第百十話 晩餐会
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「やあ、よく来たね」
邪悪な気配と深い霧が漂う森の奥、シルフィは笑みを浮かべる男と対峙した。
「君がここまで無傷で来れたのは、僕が徘徊する魔物達に君に手を出さないように命令したからだよ」
「・・・」
恐怖を抑え込みながら、シルフィはベルゼブブを睨みつけた。
「これで、約束通りご主人様達には手を出さないんですよね?」
「え、そんなわけないじゃん」
「・・・は?」
即答だった。
一瞬彼が何を言ったのか理解出来なかったシルフィだが、次第に顔が真っ青になる。
「まさか・・・」
「既に王都に大群を送り込んでるよ。いやぁ、レヴィアタンには感謝しないとね。彼女の魔力を使ってこの迷宮と魔神級の魔物達を大量に造れたんだから」
「ふ、ふざけないでッ!!」
ダガーを手に持ち、シルフィはベルゼブブに襲いかかる。しかしベルゼブブが全身から放った魔力を身に受け、身体が止まった。
「う、うぐ・・・」
圧倒的な実力の差。
それを感じてシルフィの身体はガタガタと震え始める。
「いいねぇ、その表情。家畜にはぴったりの表情だよ」
笑みを絶やさず、ベルゼブブはゆっくりとシルフィに近付いた。
「僕、考えたんだよ。ここで君を食べちゃうのは勿体ないってね」
「え・・・」
そしてシルフィの首を掴んで持ち上げる。
「あぐぅ・・・!」
「君に子供を産ませ続けたら、何回もエルフ族の血が流れる食材を食べられるじゃないかってねぇ」
「ッ!?」
呼吸が出来ずにもがく彼女は、ベルゼブブが言った事の意味が分らなかった。
「な、なに・・・を」
「種族は何でもいいよねぇ。適当に君との間に子供をつくらせて、成長させて・・・ジュル」
ベルゼブブの口元から涎が垂れる。そこでようやくシルフィは彼が何を言っているのか理解した。
つまり、自分に子供を産ませて、それが成長したら食べるということだ。
「おっと」
腰からダガーを抜き、ベルゼブブの顔面を切りつける。しかしそれは彼の片腕に防がれた。
「うっ、ゲホッ・・・!!」
その隙にベルゼブブの腕から逃れたシルフィは、喉を押さえながらうずくまる。
「ふふふ、嫌なのかい?」
「はぁ、はぁ・・・」
「いいじゃないか。一生子供を産むだけの奴隷として扱い続けてあげるよ。光栄だろ?」
ベルゼブブは本気だ。ここに来てしまった以上どう足掻いてもシルフィに勝ち目は無い。
「奴隷・・・」
かつて王都にある奴隷市場で、自分と同じように光の宿っていない瞳で虚空を見つめていた人間達の姿が頭に浮かぶ。
そして、あそこから自分を救い出してくれたジークの姿も。
「う、うぅ・・・」
全てを失った自分に手を差し伸べ、家族だと言ってくれたジーク。そんな彼の姿が頭から離れない。
「会いたい・・・」
「んー?」
「会いたいよぉ・・・」
シルフィの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「アハハハハッ!!やっぱり他人が絶望する姿を見るのは楽しいなぁぁ!!」
「うぐぁ!!」
そんな彼女をベルゼブブは蹴り飛ばす。もちろん死なない程度に手加減はして。
「もう君に帰る場所なんて無いんだよ!!今頃王都も壊滅してるさ!!楽しい晩餐会もこれにて終了、さあ、僕のもとに来るがいい!!」
「嫌・・・です」
「あ?」
「・・・貴方は、一生一人で寂しく食事を行えばいいんです」
その一言を聞き、ベルゼブブが固有スキルを発動した。
魔法を分解して魔力へと変え、それを自身の力にする四本の黒い腕が彼の背後に出現する。
「あんまり調子に乗らないでくれるかなぁ?家畜の分際でさぁ・・・」
「っ・・・」
「ほら、こっちに来い」
ベルゼブブの身体からどす黒い魔力が溢れ出す。凄まじい風が吹き荒れ、大気が振動した。
「《幻糸展開》!!」
「無駄」
そんな彼にシルフィが魔力で創り出した糸を伸ばすが、ベルゼブブの黒い腕に分解され、吸収される。
「くっ・・・!」
「君を魔界に連れて行ったら、王国も帝国も全部喰い尽くしてやろう!!その後は他の魔神の領土もだ!!全部、全部僕が喰らい尽くしてやる!!アハハハハハハハハ!!!!」
「この・・・!!」
ダガーを構えてベルゼブブに向かって駆け出す。しかしベルゼブブが黒い腕を地面に叩きつけた時に発生した衝撃波を受け、シルフィは吹っ飛んだ。
「アーーーハッハッハッハ!!!」
「うぐ、あ・・・」
立ち上がることが出来ず、シルフィは転がりながら声を漏らした。
「はぁ、はぁ・・・」
きっとジーク達は無事だろう。
この迷宮も、この魔神も彼らが倒してくれるはずだ。
「結局、最後まで迷惑をおかけして・・・」
もうどうすることも出来ない。
このまま自分は魔界に連れて行かれるのだろうと思い、シルフィの身体が震える。
「うぅ・・・」
まだまだやりたい事は沢山あった。しかしもう手遅れだ。
シルフィは目を閉じて覚悟を決めた。
「さぁて、行こうか」
歩み寄ってきたベルゼブブが、歪んだ笑みを浮かべながらシルフィに手を伸ばす。
「楽しい楽しい生活の始まりだ」
「嫌・・・」
迷惑をかけたくない。だから一人でここまで来た。
それなのにこんな事を思うのはきっと間違いだ。
「ご主人様・・・」
それでも、シルフィは最も尊敬し、最も愛する主人を求めた。
「もう大丈夫だ」
幻聴だろうか。
彼の声が聞こえた気がしてシルフィは目を開ける。
「え────」
そんな彼女の目に飛び込んできたのは、勢いよく吹っ飛んでいくベルゼブブと、自分に背を向けて立つ黒髪の少年の姿。
「う、嘘・・・」
見間違うはずがない。何度も見てきたその背中は───
「お待たせ、シルフィ。あとは俺に任せとけ」
「ご主人様・・・」
もう二度と会えないと思っていた主人の姿を見て、シルフィの瞳から涙が溢れた。




