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私と蛙に毎日ひとつ

私と蛙に毎日ひとつ ~恋敵殲滅~

作者: 小林晴幸

こちら短編「私と蛙に毎日ひとつ」の続編となります。

意味不明なところは前作を参照してください。

 貴族専用の役場とも言える、某所にて。

 さり気無く極上の布を用い、高い家格を感じさせる少女がひとり。

 肩に小さな蛙を乗せた彼女は、にこやかな微笑で役人に念を押した。


「それではこちら、結婚許可証の申請と公示期間の設置をお願いします」

「それは良いのですが………本当によろしいのですか?」

「どういう意味でしょうか」

「………此方の、お相手様…戸籍情報に誤りがなければ御歳百歳以上となりますが」


 なんでこんな戸籍が残っているんだ。

 普通に考えてこの年齢なら死んでるだろう。

 だが、目の前にはその相手と結婚するという少女がいる。

 内心で苦々しく思いながら、役人は少女を窺い見る。

 家柄的に、少女は絶対に機嫌を損ねてはならない相手だが…


 少女は、それはそれは鮮やかに微笑んだ。

 まるで大輪のダリアのように。


「問題ありません。その方で合っています」


 そう言って少女が差し出した申請手続きの書類には、間違いなく件の人物…

 戸籍上は百歳オーバーの結婚相手の印があって。

 反論の言葉を失い、役人は『受付済み』を示す処理印を書類に押した。

 深く考えず、なあなあで終わってしまうお役所仕事万歳である。


「これで私達は、正式な婚約者…ね?」

「ああ、改めてよろしく頼もう。我が未来の花嫁殿よ」

「私からもお願いね、私の素敵な旦那様」

 

