貴方に授けられるのはせいぜい七割程度の魔力……それが分かっているからこそ魔界側も私を始末するつもりなのでしょう』

「それでも、シオンを助けられるのならありがたい力だよ。後のことは終わってから考える。まずは、シオンを助けるんだ」

『やーん、それでこそ選ばれし者って感じですー。では早速、貴方に私の魔力を授けましょう!』


アルテリアスが手を掲げると同時、ジークの体が温かい光に包まれる。直後、膨大な魔力が俺の中へと流れ込んでくるのを感じた。


『あ、魔王を倒したからといって終わりではないですからねー』

「え?」

『魔界には、魔神と呼ばれるそれはもうとんでもない強さの化物が七人いますので』


何だかもう、目の前が真っ白になった。目が覚める寸前だからだろうか、冗談ではなく本当に。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「あ、あぁ……」


どれだけ呼びかけても、どれだけ体を揺らしても、ジークはピクリとも動かない。腹部からはおびただしい量の血が溢れ出し、魔力も殆ど感じられない。


「ククッ、これでお主は終わりだ。忌々しい女神アルテリアスよ」

「よくも……よくも……ッ!」


ギロりと、シオンがアルターを睨む。視線の先では、ぼんやりと輝く水晶玉にアルターが魔力を集中させている。恐らくだが、自身の魔力で水晶玉を砕くつもりなのだろう。


何故だろうか、それだけは駄目だと脳が警告している。止めなければならない。しかし、力が足りない。どうすれば、あの残虐な男を止められるのか。どうすれば、何も無かった自分を家族として迎え入れてくれた、誰よりも大切な彼を助けられるのか。


「や、めろ……」


じわりと、何かが自分の中から溢れ出す。そんな気味の悪い感覚を味わいながらも、シオンはアルターに手を伸ばし────


「やめろおおおおおおおッ!!」


叫んだ、次の瞬間。


「ッ─────」


全てが、停止した。文字通り、全てが。雲の流れも、空を舞う鳥達も、風も、水晶玉を砕く寸前だったアルターさえも。


視界に映るもの全てが停止した空間。そこは白黒の世界。まるで、自分以外の時が止まったような感覚。そして、シオンは震える手のひらを額に当てる。


「なに、これ……!?」


いつの間にか、彼女の背後には巨大な魔法陣が出現していた。蒼白く輝くその魔法陣は、まるで時計のようで。しかしこの世界の時が停止したことに関係しているのか、針はピクリとも動かない。


「こ、れは……ッ!」


歓喜、悲哀、絶望、憤怒、後悔……様々な感情が綯い交ぜになったような表情を浮かべ、シオンはアルター目掛けて凄まじい威力の魔法を放った。それと同時、停止していた時は再び動き出し、世界に色が戻り、シオンの背後に浮かんでいた魔法陣が消える。


「ぐぅおッ!?」


そして、魔法が直撃したアルターは派手に山頂を転がった。その際手から落ちた水晶玉はシオンの方へと転がり、アルターはこれまでとは比べ物にならない量の魔力を解き放つ。


「おのれぇ、何をしたああッ!!」

「っ……!」


アルターが魔法を放つ寸前、シオンは転がってきた水晶玉を手に取り魔力を纏う。自分はどうなってもいい。これさえ守ることができれば、きっとジークは────!


「させるかァ!」


死を覚悟して目を閉じたシオンの耳に、そんな声が届く。その直後に目の前で爆発音が鳴り響き、風がシオンの髪を揺らし……驚き目を開ければ、黒髪の少年がシオンを守るように立っていた。その背中を見て、シオンの目から涙が溢れ出す。


「ジーク……!」

「無事か、シオン!」

「っ、ええ、それよりジークは……」


途中で言葉を止め、シオンは目を丸くした。無理もない。アルターに貫かれた筈のジークの腹部が、何も無かったかのように元通りになっていたからだ。ただ、着ていた腹には穴が空いている。つまり、何らかの力で肉体が再生したのだろう。


