天使の聖譚曲
気配を感じた。
それと同時に少女は飛び立ち、少し離れた場所にある高い山の頂上に降り立った。
その時がいつかは来ると思っていた。しかし、何も今来なくてもいいのではないかと少女は思う。
もう既に皆が眠っている時間帯で良かった。少女はじっと夜空を見つめながら時を待つ。
「何してんだ、ルシフェル」
そんな時、背後から声が聞こえて彼女は振り返る。そして安心したような・・・そんな表情を浮かべた。
「・・・ううん、何でもないよ」
「絶対あるだろ。じゃなきゃこんな時間にわざわざこんな場所には来ない」
「起きてたの?」
「旅館の屋根の上で寝っ転がってたら、急にルシフェルが山に向かって飛んでいったから、なんとなく追ってきたんだ」
やってしまったと、ルシフェルは頬を掻いた。
ここは絶景が見れると話題の温泉宿。男であるジークだけ別の部屋で寝ているので、彼が起きているか寝ているかの確認は出来ていなかったのだ。
「で、何があった?」
「・・・ジークさんには関係ないよ」
「話せない事なのか?」
「・・・」
彼女は再び空に視線を戻した。空を埋め尽くす星々は、何度も見ても美しい。
「・・・ジークさん、お願いだから宿に戻ってくれないかな?」
「は?何でだよ」
「お願い」
ルシフェルの背中をジークは見つめる。彼女が翼を出しっぱなしにしているということは、翼が必要な何かが此処で行われるということ。
「誰と戦うんだ?」
それを聞き、ルシフェルの身体が僅かに動いた。
「・・・ジークさんは覚えてる?」
「ん?」
「魔剣に身体を乗っ取られた私が、一体何をしようとしていたのかを」
透き通るような声がジークの耳に届く。そこで彼は思い出した。
『アビスカリバーは、魔族を率いて天界に攻め込もうとしてるの』
あの時、ルシフェルはそう言っていた。
しかし、それはジーク達の活躍によって阻止された筈だ。
「当然天界もその情報を掴んでる。何となくだけど、来るのが分かるんだ」
「おいおい、まさか・・・」
その直後、空から一筋の光が放たれた。それはジーク達が居る場所を、まるで昼間のように照らす。
「ジークさんには見られたくないの。今から、私は地上で最も傲慢な女になるから」
そう言って聖剣を召喚したルシフェルは、何も無い場所に向けて魔法を放った。すると、その場所がぐにゃりと歪んで閃光を纏った男が姿を現す。
いや、それだけではない。空から降り立ったのは、数え切れない程の天使達。純白の翼を羽ばたかせながら、彼らは山を取り囲む。
「フッ、元気そうで何よりだ、ルシフェル」
「貴方もね、ウリエル」
他の天使達よりも豪華な服を身に纏った男が、ふわりとルシフェルの前に着地する。そして巨大な剣の切っ先をルシフェルに向けた。
「大罪人ルシフェルよ、貴様は下界で傲慢を司る愚かな王となり、我々が住む天界に攻め込もうとしていたそうだな」
「・・・」
「大天使暗殺だけでは飽き足らず、天界を滅ぼそうと企むか」
それに対してジークが声を荒らげた。
「おい、お前らは何を言ってんだ!!ルシフェルは大天使なんて殺してないし、そんな計画も練ってねえよ!!」
「誰だ貴様は」
ウリエルと呼ばれた男は、ジークをギロりと睨み付けた。しかしジークは怯まない。
「ルシフェルよ、そのような人間を貴様は部下としているのか?薄汚いゴミのような人間を────」
ガキィィン!!!
金属音が響き渡る。凄まじい速度で放たれた袈裟斬りを、ウリエルが剣で受け止めたのだ。
「フッ、堕ちたものだな。まさか貴様のそのような眼を見れるとは思わなかったぞ」
「・・・」
「まあいい、貴様は此処で苦しみながら死ぬ事になる」
そう言うと、ウリエルが全身から魔力とは違う力を解き放った。それは、かつてルシフェルの中にも流れていた〝神力〟。闇を滅する聖なる力である。
「さあ、偉大なる天界の兵達よ!!天界に反旗を翻した愚かな堕天使を、今ここで討ち滅ぼすのだ!!」
「「「オオオオオオッ!!!」」」
天使達が一斉に動き始めた。皆が狙うはルシフェルの首。彼女を守る為、咄嗟にジークは動き出そうとしたが、
「跪け、《傲慢なる神帝の威光》」
それよりもルシフェルの禁忌魔法が発動する方が早かった。空を駆けていた天使達は、ルシフェルから放たれる凄まじい重圧に耐え切れず、次々と地面に墜落していく。
「フン、それが貴様の力か!!」
その中でウリエルは重圧に耐え、聖剣を全力でルシフェルの首目掛けて振るう。しかし、ルシフェルの聖剣はそれをあっさりと受け止めた。
「なっ!?」
「貴方の力はその程度なの?」
「クソッ!!」
その後も圧倒的な速度でウリエルは様々な攻撃を繰り出すが、恐るべき事にルシフェルは、その場から全く動かずにその攻撃を弾き返す。
「私はここで死ぬつもりは無い」
「欲深き大罪人め、必ずこの手で滅する!!」
ウリエルが翼を羽ばたかせて空高くに飛び上がり、聖剣に膨大な神力を集め始める。
「ここら一帯を消し飛ばしてくれるわ!!!」
「・・・愚か者め」
それに対してルシフェルも聖剣に魔力を纏わせ、ウリエルを睨み付ける。
「滅びろ、ルシフェルッ!!!」
ウリエルが聖剣を振り下ろす。放たれた光の斬撃は、空気を切り裂きながらルシフェルに迫っていく。
「待てよおい」
しかし、それはルシフェルに届く直前に弾け飛んだ。