 そう言って、微笑みあう二人…。

 これが人間の男女であれば、糖分過剰にして頬笑ましい光景なのだが…

 笑顔を交し合うのは、人間の少女と。

 そうして、その手指の先ほどの大きさの、蛙。


「しかし人間の役所に提出して、問題が出ないだろうか。確か貴族の結婚は、最終的に国王の承認を得て完了と成るのではなかったか? 国王が疑問に思わねば良いが…」

「大丈夫よ! 結婚とかこんな雑事の承認を求める案件は毎日山積みだから流れ作業だって聞くもの。相手が犯罪者とか、余程の粗がなければするっと通っちゃうそうよ」

「ほう、そんなものか」

「それに今の国王は一昨年即位したばかりの若造で、まだ仕事にも不慣れな頃合だし」

「一昨年…それでは今頃ようよう仕事にも慣れ始め、油断が生じる頃合であるな」

「そうそう、だから案じることはないわ」


 そう言い切る少女に、蛙も納得したように頷いて。

 奇妙な組み合わせの、傍目に異常な二人。

 二人の声は潜められていたので、蛙が喋ることまでは気付かれていないが…

 手のひらの蛙に向かってしきりと話しかける少女という、残念な構図がそこにある。

 周囲の人々の奇異の目にも、少女は気付かず。

 そうして少女は、意気揚々と役所を後にした。





 この国の、貴族の結婚に関する決まりごとのひとつ。

 公示期間というものが必要だとされている。

 様々なしがらみの多い貴族社会、結婚するにも周囲との調整が必要で。

 結婚を決めた後、事前に暫くの時間を公示期間として設置することになっていた。

 その間に異議申し立てがあった場合は、結婚が出来なくなる。

 異議を申し立てた人物が、2人の結婚に納得をして異議を取り下げない限り。


「無事に申請が通って良かったわ」

「ふむ。しかし問題はここからであろう」


 役所を後にした2人…1人と1匹は顔を見合わせて頷きあう。

 この場に第三者があれば、一体何処からの声かと疑うことだろう。

 少女の肩に乗った蛙が喋っているという、現実が信じられない限り。


 アデライト公爵家令嬢、アデリシア。

 そして白鳴沼に棲んでいた妖怪蛙、セイクリッド。

 身分どころか種族を超えた異彩を放つ2人は、先程公式に婚約者になったばかりだった。



 自分の用意した婚約者候補から夫を選ばないのであれば、蛙とでも結婚するがいい――。

 父親との確執から出た、売り言葉に買い言葉。

 しかしご令嬢はむしろ嬉々として、よっしゃ言質取った!とばかりに屋敷を脱走した。

 そう、それくらいに、彼女は父親の用意した婚約者候補と結婚したくなかったのだ。

 そうして逞しく前向きなお嬢様は、僅かな手がかりに期待をかけて放浪を始めた。

 己の理想条件に合致する、まだ見ぬ夫(両生類)の姿を捜し求めて…


 やがて辿り着いた沼地で出会った蛙は、200年物の妖怪蛙。

 しかも都合の良いことに、令嬢との婚姻に了承するような奇特な蛙だった。

 

 結婚に際して、2人が交わした約束は一つ。

 互いに毎日ひとつ、お互いの願いを聞き届けるというもの。

 その約束を守り続ける限り、2人の仲は良好なものであると互いに信じられた…


 そうして意気揚々、お嬢様は蛙の夫を屋敷に連れて凱旋した。

 父親の雷が落ちた。


「あら、ご自分で仰ったことでしょう?」

 お嬢様は可愛らしく首を傾げて、父親の怒りは全スルー。

 むしろ、蛙の方が気を使っていた始末だ。


「り、両生類との結婚など、父は認めないからな…!?」

 お父様がそう叫んで以来、アデライトのお屋敷では家庭内冷戦の嵐が吹き荒れている…

 ………が、娘さんの方は父親の怒りなど全くもって気にしていなかった。

 その図太さに乾杯☆




 …という訳で、今回の婚姻許可の申請と相成ったのだが。

 それはもう当然の如く、この結婚を歓迎していない父が動いてくれるはずもなく。

 なれば「自分が手続きをしないのだから、娘の婚姻支度も整うはずがないだろう」という父の隙をつき、娘さんは驚きの行動力で自ら申請手続きに走った訳である。


 言うまでもなく、父親には一言も相談していない。


 そもそも婚礼準備を整えつつあることすら、内密にされている。

 露見したら妨害されるに違いないので、当然である。

 なのでいざ結婚式となるまでは、父にも親族にも知れないように慎重に立ち回っていた。

 申請手続きに関する通知をはじめ、各種報告は屋敷にいくので隠せるはずはないのだが…

 そこは、屋敷の使用人一同を懐柔することでオールクリアである。

 特に家令のハンスを抱きこめたことは、ここ最近の快挙である。

 どうやら使用人達も、中繋ぎ同然の入り婿公爵より未来の公爵家を担うお嬢様の方を味方した方が将来は安泰だとわかってくれたらしい。

 …蛙を婿にすることの、博打具合はともかく。


「婚礼衣装は白よねぇ…お色直しは旦那様の色を入れて水色か…とりあえず青系?」

「ふむ。元が良いので何色でも似合うのではないか? 私個人の趣味で言えば、そなたの肩が私の定位置だからして、共にいて映える色が良いと思うのだが」

「だったら、水色の映える…薄紅なんてどうかしら」

「そなたは色が白いから、薄紅はよく似合いそうだ」


 そして、いま。

 蛙とお嬢様の異色カップルは、いちゃいちゃと婚礼衣装の相談をしていた。


「旦那様の典礼用の衣装は私の婚礼衣装と共布で作りましょうか。こう…背中一面に銀の糸で刺繍なんて入れたら素敵だと思うんだけど?」

「………この仮の図案はそなたの考案で?」

「ええ、遥か遠く東の異邦で、『ボサツ』と呼ばれる『シンブツ』なのですって」

「『菩薩』と呼ばれる『神仏』…」

「とても華やかなモチーフよね。私、気に入ってしまって」

「そうだな…しかしこれを背に負うのは別の何かを連想しそうではある」

「???……あ、そうだわ、旦那様。話は変わるけれど」

「うん? なんだろうか」

「旦那様って、爵位を持ってたいたのね。申請手続きで知って、驚いちゃったわ」

「ああ、私も忘れていたが…60年前の戦乱の中、偶然にも武功を立てる形となってしまってな。此方は此方で勝手に戦っていただけなのだが、終戦の折に是非にと請われて形だけだが受け取ったものだ」