「説明は後だ。まずはあいつをぶっ飛ばす」

「ほう。お主、今なんと言った?」


怒りに満ちた表情で、アルターが手元に魔力を集中させる。それを見て、ジークも魔力を纏いながら構えた。


『貴方を完膚なきまでに叩き潰し、二度と悪さができない体にした後、私のことをお姉様と呼び無様にその頭を地面に擦り続ける下僕にしてあげますとジークは言ったのです』

「えっ……!?」


手に持つ水晶玉から声が聞こえ、シオンはビクリと肩を揺らした。それを聞いたジークは疲れたように手を額に当て、アルターはその額に脂汗を浮かべる。


「ま、まさかお主、アルテリアスの魔力を……!」

『行け、ジーク!必殺女神パーーーーーンチ!』

「お、おう!?」


突然女神パンチを提案されて驚きながらも、ジークはとりあえず拳に魔力を集中させる。その瞬間、アルテリアスの魔力がジーク本来の魔力を飲み込み、アルターの魔力さえも掻き消す勢いで溢れ出した。


「やべっ、加減が……!」

『威力調節の特訓は後でやりましょう。今はとにかく、全力でぶん殴っちゃってくださーい!』

「ま、待て!そんな馬鹿げた話が────」

「女神────パンチいいいッ!!」


そして、全力で殴られたアルターは、断末魔をあげる暇もなく魔力に包まれ消し飛んだ。







◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「───と、いうわけなんだ」


山頂で起こった出来事について説明を終えたジーク。そんな彼の前には、現在二人の人物が腰掛けていた。


「そ、そんな事が……」


一人は、いつもの無表情を忘れてしまったかのように、その表情を変えているシオン。


「ふむ、なるほどのぅ」


もう一人は、彼らが住むカルナ村の長。そして、幼い頃に両親を亡くしたジークの父親代わりでもあったガイウスである。


「まさか、生きておるうちに女神アルテリアス様の姿を拝めるとは。長生きはしてみるもんじゃな」


長く白い髭を撫でながら、ガイウスが言う。彼の視線の先には、ジークの背後で膝を抱き、眠そうにふわふわと浮遊しているアルテリアスが居た。


「それで、ジーク。お前さんはどうするつもりなんじゃ?」

「……正直、魔王や魔神なんて奴と敵対するのは怖いよ。だけど、アルテリアスの魔力を借りた俺だからこそ出来る事も多いと思うんだ。世界を救うのは無理だとしても、せめてシオンや村の皆に危害が及ばないようにしたい」

「では、アルテリアス様と共に旅立つという事か」

「こうしている間にも、魔界側は別の場所で行動を起こしているかもしれない。だから、俺は行くつもりだよ」

「ま、待ってください!」


決意を滲ませるジークに、シオンがいつもより大きな声をかける。その表情は、ガイウスから見ても分かる程に困惑と悲しみに満ちていた。


「そんな危険な事を、どうしてジークが……!」

「俺じゃなきゃアルテリアスの魔力は使えない。それに今のアルテリアスは、まともに魔法も使えない状態らしい。だから、俺がアルテリアスの代わりに暫くは行動するんだ」

「でも、相手は魔王すら上回る魔神です!いくら女神様の魔力を得たからといって、そんな化物を相手にどう戦うんですか!」

「それはこの後考える。俺の戦い方じゃ絶対通じないだろうし、魔力のコントロールだってろくに出来ていない状態だからな」


外からは村人達の楽しげな声が聞こえてくる。そんな中、シオンは唇を噛み拳を握りしめていた。どうしてジークがそんな事をしなければならないのか。どうしてジークが選ばれてしまったのか。まるで憎しみが込められたかのような視線をアルテリアスに向け、シオンはどうすればいいのかを考える。


本音を言えば、アルテリアスには感謝しているのだ。あのタイミングで彼女がジークに魔力を与えていなければ、間違いなくジークは死んでいたのだから。これはただの我儘。それが分かっていても、シオンはジークと離れたくはなかった。