「天使さんよ、ちょっとしつこいぞお前」
「ッ──────」
ウリエルの身体から汗が吹き出す。少し睨まれただけで死を錯覚してしまう程の力を、彼は秘めている。
いつの間にかルシフェルの前に立っていたジークは、鬱陶しそうにウリエルを睨む。
「ルシフェルが天界に攻め込もうとしてたってのを知ってんのなら、彼女が魔剣に身体を乗っ取られてたのも、今も昔もルシフェル自身がそんな事をしないってことも知ってる筈だよなぁ?」
「な、何者だ貴様は・・・」
「手柄が欲しいのか?お前らは何がしたいんだ?」
「何者だと聞いているのだ!!」
「うるせえ黙れ」
解き放たれた魔力が大気を震わせる。ルシフェルの禁忌魔法から逃れた天使達が山頂付近に戻って来たが、今度はジークから放たれる魔力を身に浴びて身動きが取れなくなった。
「これ以上ルシフェルに手ぇ出してみろ。天使とか関係なく全員地面に埋めるぞ」
「に、人間如きがぁ・・・!!」
怒りに身を震わせ、ウリエルは再び聖剣に神力を集める。
「その女を差し出せ!!」
「嫌だ」
「その女は貴様のものではないだろう!!」
「いいや、俺のだ」
ジークが片手でルシフェルを抱き寄せた。
「っ・・・!?」
「ルシフェルは俺にとって一番大切な存在だ。お前らには指一本触れさせねえよ」
それを聞き、ルシフェルの顔が真っ赤になる。本気で言っているのか、わざと言っているのか。
「これでもまだルシフェルに何かしようってんなら・・・いいぜ」
ルシフェルはそれを心地よい魔力と感じ、ウリエルや天使達は全てを凌駕し、破壊する覇王の魔力だと感じて震える。取るに足らない相手だと思っていた少年は、天界最強の天使の力を遥かに上回る力を放ち、明確な殺意を彼等に向けていた。
「かかってこいよ」
「ぐっ、うううう、退却だァァァァッ!!!」
勝ち目はない。そう悟った天使達は、真っ先に飛び去ったウリエルに続き、猛スピードでこの場から離脱した。
「大丈夫か、ルシフェル」
「あう・・・」
「あ、ごめん!」
そこでジークは、ルシフェルをずっと抱き寄せていた事に気付き、急いで彼女から離れた。
「しかも、俺のだとか言っちまって・・・」
「う、ううん、大丈夫だよ」
今になって、自分が何をしたのかを思い出し、ジークの顔が赤くなる。その正面に居るルシフェルも彼と同じように顔が真っ赤だ。
「か、帰ってくれてよかったよな!」
「・・・きっと、また来るよ」
「うん?」
「多分、次はもっと多くの天使達を連れて・・・。それに、他の大天使も一緒かもしれない」
先程までとは違い、とても不安そうな表情でルシフェルがそう言う。そう、彼等は天界を敵に回してしまったのだ。
「ごめんなさい・・・」
「まあ、別に良いじゃないか」
「え・・・?」
しかし、ジークは何も恐れていないようで、自分の胸をドンと叩いて笑う。
「俺がルシフェルを守るから」
「ジークさん・・・」
「それに、話し合えば分かってくれるかもしれないしな」
そう言うジークを見て、ルシフェルの中で彼に対する想いは膨らんでいく。しかし、これだけ迷惑をかけたというのに、好きですなどと言うことは出来ない。
「・・・あの、ジークさん」
だが、これだけは聞いておきたかった。
「さっきウリエルに言ってた、その、私が一番大切な存在って・・・」
「あー・・・うん、あれか」
ジークは照れくさそうに頬を掻くと、ルシフェルの目を真っ直ぐ見つめた。
「ほんとにそう思ってるんだ。誰にも渡したくないし、ずっと一緒に居たい」
「・・・勘違い、しちゃうよ」
もしかしたら。
そう考えれば考える程、その可能性を期待してしまう。
「ほんとはもっと良い場所で言おうと思ってたんだけどなぁ・・・」
そして、
「俺はルシフェルの事が好きだ」
「っ・・・」
ジークがそう言った瞬間、ルシフェルの目から涙が零れ落ちた。
「え、えっ!?ごめん、迷惑・・・だったか?」
「う、ううん、違うの・・・」
慌てながらもジークはルシフェルの頭を撫でる。しかし、ルシフェルの涙は止まらない。
「うっ、嬉しくて・・・」
「え?」
「ずっとそう言われたかったから・・・」
流石に恋愛に疎いジークでも、それがどういう事なのかを理解する。
「こ、こんな事を、貴方に言っていいのか分からないけどっ、私も・・・私も貴方の事が大好きです」
なんとか声を振り絞ったルシフェルが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせずにそう言った。そんな彼女を、ジークは優しく抱き寄せる。
「そうか、嬉しいよ。嬉しすぎて夢かと思っちまった」
「夢じゃないよ・・・」
「ああ、夢じゃない」
気温はかなり低いというのに、触れ合う二人の体温はどんどん上昇していく。
「・・・言い忘れてたけど、私、魔神になっちゃったんだ」
「実は知ってたんだ。チラッとステータス確認した時にな」
「これからは、今まで以上に迷惑をかけちゃうと思う。それでも、貴方は私を愛してくれますか・・・?」
「当たり前だろ。だから、これからも君を守らせてくれ」
「・・・うん。ありがとう、ジークさん」
当たり前と言われ、自然と笑顔になる。
何気ないその一言は、ルシフェルにとって何よりも嬉しい一言であった。