「セイクリッド・ブレイム男爵…形だけでも立派な名前ね」

「爵位だけで、領地も官位も持たないがな」

「60年前の戦いって…何故か異界の魔王がいきなりうちの国を襲ったという、あの?」

「ああ、それだ。まあいきなり襲ったというか、偵察に訪れていたベルゼブブとかいう蝿を悪魔とは知らずに私が食べてしまってな」

「まあ! …旦那様、お腹は大丈夫? 中から食い破られたり、お腹を壊したりとかは?」

「うむ、そんなことになっていれば大惨事だな。だが蝿の王という割には小ぶりで、普通の蝿そのものであった。後から魔王にいわれるまで悪魔だとは知らなかったくらいだ」

「昔話にも、化けている間に食われる系の話多いしね。そんな感じなのかしら」

「かも知れん」

「………あら? だったらいきなり魔王に国が襲われたのは、旦那様のせい?」

「そうとも言える。ので、此方としても友人知人をこぞって誘い合わせた上、率いて窮地を救わせてもらったのだが…まさか私のせいだったとも言えずにな。結局、謎の援軍を率いて国を救った功労者と讃えられ、爵位を授けられることに」

「まあ貰えるものは貰っておけって、私の育て親もいってたし。ここは黙ってた方がお互いに気持ちよく過ごせることは確かだし、旦那様が気に病むことはないわよ。だってその蝿を食べたのだって、悪気はなかったのでしょう?」

「ああ、そうだな。捕食した瞬間はやけに歯応えがあるというか、魔力が豊富だとか、色々と不思議には思っていたのだが…まさか魔王の重臣だとはなぁ」

「過去のことはとやかく言わないけど、いくら蛙でも私が生きている間は虫食は控えてもらっても良いかしら? 流石に蝿を食べた口と直接マウス・トゥ・マウスは気分が良くないもの。旦那様とのキスを躊躇っちゃいそうだわ」

「ふむ。それは一大事だな」

「ええ、だから虫食は控えてね。私からの『お願い』よ」

「では私からも『お願い』しよう」

「あら、なぁに?」

「私が虫を食べようなどと思うことのないよう、常に満足な気持ちにさせてくれまいか。そなたとの甘い時間が充分に有れば、私も虫などに目移りはしまいよ」

「まあっ 旦那様ったら!」

「不服か?」

「うふふふふ…そんな訳ないじゃない!」


 その瞬間、壁際に控えていた5名のメイドはそれぞれこんなことを思った。

 A:砂吐きそう…いい加減にしてよね。

 B:い、胃もたれする…。というかお嬢様、蛙相手に何やってるの!?

 C:私も、私も恋人さえいれば…っ

 D:お嬢様、相変わらずメンタルのつくりが私達とは違うわ…

 E:今の衝撃情報…他所にもらしたら、きっとクビよね………?