「シオン、貴女の気持ちは分かりますよー」


向けられる視線に気付いたのか、アルテリアスがふわりと床に降り立ち優しい声でそう言う。


「私は貴女からジークを奪おうとしているわけではありません。当然利用しているように見られてしまうとは思いますけど、天界と魔界がどう動くのかも分からない以上、私は私の魔力を扱えるジークと共に、この世界を守護する為に行動しなければならないのです」

「っ、でも……!」

「シオン、これはジークが決めた事じゃ。ワシも気持ちは痛い程分かるが、これも運命というものなのじゃろう」

「ガイウスさんまで……」


力無く俯き、シオンは考える。どれだけ説得しても、ジークはアルテリアスと共に行ってしまうだろう。ならば、どうすればいいか。考えて考えて、ようやくシオンは顔を上げた。


「なら、私もジークについて行きます」

「えっ?」

「私もジークと共に旅立つと言っているのです」

「はあ!?い、いやいや、魔神や魔王なんかとの戦いにシオンを巻き込むわけには……!」

「それはこっちの台詞です!そんな危険な相手との戦いにジークを一人で向かわせるなんて、私には無理なんです!」


そう言われ、ジークは言葉に詰まった。ずっと共に過ごしてきたからこそ分かる、シオンの気持ち。彼女は家族として、ジークを心から心配してくれているのだ。


「良かったですねー。可愛い女の子に、こーんなにも心配されるなんてー」

「ぐっ、うっせ」

「何をコソコソ言っているのですか!とにかく、ジークが行くのなら私も行きますからね!」

「ああもう、分かったよ!正直シオンが来てくれるのは嬉しいからな!」

「えっ……」


シオンの頬が赤く染まる。今日は今まで見たことのない表情が沢山見れる日である。暫く見つめ合い、どちらからともなく目を逸らした二人を見ながら、アルテリアスとガイウスはやれやれと息を吐いた。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






二日後、村の入口に大勢の人が集まっていた。彼らの視線の先には、大きなリュックを背負ったジークと、無表情のまま彼を見つめるシオンが立っている。そして二人の前にあるのは、木製の馬車だった。


「ワシらが近くの町に向かう際に使っていた馬車じゃ。今言った町、ブロッサムまでは送ってやろうと思っての」

「ありがとう、助かるよ」

「ただ、馬車は今のところこれしか無くての。ブロッサムからは自分達の足で移動してもらう事になるが……」

「いえ、充分ですよ。最悪疲れたらジークにおんぶしてもらうので」

「鬼か。ま、爺ちゃん達がくれたお金もあるし、その後は自力で何とかしてみるさ」

「ほっほっ、頼もしいのぅ」


笑いながら、ガイウスが馬を撫でる。そんな姿を見ていたシオンは、不意に深く頭を下げた。それを見て、ガイウスや集まっていた村人達が驚くように目を丸くする。


「今まで、お世話になりました」

「シオン……」


頭を下げ続けるシオン。そんな彼女にゆっくりと歩み寄り、ガイウスは笑みを浮かべながらシオンの頭を撫でた。


「ワシはお前さんのことも、大事な娘じゃと思っておる。いつかまた、馬鹿息子と共に元気な姿を見せておくれ」

「っ、ガイウスさん……」

「さあ、そろそろ行きなさい。このままじゃと、いつまで経ってもお別れできなさそうじゃ」


ジークが頷き、馬車に乗り込む。それに続き、もう一度頭を下げてからシオンもジークの隣に腰掛けた。そして御者の合図と共に、馬車はゆっくりと動き出す。


「ジーク、しっかりやれよー!」

「ちゃんと飯食えよー!」

「シオンちゃんに変な事したらぶん殴るぞー!」

「二人共元気でなー!」


村人達の声が、離れても馬車に届く。少しずつ遠ざかる故郷。しかし、無事に二人揃って帰って来れると信じて。ジークとシオンは、大切な〝家族〟が完全に見えなくなるまで手を振り続けた。

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