恋の輪舞曲
『きゃあっ!?』
『あははは、のろまはあっち行ってろよ!』
髪の短い少年が、赤髪の少女を突き飛ばす。まだ十歳になったばかりの少女は、その衝撃に耐えられず転倒した。
『痛い・・・』
膝から流れ出る血を見つめる少女の目から涙が零れ落ちた。それを見た少年達が腹を抱えて笑う。
そんな時、一人の少年が倒れる少女に駆け寄った。
『大丈夫かエステリーナ!?』
『お兄ちゃん・・・』
少女と同じ赤髪の少年は、笑う少年達を鬼の形相で睨みつける。
『またお前達かッ!!』
『うわあ、イツキだ!』
『逃げろーー!!』
周囲の温度が上昇する。これから赤髪の少年・・・イツキが何をするのかを分かっている少年達は、一目散に逃げていった。それを見届け、イツキが少女の前で屈む。
『血が出てるじゃないか』
『・・・大丈夫だよ、いつものことだもん』
そう言うと、少女は涙をぬぐって立ち上がり、
『のろまな私が悪いから・・・』
俯きながら呟いた。
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「はあッ!!」
少女が勢いよく剣を振るう。
月明かりに照らされ、少女が動く度に赤い髪がキラリと輝きを放つ。
「・・・ふう」
季節は冬。
気温はかなり低いが、動き回っていた少女は汗だくだ。
(今更過去を思い出すとはな・・・)
タオルで汗を拭き、少女・・・エステリーナは夜空を見上げた。彼女の視線の先では、様々な色の星が空を埋め尽くしている。
(私も、少しは強くなれただろうか)
頭に思い浮かんでいるのはあの頃の自分。
幼い頃から魔力を使いこなせていた兄とは違い、のろまで筋力もほとんど無かった自分だった。
『エステリーナよ、強くなりたいか?』
ある日、彼女は父にそう言われた。王国最高クラスの剣術の達人である父に教えて貰えるのなら、みんなを見返す事が出来るかもしれない。そう考えた幼き日のエステリーナは、父の言葉に覚悟を決めて頷いた。
『どけよのろま!!』
それから数ヶ月、彼女を仲間はずれにしていた男子達が、いつものようにエステリーナを突き飛ばそうとした時だった。
もう彼等とは比べ物にならない程強くなっていたエステリーナは、迫る手を掴み、少年を勢いよく地面に叩きつけた。
当然というべきか、倒れた少年は大泣きし、他の男子達は僅かだか魔力を放つエステリーナを恐れ、逃げ出した。
兄に守られる自分は惨めだ。
その頃から、エステリーナは少し兄と距離を取り始める。逆にイツキの方は、エステリーナを心配して超が付くほどの過保護になったのだが。
『王都近辺に危険な魔獣が出現したらしいわ。男達を何人か連れて、討伐しに行ってくれないかしら』
『別に男性達の手を借りなくても、私だけで・・・』
『だーめ。怪我したらどうするのよ』
『・・・』
それから数年後、エステリーナはギルド長のリリスにそんな依頼を任せられた。幼い頃の経験から、男性を少し苦手に思っていたエステリーナは、渋々その依頼を受けることになる。
『なっ、誰だお前は!』
『いやー、なんか苦戦してるっぽかったからちょっと助太刀に参りました』
魔獣はかなり強かった。
炎は効かず、斬撃も弾き返される。どうしたものかとエステリーナが策を練っていた時、彼は現れた。
『武器も持たずにあいつとどう戦うつもりだ!』
『え、素手だけど・・・』
『馬鹿かお前は!』
見栄を張る為に邪魔をしに来るな。
激怒したエステリーナは彼にそう怒鳴る。
『あいつは鉄の剣さえも弾く体の持ち主、お前程度が素手で太刀打ちできるわけがないだろう!』
『いや、どうかな?』
しかし、彼はそれに対してにやりと笑い、たった一発のパンチで魔獣を倒したのだった。
おそらく、エステリーナにとって初めての感動。彼からは嫌味を一切感じず、もっと実力を見てみたいとさえ思ってしまう。
そして、彼女は彼・・・ジークと何度も行動を共にするようになった。今思い返せば、その時から彼のことはかなり意識していたのかもしれない。
やがて、彼女達はローレリア魔闘祭という王国最大の大会に出場する事になり、その時起こった事件は彼女にとって、絶対に忘れられない出来事になる。
『助けに来たぞ、エステリーナ』