 こんな感じで、お嬢様と蛙は各所にて方々に暴力的な精神被害をもたらしていた。


「それにしても旦那様、こんな小さな身体で戦うなんて…大丈夫だった?」

「案じることはないぞ、妻よ。私は妖怪…その気になれば全長4mまで変化可能だ」

「あら? それじゃあ今、小指サイズなのは?」

「大きくはなれるが、常に化けているのもな。この姿は私の本性だ」

「可愛い本性で良かったわ! このサイズだったら、いつでも一緒にいられるものね」

「うむ」

「でも、大きい旦那様か…ちょっと試しに、ねえ?」

「む?」


 それからお嬢様の口にした言葉に、メイド達は勘弁してほしいと顔を青褪めさせた。


 ――その頃。

 お嬢様の知らぬところで、この屋敷を訪れる馬車があった。

 いきなりの来訪に屋敷を預かる家令を筆頭とした使用人達は慌てふためきだす。

 馬車に刻まれた紋が、とんでもないものだったからだ。

 やがてその姿を現した来訪者に、使用人達は更に混乱と動揺を顕わにし…

 どうかお待ち下さいという諌めにも応じず、来訪者は強引に押し入ってくる。

 勝手知ったる他人の家とばかり、ずんずんずんずん。

 その足は、一直線にお嬢様の私室………

 ただいま現在、お嬢様と蛙がゲロ甘い空間を形成している場所へと向かって…。


 確かな足取りでしっかりと進むのは、武人のような硬質な雰囲気の男性。

 美丈夫という言葉の相応しい、同性からも慕われそうな体格の良い男である。

 年頃は二十歳頃と若さの中にあるが、どこか厳しさを感じさせるものがある。

 今はその眦が吊り上がり、顔がしかめられている。

 不愉快を隠そうともしない顔には、更に冷徹さが加えられて見る者を恐怖させた。


 急な来訪者、彼がお嬢様の私室のドアに手をかけたタイミングで。

 そんな時に、部屋の中から来訪者の耳へと届いちゃったのは。


 ドアの向こうから聞こえてきた、お嬢様のしっかりとした声。

 それは興奮したように上ずり、喜色を多く含んだもので。


『やあぁん、すごい…! 旦那様が、こんなに大きく…っ!?』


 もう一度いおう。

 来訪者は、厳しく見えるものの年齢二十歳頃の、男性。

 若さ真っ盛りだ。


 そして若い男性に往々にして見られる特性も、人並みに備えていた。

 即ち、下心とそれに直結するそれなりの妄想力。

 欲求不満もあいまって、それが彼の脳髄で炸裂した。


 重ねていうが、彼はそれらが強すぎたわけではない。

 あくまで人並み、一般的なレベルだ。

 しかし、若さというものは時として人に愚かな、笑える勘違いをもたらすもので。

 普段から心労の多い仕事をやっていて、疲れていたこともある。

 この屋敷を訪れた時点で怒っていたこともあり、青年は思考回路が単純化していた。


 結果。

 物語にはありがちにして、悲しい帰結として。


 青年は、公爵家の重厚なドアを叩き割らん勢いで開け放っていた。


「貴様達っ 一体何をして………って、え?」


 瞬間、青年は見たものに視線を囚われ、目が離せなくなった。

 というか意志の力ではずそうとしても、頑として動かなくなった。全身が。


 青年が、見たもの。

 それはドアの真正面に威容を曝していた。


 大きな、蛙。


 部屋の真ん中にお嬢様がいる。

 その隣に、水色の蛙がいる。

 しかし座った姿勢の蛙の頭頂部と、お嬢様の頭頂部が同じ高さだ。

 現実がおかしなことになっている光景が、そこにある。


 蛙と青年の目は、ばっちりがっちり合ってしまっていた。

 それはもう、真正面から。

 ぬらぬらと光る、感情の窺えない目。

 どこを見ているのか微妙につかめない、黒く大きな目。

 青年は蛇に睨まれた蛙の如く、脂汗をだらだら流しながら固まっている。

 どっちが蛙だ、蛙なのか。

 蛙に睨まれて動けなくなるってなんだ。

 青年は、初めて遭遇する類の世界へと開かれた扉を前に石と化していた。


 全く動けない青年を前に、ひとり平然とする人間。

 熟練の使用人達でさえ慌て狼狽える中、ひとりだけ常と変わらない人間がいた。

 お嬢様だ。

 彼女は何でもないような口調で、来訪者の正体をあっさりと言い当てた。


「あら陛下、久しぶり。こんなところで何してるの? 全く呼んでないわよ?」


 ――陛下。

 それは、国王を呼称する尊称。

 即ち、この蛙とのファーストコンタクトで地蔵と化した青年のこと。

 青年………彼は、お嬢様たち貴族の頂点に君臨する者。

 第14代国王、ミカエル・クリスファイトであった。





 

