第百八十二話 貴方の傍に
「速い・・・!!」
「何処を見ているんですかッ!!」
目で追いきれない速度で、縦横無尽にクロノスは動き回る。そして、背後からジークを蹴り飛ばした。
「ゲホッ!!な、なんてパワーだよ」
「魔法以外でも貴方に劣ることはありませんよ」
「大ピンチってやつか・・・」
片腕だけではクロノスの攻撃を防ぎ切ることが出来ず、徐々にジークは追い詰められていた。血もかなり失ってしまっているこの状況では、まともに動く事もままならない。
「あれだけ皆から尊敬されていた英雄も、神の前では一人の人間でしかない。最早勝ち目が無い事は、貴方もよく分かっていると思いますが。・・・ねえ、ジークさん?」
「ぐっ・・・」
それは最初から分かっていた。
彼女が本気を出せば、たった数秒でジークは殺されてしまうだろう。しかし、何故クロノスは本気を出さないのか。
「殺したきゃ、さっさと殺せばいい。なのに何で、俺を殺さないんだよ・・・」
「どのタイミングでも命を奪うことが出来るからですよ」
「いいや、違うね。やっぱり君は、ちゃんとシオンとしての心も併せ持っている」
「っ・・・」
限界が近い。
それを感じながらも、ジークはクロノスに向かって歩き始めた。
「シオンの優しさが、俺を殺すことを躊躇わせてるんだ」
「そんなことは・・・ない」
クロノスが魔剣を召喚する。
「それ以上近付くと、次に無くなるのは左腕ですよ」
「・・・」
忠告を聞かずに、ジークは更に前進していく。
「聞いているのですか、ジークさんッ!!」
「なら、今すぐ切り落としてみろよ!!!」
「ッ〜〜〜〜〜〜〜!!!」
クロノスが魔剣を振るう。その直後、ジークの左肩から大量の血が噴き出した。
「う、うぅ・・・」
「・・・どうしたよ、シオン。まだ俺の腕は残ってるぞ」
しかし、ジークは怯まない。
「止まって・・・ください」
「嫌だ」
「どうして、貴方は・・・」
「連れて帰るって言っただろ」
「う、うるさいッ!!」
クロノスが魔力を放つ。それを身に受けて、ジークの身体がぐらりと傾く。
「ぐっ・・・!?」
そしてそのままジークは倒れた。
「・・・諦めてください。限界はとっくに超えているのでしょう?」
「く、くそっ、まだだ」
「奇跡なんて起こりません・・・いや、私が起こさせない。貴方はもう休むといい」
クロノスがジークを見下ろし、魔剣に魔力を纏わせる。
「まだまだァ!!」
「っ・・・!」
その直後、ジークが立ち上がって魔剣を蹴り上げた。そして、目を見開いているクロノスに手を伸ばす。
「・・・無駄ですよ」
「なっ!?」
しかしそれは、クロノスが展開した結界に弾かれた。
「やはり、何をしても立ち上がってくるのですね」
クロノスが蹴りを放ち、それがジークの腹部にめり込む。反応が遅れたジークは、口から血を吐き出しながら真上に蹴り上げられた。
「なら、もう容赦はしません」
「あがっ!?」
その直後、彼よりも速く移動したクロノスに踏み付けられ、ジークは顔面から地面に激突する。
「貴方が相手にしているのが」
「ぐふっ・・・」
さらに、再び腹部を蹴られてジークは吹っ飛ぶ。
「全ての時空間を統べる神だということを」
「っ──────」
吹っ飛んだ先でクロノスがジークの顔面を殴り、地面に叩きつける。
「今一度思い知るがいい」
「ぐぇ、ごほっ・・・」
ジークの耐久すらも軽く上回る破壊力。
たった数秒でどれだけの数の骨が折れたのかは分からないが、ジークはもうその場から動けなくなった。
「以前、古代都市で私を攫った男が言ったことを、貴方に伝えたことがありましたね」
「・・・」
「あの男が言っていた、ハデスの魔眼の真の力。実はあらゆるものを石化させる・・・というものではないのです」
「は・・・?」
「〝時を支配する〟・・・、それがハデスの魔眼の本来の力です」
「時を・・・支配・・・」
「時間を停止させたり、時間を早めたり・・・。今はまだ力を完全に取り戻せていないので使用出来ませんが、その状態ではない私にすら貴方は敵わないのですよ」
そう言ってクロノスが魔力を集め始める。
「貴方だけは、この手で殺したくはなかったのに」
「っ・・・」
「やはり、私にとって貴方は特別な人でした」
「し、シオン・・・」
「私に居場所をくれて、ピンチの時には颯爽と駆け付けてくれて・・・本当に貴方のことが大好きだった」