兄に復讐しようとしていたヴィラインという男に、エステリーナは連れ去られてしまったのだ。しかし、やはりジークは助けに来てくれた。
これまで見た事が無いほど怒りを露にしたジークに救われてからというもの、エステリーナは彼に恋をしたのだが・・・。
(懐かしいな・・・)
体内に流れる炎魔法で体温を調整しながら、エステリーナは口元を緩めた。
(初めてだな、男に守られたい・・・と思ってしまったのは)
魔剣を鞘に納める。そこで彼女は何者かがこちらに向かって歩いて来るのに気が付いた。
しかし、警戒はしない。感じる魔力は彼女にとって最も心地良い魔力で、何より彼女が彼を呼んだからだ。
「素振りしてたのか?はは、何処に行っても特訓は欠かさず行うんだなぁ」
「少し気持ちを落ち着けようと思って・・・な」
歩を進めるジークを見て、エステリーナの頬が薄紅色に染まった。こんなに寒いのに文句一つ言わずに来てくれる彼は、やはりエステリーナの知る異性の中で、最も優しい存在だ。
「話があるって言ってたけど・・・」
「あ、ああ」
「とりあえず座るか」
すぐ近くにあるベンチに向かい、其処にジークが腰掛ける。かなり緊張しながらも、エステリーナは彼の隣に腰を下ろした。
「いやぁ、今日も素晴らしい夜空だねぇ」
「そうだな・・・」
互いに夜空を見上げる。
伝えたい事があって彼を呼んだのだが、どうやって切り出そうかとエステリーナは内心頭を抱えた。
「それで、話って?」
「え、あの、その・・・」
「特訓に付き合って欲しいとか?」
「っ・・・」
〝付き合って欲しい〟
意味は全く違うが、それを聞いてエステリーナの顔が真っ赤になる。
「さっき遠くから見てて思ったけど、やっぱエステリーナは剣の扱い方が上手だよな。なんか踊ってるみたいで思わず見惚れてしまうというか・・・」
「そ、そうか?」
「イツキさんはパワーで相手をねじ伏せる感じだけど、エステリーナはすっごい綺麗だ」
「・・・昔は大したことなかったんだけどな」
「お、昔の話か?そういやエステリーナの子供の頃の話って全然聞いたことないような」
「ふふ、別に面白いものではないぞ」
そう言うと、エステリーナは星空に視線を戻して少しだけ微笑む。
「昔は、街に住む同い年の皆から仲間はずれにされていてな」
「え?」
「体力も筋力も全然無くて、軽く押されただけで転倒して、膝を擦りむいて泣いてしまう・・・そんな子供だった」
「想像がつかん」
「けど、父上に稽古をつけてもらい、私はそれなりに強くなれた。押されても転倒しなくなって、逆に押してきた相手を投げ飛ばせるレベルにはな」
「ふむ・・・」
「その頃から、私は男性が少し苦手になったんだ。顔には出さなかったけど、この人にも何かされるかもしれない・・・そう思ってしまうようになった」
それを聞き、ジークは目を見開く。
「え、てことは、俺の事も苦手だったり?」
「あっ、ジークは大丈夫なんだ。それどころか、ジークに出会ってから男性が苦手ではなくなったから」
「そうなのか、良かった・・・」
慌てるエステリーナにそう言われ、ジークは胸を撫で下ろした。
「だから、感謝しているんだ。ジークに出会えたから、私は変わることが出来た」
「はは、俺もエステリーナに会えて良かったと思ってるよ」
笑顔でそう言われ、エステリーナの心臓がドクンと波打つ。そして彼女は息を整え、覚悟を決めた。
「その、話を戻すけど、私がジークを呼んだのは、私の想いを伝えたかったからなんだ」
「え、おう」
鈍いジークはそれだけでは分からない。彼女が自分に惚れているという事が。
「魔闘祭を覚えているか・・・?」
「おう、盛り上がったよなぁあれ」
「あの時、私が連れ去られたのは・・・?」
「・・・覚えてるけど、思い出すと未だにイライラする」
「ふふ、あの時壁を砕いて助けに来てくれたジークは、本当に格好良かった」
「そりゃどうも」
照れながら頬を掻くジークを見て、エステリーナが微笑む。これでもまだ、彼はこれから何を言われるのか分かっていないのだろう。
「あれからなんだ、私の中でジークという存在が何よりも大きくなったのは」
「ん・・・?」