 ミカエル・クリスファイトは不幸な男だった。


 一国の王というだけあり、その育ちは国内最高峰。

 幼少期から各分野のプロフェッショナル達に絶妙な飴と鞭で以て鍛えあげられ、己への自信も自負も過不足なく。

 だからといって増長することもなく、己の分を弁えている。

 その物わかりのよさが哀れになるほど、自己研鑽に費やす努力は計り知れない。

 餓えも渇きも知らず、生活に困らない暮らしの幸せも自覚している、民に慕われる王の資質を持った男。

 強いて気の毒な点を挙げるとすれば、先代の王が賢王と名高く、その王冠に常にプレッシャーがかかることくらいだろうか。

 先代の王が国内をよく統治したので、問題らしい問題もなく。

 無難に治めればそれなりに潤う土壌の整えられた治世で、血の滲むような努力を迫られる訳でもない。

 だが、それでも彼は不幸な男だった。


 ミカエル・クリスファイトの不幸。

 それは………


「なんだこれはっ!」


 執務室の書類が積まれた執務机の前。

 一枚の書類を手に取り、内容を確かめたミカエル王は思わず叫んでいた。

 その声音に含まれた驚愕に、ただごとならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。

 国王の働きやすい環境を整える為に立ち働いていた近侍達が、わらわらと国王の執務机へと集まり始める。


「いかがなさいましたか?」

「………この書類を見てみろ」

「これは…よくある、貴族の婚姻許可を求める申請書のようですが………アデライト公爵家?」


 近侍達もまた、書類に記された申請者の署名に騒然とした。

 アデライト公爵家といえば、先代公爵の死後発表された遺言の内容から近頃貴族社会の注目を集めている家である。

 その花婿になった者には王国最大勢力を誇る貴族家の全てが手に入るとなれば、誰が気にせずにいられようか。

 また、彼らにはそれだけでなく…支える国王を気遣い、気にせずにいられない点がある。


「アデリシアが、結婚する………っ」


 絶望を見たかのように、表情を強張らせる国王。

 花婿に選ばれた男へと多大な同情を寄せながら、そのような内面は綺麗に押し隠して近侍達も言葉を探す。

 だけどいくら探しても、言葉など出て来はしない。


 第14代国王ミカエル・クリスファイトの不幸。

 それは、育ちも性格も境遇も考え方も相容れぬ相手。


 アデライト公爵家令嬢アデリシアに、本気で惚れぬいていることだった。



 そもそもアデリシアとミカエルの交流は、遡れば6年前に端を発する。

 元よりアデライト家は公爵家。

 王家に近しい血筋の一族だ。

 最近では先代当主であったアデリシアの祖父の妹が王家に嫁いでいることもあり、家同士の交流は密であったと言ってもいいだろう。

 問題の2人に関しても、実際にアデリシアが生まれる前は女の子であれば王妃候補にしてもいいと王家で検討されていた程である。

 だが実際に生まれたのが女児であったにも関わらず、母親は産褥で命を落とし、アデリシアは公爵家唯一の直系となってしまった。

 家の後継ぎコース一直線である。

 当然ながらこの時点で王妃候補にという話は流れ、このまま何事もなければアデリシアとミカエルはただの親戚兼主従として生涯を終える筈だった。


 それに狂いが生じたのが、6年前。

 生後1年足らずで行方知れずとなり、ようやく発見されたアデリシアが公爵家に迎え入れられてから、2年が経つ頃。

 アデリシアの祖父から、ミカエルに相談が持ち込まれたのである。


 ――曰く、未だ貴族の暮らしに馴染めぬらしい孫娘の、社会復帰に手を貸しては下さらぬか…と。


 社会復帰との言い回しに違和感を覚えはしたものの、温厚で優しさを持っていた十代のミカエルは快く了承した。

 可哀想な令嬢の為、一肌脱ぐのも吝かじゃないと。

 

 ――当時、アデリシアは貴族社会にてその激動の境遇から可哀想なご令嬢として同情されていた。

 庶民の中で育ち、さぞかし心細い思いをされていたことだろうと。

 実物を知らず、文字情報と噂のみでアデリシアのことを知っていたミカエルもまた、考えは貴族社会の者達と同じだった。

 勝手なイメージではあるが、薄幸の、儚げな令嬢を想像していたのだ。

 

