第百八十四話 喜遊曲の終わり
「────どう、して」
シオンがそう呟く。
凄まじい魔力は恐らく世界中を駆け巡っただろう。それでも、彼女の目の前に居る俺の身に何かが起こることは無かった。
『・・・クロノスの精神はかなり不安定になっているようですね。貴方を殺したくない・・・世界を滅ぼしたくないという気持ちと、世界を滅ぼさなければならないという気持ちが彼女の中で渦巻いているのでしょう』
「それで、魔法が上手く発動しなかったのか・・・」
シオンがよろりと後ずさる。そんな彼女から目を離すことなく俺は腹部を貫いている魔剣を引き抜いた。血が溢れ出し、激痛が走ったけど・・・今はどうでもいい。
「シオン、もうやめよう。ほんとは君だって分かってる筈だ」
「な、にを・・・」
「これじゃ駄目だって。みんなで力を合わせれば、他に世界を救う方法が見つかるかもしれないって」
「そんなこと、思って・・・」
纏っていた魔力を体内に戻し、シオンを見つめる。
「じゃあなんで泣いてんだよ・・・」
「っ・・・」
シオンの目から溢れた涙が、頬を伝って地面に落ちていく。
「なんで全部一人で抱え込もうとしてるんだ。もっと俺達のことを頼ってくれよ・・・!」
「だ、だって・・・」
弱々しい声をシオンが漏らす。先程までの圧倒的なプレッシャーは、もう彼女から感じられない。
「ここまで貴方を傷つけたのに、戻れるわけないじゃないですか・・・」
そこに居るのは、ただの一人の少女だ。
「もう世界は衝突する直前なのに、今更貴方の元に戻れるわけがない・・・」
「シオン・・・」
「貴方に出会わなければ、こんなに苦しむ事も無かったのにっ・・・!」
何千年も昔、いずれ世界が衝突して滅びてしまうと知った時、シオンはどんな気持ちだったんだろうか。それをアルテリアスに相談することもなく対立して、一人で全部解決しようとして・・・。
「もう嫌だ・・・、アルテリアスに負けた時に、そのまま消えてしまえばよかった!!」
「何を言ってんだ馬鹿野郎!!」
俺達が居る空間が震え始める。空を見れば、地球とフォルティーナの境界線が徐々に無くなり始めていた。
「全部、全部無くなってしまえばいい・・・」
「ぐっ・・・!?」
これまでとは比べ物にならない程の魔力がシオンの身体から溢れ出す。多分、これがシオンの全魔力なんだろう。
「元々世界なんてものが生まれてしまったのが間違いだったんだ」
「シオン・・・!」
「これで、終わり・・・!!」
これで全てが決まる。
そんなことを思いながら、俺も全ての魔力を解放する。
『・・・ジークフリードさん、いくら貴方であっても、この一撃には耐えられないと思います』
んなこと分かってんよ。でも、だからって俺が逃げると思うか?
『ふふ、思っている筈ないでしょう?』
力を貸してくれ、アルテリアス
『勿論です。最後まで私は貴方と共に────』
始まりは、一人の少女との出会いから。
その物語をここで終わらせるつもりはない。これからもずっと、みんなで笑って暮らせればそれでいい。
その為に俺は、何気ない日常を────
「絶対に取り戻してみせる!!」
「いいえ、取り戻させない!!」
シオンの前に巨大な魔法陣が出現し、そこに膨大な魔力が集まっていく。
「これを受け切る自信はありますか!?」
先程までとは違い、まるで人が変わったかのような笑みを浮かべ、シオンがそう言う。
「滅びを回避したいのならば、この私を殺してみなさい」
「いいや、そんな未来は選ばねえ!!」
相手が神だろうが何だろうが、んなこと関係あるか。
全部叩き潰して、本当の〝シオン〟を取り戻す。
「偽りが奏でる喜遊曲もこれにてお終い、新たな世界に貴方は要らない・・・ッ!!」
「新たな世界なんていらねえ。みんなが、シオンが居てくれる・・・そんな普通の日々があればそれでいい」
全魔力を拳に集めて俺が地を蹴った直後、対するシオンも神に相応しい力を解き放った。
「滅びよ、《永遠ナル零ノ創世》!!!!」
「たとえ世界が滅びたとしとも、シオンだけは絶対に取り戻してみせるッ!!!!」
二つの魔力がぶつかり合う。
世界すらも呑み込んでしまうかもしれない・・・そう錯覚してしまう程の閃光が俺とシオンを包み込む。
「ッ────────」
次の瞬間、俺の意識はプツリと途絶えた。
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「────────」
あれ、ここは何処だ?
なんか見覚えのある白い空間・・・まさかさっきの。
「ふふ、目を覚ましましたか」
「アルテリアス・・・」
俺の前には、大人姿のアルテリアスがふわふわと浮かんでいる。
「シオンは・・・?」
「それは貴方自身の目で確かめるといいでしょう。私が教えることではありませんよ」
「何でだよ」
「狭間の女神ですから」
「ごめん、意味が分からん」
俺がそう言うと、アルテリアスは笑った。
ちょっと変なヤツだけど、こうして見るとほんと美人だよなぁ。
「どうかしました?」
「いや、別に何も」
「私のこと、美人だと思ってたでしょう」
「まあ、思ってたけど」
「・・・」
アルテリアスの顔が赤くなる。
何照れてんだこいつは。
「で、ここは俺の精神世界とやらか?」
「へっ、あ、はい、そうですよ」
「目を覚ます方法を教えてくれると助かるんだが」
俺がそう言うと、アルテリアスは少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「アルテリアス?」
「あ、その・・・」
・・・?