「顔を見る度に胸がドキドキして、すぐに顔が赤くなってしまって・・・。それでも、鈍感なジークは私の想いに全く気付かないんだものな」
「んん・・・?」
一体何を言いたいのだと、ジークはエステリーナを見つめながら考える。
「最近は、ジークがシオン達と仲良さげに話しているのを見ただけで、少しだけ胸が苦しくなるようにもなった。多分、それが嫉妬というものなのだろう」
「嫉妬・・・?」
ジークの目は、なんで嫉妬なんかするんだ・・・と思っていることを物語っていた。
「だから、ジークが私に話しかけてくれたりした時は、本当に嬉しくなるんだ。だから・・・」
「・・・?」
突然エステリーナが黙り込んだ。どうしたのかと思ったジークは、彼女の身体が僅かに震えていることに気が付く。
寒いから・・・そんな理由ではないことは、さすがにジークにもすぐに理解出来た。
「エステリーナ?」
「だから・・・」
怖い。
覚悟は決めた筈なのに、彼女はその先を恐れていた。もしも、彼が別の少女を好きだったら、自分の告白は今後彼を悩ませてしまうのではないか。もしも、それがきっかけでこれまでとは違う関係になってしまったら・・・。
そう考える度に、エステリーナの身体は震える。
「・・・私は」
しかし、彼を誰にも渡したくはなかった。
きつく拳を握りしめ、エステリーナはジークの目を真っ直ぐ見つめる。そして、秘めた想いを打ち明けた。
「わ、私は、ジークの事が好きなんだ・・・!」
まず、ジークは目を見開いた。
しかし、彼女が何を言ったのかを理解出来ず、『え、なんて?』とでも言いたげな表情を浮かべる。
その直後、彼女の言葉が再び脳内で再生され─────
「うええええええッッ!?」
叫びながらベンチから転げ落ちた。
「す、すき!?エステリーナが俺のこと!?」
「っ〜〜〜〜〜!!」
彼の反応を見て、自分は遂に告白してしまったのだとエステリーナは実感する。そして、真っ赤な顔を両手で隠しながら俯いた。
「・・・まじで?」
そんな彼の問いに、エステリーナはこくこくと頷く。
「ま、魔闘祭の時から、ずっと・・・」
「あんな時から・・・?」
「うん・・・」
「そうか。はは、ははは」
ジークが立ち上がり、再びエステリーナの隣に腰掛けた。そして、俯く彼女を見つめる。
「ほんとに俺なんかでいいのか?」
「・・・ジーク以外は嫌だ」
「まじかー、夢みたいだ・・・」
「え・・・?」
「初めて見た時から、魅力的な人だなって思ってたんだ」
それを聞き、エステリーナが顔を上げる。
「一緒に迷宮に行ったり依頼を受けたりしているうちに、もっといろんな一面が見れて嬉しかった」
「じ、ジーク・・・」
「こうやってずっと一緒に居られたらいいなって思ってたけど、同時に俺なんかじゃ似合わないだろうなとも思ってた」
そして、心底嬉しそうにジークは笑う。
「でも、そんなエステリーナから好きって言われるなんて、ほんと夢みたいだよ」
「それって・・・」
「俺もエステリーナが好きだ。まさか先に言われるとは思ってなかった」
「ほんとに・・・?」
「ああ、大好きだっとぉ!?」
気が付けば、エステリーナはジークに抱きついていた。ジークはそれを咄嗟に受け止め、ベンチから転げ落ちないように踏ん張る。
「嬉しいっ・・・」
「俺も超絶嬉しいんだけど、ちょっと恥ずかしいかな・・・」
エステリーナの頭を撫でながら、ジークはある事を思い出した。
「俺達両想い・・・か」
「っ、うん・・・」
「イツキさんになんて言おうか」
「・・・あ」
どうやらエステリーナも彼の存在を忘れていたようだ。何よりも妹が大好きなイツキ・ロンドの存在を。
「ふふ、それに父上にもな」
「げっ!?あの人も居たか・・・!」
ジークの身体が強ばる。実家に挨拶しに行った時に会った、イツキよりも恐ろしいエステリーナの父も忘れてはならない。
「でもまあ、それはこれから考えればいいか」
「ああ、そうだな」
エステリーナが満面の笑みを浮かべる。
世界トップクラスの美少女の笑顔は破壊力抜群だった。それを見たジークの顔が真っ赤になる。
「くっそ、可愛すぎだぜ・・・!」
これ以上ない幸せを感じながら、二人はしばらくの間、星空の下で身を寄せ合うのだった。