 その想像は、出会って1秒で粉砕されることとなる。


 評判の高い流行りのお店で購入した、愛らしいデザインのお菓子。

 心の慰めになることを第一に、明るい色で取り揃えられた可憐な花束。

 おおよそ一般的な貴族の少女であれば、胸を高鳴らせるような贈り物。

 それをわざわざ、見栄えの良い『王子様らしい』服装に身を包んだミカエルが手ずから運んで持参した。

 男らしくも華やかなミカエルは、濃い金髪に青い瞳の、絵に描いたような王子様だ。

 美丈夫に育つ片鱗が、既に少年の身には現れ始めていた。


 ………が、アデライト家の屋敷で彼が遭遇したものは。


 後に、彼自身が『山猿』と呼ぶようになる、アデリシアの姿だった。

 華奢な少女は服装・顔立ち、雰囲気だけを見れば立派な『ご令嬢』だった。

 可憐だった。

 大木に育った楠の、枝ぶりの良い場所に仁王立ちでさえなかったら。

 地上との距離、実に5mジャスト。

 身長160cm半ば(当時)だったミカエルの3.5m樹上から、顎を上げて見下ろしてくる。

 剣呑な光を放つ目は慣れぬ令嬢生活のストレスで、すっかり荒みきっていた。

 むしろグレていた。


 この直後、ミカエルは出会い頭に姿だけは一端の『ご令嬢』であるアデリシアに因縁をつけられ、頭に松ぼっくりを投げつけられた。

 おまけに『生活に困窮したことがなさそうな、幸せそうな面がむかついた』という王子という身分には類を見ない理由でカツアゲの憂き目に見舞われることとなる。

 王子様から小金を巻き上げたご令嬢は、当然の如く祖父にお仕置きされた。


 ご令嬢の為に一肌脱ぐどころか、ご令嬢に身包み剥がれた王子様は、当然ながら令嬢に対する印象最悪で。

 それでも令嬢の身分が高い上に親戚という立場が災いし、度々顔を突き合わせるのだが…その度に、何かしらのトラブルに見舞われて。

 気付いた時にはミカエルは忌々しさ半分、妙な親しみ半分といった心情のまま何故か令嬢と打ち解けていた。

 むしろその関係は、喧嘩友達に近かったけれど。


 アデリシアの祖父の思惑としては、表面上はつくろえても精神性が中々令嬢らしくならない孫娘に手を焼き、乙女の憧れ『完璧な王子様』と引き合わせることでちゃんと出来ない自分に羞恥なり何なりを覚えてもらって奮起させようということだったのだが…

 その目論見は、遥か遠いお山の彼方に既に消えていた。


 下らぬことで顔を合わす都度に口喧嘩を繰り返す2人の姿はしばしば目撃され、家人にまるでよく躾けられた猟犬と田畑を荒らすボス猿のようだと言わしめた。

 つまりは、犬猿。

 そんな間柄でありながら、王子の身でありながら山猿のような令嬢に恋に落ちてしまったことは、ミカエルにとって全くの不覚としか言いようがない。

 しかも、完全なる片思い。

 その想いを自覚した瞬間、ミカエルが己の正気を疑ったのは無理からぬことだろう。

 しかし気付いたら好きになっていた。

 当然ながら、そのことに最も頭を抱えたのは恋に堕ちた当人であったという。

 王子は軽く…いや、深く自分の正気を疑った。


 だが、気付いてしまったからにはもう知らぬふりはできない。

 自覚してしまったが最後、病気(こい)の進行は恐ろしいほどに速度を上げた。

 うっかり、周囲の大人たちに隠せなくなってしまうくらい。

 挙句の果てには家庭教師達にぽろっと口をこぼして恋愛相談めいたことをしてしまい、全方向から驚愕と恐怖と、正気を疑う眼差しを惜しみなく注がれた。

 実際に口に出しても、「正気ですか」と聞かれたくらいだ。

 

