もっと素直に
「うううう、寒いぃぃ・・・」
肌寒い風を受け、少女の桃色の長髪がなびく。
魔族の中でも頂点に君臨する『魔神』、その中の一人で色欲を司るアスモデウスだが、彼女は何よりも寒いのが苦手なのである。
「お、温泉何処だっけ・・・」
そんな彼女が探しているのは、先程入ったばかりの広い露天風呂。やはりというべきか、レヴィ達が暴れたせいでのんびりと堪能できなかったのだ。
だからもう一度一人で露天風呂に入ろうとしているのだが、肝心の浴場が何処にあるのか分からない。
もう諦めて部屋に戻ろうか・・・、アスモデウスは次第にそう考え始めた。
「・・・あら?」
そんな時、天は彼女に味方した。
「あった!」
そう、遂に露天風呂がある場所を発見することが出来た・・・のだが。
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「はあぁ、極楽極楽・・・」
たった一人で温泉に浸かるアスモデウスは、顔を上気させながらそう呟く。冷えた身体は熱いお湯で温められ、無くなりかけていた手足の感覚も元に戻っている。
「このまま寝ちゃいそう・・・」
あまりの心地よさに、アスモデウスの意識が薄れ始める。このままここで寝るのも良いかもしれない。
などと思っていたその時だった。
「だぁーー、寒いっつーの!!」
「ッ!?」
突然聞き覚えのある声が周囲に響き渡り、アスモデウスは飛び上がった。
(じ、ジークフリード!?)
なんで!?
そう思いながら、咄嗟に彼女はお湯の中に潜る。
「よっと・・・くぁー、あったけぇ」
(なんでぇぇぇぇ!?)
しかし、現れた少年ジークは湯の中に足を踏み入れてきた。湯気のおかげでジークはアスモデウスを発見出来ていないが、徐々にアスモデウスに限界が迫る。
「いやー、極楽極楽・・・」
(だ、駄目だ、もう限界っ!!)
アスモデウスは勢いよく立ち上がると、不足していた酸素を一気に吸い込んだ。
「げほっ、ゴホッゴホッ・・・!!」
「え゛」
突然現れた美少女を見て、ジークが固まる。
「あ、アスモデウス・・・?」
「はぁ、はぁ・・・あ」
そんな彼を見つめながら、アスモデウスもあることを思い出した。彼が服を着ていないのと同じで、自分も全裸で立っているということを・・・。
「ぎゃあああああッ!!!!!」
「ちょ、落ち着ぐええあ!?」
半泣きになりながら、アスモデウスがジークの髪の毛を掴んで床に叩きつける。その衝撃は、小規模なクレーターが出来上がる程のものだ。
「うわあああん!!!」
「まじで落ち着けってえええ!!!」
遂には魔剣を召喚し、号泣し始めたアスモデウスはそれを振り回し始める。色欲の魔力を完全に引き出す事が出来るようになったアスモデウスの一撃は、今ではジークにダメージを与えるレベルまで上昇していた。
「てか、何でアスモデウスがここに居るんだ!?」
「それはこっちの台詞じゃないッ!!!」
「ここ男湯だぞ!?」
そんなジークの声を聞き、アスモデウスが動きを止める。
「ほ、ほんと・・・?」
「ったく、確認してから入れよな」
アスモデウスとしては、ジークが間違えて女湯に入ってきたものだと思っていたのだが、どうやら逆らしい。勘違いで暴れてしまったことを理解し、彼女の顔が真っ赤になる。
「ごめん、なさい・・・」
「ちょ、泣かないで?」
見てはいけないと必死に目線を逸らし、アスモデウスの嗚咽を聞きながら、ジークはどうしたものかと頬を掻いた。
「落ち着いたかね」
「落ち着きました・・・」
それから数分後、温泉に浸かりながら、さらにジークは頭を悩ませた。何故かアスモデウスはいつものように何処かに逃げるわけでもなく、そのままお湯の中に入っていったのだ。さらに一緒に入ろうと言われ、仕方なく彼はアスモデウスの隣に腰掛けた。
因みにここは異世界。タオルをお湯に浸けてもOKなので、二人共今はタオルを身体に巻いている。
絶景を見ながら露天風呂に入ることが出来るというのが魅力的で、彼らはここを旅行先に選んだのだが、日も暮れているのに加えてこの状況では、呑気に景色を見ることなど出来ない。
「・・・」
「・・・」
何を話せばいいのやら。
絶対に首を動かさないと自分に言い聞かせながら、ジークはじっと前だけを見つめ続ける。
「・・・あの」
「っ、な、何だ?」
「・・・ごめんなさい」
突然謝られ、ジークはつい顔を横に向けてしまった。一瞬だけ見えたのは、本当に申し訳なさそうに俯くアスモデウスの横顔。
「あたしが悪いのに、暴れちゃって・・・」
「あ、いや、気にすんなよ」
珍しく謝罪してきたアスモデウスに対して戸惑いながらも、ジークはずっと思っていた疑問を口にした。
「あ、あのさぁ、なんでまた風呂に?」
「・・・レヴィアタンのせいで、一回目はのんびり出来なかったから」
「やっぱりか」
ジークが一人で風呂に浸かっていた時も、向こうからは騒がしい声が聞こえてきていた。少しだけ覗きたいと思う気持ちもあったが、彼はなんとか踏みとどまったのだ。