クロノスの頬を涙が伝う。それを見たジークが必死に立ち上がろうとするも、力が入らず身体が動かない。
「ですが、ここでお別れです」
上空に巨大な火球が出現する。それが直撃すれば、もう助かることは無いとジークは悟った。
「畜生・・・」
クロノスと同じように、ジークも涙を流した。
「ここまでしても、届かないのかよ・・・」
絶対に連れて帰ると約束したのに。
扉の前で、心配そうに自分を見ていた仲間達の姿が頭に浮かぶ。
「さようなら、ジークさん」
一度きつく目を閉じたクロノスは、覚悟を決めたかのように目を開き、魔法を発動した。
「《ノヴァエクスプロージョン》」
「ごめん、みんな────」
火球がジークを呑み込み、容赦なく身体を焼く。
凄まじい炎の外から届く少女の泣き声を聞きながら、ジークはゆっくりと意識を手放した。
『情けない顔ですね、ジークフリードさん』
「え─────」
突然聞き覚えのある声が響き、ジークは目を開ける。
「あ、アルテリアス・・・?」
『はい、狭間の女神アルテリアスですよ』
「お前、なんでこんな所に・・・ってあれ?」
周囲を見渡せば、そこは何一つ無い真っ白な空間。そして彼の前には、瀕死の重症を負っていたアルテリアスが、にっこり笑って立っていた。
「お、俺、死んだのか?」
『はい、死にました』
「ええっ!?」
『残念ですが、これは冗談などではなく事実です。貴方はクロノスの魔法に身を焼かれ、二度目の人生の幕を閉じました』
「そんな・・・」
アルテリアスの言葉から嘘は感じられない。胸にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥り、ジークは俯いた。
『ですが、まだ貴方にはチャンスを与えることが出来ます』
「え・・・」
そう言われ、ジークは再び顔を上げる。目が合ったアルテリアスは、先程までとは違って真剣な表情で彼を見つめていた。
『貴方を転生させたのは私・・・それは勿論分かっていますよね?』
「あ、ああ、当然だろ」
『その時に、私は自身の魔力で貴方の身体を再構築しました。同じような方法でなら、もう一度だけ貴方を蘇生させることは可能です』
「まじか!?」
ジークは驚きながらも、アルテリアスに頭を下げる。
「悪い、なら今すぐにでも頼む!!」
『そう焦らないでください。ここは貴方の精神世界のような場所、さすがにクロノスも干渉することは不可能です』
「そうか・・・って、なんでアルテリアスはここに居るんだ?」
「・・・」
その問いに、アルテリアスは答えない。
「アルテリアス?」
『今の私は、所謂魂だけの存在・・・というものです。貴方の中に眠る私の魔力を利用して、なんとかこの世に留まっているといいますか』
「は・・・?てことは、死ぬ寸前ってことか?」
『そうですかね』
「ば、馬鹿野郎!あの時あんな無茶したからだろうが!!」
『私では勝てなかった。だから、私は貴方に全てを託したのです』
そう言ってアルテリアスがジークの胸に手を置く。
『もうこの状態を維持するのも限界なんです。だから、私は貴方の力となりましょう』
「お、おい────」
アルテリアスの身体が光に包まれる。
同時にジークの中で何かが膨れ上がっていく。
「これ、は・・・」
『肉体の再構築、そして私の魂を貴方の魔力へと変換しているのです』
「っ、何言ってんだ!!」
ジークが怒鳴る。
「お前、死ぬつもりかよ!!」
『貴方と一体化する・・・とでも言っておきます。それでもクロノスに勝てるかは分かりませんが、そこはジークフリードさんが頑張ってください』
「・・・絶対死なせねえからな」
『はい?』
「お前も俺の大切な仲間だ。だから絶対死なせないって言ってんだよ」
『ジークフリードさん・・・』
アルテリアスの頬が赤く染まる。
『あの時、時空の狭間に来たのが貴方で良かった』
そして、彼女はジークの唇に自分の唇を重ねた。
突然の出来事にジークは完全に硬直してしまい、瞬時に顔が真っ赤になる。
「っだあ!?な、何をやってんだお前は!!」
『ふふ、私にとって今のが最初で最後のキスですよ』
そう言うと、アルテリアスの身体は粒子となってジークの身体に溶け込み始めた。
「アルテリアス・・・」
『私は貴方と共に居ます。必ずクロノスを止めてください』
「・・・分かった、任せてくれ」
『信じていますね、ジークフリードさん─────』
次の瞬間、ジークの視界は真っ白に染まった。