 一応、身分に障害はない相手。

 身分だけ(・・)は障害のない相手。

 だけどそれ以外が大問題だ。

 うら若き少女に理想の王子様であるミカエルをわざと嗾ける事態にいい顔をしなかった大人達も、「これなら間違いは起きるまい」と全くロマンスを予想していなかったのに。

 更にいえばアデリシアは跡取り娘だ。

 そうそう簡単に嫁ぐことはない。

 それでも恋にとち狂った(本人談)若者は、無用な期待をしてしまうもので。

 己の恋心をさり気無くアデリシアの祖父…大伯父である公爵に己の気持ちを示唆すると、こちらもまた驚愕に今まで見たこともない顔で、やはり正気を疑われた。

 更にははっきりと明言された。

「あのような娘を王家に上げるのは、我がアデライト公爵家にとっては恥辱の極み。本人の問題ではありますが、とてもとても殿下のお側には上げられませぬ」

 それが謙遜でもなんでもなく、公爵のマジな気持ちだとわかる真摯な声音だった。

 ついでに言うと、ミカエルも頭の冷静な部分では思っていた。

 あの山猿は、とてもじゃないが将来の国母になんて…絶対に出来ないなぁと。

 それでもくすぶり、焦げ付くのが恋心。

 なんであんな奴に、と色々な意味でミカエルは悩み、頭を抱えた。

 

 身分に問題はない。

 だけど絶対に妃には出来ない。

 青少年の悩みと葛藤は、何年も続く。




 その上で、この事態。

 自分が嫁取りは出来ず、更には跡取り娘であるだけに、いつかはこのような事態が…と思ってはいたのだが………目の前で、まさかの予想外な事態が展開していた。

 あの冴えない公爵家の婿がアデリシアの夫を選ぶのかと思えば、心中はとても複雑で。

 とてもではないが凡庸な男にアデリシアは御せまいよ、と高をくくっていたのだが。


 目の前にいる、この水色の物体はなんだ。


 → おうさま は げんじつ が めにみえない!

  アデリシア の こうげき!


「陛下ー? こちら、私の愛する旦那様。可愛くて格好良いでしょ、最高でしょ」

「待て。色々言いたいことはあるが、私の頭が再起動するまで待て」

「こちら、妖怪蛙のセイクリッドよ。中々素敵でしょー?」

「だから待てと言うに…っ」


 ちなみにアデリシア当人は、ミカエルの気持ちにこれっぽっちも気付いていなかった。


「ご紹介に与った、セイクリッド・ブレイムである。以後、妻ともども良しなに」

「だから待て! 何故カエルが喋るんだ!? というか蛙!!?」


 → おうさま は こんらんした!