「・・・あんたこそ何でよ」
「なんかもう一回風呂に行きたいって思ったんだよ。そしたら何故かアスモデウスが居たという・・・」
「そう・・・」
再びアスモデウスは黙り込む。
どうすりゃいいんだ!?などと思いながら、ジークは何か彼女が元気を取り戻してくれる話題は無いものかと、必死に記憶の引き出しを開けまくった。
「どうしていつもこうなっちゃうかなぁ・・・」
「え?」
そんな時、アスモデウスがそう呟いた。
「何かあったらすぐ怒鳴ったり、悪くないのに責めちゃったりして・・・」
「ど、どうしたよ。らしくないぞ」
「だから見向きもされないんだ・・・」
少し様子がおかしい。そう感じたジークが顔を横に向けた。彼の隣では、今にも泣き出してしまいそうな顔でアスモデウスが俯いている。
「喜んでもらおうと思って何かをしても、結局最後には恥ずかしさの方が勝っちゃって・・・」
「お、おいおい、まさか好きな人がいるのか?」
驚きながらジークがそう言う。
「そう・・・だったのか。はは、意外だなーなんて」
「・・・」
「あ、アスモデウスならそいつとも上手くやっていけるんじゃないか?俺も応援するよ・・・」
それを聞き、アスモデウスの胸がズキリと痛み、目から涙が零れ落ちる。
「あ、アスモデウス?」
「苦しい・・・」
「おい、まじで大丈夫なのか」
そう言う彼は、本当に自分を心配してくれているのだろう。それが分かり、アスモデウスはさらに涙を流す。
「全部自分が悪いのに、苦しいよ・・・」
きっと彼が見ているのは、別の少女なのだろう。
素直に想いを伝えていたら、もっと自分を見てくれたかもしれないのに。そんな後悔が涙となって流れていく。
「痛いとこでもあるのか!?ならすぐに────」
「もうほっといてよ!!」
そう怒鳴った直後、またやってしまったとアスモデウスは自分を責めた。心配してくれている彼に対して、自分は何を言っているのだろう、だから彼は自分を見てくれないんだ・・・と。
そして、どうしようもない感情に押し潰されそうになった時、
「好きな女の子が泣いてるのを見て、ほっとけるわけないだろうが!!」
そんな彼の声がはっきりと聞こえた。
「・・・え」
「まさか、そのアスモデウスが恋してるっていう男に何かされてたのか!?そいつは何処に住んでる男だ!!」
「え、あの・・・」
「もう応援なんてしてやらねえ!!そいつを見つけたら絶対一発ぶん殴って────」
「ちょ、ちょっと待って!」
聞き間違いだろうか。
立ちながら本気で怒っている彼の顔を見つめ、恐る恐る聞いてみる。
「す、好きな女の子って・・・」
「〜〜〜っ!あーもう、そうだよ。俺が好きなのはアスモデウスだ」
頭をガシガシ掻きながらジークがそう言う。それを聞き、アスモデウスの思考は一瞬停止した。
「何かを言った後に後悔してるのも、素直になろうと努力してるのも俺は知ってる。だから、ちょっとでもアスモデウスの助けになろうと思ってた」
「・・・」
「・・・わり。迷惑だよな、こんな事言って」
そう言って座り込んだジークを見て、アスモデウスの中で彼への想いがこれまでとは比べ物にならない程膨らんでいく。
「・・・そう、なんだ」
やっとの思いで発した声は震えていた。しかし、それは何かに怯えているからではない。
「嬉しいな・・・」
「へ?」
そんな事を言われると思っていなかったのか、ジークが目を見開く。
「その男は何処に住んでるんだーとか、ぶん殴ってやるーとか言っちゃって・・・ふふ、馬鹿じゃないの」
「な、何がですか?」
アスモデウスがジークの目をじっと見つめる。そして、これまでずっと言いたかったことを彼に伝えた。
「あたしも、貴方の事が大好きです」
「えっ!?」
「ずっとそれを伝えたくて・・・」
再びアスモデウスの目から涙が溢れる。
「ま、待ってくれ!俺の事が好きって、ち、違う男に泣かされたんじゃないのか!?」
「ううん、酷いこといっぱいしちゃったから、嫌われちゃったかもしれないって思って・・・」
「そ、そうだったのか」
「でも、今は嬉しくて・・・」
互いに絶対叶うことのない恋だと思っていた。しかし、まさかこんな場所で想いが通じ合うとは夢にも思わなかっただろう。
「じゃあ、俺達両想い・・・ってこと?」
「う、うん」
「まじかーーー!!」
「ひゃあっ!?」
ジークがアスモデウスに抱きついた。突然の出来事にアスモデウスの身体はビクッと震えたが、それは彼を拒絶しているからではない。
「そ、その、ジーク・・・」
「なんだ?」
「あの、な、何しても・・・いいからね?」
そう言われ、ジークの自制心が消えかけた。しかし、さすがにこんな場所ではこれ以上何かをするわけにはいかないと、必死に自分をコントロールする。
「じゃあ、これからは遠慮しないからな」
「うん・・・」
「でも、それは部屋の中で・・・な」
「うんっ・・・!」
こうして彼と共に過ごせる日々がいつまでも続けばいいな。
確かな温もりを肌で感じながら、アスモデウスは満面の笑みを浮かべた。