何かあったのだろうか。
「ここでお別れ・・・ですね」
「え・・・」
アルテリアスが下を向く。よく見れば、彼女の身体は少しずつ透け始めていた。
「おい、お別れって・・・」
「どうやら貴方の魔力を少し譲り受けて、魂が消滅することは避けられたみたいなんです。だから、私もゆっくり時間をかけて肉体を再構築しないと」
「死ぬわけじゃないんだよな?」
「はい。一年か、十年か・・・それとも百年か。どれ程の時間がかかるかは分かりませんが、時空の狭間を管理する女神としての役目を果たさなければ」
そう言う彼女の声は震えている。
別に死ぬわけじゃないのに何でだろうか。
「え、ちょ、泣いてる?」
「ご、ごめんなさい・・・」
何故泣く。
こんな時、どんな対応をすればいいってんだ。
「これまでずっと一人で、地上に降りてからは毎日が楽しくて・・・」
「お前・・・」
そういうことか。
また、一人だけの生活に戻るのが寂しいんだな。
「でも、私は崩壊してしまった時空の狭間を元に戻さなければいけません。だから・・・」
「ったく、泣くなよ」
アルテリアスの頭を撫でる。彼女の長い銀髪は、とてもサラサラしていて撫で心地が良い。
「俺も寂しいよ。なんだかんだ言って、世話になりっぱなしだったしな」
「ふう、ぅ・・・」
「アルテリアスが力を取り戻せたら、また俺の事を呼んでくれよな。いつでも待ってるからさ」
そんな俺の言葉を聞き、アルテリアスが顔を上げる。
「いいんですか・・・?」
「おう。でも、百年後とかだとさすがにキツいぞ」
「・・・ふふ、そうですか」
お、やっと笑ってくれたな。
「クロノス・・・いえ、シオンさんの気持ちが分かった気がします」
「ん?」
「貴方は相手が神様でも、心を奪ってしまうのですね」
「は?」
何言ってんだこいつは。
あんまり何を伝えたいのか分から・・・あ?
「おい待て、どういう意味だそりゃ」
「ふふ、顔が赤いですよ」
「ぐっ、てめ・・・」
アルテリアスが俺から離れる。
笑顔で俺を見つめる彼女は、もう涙を流していない。
「本当に、貴方に出会えて良かった。少しの間でしたが、思い出をありがとうございました」
「・・・んなもん、こっちの台詞だばーか」
もう殆ど彼女の身体は見えなくなっている。それでも、声ははっきりと聞こえた。
「また会える時まで、さよなら・・・ジークフリードさん」
「またな、アルテリアス」
やがて、アルテリアスの姿は完全に見えなくなり、俺は再び意識を失った。
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「・・・んあ?」
ここは・・・おっと、なんか俺立ってるし。この状態のまま気絶してたってのか?
「・・・目を覚ましましたか」
「シオン・・・」
そんな俺の視線の先では、こちらに背を向けるシオンが立っていた。もう背中の双翼は消えているし、満ち溢れていた魔力も消え去ったみたいだ。
「はは、てことは俺・・・」
「私の負けです。先程、再び時空神としての力を殆ど失ってしまいました」
「そうか」
シオンに向かって一歩踏み出す。
「来ないで」
しかし、その言葉を聞いて俺は足を止めた。
「私は、あまりにも罪を犯し過ぎた。貴方に優しくしてもらう資格なんてありません」
「・・・ったく」
何を言ってんだか。
「前までなら、そんな資格を取得してたのか?」
「え・・・?」
「とりあえずまあ、こっちを向きなさい」
「・・・」
そう言ってもこっちを向いてくれない。
「あーもう」
そんなシオンに近付き、俺は無理やりこっちに身体の正面を向けさせた。
「・・・見ないで、ください」
シオンは泣いていた。
それを見られたくないのか、彼女は震える手で顔を覆う。
「関わらないでくださいよぉ・・・」
「いいや、関わる」
「私はッ!!私は、貴方を傷つけてしまった・・・それだけじゃない、一度はこの手で・・・」
「でも俺は生きてる」
「それに、もうお終いです・・・。私のせいで、二つの世界は滅ぶんですから・・・」
・・・ふむ。
「なあシオン、ちょっと上を見てみろよ」
「え・・・」
シオンが上を向く。そして目を見開いた。
「地球とフォルティーナが・・・離れていく」
「俺にはよく分からんけど、あれはどういう事なんだ?」
「まさか、空間の中間地点で私とジークさんの魔力がぶつかり合った衝撃で・・・?」
「へえ、じゃあシオンは世界を救ったわけだ」
どういう事かはまだ分からない。
でも、結果的に二つの世界の衝突は避けられたどころか、どんどん距離が離れてる。
「つーことで、早く帰ろうぜ」
「・・・は?」
「みんな待ってんぞ。とりあえず腹減ったから、帰ったら飯作って欲しいな〜なんて」
「何を・・・言ってるんですか?」
シオンが俯く。
「今更帰るなんて言えるはずがないでしょう?」
「俺が言ってたこと、もう忘れたのか?」
「・・・?」
「無理矢理にでも連れて帰るって言っただろーが」
シオンの頭を撫でる。まだ銀髪のままだけど、もう黒髪には戻らないんだろうか。いやまあ、銀髪Ver.も可愛いけど。
「・・・本当に、良いんですか?」
「うん?」
「私を・・・許してくれるんですか?」
「当たり前だ」
「まだ、貴方を好きでいて・・・いいんですか?」
「おう・・・って俺がそんな事言うのもおかしいな。まあ、ありがとう」
すると、突然シオンが抱き着いてきた。
同時に辺り一帯が輝き始める。何となくだけど、みんなのとこに戻るんだなーってのは分かった。
「うっ、うぅ、うああああん!!!」
「はは、良かった────」
やがて光は俺達を包み込み、帰るべき場所への道を拓いた。