「何故、蛙…!? それにこの大きさは一体!?」

「素敵でしょう?」

「くっ…なんだ、その良い笑顔は!」

「うふふー、流石妖怪蛙の旦那様よねぇ。今は変化して大きくなってもらってるの」

「なあ、それが夫で良いのか。夫で良いのか!?」

「当然でしょう? だって私が望んで婿入りしてもらうのよ。史上最高に口説いたわ」

「しかもお前の方から…!?」

 ミカエルは目の前にいる蛙から、さり気無く目線を逸らしている。

 もう冷や汗がだらだらの様子で、一所懸命に目を逸らしている。

 だが現在、巨大化した蛙の目線の高さは王様と完璧に同じ。

 大きくつぶらな瞳でじっと見つめてくるので、王様は視線から逃れる術を失った。

「前から酷いとは思っていたが………まさか、男の趣味がここまで悪かったとは」

「失礼ね! 私、男の趣味は良いつもりなのよ? だって旦那様と出会えたんだもの」

「私もそなたと縁を結べたこと、この上なき喜び。そなたと生きられる事実に胸が高鳴るというもの……このように私の心臓を酷使させてどうするつもりだ?」

「まあ! まあ、旦那様ったら…! もうっ私をこんなにときめかせてどうしたいの?」

「是非とも、私の心臓を狂わせた責任を取っていただきたいものだ」

「旦那様………」

「我が妻よ…」


 国王様の目の前で、人間ビックサイズの蛙と少女が手に手を取り合って見つめあい、いちゃついている。形成される二人の世界は、恐らく糖度が瞬間的に砂糖を超えた。


「お、お前達…っ!?」


 そんなモノを見せ付けられて、国王様が取り乱す。

 目の前の光景が、種々様々な意味で現実のものとは思えなかった。

 だが、やがて。

 恋にとち狂った(本人談)青年は、奥歯をぎしりと噛み締める。

 その表情に浮かぶのは………嫉妬の炎がめらめらと。

 こんな現実さんさようなら!な光景を見せられて、そこに終着する王様も傑物だ。

 ミカエルは己の手をぴったりガードしていた手袋をおもむろに抜き取り…

 やがて、自分を見向きもせずにいちゃつく蛙の後頭部に投げつけた。

 空気抵抗を孕んで広がった布が、びたんと後頭部に張り付く。

 その些細な衝撃に、「おや?」という顔で蛙が振り返った。


 そこには、嫉妬の鬼と化した男が一匹。

 

 アデリシアは未だに国王の気持ちにちっとも気付いていなかったが。

 200年物で経験豊富に着き、察しのよろしい蛙は、その眼差しで全てを察した。

 ぎりぎりと歯噛みしながら、一国の王が人間ビックサイズの蛙に剣を突きつける。

「貴様に決闘を申し込む…!! 私に勝てるまで結婚を許可するとは思うなよ!」

「陛下、何言ってるの? 旦那様に決闘だなんて…怪我させたら毛を毟るわよ?」

 むしろ自分が決闘しようか、旦那様に刃物向けるとは何事だ、と。

 アデリシアが冷徹な瞳で進み出る。

 しかしそんな彼女を制したのは、その旦那様の方で。

「そなたに勝てるまで結婚を認めない、ということは………そなたに勝てさえすれば、その時点で結婚を認めて許可証を発行するということであろうか」

 結婚までの、時間短縮超裏技を蛙は見つけた。


 → こくおう を たおす


 まさかの選択肢である。

 だけどそれに気付いたアデリシアの美しい瞳が輝いた。

 その光景だけで、蛙は俄然やる気を出して張り切った。

 だが国王様はテンションが下がった。

「これが正式な決闘だとすれば…何事が起きても、文句はないわよね!」

「く…っ致し方ない。遺書でも何でも、申し送り書でも書いてやろうではないか!」

「そんなものはいらないから、結婚許可証を発行してちょうだい」

 じわじわ、じわじわと国王様は追い詰められる。

 まさかの事態だが、こうなっては最早やるしかない…!

 王様は、研ぎ澄まされた剣を手に妖怪蛙に立ち向かう。


 次の瞬間。



   ぺろりん



 蛙の口から目にも留まらぬ早業で放たれたもの、舌。

 長く伸びる舌が一瞬で国王の身体を絡めとり、拘束しながら高速で引き戻された。

 蛙の、口の中に。

 そのままもっきゅもっきゅと租借して…蛙の口から、国王の足が覗いている。

「きゃあ! 旦那様すご~い!!」

 アデリシアは手を叩いて喜び、蛙を褒め称える。

 しかしその反応は王国の臣民として間違ってはいないだろうか……… 


 幸い、蛙は手加減をしていて。

 咀嚼もマジではなく甘噛みに留められており、国王は一命を取り留めた。

 全身が粘液塗れになったが。


 こうして国王は身体は無傷であったものの、心に重篤な傷を負い。

 蛙というトラウマを永遠に心に刻み込むことになった。

 すごすごと城に帰っていく国王の背中は、哀愁に満ち満ちていたという。




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[一言] 陛下、ご愁傷様ですwww だ、旦那様……貴族だったんかい…… サイズを変えられることはわかった。 人型には?
[良い点] 陛下wwwwww なんたる不憫wwwww [一言] 感想欄の草の生えっプリに胸がアツくなりました(*≧∀≦*)
[一言] へーかwww へーかwwwwwww お気を確かにwwwwwww それにしても旦那様テライケメン過ぎて生きてるのがつらいwww
2015/02/13 19:44 退会済み
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